第37話 洞窟神殿
予定より早めに書き上がったので投稿します。
「父上、ここが目的ですか」
ポール兄さんの質問にピーター父さんは頷く。
「ひっひっひ。そうだ。ウォーカー男爵家に代々伝わる女神の神殿だ」
俺は目の前にある石柱を観察する。
柱は直線に伸びているのではなく、真ん中が膨らんでいて上へ向かって少しずつ細くなっている。
エンタシス。
前世、地球での記憶であるが、古代ギリシャの神殿建築の際、柱に用いられた手法だ。
アテネのパルテノン神殿はその代表格になる。
柱の重心を低くして安定させる為とか 視覚的な安定感を出す為とか言われている。
古代ギリシャは紀元前の時代だが、この神殿も大昔に造られたのだろうか。
俺は立ち並ぶ柱の間を歩きながら、奥にある女性の像へ向かう。
像も大理石で作られていて、やはり古代ギリシャの彫刻を彷彿させる。
像は広い台座に置かれている。
台座は俺の胸の高さくらいあり、その分だけ俺より高くなっているが、像自身の背丈は俺くらいだろうか。
俺は像を見上げる。
整った顔立ち、均整の取れた身体、像だから当然なのかもしれないが、とても美しい。
現実に存在していたら、絶世の美人と言われるだろう。
父さんは女神の神殿と言っていたが、この女性は女神なのだろうか。
おや?
像の顔を見て、俺はある事に気が付く。
耳だ。
彼女の耳は長く尖っている。
日本ではエルフと呼ばれている者に類似している。
そういえば、以前、屋敷の図書館に保管されていた本『ホギー島探検記』に描かれていた女性にも似ている。
「ひっひっひ。あまりの美しさに見惚れたか」
父さんが声を掛けて来る。
「ああ、確かに美しいな。それとあの耳が気になった」
俺は像のエルフ耳を指差す。
「リックの言う通り、面白い耳をしているよな。この像はな、太古の昔、この地を統べていた女神と言われている」
「もしかして、その女神、エルフとか言われていなかったか」
「えるふ?おいらは聞いたことがない言葉だな」
俺の言葉に首を傾げる父さん。
どうやら、この世界ではエルフの名は知られていないらしい。
「それよりも儀式を始めるとしよう」
父さんに言われて、使用人達は儀式の準備を始める。
俺もようやく、儀式の時、何をしたか思い出してきた。
俺の記憶が確かなら、これからティム君は女神の像の台座の空いている場所に置かれる。
次に水、おそらく洞窟の入口にあった泉の水を飲む。
続いて、皆で聖歌と呪文を足して二で割ったような歌を歌う。
そして儀式が終了。
そんな流れだった気がする。
「失礼いたします」
同行してきたメイドの一人が台座の上に籠を置き、その中に布を敷いている。
ティム君の為のベッドを作っているのだろう。
邪魔にならないように俺は後ろへ下がる。
「ティム、頑張ってね」
オリーヴ義姉さんがティム君を籠ベッドに寝かせる。
「あー」
お母さんから離れて泣くかと思ったが、籠ベッドは寝心地が良いらしい。
気持ち良さそうな声を出す。
「うふふ」
その様子を見てオリーヴ義姉さんは微笑む。
かわいいな。
結婚しても子供が産まれても、その美しさは変わらない。
むしろ艶やかさが増したかもしれない。
「顔がにやけていますよ」
いつの間にか背後にいたエセルが囁く。
いけない。
俺は表情を引き締める。
さて、儀式の準備は着々と進んでいるようだ。
洞窟神殿の入口から別のメイドが入って来る。
彼女はお盆に水差しを乗せている。
赤ちゃんに水を飲ませるのは母親の役目だった記憶がある。
メイドがオリーヴ義姉さんの隣まで移動し、オリーヴ義姉さんが水差しを手に取ろうとした時、事件は起きた。
クシュン!
ティム君はくしゃみをした。
鼻の粘膜がムズムズしたのだろうか。くしゃみは生理現象だから、仕方ない事だろう。
くしゃみをした時は、何が出るか………そう唾液だ。
大人であれば、ハンカチや服の袖で口を覆うのがマナーであるが、ティム君は赤ちゃん、寝返りもまだ出来ない。なので、口を覆う事は不可能。
くしゃみによる唾液は飛沫となって秒速10mの速さで4km先まで飛ぶそうだ。
ティム君が放った飛沫は、水差しを持ったメイドの首の後ろ辺り、項と呼ばれる部分を襲う。
このメイドは普段からティム君のお世話をしているから、赤ちゃんのくしゃみなんて日常茶飯事なのだろうけど、儀式という場面で緊張していた事、無防備な項に唾液の飛沫が突然掛かった事があったからだろう。
「キャー!!」
メイドは悲鳴を上げて驚く。
そして、驚きのあまり、水差しが乗ったお盆を放り投げてしまった。
「危ない!」
誰かが叫ぶ。
お盆は床に落ちて盛大な音を立てているが、問題はない。
だが、水差しはどう見てもティム君に直撃しそうな軌道で落下している。
水差しはガラス製、しかも水が入っていて重たい。
赤ちゃんのティム君なら大怪我する危険がある。
「ティム!」
ティム君の危機を救ったのはオリーヴ義姉さんだった。
間一髪とは正にこの事だろう。
直撃寸前のところで水差しを掌で弾く。
槍の名手だけあって反射神経が優れているようだ。
弾き飛ばされた水差しは俺の方へ飛んでくる。
ガラスは落ちたら割れる。
だから俺は水差しを取ろうとした。
ただ、水差しは俺が捕捉しようとした直前に失速する。
「あわわ」
このままでは割れる。
俺は目のめりになって両腕を伸ばし、救い上げるように水差しを取ろうとした。
ところが、目測を誤り、水差しは俺の手首の位置に当たる。
バレーボールのレシーブみたいに水差しは高く上がる。
そして弧を描くような軌道で水差しは、女神像の頭に直撃。
俺がレシーブしてしまっている間に、オリーヴ義姉さんはティム君を抱き抱えたので怪我はなかったが、衝撃で水差しは割れ、女神像の周辺には水とガラス片が散らばる。
「も、も、も、も、も、申し訳ございません」
メイドが平謝りする。
「何をしている!ティムが怪我をしたらどうするんだ!」
ポール兄さんは怒り心頭だ。
気持ちはよくわかる。
オリーヴ義姉さんがいなければ大惨事になっていた。
「ポールさん、落ち着いて。ティムも無事だったし良いじゃないかしら」
怒る兄さんをオリーヴ義姉さんが宥める。
「オリーヴが言うなら仕方がない。だけど、次はないからね」
「は、はい。ありがとうございます」
メイドさんは深く頭を下げる。
この件は、これで終わりのようだ。
「ひっひっひ。それでは儀式を続けるか」
父さんがそう言った直後の事だ。
ゴゴゴゴゴゴ………
洞窟の中で、突如大きな音が響き渡る。
なんだ?
俺が赤ちゃんの時はこんなの無かったぞ。
父さんを見ると、他の人達同様、驚いた表情をしている。
どうやら儀式とは関係ないらしい。
轟音に合わせて周りも揺れる。
地鳴り!?
地震!?
地滑り!?
悪い想像が次々と頭の中に浮かび上がる。
「床が!」
誰かが叫ぶ。
なんと、洞窟神殿の床の一部が沈みだしたのだ。
俺が立っている床も沈んでいる。
沈んでいない床へ移動しようとするが、激しい揺れで思うように動けない。
逆に尻餅をついてしまう。
床はどんどん沈み、下がっていく。
沈まなかった床は高い壁になっていく。
あちこちで悲鳴や叫び声が聞こえた。
……ゴゴゴゴゴゴゴ。
音と揺れが収まったのは、しばらく経ってからの事だった。
辺りに静寂が訪れる。
しかし、それは俺に安堵を与えず、不安を増幅させた。
ランタンを持った使用人達と逸れてしまい明かりが届かなくなった。
そして、静寂の中、聞こえるのは俺自身の呼吸の音のみで他には何も聞こえない。
俺は暗闇の中で一人ぼっちになってしまったのであった。
読んで頂いてありがとうございます。
次回は予定通り12日水曜日に更新する予定です。
これからもよろしくお願いします。




