人は、いつか死ぬものだから
ぼんやりとしたまどろみから目覚めると、白い壁が視界に広がっていた。
なんか、やけに息苦しいが―ああそうか、これ、壁じゃなくて天井か。
「ようやく気付いたわね」
聞き覚えのある声。首を横に傾けると、
「……髪、おろすと雰囲気変わるな、アンタ」
ポニーテールではなく、そのまま髪を腰まで下ろした加藤由利が、椅子に座り、左目だけ開けて俺を見据えていた。
左目だけ、ってことは……ああ、そうか。『砂上の楼閣』を連続で起動して、血を吐いて……倒れた『俺』を、『左目』だけ開けて見ている理由……そして、髪を下ろしているのは……
……見分ける、ためか。
「柳雄平でも、出たか」
俺の呟きに、加藤由利は身をこわばらせ、目に見えて動揺していた。
やはりこの少女、身に着けているACTに反し、こういうカマかけに弱い。
「もし柳が出ていたら、とうの昔にアンタごと処分しているわよ」
腕を組んでフン、と不機嫌そうに鼻を鳴らし、視線を逸らすが、
「ホント。ウソが下手だな、アンタ」
「……っ!」
「ほら、そういうとこ。こちらを親の敵でも見るような目つきで見たら、すぐにバレる」
心拍数を表す機械音が煩わしいが、これがつけられているということは、重傷だったのか? 頭蓋骨骨折の時には、こんなの装着していなかったからな。
今は血を吐いたことより、柳の出現についての方が、重要性が高い。
「アンタだぞ。アタシ達の立場や生命を脅かすような問題じゃないでしょうね、って言ったのは。俺が、ある日突然、柳の意識と変わるとしたら、対策の一つでも立てておかないと取り返しのつかないことになる」
現に、柳の意識がほんの数分だろうが、数時間だろうが出てきたのであれば……周りにいる人間の身に、危険が迫る。
呼吸が、辛い。一つ息を吸いこもうとするだけで、体力が奪われていく。
これは錯覚か、あるいは……
加藤由利は何も無い天井を見上げ、大きく息をついた。
「脳波や心拍数から判断して……アンタじゃない意識が覚醒していた可能性が、高いと思う。時間にすれば、数分。柳かどうかは確定できないけど、ソイツはまだ、状況を把握出来ていないでしょうね……アタシに色々と質問して、少しでも情報を得ようとしていたのは、混乱していてもさすが諜報員と言った所かしら」
「アンタだけ、ってことは、このこと、白鷺さんや酒井さんは」
加藤由利はゆっくりと首を横に振った。
「白鷺さんもマスケラも、アンタに付き添いたがっていたけど……白鷺さんは誘拐されかけた状態だったから、って言う理由で検査させた。今は3階にある病室で休んでいる。マスケラには、白鷺さんの付き添いが必要だって説き伏せたわ。いつ、また誰かを攫おうとするかもわからないし、白鷺さんだって異常がある可能性がゼロではないんだから」
「……よくそれで、酒井さんが納得したな」
さっちゃんなら、あたしがはっちゃんに付き添う、と頑強に抵抗しそうだが。
「誰かがアンタを攫おうと仕掛けてきた時、もしくはアンタの身に何か異常があった時、アタシ以上に早急に察知できるなら代わってあげるって啖呵切ったら、渋々了承したわ」
なるほどね……確かに、誰かに襲われた時に俺を守るだけならともかく、俺の体内の異常についても即座に感知できるか、と問われたら、加藤由利以上の適任者はいない。
「アンタがマスケラに柳の話題を出さなかったの、正解よ。普段は何を考えているかサッパリわからないアイツが、アンタが倒れた時、切羽詰まっているのを隠そうともしなかったんだから」
本来ならさっちゃんの俺に対する依存心を取り除く、というのはすぐには無理だろうから、やわらげてやりたい所だが―今の自身の状況を考えると、そんな余裕は、体力的にも、時間的にも無いかもしれない。
「それで……アンタ、どうしてあんな無茶したの」
「無茶ってほどのもんでも」
「鏡、見てみれば? それだけで足りないなら、柳らしき人物の意識が表に出たことを、付け加えても良いわよ」
こちらを見据える加藤由利は、睨むと言ってもいいくらいに険しい。
「アンタのACTの改変能力が低いことや持続力の無さを思い出しなさい。そして、その理由は何だって推測した? アンタという意識が、柳の肉体を借りて『正化』という時間軸に留まっていられるのは、本当に奇跡みたいな確率よ……
今回の件で確信した。アンタ自身がACTを使えば使う程、アカシックレコードに刻まれているアンタの情報は、柳の肉体からドンドン剥がれていく」
…………
「アンタ……あの時点でも薄々、ACTを使えば自分がどうなるか、ある程度の予想はしていたでしょう。なのに、どうしてあんな無茶したのよ!」
興奮してきたのか、椅子から立ち上がった加藤由利は―左目を取り出した。
「っ!」
あんまりにも現実離れした光景に、空気を一層深く吸い込み―左目の眼窩は空洞なのに、血が出ていないことに数秒して気付いた。
「あたしの左目、義眼なの。対象の情報を分析することに特化したOB」
掌の上に乗せられた義眼は、血がついていないことを除けば、本物の目と比べても、どちらが義眼かわからないだろう。細い視神経のようなものは、生体コードだろうか。
「子どもの頃のアタシに、『実験だ』って一言で、アタシは限界を超えて無理矢理ACTを発動させられた。頭の血管が破れると、サラサラって鼓膜の奥で音が鳴り始めるんだけど、アンタ知ってた? 左目からも血が流れたけど、それでも、実験は続けられたわ。そんな無茶したんだもの、当然アタシは左目を失明した。意識を失ったアタシが目覚めたら、脳の破れた血管はコイルを巻いて塞がれた上に、知らない間にこんなモノまで埋め込まれていたわ。
ひょっとしたら、これを埋め込むための理由作りだったのかもしれないわね、あの実験は」
右目に込められた感情の向け先は、多分俺では無い。
過去か、己か、あるいは―
「アンタ、アタシみたいなモルモットにでもなりたい訳? これ以上ACTを使い続けたら、アンタ、間違いなく消えるわよ」
「悪い。心配かけて」
「……いいえ、わかったんならいいわ。もうACTは」
「いや。それは不可能だ」
俺の拒絶に、眦が吊り上がる。
「……よく、聞き取れなかったわ。もう一回言って」
「状況的に、俺がACTを使わないってのは、不可能だ。柳の身体に細工をして、俺を観察している奴が今回の襲撃犯だったら、まだ考えようがあったかもしれないが……この相手は、多分、違う」
「何を根拠に違うと考えているのよ」
「雑過ぎる。今回の襲撃、下手をしたら一般の人を巻き込んでいた。ホテルの中にまで入って襲ったくらいだからな。そもそも、俺を観察している奴が、俺の戦闘スペックを知るために襲うのであれば、俺が1人の状況下でやる」
顎に手をやり、俺の推測にある程度の納得がいったのか、加藤由利は頷いた。
「で、それがどう、アンタがACTを使わないのは不可能だって判断につながるのよ」
「この相手、見境が無い。いつ、どこで、誰が相手であっても、襲ってくる可能性がある。そんな奴を相手に、ACTを使わずに俺が逃げに打って出たらどうなる? そこにいる、全然無関係な人間を襲う可能性も出てくるぞ」
「……アンタに関係無い人が襲われていたって、逃げればいいじゃない」
なに?
思わずベッドの上から、加藤由利を見上げた。
「死ぬ……いえ、それよりもっと悪いわ。
アンタは生きていると周りに誤解されたまま、この世から消えるの。誰に知られることもなく、他でも無い、アンタ自身が。
なのに、どうして周りの人間の心配をするの? 今回だってそうでしょ。白鷺さんには悪いけど、自分が死ぬかもしれない状況だったら、アタシは自分の命を取る。今回彼女を助けたのは、アタシにはまだ余裕があったからよ。でも、アンタには余力なんてものは一切なかった。なのに、アンタは……」
俺を見下ろす右目は、理解できないモノを見るような目付きだ。
「どうしてアンタはあんな無謀なことをしたの。アンタは、自分の命より、会って半年にも満たない他人の命の方が大事なの? それとも、彼女に命をかけてもいいくらいに惚れちゃった? そんなふうには、全然見えないんだけれども」
……ウソは、言えないな。
「アンタ、両親は健在か?」
「わかんないけど、もういないんじゃないかしら。物心ついた時には、親なんていなかったし―いたら、娘の眼を失明させられたんだから、怒り狂うでしょう」
「俺の親父とお袋は、普通に良い人だ。親父はかなり短気で、タバコがないとダメってところ、お袋は大体無愛想で、何か気まずいことをしでかすと二言目には『お母さんはいいの!』というとんでもない理屈を並べ立てる所を除けば、まぁ良い両親だと思う」
「……良いご両親なんでしょうけど、アンタの説明聞いていると、ちょっと問題がありそうな気がするわ」
少々呆れた様子で呟くが……俺も高校生の頃には、親父はどうしてあんな短気で、お袋はどうしてあんなとんでもない暴論を吐けるんだ、と憤慨していたな。
「そんな2人に、『いついかなる時でも、親父とお袋を信用できる訳じゃない』って口にしたことがある」
「両親いないから、普通はどんな反応するか予想できないんだけど……怒られなかった?」
「怒られはしなかった。しかし、短気な親父は、途方に暮れた表情だった……お袋は、泣いたよ」
あの言葉は、俺が、墓の下にまで持っていかなければならなかった。
ああ言えば、親父とお袋がどんな反応をするかなんて、子どもでもわかる……でも、当時の俺は、それをどうしても言葉にしたかった。
親父とお袋が傷つく、ってわかっていても、だ。
「親父はその後で、俺の言う言葉は信じる、って約束したよ。とんでもないウソでもついたらどうするつもりだって聞いたら、それでも信じる、だとさ……
でも、そのおかげで入院初日に、俺は35歳だと言った瞬間、そんな訳がないだろうと切り返してきた親父は確実に偽物だって、すぐに気付いた。例えパラレルワールドの両親でも、この2人は親父とお袋とは別人だとね」
加藤由利はその右目を大きく見開いた。
俺が入院初日であの両親が偽物だと見破っていたとは、さすがに想像していなかったのだろう。
……親父とお袋なら、例え高校生の俺が35歳だと言い張っても、頭ごなしに否定することだけは、しない。
否定するにしても、事情を聞こうとするはず。
「俺は、かなり疑り深い性格だ。なんせ、実の両親にそんな言葉を面と向かって言うくらいだからな……だが」
肺が軋んだように感じたのは……罪悪感が疼いたからか。
「『正化』の親父とお袋は、俺を守るためだけに、最後まで身を挺して抵抗した、って酒井さんは言っていた」
『正化』と『平成』では、性格とか、経歴とか細かい所は違うかもしれない。
しかし、2人が文字通り命懸けで、『正化』の秦啓一を、息子を守ろうとしたのは事実だ。
「親父はさ……子どもってのは、生まれた瞬間に、親孝行の全てを終えているモノだって言っていたよ。だから親は、命をかけてでも子どもを守るそうだ」
加藤由利の右目が、眩しいモノでも見るように眇められた。
「こっちの世界には、まだ誰も実現できていない『不老不死』の奇跡ってのも存在するらしいが……地球が消えてしまえば、不老不死もクソもないだろうから、やっぱり人は、いつか死ぬだろうさ。親父達の最後を聞く前までだったら……多分、逃げていただろうな。白鷺さんを助けるために、『砂上の楼閣』を連続で起動することは、しなかっただろう」
右目しかない、その揺れている瞳を見据える。
「人はいつか、死ぬ。必ず、死ぬ。だからこそ、人生の価値ってのは、死ぬ間際に、本人が納得できたかどうかだと思う。
『正化』の俺を、命懸けで守った両親と、俺の時間軸の両親は違う存在かもしれないが……例えどちらの両親であろうとも、俺よりも一回り以上年下の、俺を頼っている女の子を見殺しにしました、なんて、どの面下げて言える」
彼女は、何かを隠すように天井を見上げ―左手に持っていた義眼を装着し。
何も言わずに、椅子に座った。




