一節 はじまりの出会い
これは私、朝比奈 昌澄から見た兄夫婦の物語だ。
偏見があるのは認めるが、私の目から見た二人の出会いはまるで運命のようだった。
今から三年前。
兄と義姉の出会いは戦時に遡る。
時は大陸新暦一七五年。
第三次全面戦争の最中であった。
発端は隣国・冬の国の大飢饉に端を発する領土侵攻。我ら春の国からすれば、これは明確な防衛戦争だった。
国境近くで、兄が率いる春の国第二騎士団と、冬の国の第四師団――義姉・一条 光が属する部隊が全面衝突へと発展する。
ただ、兄は常に違和感を口にしていた。冬の国軍は、この戦いにどこか消極的だ――と。
決定打は、開戦から3か月後。
双方に疲労が色濃く滲む中、我らは夜襲で国境を越え、冬の国軍前線本部へ総攻撃を仕掛けた。
やり口は褒められない。だが戦場で綺麗事は通らない。
そこで見たのは、恐ろしいほど傷だらけの敵軍だった。
「そちらの総大将は貴方様で間違いないだろうか?」
篝火の向こう、ただ一人剣を構えて立つ女の声に、我らは息を呑む。彼女は負傷者を庇うように立っていた。漂う血の匂いと、濃い死臭に私は顔をしかめる。
息絶えた者へ気を回す余裕もないのか、動かぬものは瞼さえ閉じさせてもらえずに濁った目が雪に隠されていく。
隣で兄は剣を抜かず、じっと女を見た。
「ええ、私がこの団を預からせていただいております」
宵闇に吸い込まれる静かな声。白い息が混じる。やがて雪が細かな灰のように降りはじめ、凍てつく寒さが両軍を襲う。
「我が名は一条 光。冬の国『第四師団』の副師団長を務めております」
彼女は高らかな声で身分を告げると、剣を地に突き立て、両手を上げた。完全な投降の姿勢だ。
冬の国の第四師団は猛将揃い…そこに女性の副師団長がいること自体、驚きだった。
「私の身柄と引き換えに、負傷者の冬の国への帰還を嘆願します」
凛と響く声に、「姫!」「光様!」と冬軍から呻きが上がる。彼女自身も脇腹を切られているらしいが、姿勢は崩れない。
「貴方に、その価値があるという事ですか?」
「これでも『一条の姫』だ。敵国とはいえ『太陽眼』くらいは聞いたことがあるでしょう?」
彼女が横手の石に掌をかざす。黒い靄が絡み、石は音もなく消えた。
『一条の黒髪と太陽眼を見たら退け。闇は全てを還す』――春で育てば誰もが聞く伝承だ。まさかその伝承と呼ばれた存在を目の当たりするなど思いもしなかった。
しかし、そんな存在が自ら投降? 罠か、と私たちは身構える。
「……元より我ら第四師団は開戦反対派。故に最前線へ送られた」
凛とした声音に、私たちは直感する――これは本心だ。
確信を得るために隣の兄を盗み見た。兄がじっと彼女を見つめている。
その虹色を帯びた銀の瞳――『彩眼』が嘘を見抜く時の色だ。
彩眼は感情の色が見える――嘘は濁り、真実は澄む。
彼女の色は真実を表す透き通るような青と、燃え上がるような怒りを表す業火の赤。
嘘はないし、現状に怒っている。
「どうやら王は、戦を続けたいらしい」
彼女は上衣を脱ぐ。白シャツの脇腹に赤黒い染み。彼女は驚くような行動に出た。シャツの赤黒い染みをめくり上げ、包帯を解き——止血の当て布を取り除く。
誰もが息を呑んだ。
その傷は明らかに我らの剣でつけられる傷跡とは異なる。
「昨夜、暗部が我が師団長を斬った。貴軍の仕業に見せかけて、な」
嘲る笑み。軽蔑が滲む。
「戦争を終わらせたくない人間たちがウチの師団長を亡きものとしようとした。第四師団の首脳陣は私以外、瀕死に近い。」
ギリッと奥歯を噛みしめる彼女。業火のような怒りの赤は黒ずんで見えた。
引きずるような足音が響く。明らかに普通の歩み音ではない。思わず視線を向けようとした瞬間だった。
「光っ、」
絶え絶えの声が彼女の名を呼んだ。
その響いた声に身構える。現れたのは、両脇を支えられた負傷の男――新緑の髪、琥珀の瞳。第二次全面戦争の英雄、篠宮 成継だ。
ただ、英雄と呼ばれたその男は両脇を同じように負傷した兵に抱えられ、包帯があちらこちらに見える。なによりも、顔色から血の気が引いていて、相当な出血をしたのだとすぐに分かってしまう。
「彼を僕たちが傷つけたと思わないのかい?」
兄が静かに問う。
彼女の色が深海のような深い青へ沈む。彼女は地に突き立てた剣を示した。
「貴国の剣と我が国の刀では、傷口の筋が違う。加えてこの毒は冬で開発されたもの。……昔からの友が解毒薬を持たせてくれた。彼女は見越していたのだろう、家に逆らってまで保険を掛けてくれた」
兄は確認の為に問うた。彼女の感情の色を確認したかったのだろう。彼女は悲しみの色を浮かべて、自軍からの裏切りを確信していた。
さらに彼女は私たちを見据える。
「貴殿と副官殿からは殺気がない。私への目も、同情の色だ」
「ええ。同情しています。ついでに――貴女が真実を語っているのも分かる」
「恩に着る。能力封じをしていただいて構わない。私の身柄は停戦への札になる。こう見えても高貴な出自でね」
彼女は差し出した手に、白石の腕輪が嵌められる。ガチャン、と小さく鳴り、赤い魔法陣が灯る。
「……『白石の腕輪』とは気前がいい」
『白石の腕輪』――それは魔力を封じるための拘束具の中で最上位のものだ。魔石で作られたその腕輪を嵌められたものはあらゆる魔力を吸い取られ、魔法を使うことは出来なくなる。
中でも白石製は別格だ。
我が第二騎士団でも『白石の腕輪』は一つしかない。
兄が一歩、進む。
「冬の国第四師団の皆様。我が名は朝比奈 清澄。春の国第二騎士団長を務める者」
冬側が目を瞠る。彼女でさえ、息を呑んだ。
「……朝比奈の、次期当主」
兄が微笑む。私は色を見て口を噤む――こういう時、“彩眼”は厄介だ。
「こちらの姫君は我らが責任を持って預かる。朝比奈の名にかけて、尊厳を損なう真似はしない」
すると、両脇を支えられた男が笑った。
「俺は篠宮 成継。冬の国第四師団長だ。副師団長が一条 光。本人の言う通り『一条の姫』。王妃は三年前に亡くなり、王族に姫はいない。つまり冬で最も高貴な女ってわけだ」
「そう言えばそうでしたね」
彼女はあっけらかんと応じる。
「交渉には、悪くない人選だろ?」
「血も能力も本物。五家の“姫”は、我が国に今は二人しかいませんし――要するに血統の奪い合いですかね?」
「……黙ってれば姫なのにな、お前」
「そっちこそ。“篠宮のご当主”のくせに」
彼女はテクテクと兄の前へ出る。
「そういう訳で、よろしくお願いいたします。朝比奈卿」
捕虜らしからぬ凛とした笑みだった。
――これが兄・朝比奈 清澄と、のちに義姉となる一条 光の、出会いの瞬間である。




