624 記憶喪失の女捕虜
やや小さめの白い部屋。
ハンナはホースを持ち、ボトルの飲み口に嵌めると茶が中を満たす。
彼女はそれを、口に付けた。
未来の技術で舌が『美味い』と判断する味そのもののレベルは高いが、雑味が無さ過ぎて味気ない。
「此処は艦内の『元』給仕室。
今は急造の取調室でございます。
取り調べを受けるのはあの方でして」
チラリと視線をやった先は部屋の中央。
そこには、白く、楕円で、大きなテーブルがある。
『捕虜』の女が座らされていた。
太陽のような黄金色のロングヘアに、細面に整った輪郭。
捕虜が着る鼠色のスーツを着ており、首輪も付けられていた。
首輪は外そうとすると警報が流れ、服は拘束する上に電流も流れ、遠距離操作も可能である。
この操作は登録された管理者が遠距離操作で行う事も可能だ。
そして今、アズマのハッキングを使う事で、ヤクモがスーツの管理者になっていた。
女捕虜の向かいには、同性という事でタカラ。
その隣にヤクモが座る。
彼のポケットには、万が一の為に電流機能を起動させるスイッチが入っていた。
背もたれに体重を委ねるように座り、リラックスした態度を取っていたが、瞬時にポケットに手を入れられるようには考えている。
「……んー。つまりお前さんは自分がどっから来たかもよく分かんなくて、自分自身が名前
も含めて何者かもよく分かっていないと」
「……ええと、はい。申し訳ありません」
「だいじょーぶだって。大分参考になったし」
「はあ……」
彼女は自信なさげに下を向いて、自身の殻に籠るように捕虜服の上から腕を揉んだ。
まるで取り調べる必要を感じさせない無害な人間だ。
対してヤクモは、脳内で思考を巡らせていた。
「『地球軍。帝国軍。
どちらの勢力でも構わないが、要人であるなら取引の材料には使えるだろう』」
部屋の隅の椅子に座るハンナは、ヤクモの脳内を代弁しはじめた。
彼女の眼の前にはティーセットが置かれている。
メイド服に合うのはボトルではなくティーセットだからだ。
読者に向かい、唇を動かし続ける。
「『そこで記憶喪失と云う事だが、見たところ脳に以上は無し。
つまり『二通り』の原因が考えられる。
ひとつは何らかのショックを受けて精神が壊れてしまったパターンだ。
虐殺等を経験した人間がまれに成る症状である。
そしてもうひとつは機械によって『人為的』に記憶を消した場合だ。
厄介な捕虜の記憶を消して、無害な者に作り替えるパターンは設備が必要だが無くはない。
そして、この状況であるなら一時的に記憶を消した敵が捕虜に擬態している可能性がかなり高いな』……と、いったところですね」
そうした事を悟らせないよう、ヤクモはリラックスしたフリをして女捕虜を見ている。
彼は無造作に立ち上がり、コンビニにでも誘うかのように呟く。
「ちょっと着いて来てくんね?」
「え?はあ、わかりました」
目は口ほどに物を言う。
女捕虜の視線には、ヤクモの隙を伺うようなものは確認できなかった。
一通りの問答で『今のところ』暗殺する気はないのは、取り敢えず分かったので、クルリと身体を翻し背中を見せる。
少し歩いて出入口に向かう。
金属の扉をスイッチで開ける。
そこをヤクモ・女捕虜・タカラの三人が通る。
廊下はまだ赤さが残るものの、綺麗に掃除されていた。
未来の掃除用ドローンと死体処理用洗剤の力だ。
戦争では占拠した場所を直ぐに使えるようにする為、こういう技術が発達する。
到着した扉の上には『指令室』と書かれた蛍光版が付いていた。
「お前さんは記憶が無い。
でさ、記憶喪失ってのは『切っ掛け』があると治る事もあるって話だ。
これから見せる物がその『切っ掛け』になるかも知れないと、俺は思う。
だから、見せる。
そしてひとつ言っておこう」
「え……?」
ヤクモがあまりにも意志が篭った目つきで見るものだから、女捕虜は考える暇なく聞き返すしか出来なかった。
「この向こうには死体の山がある。
殆どがこの艦の重役達だ。
記憶があった頃は頻繁に接触していた可能性が高い」
重要な捕虜を管理する側としては、その捕虜の人となりをよく知っていた方が良い。
その方がもしもの時に対処が早いからだ。
故に頻繁に会っていた可能性は高いのだ。
そしてヤクモは疑り深い。
逆に、もしも帝国側の人間が記憶を消して捕虜のフリをしている場合、親しかった人間である可能性はもっと高いのだ。
アイデンティティの根幹──記憶に触れる可能性が高いという訳だ。
女捕虜は少しためらって、しかし目に強い意志を込めた。
今までの内気な態度から、実にギャップのある顔つきだ。
その目を見て、ヤクモは口元を邪悪な笑みの形にした。
ああ、それで良いのだ。
意思を以て自分を誇示すのは素晴らしい事なのだ。
ボタンを押して、指令室の自動ドアが開かれた。
中から人工の光が漏れて、廊下との境界を消し空間をひとつにした。
廊下に立つハンナはぽつりと言う。
「そして中には、指示した通り沢山の死体がオブジェの様に詰まれていました。
凌辱されているにも関わらず、全てが全て誰だか分かる程度に『壊されていた』のです」
一方で女捕虜は、余りにも衝撃的過ぎるのか歩を止めて口を押えるばかりだった。
目は涙で揺れていて、視線は何処へ向かおうかと困っていた。
しかしこれだけでは、何も知らない人間でも起こす反応。
ヤクモは事も無げに「おや」と呟き少し口を開けて目を開く。
眉をハの字にして、ズンズンと積み立てられた『オブジェ』に近付いた。
「……ったく、あいつ等勝手に弄りやがって。
スマンな。うちのヤツ等もこいつ等に仲間を殺されちまって腹立っているんだ。
でも、人相は何とか区別できるしちょっと見に来てくれ」
ポケットに手を入れたまま軽く言う。
ある意味その白々しい態度が一番悪趣味なのだろうと、最後尾に立つタカラは思った。
確認は自分でやれと言うのだから。
女はチラリと後ろを見やる。
解除された自動ドアの向こうには、ポッカリ開いた空間。
まるで逃げても良いんだよと誘っているようでもあった。
彼女の近くに居るタカラは、敢えて何も言わない。
只、女は、束の間の沈黙の後に、再び意志ある眼を浮かべた。
「……やります。確認します」
そう言ってのけた。




