十節 死人の帰還
黒い蝶は空気に溶け込んだ。
光さんが赤い布に手を触れて思ったのですが、先ほど香さんに着せていた衣装は鮮やかな赤橙のような明るい赤ですが、光さんが身に纏う衣装の色は言うなれば黒みを帯びた赤……臙脂色。
そう考えると、先ほど香さんにあの衣装を送った相手は、寧ろ光さんに似合わない衣装を送ったようにも感じてしまいました。
ススっと布が床をする音が聞こえてきました。足音もなく、布の音だけを響かせて向かて来た人もまた、綺麗に着飾られておりました。
「ねえ、光。私まで着飾られているんだけど~」
少しむくれた顔で歩いてきた澪さんは、光さんとは違い、鮮やかな黄色……どちらかというと狐色の布に身を包んでおりました。
「叔母様の衣装か……似合っているよ、澪」
フッと笑った光さんに、どこか違和感がありました。
「私、 鷹司の色は早々着ないんだけどなぁー」
苦笑いした 澪さんは、ひらひらとその服の裾を揺らしました。
「 自分の親に言うことじゃないけれど、めちゃくちゃ 独占欲見えるよね、この服」
げんなりとした顔の澪さんは、疲れた顔でそんなことを言っておりました。
「独占欲?」
思わず口にしてしまえば、澪さんは「はー」と長いため息を吐きました。
「これ、昔ウチの親父が母に送ったらしいんだけどさ、色は完全に鷹司の色なの……しかも刺繍のほとんどが紫と藍色でしょ?どう見ても親父と母さんを意識しているし……。
『一条の姫』に『俺のモノ』!って主張している感じがなんというかね……。」
そう言うものですか……なんて思いつつ、ジッと澪さんの服を見ました。
確かに刺繍の花が竜胆でしょうか?
藍色と紫の色が花束になるように刺繍されておりまして、ただ、澪さんに非常に似合っております。
「ほんと……母親そっくりだと、父親の愛が重い」
……既婚と聞いておりますが、澪さんのお父様、結婚するとき、大丈夫だったのでしょうか?
「澪様の結婚の前に、鷹司のご当主と、篠宮のご当主が真剣で魔法ありの大乱闘で、鷹司家の訓練場が廃墟となりましたよ」
あの、陸さん?私の心を読んだように笑顔で言わないでもらえますでしょうか?
苦笑いで彼を見れば、彼も苦笑いでした。
なんとなくですが、巻き込まれたので?と思ってしまいました。
ふう、と光さんが息を抜く音が聞こえました。
「さて……ここからは機密事項のオンパレードだ」
ニヤリと笑う光さんに、周りの表情が変わります。
「と、その前に、昌澄さんにもある程度の説明をしたいのだけれども、異論は?」
「なし!」
「ありません」
「ないの」
澪さん、陸さん、慶人さんと、続けて返事が来たところで、光さんはニコリと私に向かって笑った。
何故でしょうね、寒気がしてくるのは……。
「まず、『不法入国者の第二騎士団の副団長』さんにいくつかお尋ねしたいことがあります」
ニコリと笑う光さんが、初っ端から弱点を思いっきり突いてきましたが、想定の範囲内ですので、ニコリと笑います。
「なんでしょうか?」
「一つ、春の国で、魔獣もしくは魔物が狂暴化して人を襲う事件がありましたか?」
「へ?」
光さんの言葉が予想外で、思わず間抜けな声が出てきましたが、周りの真剣な表情に、思考を巡らせます。
魔獣の討伐は第三騎士団の領分ですが、ここ最近はその出動回数が多く、我ら第二騎士団や、第一騎士団にも要請が来ておりました。
それらを総合的に考えるならば……。
「増えて、いますね」
「二つ、香が冬の国に来てしまったのは、魔獣、もしくは魔物の狂暴化が関わっている?」
「……ええ、香さんが非戦闘員を逃がすために、自らが囮となり、その後は事故ですが、鉄砲水に飲まれて冬の国に来ました」
「昌澄さんは香の捜索?」
「ええ、魔力を辿れて、治癒魔法に優れて、代わりのいる人間」
「最後だけは多分違うでしょうけど、今はそのままにします」
ニコリと笑う光さんのまとう空気は、若干ですが、キレている時の兄と似たものを感じます。
要するに背筋が伸びるような感覚の怖さです。
「三つ、貴方の『彩眼』は悪意を見抜ける?」
最後の意図が分からずに、キョトンとしてしまいましたが、光さんの表情は真剣です。
「……悪意というのを、見抜くというのはどういう意味で?」
「例えば、私を殺そうと思っている人間を判別できるか?」
光さんの言葉に少し悩みました。
何せ『彩眼』はある程度の感情を色で見ることは出来ても、明確な殺意や、敵意を言語化することは不可能です。
「……害があるか、ないか、は判別しきれませんが、」
そう言ったところで、ふと、光さんの後ろに控える侍女に目が行きました。
整え上げられた黒髪を綺麗にまとめ上げた深緑の目の女性。
他の使用人とは違って、光さんに向ける視線が濃厚な、緑。
そしてその緑に絡みつくのは黄色……いや、金色。
親愛と絶対的な信頼。
まるで崇拝、そんな言葉が当てはまりそうな気がした。
「ある程度の感情は理解できると思います。例えばですが、そちらの女性」
そう言って光さんの後ろの侍女の方に視線を向けました。
「そちらの女性は他の侍女の方とは違いますね?家族であり、光さんを信頼している」
そう言った瞬間、彼女が私に向けてきたのは、どす黒く刺すような色をした『敵意』。
「……私を信頼するか見定めようとしていますね、この場の誰よりも」
私の言葉に、彼女が浮かべた色は赤。
怒り……というよりは、オレンジ交じりなのを見るに驚きの感情でしょう。
チラリと光さんがその女性を見ました。
「仰る通りでございます」
そう言いながら頭を下げた彼女はニコリと笑う。
浮かべる色はオレンジ交じりであるが、黄色。
怒りと信頼が混ざり合っている。
「申し遅れました。一条 美海と申します」
そう言った彼女の名を聞いて、先ほどの家系図をすぐさま見てしまった。
その名は、陸さんのすぐ横に書かれた名。
「……陸さんの」
「ええ、姉でございます」
穏やかに笑う黒髪に緑の目の彼女は、確かに陸さんとよく似ている。
そして、先ほど陸さんが言われていた14歳で……それ以上は考えないようにしました。
ただ、彼女は私対する赤を消しきらない。
敵意、というよりは、試すような――
ただ、彼女の見た目は侍女であるけれども、隙のなさに違和感がある。
「あ~、姉ちゃん疑われているよ?」
「それは貴方もでしょう、陸」
ニコリと笑い合う二人がうすら寒くなるのは何故でしょうね?
二人がチラリと視線を合わせ、一瞬天井に目配せしたところで、笑いが零れる。
赤色が少しずつオレンジ……そして鮮やかな黄色へと変わっていく。
二人の色が私に巻き付いてくることで、どういうポイントか分かりませんが、信頼を勝ち取ったようです。
「では、ちゃんとした自己紹介をいたしましょう。
一条家の『影』を統括します、一条 美海と申します」
ニコリと笑った彼女が見たのは、天井。
その視線に籠るのは――殺気。
誰かが息を止めた気配がした。
室内の空気が、ぴたりと止まる。
「やりなさい」
その静かな一言と同時に、ガタンと凄い音がしました。
視線を向ければ取り押さえられた女性。
銀色の髪に、血のような赤い瞳。
私の記憶では長かった銀髪が、肩ほどで切りそろえられていた。
「あらら、こうも簡単に捕まってしまうとは……不覚ですわ」
そう言って笑ったその人は、死人となったはずの女性。
ただ、私は彼女が生きていたのを知っている数少ない『共犯者』
彼女の首に――黄色と黒が混ざるような魔力が、鎖のように首に繋がれている。
魔力のはずのその鎖が、ジャラッと鳴るような気がした。
死臭でもしそうな魔力の鎖の悍ましさに、顔を顰めた。
昆明の姉の幸せのために、私たちはこの人を真っ黒な暗闇の『生』に彼女を繋ぎ止めた。
そう――この首輪が嵌められるのを、見守ったのは私です。
「昆明の付けてくれた助っ人は貴女だったのですね、百合子さん」
「あら、昌澄様。その名の女は死にましたわ。『リリー』とお呼びください」
取り押さえられたままだというのに、慈愛の笑みを浮かべる『冷泉 百合子』。
彼女が浮かべた吹き吹雪の白と煤けた黒が混じる色に、私は苦笑いを零しました。
「私の仲間ですので、放していただけると助かります」
そう、美海さんに言えば、彼女がパンパン、と言葉もなく手を叩きました。
そしてニコリと笑う美海さん、クスクス笑う光さん、ニッと笑う澪さん。
ついでに、悔しさをにじませる紫を浮かべながら淑やかな笑みを浮かべる百合子さん……ことリリーさん。
なんでしょう……女性が怖くなった気がしました。




