マスケラ ~尾を踏まば頭まで~
職員室では、また何とも言えない光景に出くわしてしまった。
酒井さんが職員室に入っただけで、ザワッと周囲がざわめき、その後はシーン、とまるで無人であるかのように静寂に包まれてしまったのだ。
俺はとりあえず、先生方に挨拶してから教室に赴こうとしたのだが、
『顔色が悪いように見えますので、彼を保健室に連れて行きます』
と酒井さんが一方的に宣言し、俺の意図とは全然関係無く、登校初日から保健室登校になってしまった。
驚いたのは、先生方ですら誰一人として、彼女の発言に口を挟まなかったことだ。
これは、想像以上にヤバい人と一緒に行動したのでは……早まった判断ではないことを、願うばかりだ。
酒井さんは保健室に誰もいないことを確認すると、カーテンを閉め、ドアのカギを閉めた。
「あー、アレだ、さて、どこから何を話すべきか」
呑気な台詞を呟き、顎に手をやる。
しかし俺が状況を捉え間違っていなければ、精神病院送りか、実験動物かの選択を迫られた、あの状況よりはマシのはず。
「今の俺って、色々とゴタゴタしたものに巻き込まれているんでしょうか?」
表情が伺い知れないマスケラがこちらを見る。彼女が手近にあったパイプ椅子を手繰り寄せてから腰掛けたのを見計らって、俺は口を開いた。
「三氏族の一つである、織田の派閥に属する白鷺さんが、俺に目をつけたことで、残る羽柴、松平が様子を見に来たのではないか、と俺は考えていたんですが」
「あー、そういう考えか。わたしの姓が『酒井』だし、そういう認識になるか」
五十点、と酒井さんは呟く。
「五十点?」
「羽柴に関しては君が考えている通り。加藤さんが出張ってきたのは織田の派閥に対する牽制か探り。君の素性を知りたいんだろうね。ただ、松平に関しては、今回は静観だよ。織田と羽柴が小競り合いを起こした隙に漁夫の利が得られれば、というスタンスのはず」
「貴方が出てきたのは、独断、ということですか?」
「独断、と言えるほどの立場にはいないよ。わたし、派閥の権力争いからは一番遠い位置にいるから」
本当だろうか? 今までの白露さん達の態度を見ていると、相当な実力者のように思えるんだが。
何より、こんな目立つ格好をしていて、教師たちに黙認されている、なんて普通なら考えられない。
「見ての通り、こんな仮面をつけているから、君がわたしのことをものすごく怪しく思うのはわかるよ」
表情を読まれた?! いけない、出来るだけ表情を殺さないと。
「あー、その、アレだ、それは止めておいた方が良い。君、今まで謀略とか権力争いとか、そういったドロドロした世界とは縁が無かったでしょ。なら、下手に表情を取り繕わない方が良い。開けっ広げな態度で振る舞った方が、逆に相手の方で勝手に警戒するから」
んぐ……っ! なんだこの娘、読心術でも使えるのか?
目の前のマスケラ娘は一度立ち上がり、パイプ椅子の背をこちらに向けてから改めて座り直した。
「えっと、アレだ、そんなことより、聞きたいことがあるんだ。話を戻すけど、わたしはこの通り、めちゃくちゃ怪しい身形をしている。でも、君はわたしについてきた。てっきり、相当なお人好しか、場の空気に流される人間なのかな、と思ったんだけど、今の振る舞いで、人並みの警戒心があって、ただ場の空気に流されただけではないのはわかった。ゴタゴタしたものに巻き込まれているかもしれないと思ったのなら、派閥に関係の無い、他の生徒に聞いた方が良いはずなんだけど、わたしに聞こうと思ったのは、どうして?」
マスケラのせいで表情はわからないが、戸板に水を流すような勢いで喋っていることから判断しても、心底不思議に思っているようだ。
「もうすでに、校門で三氏族に目をつけられている生徒が、他の生徒と話そうとしても、まともに話して貰えますか?」
「あー……そっか。うん、よほど豪胆な上級生ならともかく、一年生相手じゃ無理だ。日常会話が精一杯かな」
校門前での他の生徒の様子を見る限り、日常会話でも厳しそうだけどね。
「最初の質問、どうして貴方についてきたか、ですが……貴方が、あの場にいた四人の中で最も強い力を持っている、あるいは最も警戒されているように思えたからです」
「どうして? 何を根拠にそう思ったの?」
「貴方がそんな怪しい身形をされていても、生徒どころか教師も文句を言わなかった、というのが一つ」
「あー、まぁそれはそうか」
「それから、そんなマスケラつけている人がすぐ傍にいても、普通に俺へ話しかけてくる女子生徒が三人もいたにもかかわらず、その三人より、貴方を一番警戒していたように思えたからです」
残る三人の少女達自身は、眼前の酒井さんと対等なように振る舞っていたし、事実、三人は自身が酒井さんに劣っていないと思っていたのだろうが、彼だけは異様に酒井さんを警戒していたように思えた。
「警戒されていた、って誰に?」
「津田さんの傍にいた、眼鏡をかけた、あの中肉中背の男子生徒ですよ。彼、津田さんが貴方に話しかけたら血相変えて、津田さんの口を塞いでその場から連れ去ったでしょう。彼としては、白鷺さん、加藤さんより、貴方が最も警戒すべき人間だったから、津田さんを連れて無理矢理場を離れたんじゃないのか、と俺は判断しました」
会話をしただけであの反応だから、相当な警戒だ。
「あー、その、アレだ、彼からしたら、わたしは確かに一番不気味な存在だろうね」
「それに、貴方が1組や2組といった上位のクラスではなく、最下級の12組に在籍している、と言うのも不気味に思える情報でした」
白鷺さんに聞いた所によると、この学校のクラス分けは、成績順になる。
学業とACTの成績を加味して、上から順に1組から配属されていくのだ。
9組から12組は40名、5組から8組は30名、2組から4組は20名、1組は10名の計350名。
転入者は、皆、12組からのスタートだ。
「えーと、あの、アレだ、わたしが12組に在籍しているのは、実戦試験を全部ボイコットしているからだよ。何せ、11組と12組のACTの授業は、教師いないからサボりやすくてね」
「つまり、実戦試験を全部ボイコットしても進級できる……ちょっと待って。今、ACTの授業で11組と12組は教師がいない、って言った?」
うん言ったよ、とあっけらかんとした口調で伝えられた衝撃的な事実。
ACTの生体コードすら繋げたことがない状態で、教師無しでどうせよと?
「あー、意外と鋭いなと思ったら、存外下調べに穴があるね」
そりゃ、自学自習の合間を縫って、白鷺さんに聞いただけだからな。
まさか教師が足りない程、ACTを教える人材が不足しているとは思わなかった。
いや、マジでどうする?
「何を考え込んでいるんだい?」
ただでさえ白鷺さんや、そのバッグにいる存在が、俺の記憶を書き換えた疑惑があるのだ。
彼女達が俺に対してどういうアプローチをするのか全くわからないからこそ、自衛手段の一つとして、早急にACTの扱い方を学びたい。
しかし、ACTの扱い方を一から手取り足取り、白鷺さんの息がかかった人達に教えて貰えば、俺のACTの長所も、短所も向こうに知られてしまう。
……まぁ、これから習う技術が、生存につながる可能性はかなり低いだろうけど、何の努力もしないよりはマシなはず。
だから、織田の一族が絡んでいない人に教えを乞うのが望ましいのだが、
「おーい、こっちに帰ってこーい」
顔を上げると、俺の目の前で右手を振っているマスケラ娘。
この、正体不明の存在に教えを乞うのは、正しい選択なのか?
「気付いた気付いた。今後のACTをどうするべきか、考えていたのかい? でもその、アレだ、君、しっかり考えているようで、肝心な部分が抜けているというタイプかい? 落ち着いた雰囲気しているなぁーと感心していたんだけど」
実際15の時の俺は、かなりそそっかしかった。
今だって、落ち着いて物事を考えられるか、と言われたら否。
「あー、とか、アレだ、とか、えーと、と言うのは口癖ですか?」
少しでも考える時間が欲しくて、話題を強引に変えた所、酒井さんは指摘に肩を落とした。
「その、アレだ。あ、また言ってしまった……学校ではほとんど口を開かないから、気を抜いてしまうとつい『その』とか『アレだ』、とか『あー』、とかって言ってしまうんだ」
どうにかして直せないかなぁ、と落ちこんでいる様子は、普通の女子高生らしい。
これは、誘っているのか? 流石に、あからさま過ぎるような気もするが……
いや、そもそも、考えている余裕なんてないのだ。
俺の推測通り、記憶の改変がされているのなら、もう俺は織田の一族に生殺与奪の権利を握られているに等しい。
ええぃ、尾を踏まば頭まで、だ!
「ならその口癖、直すアドバイスを俺がしましょうか?」
「マジ?!」
今の俺の状況で選好みは、出来ない。
「その代わりと言ってはなんですが、俺にACTを教えて貰えませんか?」




