75 ボクは無力を噛み締めた
「エミリー先生、どうしてまたこんな所に……」
「んっふっふ。ほらっ!私って君とこないだ婚約した訳じゃん?」
エミリー先生は母性的な微笑みを浮かべ、ハイヒールとは思えない躍動的な動きで近付いてきた。両手はピースサインのままだ。
歩く時くらい普通に歩いても良いんだよ?
それともこうやって普段から何か違う事をし続けるのが天才と呼ばれる所以なのかも知れない。
ボクに天才の素質は無さそうだ。
彼女はボクの目に前に立つと、両手で親指を立てて言った。
その左薬指には玩具の指輪が煌めく。
「そういう訳で、侯爵様から『婚約祝いに最新技術を見せてやる』と言われて紹介された先が此処なのさ。
確かにオーパーツを解析したんだから最新技術ではあるねえ」
「はあ、それって結局は都合よく利用されているだけなんじゃないでしょうか」
すると彼女は、ボクとシャルの間に入り、それぞれの肩を組んでおおらかに笑った。
「なあに、行き着く先が違うならば利用されてやれば良い。此方も利用しているのだから。Win-Winの関係とも言うね。
ところでアダマス君、婚約したというのにタメ口にはならないのかね。先生悲しいぞう」
言ってボクの肩へ顎を乗せ、吐息を吹きかけた。あっ、ちょっとゾクゾクして気持ちいいかも。
このまま勢いに任せるのも一興だけど、流石に場所が悪いかね。
ボクは先生を引き離し、彼女もそれが分かっているようで素直に離れる。
その最中の事だ。
ボク等に注がれる物凄い視線にやっと気づいた。
特にエミリー先生を見て、何か恐怖のような、もしくは気まずいような。
そのような負の感情を混ぜたアセナの目付きである。素直と勝気が売りの彼女としては珍しい。
しかし女には秘密のひとつやふたつあるものだ。
そのようにハンナさんが言っていたのだから間違いない。
あの人は二つどころか百も千もありそうだけど、とにかく如何な女性にも秘密はあるものなのだ。
ボクはあざとく小首を傾げた。
アセナは昔からボクにこの『お願い』の姿勢をされると断れない癖のようなものがある。根本的に善人なのだろうなあ。
「アセナ、もしかして知り合い?」
「んあっ!ええと、だな……」
そこで上書きされるように、しかし落ち着いて声が発される。
場所はボクの真横から。
つまり、エミリー先生からだ。
「ん。その耳に尻尾は……ルパ族かい!珍しいね。何やら私に用があるような雰囲気だけど、何処かで会ったかな?」
エミリー先生の表情は何時も通りに垂れ目を弓の字。そして口端を上に微笑んだものだった。
ただし、目そのものは笑っていない。
目的があって何かの演技を真剣に行っている時の『笑っているけど笑っていない』目付きそのものである。
だからこそ、感情を読心した結果は……。
「いいや、ちと昔にアンタに似たような人に会った気がしてな。ジロジロ見て悪かったよ……その、本当に昔に会ってないよな?」
「ん~ん。いや、会ってないかなあ~」
感情を読んだ結果、お互いに『嘘』だった。
青い顔をしているアセナも、考えるフリをしているエミリー先生も、お互いの事を知っているが敢えて知らないフリを付き通す。
そしてこの状況を作ったであろうケルマは、眼鏡の向こう側から含み笑いを浮かべている。
その視線はエミリー先生に気を取られたアセナの背後をチラチラと見るもので、造形は歪ませた表情筋から作られる非常に不快なものだ。
そんな彼の手が、強く叩かれた。
皮膚と皮膚を叩く音が室内に響き、聞き逃さなかった人間は居なかった。
────パン
「さてはて、他人の空似という事もあるものです。少し違いますが、私も昔はよく兄と間違われて比べられ困ったものです。
まあ、そういった事も踏まえてどうでしょう。彼方の個室で少々お話しませんか、アセナ?」
嫌らしい笑みのまま、ケルマは馴れ馴れしくアセナの肩に触れる。
昔のアセナが彼にこうされたのなら、間違いなく一発蹴りを入れてるだろうがそうならない。
ただ、誰に向けるでもない拳を握りしめて下唇を噛むのみだ。
とてつもなく重い何かに耐える様に。
これは直感的に『助けなきゃ』いけない気がした。此処で放っておいたら二度と会えない気がした。父上の約束なんて知ったことか。
思って一歩足を踏み出したボクを止めるのは二つの声。そして二つの手だ。
ひとつは子供を宥める母親の様な、優しいエミリー先生の声色。
彼女の手はボクの肩に添えられる。
「アダマス君、手を出さないのもお仕事なんだ」
次に安心させるような恐怖交じりの軽い声。
それはボクの姉としてボクを欲塗れの貴族子弟から守ってくれた、何時ものアセナの声だった。彼女は何も変っていない。
でも、彼女の手は、ボクを突き放すように平手が向けられていた。
「なあに、ちょいと昔話に花を咲かせるだけさ。たっぷり楽しんできな。
そ~れ~と~も~……コイツにアタシを取られちゃうとでも思った?アッハッハ、だったら逆に光栄だね。後でいっぱい遊んでやっからよ。
時間なんて仕事が終わってからならたっぷりあるんだから。なっ」
言ってケルマと一緒に応接室の奥の扉へいくアセナ。
ケテルの横顔は、やはり下卑た笑みの形が浮かべられていた。
そうだよ。
心配に決まってるじゃないか。
アセナをそんなヤツに取られちゃったらボクはどうすれば良いっていうんだ。
「そうだね。まあ、のんびりと移動装置を見せてもらうよ。
だから直ぐ、直ぐに戻って来るんだよ」
ボクなりの微笑みを浮かべ、それくらいしか言い返せなかった。
くそったれ。ボクの知らないところで何が起こってるっていうんだ。
ボクは無力を噛み締めた。
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