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98 エミリーの愛

 膝に座るシャルにひとつ「ごめんね」と前置きし、ちょこんと脇へどかす。

 さて。ボクはベストを直してエミリー先生の手元を見た。


「あ、ちょっとお椀を置いて貰って良いですか」

「ん。良いよ。それで、君は何をしてくれるのかな」


 コトリと椀が盆の上に置かれたことを確認すると「それでは失礼しましてと」と、ばれないよう座ったままで爪先に力を込めて重心を少し持ち上げる。

 貴族は座った状態からの暗殺が結構多いので、こうした訓練は重点的に行っていた。

 しかしエミリー先生の右眼の予知能力が何らかの情報を掴んだのか、彼女の感情が一瞬ブレるが、格闘技術は訓練を受けているボクの方が高い。


 ボクが仕掛けたのはタックルを思わせる突撃だ。


「ずどーん」

「うわっ!あわわわ……」


 反射的に上がってしまうエミリー先生の両手。

 逃さずボクは瞬時に両手の平を己の物と合わせ、指を絡める。

 体重差があるものの横向きに足を曲げていた事と、突然ボクが突撃してきた事で、たちまち彼女は組み伏せられてしまった。


「……」


 仰向けのエミリー先生に馬乗りになったボクは、何も言わず情欲に任せて乱暴に唇を奪う。

 喉の奥から歯茎まで。彼女から全てを奪う勢いで、溶けるほど熱心に口を合わせた。

 その様子には普段から婚約者という事で見慣れているシャルも。性に関しては結構オープンなアセナも仰天とする。

 ならば文字通り一般人のジャムシドとセリンは語るまでも無し。突然の事に耳まで真っ赤にして口をパクパクとさせていた。


 呼吸。そして言葉を渡す為に少し口を離す。


「さて、と。ほら、みんな見てますよ?

視線の中心で、教え子の股座(またぐら)に敷かれちゃって、恥ずかしくないのですかね?」

「……少し、あるかな」


 エミリー先生にしては珍しく、無垢な乙女のようにはにかんだ様子で目を背けた。

 そしてボクも、自分にしては珍しく表情筋が歪んでいるのが感覚で自覚できた。

 ああ、本当はこんな表情しちゃいけない。だけど、心の奥底の黒い物がそうさせてしてしまう。


 ボクは嗜虐心(サディズム)が抑えられずにいた。

 これが、父上の言っていた『欲望という名前の魔物』というものなのだろう。だが、今はその力を存分に役立たせて貰おう。

 そんな大した物なら、女一人くらい救ってみせろ。


「エミリー先生との体重差だったら、こんな体勢なんて簡単に振りほどけるでしょうね。これといって関節を極めている訳でも無いですし。

それでも解こうとしないのは何故でしょうか。大切な会談の場であるのに」

「う……それは、君が突然押し倒してくるから……」

「違うっ!」

「ひっ!」


 ボクが叫ぶ。彼女は竦む。

 幼子のような声が幕屋の中に響いて彼女の目を潤ませた。

 ボクは優しく指を解き、彼女の両手を完全に自由にすると、頬をなぞる雫を指で救ってペロリと舐め取った。


 バター特有の乳臭さを感じつつ、湿った指で彼女の唇を突く。

 こんな状態だというのに吐息が熱い。


「本当は、なんですか?答えは出ているのでしょう?貴女の口から言って下さい」


 唇を捲って戻した。

 エミリー先生は一瞬躊躇い、息を呑む。

 何時もの余裕のない彼女の眼は、滲みつつも確実ににボクを見定める。


 覚悟。そんな言葉が似合う顔だ。


「うん、言うね。本当は……ずっと、こうされていたいんだ。

変に見えるだろうけど、こんな風にアダマス君にいじられるのが気持ちいい。

もっと、もっと激しくして欲しいんだ!」


 その言葉は咄嗟に出た悲鳴なんかより強く、幕屋の中に響く。

 ついではボクの心の中に染み渡っていった。そこには明らかな感情が籠っていたのだ。

 己の性癖を言い切って真っ赤になるエミリー先生は、駄々を捏ねるかのように言葉を続けた。


「なんかさ……。

解放されたのは良いんだけどもう心と身体が非日常用に汚染され過ぎて、どうでもいいと思える程に普通の生活に馴染めなくなっていたんだと思う。

そんな気持ちの整理も付かないまま君に会いに行ったら、コレだよっ!

君は私の思うような純粋な子供という訳でもなくて、私の『理想通り過ぎ』たんだ。

時に可愛らしい生徒でありながら、時に現れる激しい嗜虐心が刺激をくれる。

それでも絶対に苦痛は与えない……」


 何時の間にか彼女の顔は涙で一杯になっていた。


「私は愛人契約という立場を利用し、君に身体の関係を交わし続けた……。

そうっ!私はっ!汚くて、卑怯で、そんな事に今更気付く頭も悪い女なんだっ!」


 ワンワンと泣き続けるエミリー先生。

 綺麗な顔が台無しになってしまっているが、とても愛おしいものに感じられた。

 結局はボクの為を想って泣いてくれるのだから。


 ならば応えよう。

 馬乗りになっていたボクは身体を横にどかし、膝を畳んで彼女の頭をその上に乗せる。所謂、膝枕というやつだ。

 額を撫でると少し大人しくなったので、背中を持ち上げると、一旦視線を合わせる。

 彼女が小動物のように頷くのを確認して、ゆっくりと唇と合わせる。


 自分で言うのもアレだけど、はじめと違う優しいキスに出来たと思う。

 口付けの時間が長引けば長引くほど涙が引いていくのが、ゼロ距離で確認できる。

 ああ、綺麗な顔だなあ。


「ボクは貴女のそういうところも好きです。

良いじゃないですか、汚れていてもいなくても。

如何に貴女が自分を嫌っていても、ボクが補って貴女を好きになってみせましょう」

「君は……君は本当に卑怯だなぁ。そんな事を言われたら離れられなくなっちゃうじゃないか」

「おや、離れる予定でもあったので?それはかなり寂しいです」

「……無いけどさ」


 彼女はボクを抱く。離すものかと強く力を入れた。

 とても可愛くて、何処か幼くて。なんかシャルが二人になったみたいだなあ。

 こんな時に他の女の事を考えちゃいけないんだろうけど。でも、誰もを忘れられない程度には我儘だから許して欲しい。

読んで頂きありがとう御座います。


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