猫かぶりとポンコツ
「あら、こんな朝早くからどうしましたか、秦君?」
「自主トレです。加藤さんこそどうして?」
「奇遇ですね、私も自習です。よろしければ、一緒にどうです」
例の白一色のACT実習室の前では、遠目からでは開いているのかよくわからない、糸目の加藤さんが優雅に微笑んでいた。
提案に頷き、実習室に入ってから、俺は入口の扉を塞ぐようにもたれかかる。
……まさか、二日連続で同じ行動を取るとはなぁ。
「秦君? どうし」
「ここって羽柴派、と言うか加藤さんの息のかかった部屋、ってことで良いんですよね? 盗聴とかされているのは、あくまで羽柴派の人間か、あるいは加藤さん本人だけ、と考えて良いんですよね」
加藤さんの発言をぶった切ったことなのか、あるいは言葉の内容になのか、こちらを振り返った加藤さんが瞳を見開き、ポカンと口を開けていた。
「え、ええっと、ちょっと? アンタって、一般の転校生じゃなくて、盗聴とかそういうの専門に行う、三氏族系の人間だったの?」
は? なんだなんだ?
発言内容から考えるに、彼女が盛大な勘違いをしているのはわかるが……
「アンタ?」
俺の呼び名は『秦君』だったのに、『アンタ』発言。
指摘に、彼女は『しまった』とでも言いたげに右手で自分の顔を覆う。
しかし、今ははっきりと見開かれた彼女の目が、泳いでいることまでは隠せていない。
「そうかそうか、加藤さんは猫を被っていた訳か」
「……ああもうそうよ! 普段は猫被ってるだけよ! 悪い?!」
おぉ、完全に開き直った。
「いいや、全然。こっちの方が、好感が持てる」
「え?」
「そりゃそうだろ? 考えてみてくれよ。徹頭徹尾無表情の白鷺さんに、常時仮面を装着している酒井さん。この二人と比べたら、猫を被る? それがどうしたって感じだ」
「え、ええと」
「津田さんは津田さんで、槇原君を見ているだけで日頃からの苦労が察せられるし……そう言う訳だから、猫被り? それがどうしたって感じだね」
俺の発言の何がそんなに不満なんだ? 彼女は顔をしかめてむー、と唸っている。
「もう一回確認するけど、この部屋の盗聴は羽柴系列の人にしかもれない、で良いんだよな?」
「……ええ、そうよ。他のどの実習室が、どこの派閥が抑えているのかまではわからないけど、ここについてはアタシが掌握している」
とりあえず、加藤さん以外には情報が漏れない、と。
「でもなんだってまた、アタシや羽柴の一族がこの部屋の実権を握っていると思ったのよ?」
「そうでなければ、昨日の今日で、あんたが接触してくる訳がないだろうよ、ゆりっぺ」
「ちょっと待て。何よそのゆりっぺ、って?」
「親しみを込めたあだ名。理由は、猫被ろうとして呆気なくそれを剥がされた、と言うか自分で脱ぎ捨ててしまった抜けてる具合を言い表すと、そんな感じのネーミングになるんじゃないかと」
「は・た・く・ん?」
怒っているとわかる笑顔を作れるとは中々に器用だなゆりっぺ、とは口にしない。熱量が空間に放射されるような笑顔を前にして、冗談を言えるほど俺の肝は太くない。
「で、話を戻すが……酒井さんが『最初』に案内してくれた実習室では、『ここなら盗聴や盗撮の心配がほぼ無い』と言っていたんだよ。だけど、病院から帰ってきた時には違う実習室に案内された上に、盗聴・盗撮についての注意喚起が無かったから、逆にここでは盗聴されている可能性があるかな、と思ったんだ」
もしそうなら、俺の切羽詰まった状況を聞いた『この場にはいない誰か』が、俺を取り込む好機と見込んで、早朝と言う有り得ない時間に、ACT実習室の前で待ち構えているのでは、と思ったのだ。
とりあえず、賭けには勝ったらしい。
ん? 何でそんな訝しそうに俺を見ているんだ?
「……アンタ、やっぱり一般人じゃないのね?」
「かなりヤバい立場に立たされている事は自覚しているが、俺はごくごく普通の一般人だぞ?」
「一般人が盗聴を逆手に取って、目的の相手とコンタクトを取ろうとする訳がないでしょ!」
ゆりっぺのこの勘違い、ひょっとしたら利用出来るか?
俺は心外だと表現するように両肩を竦め、背を預けていたドアから離れた。
「ACTが使えない諜報員なんているのかよ?」
「誰もがそう思うからこその諜報員、という線は充分有り得るわ」
「じゃあ、その疑いを払拭するためにも協力してくれよ」
協力? と眉をしかめるものの、聞くだけ聞いてみようとでも言うのか、顎をしゃくって先を促してきた。
「盗聴していたからわかると思うけど、俺は現在、ACTが使えない。理由は、脳にあるACT発動のためのスイッチが損傷しているからと考えられている」
「それで?」
「まず君には、生体コードを接続して、俺の頭の中身を見て貰いたい」
「フフン、アタシにアンタの頭の中身を調べろと……そう言う訳ね? ふふふ、アンタ、アタシが何のACTを最も得意としているか、わかって言ってんのよね? わかっていて挑発してんのよね?」
ん? どうしたんだ? 下を向いて肩を震わせて……
勢いよく上げられた顔は、豹とか虎とか、そういう大型の肉食獣を連想させる面持ちだった。
「上っ等っ! アンタの頭の隅から隅まで調査して、アンタがどこの誰でどういう目的でアタシに接触して、その素性から人にはとても言えないプライベートまで完っ璧っに覗いてやるわよっ!」
フンス、と鼻息荒くOBから生体コードを伸ばし、準備をはじめる彼女に向って、俺は一言。
「あの、加藤さん。完璧に覗くとかって、君、もしかして変態さん?」
「は? アンタ何言って」
そう言いかけて、先程彼女自身が発した言葉が脳内でリフレインされたのだろう、見る間に茹でたタコのような顔色になり、両手を前に突き出し、ブンブンと振って否定。
「ち、ちち違うわよ! 今のは言葉のアヤって奴よ! そのくらいわかるでしょう?! ああもう、頭を調べるまでもなくアンタってやっぱり諜報員でしょ?! じゃなきゃこんな言葉一つでああでもないこうでもないって言えないでしょ?!」
「つまり、言いように言いくるめられていると? やっぱ加藤さんクラスの変態さんは違うなぁ。君って生粋のマゾなのか?」
「うがぁぁぁっぁぁっ! 違うっ、変態もマゾも違う! しかもさっきまでゆりっぺ呼んでたのに何でこういう時だけ苗字にさん付けなのよアンタぁぁっ!」
「アレ? やっぱり親しみ込めてゆりっぺって呼んだ方が良い?」
「呼ぶなぁぁぁっ! ああもうチクショウ何なのよ?! 諜報員なら諜報員らしく真っ当な性格してなさいよっアンタっ!」
ゆりっぺって、意外とポンコツ? このポンコツ具合を隠すために猫を被っているの?
その場で地団太を踏むゆりっぺを見て、白鷺さんや酒井さん、津田さんと比較すると、表裏が彼女達と比べて少ない、あるいはわかりやすいために最も与しやすい反面、一番親しみが持てそうだな、と俺は苦笑した。




