山菜採り
『正化』の秦啓一の身体は、汗がかきにくい。
これは、多分正しい。
実際、これまで夏になれば、何をせずとも汗が滝のように顔からダラダラと流れていたのだから。
ただ、一定の運動をすると汗が流れるのは、『正化』の秦啓一の身体でも一緒のようで、今、タオルは首にかけられている。
左手は態勢を維持できるよう木に寄りかかり、右手にはキッチンバサミ。
目前の木に生っているアケビを、右手のキッチンバサミで切る。
木の下で待機している白鷺さんが、両手で広げたビニール袋の中にアケビは落下。
「ん。安全に取れそうなアケビはこんなもんか」
リュックにキッチンバサミを入れてから、木の枝や突起部分に慎重に足をかけ、降りていく。
地面に着地すると、ビニール袋に入ったアケビを右手に取り、マジマジと見ていた。
「秦さん、こんな紫色の果実で、本当に食べられるんでしょうか? それに、実がすでに割れているものもあります」
あぁ、なるほど。
「紫の食べ物なんて、野菜ではナスがあるし、果物ならブルーベリーにぶどうだって紫だぞ。それから、実は割れていても大丈夫」
そう言って、すでに割れているアケビの実の中身をキッチンバサミでくり抜いて、種を大雑把に取り除いてから半分食べてみる。
ほんのりとした甘味が舌に伝わってくる。
この甘味と、そして食感がアケビの醍醐味だろうな。
俺は口をモグモグと動かしながら、残りの半分を白鷺さんに差し出す。
「では、頂きます」
表情は不動なのに、アケビを持つ手は恐る恐るであるギャップが微笑ましい。
出来ることなら、その無表情が動く所を―可能であれば、笑顔を見たいものだ。
「ほんのりとした甘味なんですね。ゼリーに近いような気がします」
「大体取り除いたけど種が残っていたら吐いた方が良い。種は苦いから」
……言うのが遅かったか。
もぐもぐと食べていた白鷺さんの口が唐突に止まったことから判断しても、多分種が残っていたんだろう。
「残ったこの紫色の皮の部分は、ひき肉を詰めて揚げたりすると美味しい。油系を避けたいなら、刻んでみそ炒めも良い」
背を向けた上で、口から種を、右手のハンカチに出し、再度こちらを顧みて頷く白鷺さんの表情は、相変わらず不動。
結構苦いハズなんだが、ここまで無表情を徹底されると表情筋に異常があるのでは、と心配してしまう。
デートが成功かどうかは白鷺さんの表情を見てもわからないが、袋の中身を見れば、山菜取りとしては上出来だろう。
まいたけ、しいたけもあったし、フキも取れた。
その上、デザートと言うにはやや甘味が乏しい気もするが、アケビも取れたのだから良いだろう。
「秦さんすいません、ちょっとあちらの沢で口をゆすがせて下さい」
やっぱり苦かったのか。小走りに駆けていく背中を追う。
東京の方にもこんな山や自然があるというのには驚いたな。バスで3時間ほどかけて来た甲斐があるっていうもんだ。
しかし、白鷺さんが山菜取りをしたいと言ったのには驚いた。
正直言うと、こういった自然の光景に白鷺さんの姿を脳裏に思い浮かべても、違和感しか出てこない。
どうしても、あの鉱物的な美貌が、人工的なイメージを俺に抱かせてしまうのだ。
考え事をしていると、ケホケホと咽ている音が聞こえてきたので、その場にしゃがみこんでいる白鷺さんの元まで歩み寄り、背中を擦る。
「白鷺さん、大丈夫?」
ケホケホと咽ているせいか、しゃがんでいる上体が前のめりになっていき、俺は咄嗟に右手を、
「ちょっ、あぶな!」
バシャン、という音が鼓膜に届いたと思ったら、俺も白鷺さんもすでに水の冷たさで全身ずぶ濡れになっていた。




