九節 一条の闇
「くしゅんっ!」
思わず出たくしゃみに、目の前の二人が私に視線を向けます。
「おいおい、風邪か?もうちょっと風呂で温まった方が良かったんじゃねぇか?」
ホカホカと湯気が立つ大男さん、慶人さんがタオルで私の髪をガシガシと拭き始めます。
突然の行動に驚いていれば、陸さんが「ぶふっ!」と噴き出して、そのまま笑いをこらえてセルフバイブレーション状態になりました。
床と仲良し状態で笑い転げる陸さんの片耳には、
相変わらず日没直後の空のような青い魔石が嵌められたままだった。
……風呂でも外さないのか。
あの、慶人さん?そんな陸さんを見ながら、私の髪を拭かないでください。
あと、サラっとこの人、風魔法と炎魔法を複合で使って、私の髪を乾かしておりませんか?
何でしょう、この手慣れた感?
「ふっ、ふふふっ慶人、ふふっ、お客さんまで、髪乾かす、ふふっ、必要、ないでしょ」
吹き出しながら陸さんが言えば、慶人さんは三テンポほど待ってから、私を見ました。
「あ~……なんだ、すまん。妹が三人もいるんじゃ、つい」
「ははっ!!はははは!慶人最高すぎる!!今度妹ちゃんたちに教えとかないと!慶人が『朝比奈の次男』の髪の毛、みんなみたいに乾かしてたって!」
涙が出るほど笑い続ける陸さんと、恥ずかしそうに「ぐぬぅ」と声を上げる慶人さん。
「ははっ!いや~、ごめんね、昌澄。慶人って、一回懐に入れると、どうしても境界があいまいになるていうかさ~」
なるほど、と思わず口が動きそうでした。
ただ、抑え込んだ言葉で、納得してしまいました。
光さんが春の国に来られ時、彼女は『仲間』と決めてしまえば、一気に警戒を解きました。
そう言う気質なのが、どうやら一条家のようです。
複雑なことに、目の前で面白そうに笑う陸さんも、私に家族に向けるような緑色……親愛を向けてきます。
「あ、そっか、昌澄は『彩眼』持ちだもんね、僕らの感情はむず痒い、って感じかな?」
この人……彩眼持っていませんよね?
何故私の感情を読めるのでしょうか?
非常に厄介そうな人当たりの良い笑顔を向けてきます。
「ふふっ、昌澄は分かりやすいよ?人は口よりも目の方が雄弁にものを言うからね。僕は人の感情を読むのが得意なだけ」
「……『彩眼』より厄介そうですね」
「お嬢も同じぐらい、人の心を読むよ……そして掌握する」
ニヤッと笑う陸さんは本気で楽しそうで……あと、慶人さん、最後まで髪を乾かしてくださるのですね、ありがとうございます。
「ウチのお嬢は本気で人誑しだらね~。でもお嬢を誑した君の兄君にはぜひお会いしたね」
ニヤッと笑う陸さんに、何と言いますが、兄上とのブリザード対決が起きそうな気がして仕方ないですね。
……あと、言われて見れば兄上も結構、人誑しですね。
「あ、昌澄の服は燃やさしてもらうよ?」
急に変わった話ですが、彼が指さしたのは私が来ていた服です。
……あの、もう燃やすの決定事項だったのでしょうね。
三人分、同じ籠に入れられております。
あと渡された服が大きいのは気にしてはいけませんよね。
「ああ、先ほどのお話ですね」
「そうそう……あと昌澄は意外と細いな~。僕、一条の中では小柄な方なのに、僕の服でもデカいね~」
ああ、この服、陸さんのだったのですね……。
私、これでも一般的には大きい方なのですが!?
貴方たちが巨人過ぎるのですよ!!
なんて叫ぶ体力がもったいないので、笑って誤魔化しました。
「さ~て、さっさと戻ろうか」
そう言いながら前を歩き出したのは陸さんで、私はその後に続きます。
慶人さんは私の隣で歩くのですが、陸さんの歩く道が何となく、先ほど来た道と違う気がしました。
廊下で、陸さんが足を止める。
そして見上げた先に見えたのは赤い布に魔法が掛っているのを感じた。
魔法の式を組み込み、魔石や魔素と言った人以外の魔力で稼働する道具……。
「これは『魔道具』ですか?」
私の質問に、振り返った陸さんがニッと笑った。
「春の国の人間には珍しいかな?」
そう言われて、その『魔道具』らしき布を見上げました。
大きさは天井から床まで、およそ三メートル程。
ですが、その布に書き込まれた金の字に、目が行ってしまいました。
「え?」
私が見た先に、金色の文字が浮かんでおりました。
『一条宗家』
その下に銀色の文字で二人の名前が糸で繋がれております。
『智』
『秋里 菖蒲』
そして、その二人から枝分かれする金の文字が三つ。
『光』
『香』
『満』
確かに、金の字で書かれています。
他にも『一条松家』と書かれるところには『陸』。
どうやら陸さんには『美海』という姉がいらっしゃるようです。
そして『一条風間家』と書かれた場所にも『慶人』。
上の方には『睦』と『佳代』という夫妻から、銀色の文字となった夫妻。
そして慶人さんに続き、その下に女性の名らしき金の字が三つ。
妹が三人、という言葉を思い出しました。
「……家系図、ですか?」
「まあ、半分正解。半分不正解」
「半分?」
「確かに家系図。でもただの家系図じゃない」
そう言いながら陸さんがその布に触れました。
瞬間、ボヤッと霧が充満するかのように、冷たく滲む黒が浮かび上がる。
――闇魔法めいた影が、名前に絡みついた。
全部ではなく、所々……。
金色で名を書かれた人間は、数人だけがこの靄に包まれています。
『光』『香』『満』。
それに加えて『美海』『陸』『慶人』『睦』。
あと、『紫苑』『澪』。
ふと見た先で、銀色の文字になっている『智』と書かれた光さんの父上の名を見ました。
そして横に並ぶ『紫苑』という金色の文字を見ました。
『智』、つまりは光さんの父上の妹と読み取ることが出来ます。
その人が、私の母、朝比奈 日葵が言っていた、冬の国の軍師だった女騎士を思い出しました。
「『一条 紫苑』」
「ん?紫苑様を知っちょるのか?」
慶人さんの言葉に、不思議な気持ちになりました。
「私が、ではなく、私の母が、知っておりました」
「ああ、そうか……昌澄は向こうの第三騎士団の『女傑・朝比奈』の息子でもあったな。あの女性は凄かったな!俺は何度殺されるかと思ったわ!」
笑いながらそんなことを言う慶人さんですが、我が母を褒められるのは悪い気がしません。
「まあ紫苑様ですら、この系図からは逃がしてもらえなかったけれどな」
「系図?」
「このね『魔道具』の名は『一条の系図』ってそのままの名前なんだけどね、この系図は一条の血を引いていれば、どこで生まれようとも名前が分かる」
そう言われた瞬間、この『魔道具』の仕組みが気になってしまいました。
血液を媒体にでもして分かるようにしているのでしょうか?
本音を言えば触れてみたいですが、どうやら触れることは許してくれなそうですね。
私をけん制するためか、慶人さんが私の前に一歩出ました。
何故か――銀色の文字が、墓標を見ているようで、
喉がへばりつくような感覚が襲って来ます。
「この金色の文字は生者を、銀色の文字は死者を表す」
陸さんの言葉にハッとしました。
そう言われて見た系図には、多くの銀色の文字が刻まれております。
光さんのご両親、『智』『秋里 菖蒲』も銀色。
陸さんのご両親も銀色。
慶人さんのご両親も銀色。
銀の名が多すぎる。
普通の死ではない減り方に見えた。
私は無意識に、手首を握りました。
脈が、ここにいる自分を引き戻す。
「僕の父親と母親はどっちも一条家の人間でね……この系図で金色の文字を刻んでいた頃は僕と同じように黒い影を浮かび上がらせる存在だった」
「俺の父親と母親も同じじゃ」
彼らがそう言いながら表情に影を落としました。
「……この影は、何か意味がある、ということですか?」
そう聞いたところで、彼らは何とも言えない顔で笑います。
黒い影を落とす存在。
光さん、香さん、そしてお二人の弟の『満』。
あと慶人さん、陸さん、陸さんの隣に並ぶ『美海』。
澪さんも……。
『満』を除く人間たちが、春の国に近いところで光さんの偽物を追っていた。
まるであの『黒い影』……『呪術』と呼ばれたアレに関わることを調査している人間。
その瞬間、ある考えが思い浮かびました。
もしかしたら、『呪術』に耐性のある人間がこの黒い影が浮かぶのでは?
そうなると、もしかすると我が家の『朝比奈の水』のように、父親が発現しなくても、孫が隔世遺伝で『朝比奈の水』を発現することがある。
その瞬間、ハタっと、頭の中の考えが、一本に繋がった。
この黒い影は『呪術』への耐性ではない……。
血統魔法――『一条の闇』。
つまり、この黒い影は――
「この黒い靄は『闇の素養』を持っている方を示しているのですね?」
私の言葉に二人は頷きます。
黒い影が『一条の闇』……光さんが操ったあの血統魔法の元、『闇の素養』を意味するならば――。
この家系図は血統魔法を管理するための『魔道具』。
その瞬間に、私は胃の中に重石を突っ込まれたような気分になりました。
「……君、やっぱり僕と同系統だね?絶対に普通の人間が考えつかないことが思い浮かんだでしょう?」
陸さんの言葉に、思わずため息を吐きました。
「……血縁交配。つまりは『一条の闇』を確実に継承させるための『魔道具』」
私の言葉に、彼は少し目を細めた。
キラリと、彼の耳の魔石の光が目に入った。
彼の視線は、氷柱で突き刺すように冷気を充満させる。
空気が一段、乾いた。
「うわー、えぐっ!それ分っちゃう?」
そう言いながらもケラケラ笑った陸さん。
ただ、その緑色の目が、一切笑っておりません。
「その通り。僕の父親は当時14歳の母に子を作らせて、僕の姉が生まれ、16歳で俺を産んだ」
チラリと見た陸さんの姉には黒い影が浮うかんでいる。
ただ金色の文字を見て安堵しました。
「俺の両親も似たようなもんじゃけ。爺は絶望しつつも息子を差し出したそうじゃ」
あっさりと言う彼らに、私は言葉が喉に張り付くように出てきません。
すると、彼らはフッと笑いました。
「まあ、それが当たり前の家だったんだよ。お嬢がこの家の覇権を掌握するまでは」
ニヤッと笑った陸さんは、楽しそうな表情に変わります。
「僕が12歳。姉が14歳の時さ……僕はまだ力も頭脳もない悪ガキでね……姉が無残にも50越えのジジイに贈られた。誰もが、目出度いことのように喜びながら、ね」
低く唸るような陸さんの声に、ハッと息を呑みました。
14歳。まだ子供であるその年齢に、私は吐き気が追い付いてくる。
胃の奥がきゅっと縮んで、息が浅くなった。
「祝いの声。乾いた拍手。――姉の叫び声。全部覚えている。」
陸さんの緑の目に黒い影が落ちた。
慶人さんは乱暴に陸さんの頭をぐしゃりと撫でます。
陸さんからは深く暗い黒と、稲妻のような赤が浮かび上がりました。
嵐のようなその色は、慶人さんの紫色と滲み合い、気持ち悪くなるほどの憎しみが見えてしまった。
「懐かしいの。もう12年前になるんじゃな」
懐かしいような口調で話す二人ですが、思うに私と大差ない歳でしょう。
陸さんが12年前で12歳ならば、24歳。私の1つ年上と言うことになります。
慶人さんは陸さんより、少しばかり年上、と言ったところでしょうか?
「お嬢が『一条家の当主代理』の座を奪い取った。……まだ8歳のお嬢がね」
「爽快じゃった!俺たちが恐れるしかなかったジジイどもを、お嬢は『闇の魔法』で灰にしたんじゃ」
「僕たちが震えている中、お嬢は一人で戦ったんだよ」
私にとって、その意味を理解することはできません。
ですが、二人の表情が和らぎ、黄色……いや金色を浮かべたのを見るに、光さんが右一条家を掌握したことは、良いことだったと理解できます。
しかも金色……鮮やかな緑が混ざるようなその色を言葉に表すならば『絶対的な信頼』。
赤ん坊が親に向けるものに似ています。
「お嬢が一条家を掌握したことで、悪夢が終わったんだよ。
僕たち『闇の素養』をもつ子供たちは、血統交配の為に幼いころから無理矢理……ってこともあったからね
そう言った時に、陸さんが見たのは自分の隣に並んだ女性の名前。
姉、だと思われるその人の名を指でなぞります。
「だから、僕たちは『お嬢』……いや、我らの主『光様』の命ならば命も捧げる」
陸さんも、何も言わないですが慶人さんも強い視線を私に向けてきます。
そして、浮かべる色が水のような青。
彼らは真実を言っているのが伝わります。
「だからお嬢が『頭脳を借りたい』と言った君を無条件で信じるのさ」
陸さんの言葉に、彼があえてこの道を通って、この場所に私を連れてきた意味が分かりました。
私の戸惑いを軽減させるためだったのでしょう。
私の『彩眼』と言う能力も充分に理解して……。
「……恐ろしい忠誠心ですね」
「それほどまでに、お嬢がしたことが凄すぎたんだよ」
「じゃきな……。8歳の小娘が、ジジイどもを黙らせていく光景は圧巻じゃった」
そう言いながら二人は家系図を見上げました。
「あとね、僕らにとって恐怖の象徴でしかなかったこの『魔道具』を、希望の象徴に変えたのもお嬢だよ」
「希望の象徴?」
思わず言葉を遮るようにそう言われた瞬間、陸さんはニコリと笑い、そして光さんの隣――『香』の字を刺しました。
「お嬢はお嬢の妹君の名を見て泣いたんじゃ……。
『妹はまだ生きている』ってな」
思い出すように笑った慶人さん。
同じように懐かしんで笑う陸さん。
「その直前まで、ジジイたちを恫喝していたお嬢が、この家系図見て、意味を聞いて泣き出したのはびっくりしたよね」
「流石にあん時は、お嬢も8歳のガキじゃと思ったわ」
「あの時から、僕らも『香』様を取り戻すために戦いだした」
懐かしそうに、楽しそうに、緑を浮かべて笑う2人。
その色で、光さんと彼らが『家族』なのだと、分かりました。
同時に後ろに気配を感じました。
「おしゃべりが過ぎるよ、二人とも」
振り返れば、冬の国の伝統衣装なのでしょうね。
香さんに着せていた衣装と似た赤色の伝統衣装に着飾られた光さんが歩いてきました。
「でも手間が省けた……香とは別に聞かせたかったから、ちょうどよかったよ」
そう言いながら光さんは歩みを進めて、そして家系図に手を触れました。
「この家系図に一条一族でない人間は……真名以外は刻めない」
光さんの悲しげな声と共に、家系図から黒い影が浮かぶ。
糸のように絡まり、ほどけ、そして輪郭を持った。
ひらり、ひらりと羽ばたかせるその形は――蝶。
黒曜石のように光を、吸う。
「ずっと……母様の本当の名前が知りたかった」
彼女に従うように、黒蝶は光さんの周りを回遊した。
黄金色の瞳から、零れそうな涙。
「やっと……名を刻めた」
光さんが指先でなぞったのは、銀色の『菖蒲』の名でした。
その爪で羽を休めた黒い蝶は、吸い込まれるように消えていった。
深く、冷たい深海の青が彼女を包み込んでいく。
飛び回る黒蝶たちは、彼女の悲しみに満ちた太陽眼を覆い隠した。




