十六節 黒姫の覚悟
まあ、兄上たちも落ち着かれたでしょう。
……なんて思っていた私の考えが甘かったとしか思えない状態で、笑うしかありませんね。
ええ、色々と千歳さんと後処理を終えて、兄上と、
多分乱入しているであろう綾人さんと、
少し落ち着いたであろう光さんが待つ朝比奈家所有の控室に着きました。
悪化し過ぎていて何とも言えなくなった。
ええ、朝比奈家所有の控室です。
もう一度言います、控室です!
そこに何故か居られる国王陛下と王妃殿下……と、第三王子殿下。
お前は両親止めろ!?
何故か朝比奈家の控室のソファに座る国王陛下と王妃殿下。
机挟んで反対側で兄上と綾人さんに挟まれる光さん。
立って壁にもたれ掛かる第三王子殿下については何も言うまい。
「いや~、王妃なんて言われているけど、私、元は軍人だし、ぶっちゃけ妹に王妃押し付けて逃げるつもりが、妹に先に逃げられたっていうか?」
「は、はあ?」
待ってください、王妃殿下。
逃げようとしていた旨を聞いて居られる国王陛下が太ももに肘ついて項垂れておりますが?
そしてそんな暴露話を聞かされている光さんの何とも困った顔と、兄上の『あ~、始まりましたね』みたいな諦めたまま動かない鉄壁の笑顔。
あと、第三王子殿下。
胃を抑えて壁にもたれ掛かるな……お前本当に王族か?
「妹が逃げたもんだから、父親が私を監禁してさ~。
結婚式の日まで鉄格子が付いた部屋で監禁だよ!?普通、娘にそこまでする!?」
王妃殿下のこの話は正直に言えば、我が国の平民まで知っている話です。
ついでに言えば、その鉄格子のお部屋からも逃亡なされ、我が母と、我が父が全力で追いかけたとか……。
それがきっかけで父母は結婚したので、ある意味で王妃殿下はキューピットですが。
「えっと?」
「まあ、私は王妃になりたくてなったわけじゃないわけ!まあ、なったもんは仕方ないから子供産んで、王妃しているわけだ」
そう言いながら王妃殿下は立ちあがり、そして手を伸ばした。
ひたりとその手が触れたのは光さんの頬。国王陛下が複雑そうな顔を浮かべていた。
「妹が『消息不明』になった時、本当はすぐに飛び出して探しに行きたかった」
静まり返ったその声は落ち着きを取りもどした。
浮かび上がらせた色は深く、冷たく、凍えるような深海の青。
それほど、王妃殿下の悲しみは深い。
「その妹が遺言の如き手紙を送り付けてきた。妹の字で、妹の魔力が練られた手紙。二人と息子を産んだ旨。
その内の一人が、業火の橙眼と紅茶色の髪……『秋里の彩』を持った姫だと聞いてゾッとした。」
そういう王妃殿下は真っ黒い色を体中に絡みつかせた。
王妃殿下と同世代の『姫君』は三人。
王妃殿下、その妹君、そして我らが母。
「妹が子を産んだ時期を考えれば唯一の『姫君』となりかねない。
だからどうしても『秋里の彩』を持つ香の安全を優先せねばならなかった」
するりと光さんの頬を撫でる王妃殿下。
その瞳は光さんを見ているようで、別の誰かを見ている。
それが誰か?など、聞かなくても想像は付く。
「君と、君の弟もずっと探していた。兄も、死ぬまで君と君の弟と会える日を待ち望んでいた」
王妃殿下の目元が僅かに潤む。悲しそうな表情でそう語る王妃殿下。
同じように複雑な顔をするのは綾人さんだ。
彼の父も死ぬ間際まで香さんのご兄弟を探されていた。
「こんな形ではあるが、お前と会えたことを嬉しく思う」
ニコリと笑う王妃殿下は名残惜しそうにその手を離し、そして元の席に腰を掛けた。
「……もう一つ、ここからが本題だ」
そう一声で、空気を変えたのは国王陛下だった。
その瞬間、王妃殿下もまた、表情を引き締める。
「本題、ですか?」
光さんの少しばかり戸惑いを含んだ声。
国王陛下は真っすぐに光さんを見ていた。
「貴殿、春の国へ帰属せぬか?」
予想をはるかに上に行く言葉に、私や千歳さんだけでなく、兄上も、綾人さんも、第三王子殿下も目を丸くした。
……第三王子殿下、貴方は驚いてはいけない側な気もしますが?
「帰属?」
ただ一人、意外にも言葉を冷静に受け止めていた光さんはそう言葉を返した。
「そう、帰属だ。貴殿は我が国の筆頭五家『秋里』の血を引く『姫君』。我らとしては君をこちらに引き込みたい」
国王陛下の思わぬ言葉に誰一人として声を上げられなかった。
しかし、国王陛下の言葉の続きを紡いだのは王妃殿下だった。
「冬の国では結婚すれば家から出られぬのでしょう?」
その言葉に、光さんは息を呑んだ。ただ、その問いに答えずに口を閉ざした。
「私も『軍人』だった。けれども冬の国の優秀な女軍人たちはある時からぱたりと戦場に出なくなる。
ウチの諜報部が調べたところ、結婚した『だけ』で戦場に出られなくなる。
そんな時代錯誤な国で腐るより、我が国に来ぬか?」
ニヤリと笑った王妃殿下。
シンと静まり返った部屋に、全員の息が止まりそうなほど、息苦しい空気が充満する。
そして光さんが浮かび上がらせた色は『青』だった。
「それは、できません」
静寂の中、静かに上がった声は光さんのものだった。
「何故?」
そう問うのは王妃殿下。
「貴方様と同じように、香の消息を気にし続けている『叔母』がおります」
その言葉にハッとしたのは国王陛下と王妃殿下。
光さん、いや一条に親戚がいないことは調べていた。
そこから嫁いだ人間がいて、王妃殿下と同じような女性がいるのだとその一言で分かってしまった。
「叔母は一条の彩を持ちませんでしたが、私に剣術を教えてくださいました。
妹を、香を探すために……『一条の姫君』たる私が、外に出るにはソレしか手がないと、知っていたから……」
そう言った光さんは奥歯を噛み締めて、そして顔を上げた。
「予測ですが……冬の国の首脳陣は『一条 光』を返さねば、『秋里 香』を返さない。
そう言っているのではないですか?」
光さんのどこか落ち着いた声。その情報は光さんには伝えていない。
今回の戦争は我が国の勝利ということになっている。
いや、侵攻し、撤退したのはかの国だ。
こちらが優位な交渉になるのは仕方がない。
だから春の国としては光さんを『賠償金』代わりに身柄の引き渡しを提示した。
だが、冬の国はソレを突っぱねて別案を出してきた。
「……私は冬の国で育ちました。あそこがどれだけ『女』にとって地獄か知っている。」
真っ黒く、粘り強いようなその靄が光さんを包み込む。
同じ色が見えているのであろう兄は、咄嗟に光さんの手を握った。
ハッと自分の意識を戻した光さんがニコリと貼り付けたような笑みを浮かべた。
「この国は女にとっては生きやすい。それをこの短期間で感じるぐらいにはいい国です。」
そこで光さんは強い視線で国王陛下をまっすぐに見た。
「私が、今、何よりも懸念していることを言います。妹……香が冬の国で『胎』となって望まぬ子を産まされるのではないか、ということです」
一瞬、何を言っているのか理解できなかった。その瞬間に殺気を湧き上がらせたのは綾人さんだった。
「香が、なんだって?」
地を這うような低い声で、そう聞いてきた綾人さんはマグマのような赤を光さんに向けた。
その怒りに対して、光さんは冷たく、全てを鎮めるような青を浮かべる。
ただ、その青の周りには真っ黒い靄が沸々と湧き上がる。
「つまりは――誰彼構わず受け入れさせられているかもしれない、ってことです」
はっきりと言い切った言葉にこの場の誰もが息を呑んだ。
まるで冷や水を一気飲みさせられたかのように胃が冷えた。
ただ一人、光さんだけは平然としていた。
そして彼女の出す色が、彼女の言葉が真実だと告げてくる。
「冬の国育ちの私が『地獄』と感じる『地獄』で、
このような優しい国で育った妹が心を壊さない訳がない」
光さんの言葉は何処か達観しているようで、どこか静かだった。
まるで彼女は『そうなるのが当たり前』と思っている。
自分の意志など関係ない。
そんな環境で、この人はこれほど強く、一人で立っていた。
同じことを感じたのだろう、何も言わなかった。
千歳さんは口から出そうな言葉を両手で抑えて、目を丸くしていた。
いや、理解してしまって、驚愕しているのだろう。
「私の願いは『私と香の人質交換を受け入れる』ただ、これだけです」
誰もが何も言えない中、口を開いたのは兄上だった。
「戻ったとして、貴女はどうなるのです?」
兄は隣を見て真剣な顔でそう聞いた。
対して光さんは呆れたように笑った。
「どう、なるのでしょうね?」
「はぐらかさないでください」
兄上の言葉に彼女の色が一瞬だけ暖色に……。
でも、すぐに深い深海の青に戻ってしまう。
兄上にもその色は見える。
兄上も『彩眼』で見える感情を理解しているだろう。
自分の感情を理解しているのだろう。
でも言わないのは……。
光さんはふわりと笑う。その笑顔の意味など、考えたくはない。
「まあ、婚約者の子を産むか、五家の誰かの子を産むか、下手すれば数人の子を産ませられるか……今の冬の国は腐り切っておりますからね。私も、三か月後には嫁ぐ予定でしたし」
淡々と語られた言葉に誰もが何も言えなくなった。
「この戦争が……香を見つける、最後のチャンスでした……会えないかもしれませんが、安心できました」
そう言いつつ彼女は笑った。
「冬の国での女の扱いなど、このようなものです。
香が叔母夫婦の家に保護されれば、従兄弟や弟たちが意地でも守るでしょう。
ですが、どこに保護されたかは分からないのですよね?」
光さんがにこやかに笑いながらそう尋ねれば、国王陛下が何とも言えない顔で頷いた。
「ですから、私の願いは香がそんな目に合う前に、どうか人質交換を受け入れてください。
あの国を知る私が願うのは、ただ、それだけ」
そう言った光さんの言葉に纏わりつくのは深海のような深く、暗く、寒い青だった。




