光と影2
クラスメイトの大半が、重圧から解放された反動によって、教室内にざわめきが戻る。
この光景を『秦啓一』が見たら、どう思うのだろうな。
白鷺凜が鉄面皮、鉄仮面と呼ばれているのを耳にしただけで制止しようとした男だ。
クラスメイトのほとんどが、マスケラの存在を『勝手』に恐ろしいものと認識したように、奴も『勝手』に己の正しいと思う正義、一歩間違えれば独善、偽善と呼ばれる行動を取るのだろう。
……以前のオレなら、ほぼ間違いなく秦啓一の行動を後者と断じただろうに、今は、判断に悩んでしまう。
歩を進めながらそんなことを考えていると、マスケラは3階の校舎の踊り場から見える、陽の降り注いでいるグラウンドをぼんやりと眺めていた。
グラウンドにはどこのクラスなのかはわからないが、十数名の生徒が巨大な迷路を作成しようとでもし、ているのか、ACTで建築材を加工、運搬、組み立てを行い、一部の生徒は独自のアレンジを施そうとでもしているのか、設計図と思しき紙を片手にああでもないこうでもない、と顔を突き合わせながら喧々囂々と言い合っていた。
それを見ているマスケラの足元には、陽によって産み落とされた濃い影が、くっきりと浮かび上がっており―それを見ていたオレ自身が顔をしかめていることに遅ればせながら自覚し、顔を右手で覆って表情を急いで整える。
オレは、何故マスケラを見て怒りを感じた? そんな必要性などどこにもないし、状況から考えても、マスケラに怒りを抱くことなど……
ああ、そうか。
オレはマスケラにではなく、『秦啓一』に怒りを抱いたのか。
あの男は、白鷺凜の在り方と心を救ったのかもしれないが、あの男の助けを必要としていたのは、彼女だけではない。
両親を失ったことで庇護を失い、人の醜さを直視せざるを得なかったが故に、秦啓一のように疑心暗鬼に陥るのではなく、そもそも人を信じることを諦めた『さっちゃん』。
誰よりも、マスケラをこそ、幼馴染の『さっちゃん』をこそ、秦啓一は救わなければならなかったのではないか。
……笑わせるな。名を持たぬ、数字しか与えられていない『7番』の分際で。
他でもないオレが『正化』の秦啓一を殺し、オレが存在することで『平成』の秦啓一は、この身体に留まることができなくなったのではないか。
「どうしたんだい、はっちゃん?」
オレの様子を見て何かしらの変化を感じ取ったのだろう、マスケラはグラウンドを眺めながら、視線だけをこちらによこしつつ、どこか訝し気な声音を発した。
「さっちゃんのクラスは何をやるのかな、って思って」
もちろんオレが話を強引に変えたことくらい、マスケラは察しているであろう。
が、その理由に、正確な見当がついたかどうかはわからないが、自身が聞くことではないと判断したからこそ、マスケラはあえて突っ込んで聞いてはこない。
「2年12組かい? 来年は3年生ってことを意識しているんだろうけど、それぞれのグループに分かれて実務的なデモンストレーションを行っているよ。興味が無いから、どういうことをやるかってことまで詳しくは知らないけど」
マスケラの発言は、真っ当な学生のものとは程遠い。
そのくせ『興味が無い』と言いつつ、今まさにグラウンドで行われている迷路の制作には心惹かれているように見えたオレは、やや顔をしかめ、嗜めるような口調で続けた。
「もう少し、自分に正直になったらどうだい?」
マスケラからクラスメイトに接近することは、有事の際に他者を巻き込むことに繋がるので、難しいのは承知しているが―
こちらに向き直ったマスケラは、その仮面の奥で眩しそうにこちらを見やり―唐突に、本当に唐突に、何かに気付いたかのように後退り、自身の両の掌を見た。
「ダメだ。もうわたしは、そっちに戻れない……行けない」
…………
『秦啓一』であれば、どんな言葉でもかけてやれただろう。
オレ達から『正化の秦啓一』を守るために、人を殺した彼女に追い打ちをかける理想論でも、今の彼女に語っても無意味な現実論でも、話題を変えるだめだけのどうでも良い言葉であっても、『平成の秦啓一』ならば、発言する資格があった。
が、己の命を守るためだけに他者の命を狩り続けたオレに、今の彼女に言葉をかける資格がどこにある?
彼女のように、己を罰する罪悪感すら持たなかったオレに、何を言える?




