99 罪深い隠し事
エミリーは、己を罪深いと感じていた。
思い浮かべるのは『アダマスにも隠している』ある出来事。
彼女がパノプテス商会から仕事を依頼され、ウルゾンJの全体が半分ほど出来上がったところで起きた事である。
その日は休日だが、エミリーは定期検査の為に整備室へ立っていた。
勿論、単なる検査といえど大型機械による事故は怖いので、一人で整備室を歩かないようマニュアルで徹底されている。
なのでもう一人の職員が彼女の隣に居る訳だが、『彼』に対し彼女は眉を潜めていた。
作業着に似合わぬ整った顔立ちに、知的さを強調させる眼鏡。
この建物において彼の顔を知らない者は居ない。
「まさか、君が直に点検に来るなんて思わなかったな……ケルマ」
「私だって今は会長とは言え、学園都市を出てる錬金術士だ。このくらいなら手伝えますよ?」
エミリーは溜息を漏らす。煮え切れない感情が胸の奥にある。
「まっ。確かに大人同伴なら私のトコの子供でも出来そうな仕事だけどね」
「おおっ、ならば今度お貸し頂きたい。我が商会が立派な商人職人に育て上げてみせましょう!」
「いや、それはやめとくよ」
改めて彼を見やり、義眼を光らせた。
それは睨む目つきだ。しかし、睨まれる方も微動だにせず営業スマイルは貼り付けたままだった。
寧ろ愉悦さえ覚えている。
何故なら彼は、憎しみを向けられる事に対して快楽を感じていたのだから。
「君に子供を預けたらどうなるか分かったものじゃない。
そうだろ?『アルゴス』。営業スマイル気持ち悪いよ」
「おやおや。バレてたか」
次いで、貼り付けていた笑みが、エミリーの知っている行方不明扱いの男────アルゴスの笑顔に変わっていた。
顔のパーツは同じなのに、表情の在り方でこうも違うものなのか。
ニヤニヤしたそれは悪い意味で人間味溢れる笑顔だ。
ネットリと絡みつく目付きは、相手とどのように共感するかより、どう取り込んでやろうかという想いが見える。
まるでヘドロだ。七年前、はじめて会った時とまるで変わっていない。一回首を刎ねられて逃亡生活を送れば悟りの一つや二つ目覚めると思いきや、そうでもないらしい。
「私の解析能力を以てすれば、首から下が機械だなんて直ぐ解るからね。時々、外出中の筈のケルマと入れ替わっているのが分かったよ」
「おやま。結構ここの職員は騙せていたんだがなあ、残念だ。ぐひひ……」
アルゴスは面白半分に口から機械の腕を出した。
かつて、背中から生えていた腕とは形だけ似ているが随分小さく、脱出した頭だけで動き回る為のものだと直ぐに解った。
蜘蛛の脚を模した八本のそれは、薄暗い中でワサワサと動く。
「何が残念なんだか。
ケルマ本人は最近そこに違和感を感じ始めているのか、近い内に君の捜索届を正式に侯爵様に届け出るって話になってるよ?
ところで、不思議なことに本人を殺して商会を乗っ取ろうとはしないんだね」
「まあな。乗っ取りは簡単だけどそれだと困るんだ。
だってお前、俺がアイツを殺したら、それを大義名分としてお前が俺を殺しにかかるだろう?証拠なんて殺してから『機械の身体の偽物でした』で済むしな。
なあ、侯爵専属錬金術士のエミリー・フォン・メリクリウス様よ」
機械の腕を仕舞い直したアルゴスは大袈裟に手を広げる。エミリーのドレスを見る。
ドレスを形作る液体金属は、今直ぐにでも戦いになっても良いよう魔力で揺らめき続けていた。
今のアルゴスの身体は昔の物ではない、人間並みの動きが出来るというだけの簡素なものだ。そして今の彼は、この身体を裏ルートで買うだけで予算を使い果たしている。
対してエミリーは全身を覆う程の液体金属で武装済み。
今戦えば間違えなくエミリーが勝てるし、エミリーはアルゴスを殺したいほど憎んでいる。
それでもエミリーは、アルゴスに手を出せないでいた。
アルゴスもまた、その理由を知っているのでニヤニヤしたままだ。それだけエミリーの頭の回転に信頼を置いているとも言える。
エミリーは口を開く。
「で、何をしたいんだい?
ミアズマの連中から逃げる為に、ケルマのフリをしながら商会に隠れているっていうのは分かるけど、態々解析能力を使える私と二人きりになったって事は、目的があるんだろう?」
ドレスの一部が溶けると槍状に変形し、アルゴスの額に当てた。
頭は生身なので破壊されると修復が困難だが、アルゴスは相変わらず笑ってばかりだ。
彼は己の袖を捲ると、人工皮膚で出来た手袋を嵌めただけで、後は骨組がむき出しになった機械の腕を見せた。
「なあに、簡単だ。こんな身体じゃ不安だからさ、ちょっと『武力』を分けて欲しいんだ」
「はあ?冗談でも笑えないんだけど。ぶっ殺すよ?」
額に付ける槍先の力が強くなるが、アルゴスは薄ら笑いを浮かべながら両手を振った。
「冗談じゃねえさ。
俺をミアズマが狙っているのは確かだが、もう一人狙っている人間がいる」
「そりゃモテモテだ。大人しく死ねばいいのに」
「いや。死ねない理由がある」
そして再び両手を広げて、顎を上に上げた。
なので槍先を自分から首元に持っていく形になるが、アルゴスは気にしない。
「俺は今、その『追跡者』に恋をしている!
随分昔に別れたものだが、暫くぶりに会ってみればどうだろう。
今のエミリーよりずっと俺を憎む、とても良い眼をしていた。俺は、アイツの宝石の様な憎しみだらけの眼を抉り取る為にはどんな事をしたって良い!」
上に向いていた顔からエミリーを見る。
自然、ぎょろりと見下すような形になる。
狂喜を浮かべながら狂気を放つその様は、エミリーのトラウマを掘り起こさせるには十分だった。
その時の癖で、玩具の指輪を片手で撫でていた。
アルゴスの視線は指輪を舐める様にとらえる。
「ああ、そうだエミリー……聞いたぞ。婚約したんだってな」
「それが何だって言うのかな。アダマス君に害なすつもりなら、本当に殺すよ」
「純粋に祝ってるんだぜ?おめでとう」
首を回して槍先から首を抜けさせると、一気に距離を詰めた。
背筋に寒い物を感じるエミリーへ、アルゴスは囁く。
「でも、そのアダマス君は果たしてお前を愛し続けてくれるのかな?」
「何を言っている。そんなの当たり前だろう!いい加減にしないと刺すよ⁉」
アルゴスは含み笑い。
風俗業を営んできて何度も見たパターンだと感じる。
「それはお前より、ずっと長年付き添っていて、ずっと清い関係でいる女が突然現れても?
仮にアダマス君が変わらなくても、お前は彼女にこれから嫉妬しないと言い切れるのかな?
そんなお前にアダマス君が、罪と嫉妬に塗れたお前に愛想を尽かせないと本当に思っているのかな?」
「……うっ」
一言、一言アルゴスの言葉がエミリーの心に刺さる度に、槍先を形作る力は落ちていく。どうすればいいか分からなくなっていく。
だが、女の負の感情を文字通り食い物にしてきたアルゴスにとって、これは心の隙間を作る為の前準備に過ぎない。
スッと入る慣れた口調で本題に入った。
「そして奇遇な事に、その女と『追跡者』は同一人物なんだ。
そいつ……『アセナ』をちょっと、痛い目に合わせられないかな。ああそうさ、お前が世話していたアイツに今追われているんだ。
ほら、お前も親の仇を討てるんだし、俺は眼を抉るだけだ。
お前もやられたから分かるだろうけど、別に殺すだなんて思っちゃいない。な、Win-Winの関係だろう?」
「……」
「そして、俺も策はあるんだ。だから、ちょっとだけ。ちょっとだけ話を聞くだけでも良いんだ」
親指と人差し指の間に空間を作り、敢えて女受けの良い人懐こい笑いを作った。
そして結果論を言えば、この交渉を『成功』させたアルゴスは現在も逃亡中である。
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