83 狼は眠らない
只今向かっているルパ族の町は、領都を囲む三つの山の一つであるアイウ山の麓にある、人里離れた静かな町である。
奇しくもシャルが前にボクへ言った「アイウ山に行ってみたい」の望みが達成された形になる訳だ。
それを膝の上の彼女に言うと、ハッと思い出した顔をして「お兄様は覚えていてくれたのじゃ。感謝なのじゃ!」と、嬉しそうに抱き付いてきた。
来たのは単なる偶然なんだけど、まあ良いか。
そんな話の流れでシャルは聞いてきた。
履帯が穏やかな揺れを作っている時の事である。
「そういえば町までどれくらいの距離があるのじゃ?」
「半日ってトコだね」
「へえ、結構短いんじゃの」
その時、ボクの頭に少し重みがやってきた。
かなり軽いそれは感触で帽子だと判断出来る。指先で触れてみると真ん丸のツバに艶やかで硬い質感。
麦わら帽子だと直ぐに分かった。
そして、被せてきたのが後ろに元のタンクトップにショートパンツのラフな格好をしたアセナだという事もよく分かる。
彼女は言う。
「え~、そんなに時間かかったか?自転車で二時間ってトコじゃねえの?天候が悪くても三時間くらいだろ」
「それはアセナの運動神経がおかしいからだね。
整備もされていない斜面だらけの悪路を石畳の平地並の速度で走れるって……。崖地をピョンピョン跳んで昇る野生の山ヤギもびっくりだよ。
後、それを実現できるオーバーテクノロジーの自転車に乗ってる事かな」
「うへへ、そう言われると照れるな」
褒めてると言えば褒めているんだけど、微妙なラインかな。
「しかし、そうだったのか。確かに他の自転車はタイヤが妙にデカかったり、蒸気エンジンが付いていたり変な形だったな」
「そうだよ。従来の最高速度に加えて安全性と耐久性がかなり上がってるね」
そうでなければ長期の旅によってフレームはとっくの昔にひん曲がっているだろうし、タイヤはパンクしているだろう。
そしてブレーキの性能も段違いだから無事ではいられなかった筈だ。
因みにアセナの言っているのは他の自転車とはベロシペードと呼ばれる自転車の形態だ。
原型は森の管理をしていた貴族が木製で開発したドライジーネと呼ばれるものらしく、ベロシペードはそれにペダルを取り付けフレームも金属製に変えたものだ。
ただ、タイヤが金属製なので石畳での乗り心地が悪いとの事で背骨揺すり(ボーンシェイカー)とも呼ばれている。
アセナの自転車はそれを更に改良する為にタイヤを錬金術で作ったゴム質の塊に変えてある特徴があるのである。
確か名前を、『マウンテンバイク』といったか。
これが作られた当時、エミリー先生はラッキーダスト領に居なかったが、それでも依頼先が学園都市だった為、当時在学中の彼女の考案でこれが発明されたとの事。
尚、エミリー先生がウチに来たのは一年くらい前の話なので、奇しくもアセナの旅立ちと行き違いになった事になる。
感心している空気の中、隣から当のエミリー先生がボクへ話しかける。
彼女が会話に加わったのはこれが初めてかな。アセナが耳をピンと立てて緊張していた。
「しかしアダマス君、麦わら帽子が似合うね」
「そうですかね」
「うん、『その服』との相乗効果でかわいい」
今のボクの服装は青を基調としたオリエンタルなシャツ。
いわゆる『アロハシャツ』と呼ばれるものだ。ケルマのような交易商が外国との貿易で仕入れたものである。
着たのは領都を去って皆が「さて着替えるか」と行動を起こしている時だ。
畳んで持っていたサングラスをかけた際に下半身下着姿のアセナがゲラゲラと笑ったものだが、彼女はそれならと後ろの空間から用意して着せた服がこれなのである。
礼服よりはずっと楽だし良いから特に気にしていないけどね。
寧ろ堅苦しい式典が皆アロハシャツになってくれないものか。父上とか絶対似合うよ。
それはそれとして、サングラスはシャルの手によっていつの間にやら麦わら帽子のフチの上へチョコンと置かれている。
その様をアセナへ見せると、彼女はやや気まずそうにしつつも、前を見て腰に手を当て覚悟したように声を放つ。
「ま、まあな……。アタシのチョイスはサイコーだからな、これくらいどうって事ねーさ。ナーハッハッハ!」
「眼福さ、ありがとうアセナ。あ、そうだ。そこにウクレレもあった筈だからアダマス君に持たせたら良いかもね。ちょっと取って」
「ふ~ん?」
軽く返すエミリー先生の言葉に、収納スペースを漁るアセナ。
気まずい友人関係であるが、一回しこりが取れてしまえば、また昔の様に自然に話せるものなのかも知れない。
「んあ、無えぞウクレレなんて」
「そうかな~。確かに今思い出せばウクレレにしてはちょっと大きめだった気もする」
「えっ?ウクレレよりちょっと大きめ?まさか……」
そう言って彼女が取り出したのは、確かにウクレレより一回り大きく、ギターより二回り小さな弦楽器だった。
「コレか?」
「ああ、それそれ」
「ふ~ん……」
「……」
一旦固まる空間。
直後、アセナは大きな声を上げた。
「コレ、ウクレレじゃねえから!アタシのミニギターだから!
昨日から無いと思ってたけどこんな所にあったのかよ!」
コロコロ変わるアセナの表情。
その光景をエミリー先生は生暖かい眼で見守っていた。
「確かにハンナさんが礼服と一緒に渡してくれたけど、アセナのだったかあ」
「まじかよ。おのれハンナ!
ていうかウクレレとミニギターじゃ全然違うだろ、絃の数とかて普通分かるだろ!」
「そうかな。素人じゃ難しい事だと思うよ?」
「むう。それなら仕方ねえな」
そうしてアセナは言いくるめられていた。
因みにエミリー先生は歌も得意だし液体金属からあらゆる弦楽器を一瞬でイメージして形作る技能があるので、少なくとも素人ではないのだが、そこは黙っておく事にする。
操縦しつつもエミリー先生は密かに深い微笑みを浮かべていた。
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