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マジカル・ビート・タクティクス -異世界ってこうですか?-  作者: YAMAYO
RHASE:01 眼鏡の才女
23/75

第四章・王を宿す者《タチガミ・イチジ》~ANNA‘S view③~

 「で?」


 「で?」


 「……で?」


 「いや、だから一文字で聞かれても」


 「……なに?」


 「二文字になったところでなぁ」


 「これ、なに?」


 「二文字を二回繰り返してみたところでなぁ」


 「…………」


 「…………」


 「ちっ……」


 「さすがに舌打ちから苛立ち以外の何かを察するのは難しいんだけれども」


 「……(ムスゥ)……」

 

 「……はい、ごめんなさい。実はなんとなく察しています」


 「なんとなく……ですって?」


 自分の応急処置を手早く済ませた私の手。

 

 それが治癒魔術の優しい光は灯さないまま、ただ黙って彼の右腕に触れています。

 

 腕の表面をギッシリと埋め尽くすのは朱色のウロコ。

 人体の皮膚や筋肉が持つような柔らかさなどなく、感触はどこまでも硬質。


 崩落した天井から射し込む幾らか傾いだ陽光を反射させた光沢は素直に美しいものです。


 それが肩口から指先めがけて真っすぐに走り抜けたその先、甲の部分には二つの小さな隆起。


 人の拳にも存在するそれは殊更に珍しい盛りあがりではないでしょう。


 しかし、それはただ指関節の骨というにはあまりにも不自然。

 

 指の先……つまりは爪の部分が、先ほどまで対峙していた獅子の獣のそれと同様、牙のように鋭利に尖っていることも相まって、まるで二本の角をもつ何某かの生物が、彼の右腕にぴったりと癒着しているといった風情です。


 なんとなく……そんな曖昧な言葉でははぐらかしきれないほどの変質を遂げた右腕。


 治癒魔術など端から効果のあらわれない、ケガとは違う変わりよう。


 実際にその姿をこの目で見たことはありません。


 書物に記述のあった身体的な特徴。

 最初にこの腕を目にした時、真っ先に頭によぎった第一印象。


 そして魂や肉体、それ以前に存在の在り様など、イチジさんの≪幻世界とこよ≫での生の軸となっているらしいモノのことを考えれば、自ずとその造形が何をかたどっているのかわかってしまうというものです。


 「……ドラゴン……なのですね……」


 「そうみたいなんだよ」


 平然と言ってのけるイチジさん。


 ことの重大さにまったく気が付かず、他人事のように興味なさげな様子。


 さすがに苛立ちを覚えた私は、思わず睨みつけようと顔を上げます。


 しかし、そうしてかち合った彼の瞳が相変わらず朱色に染まっているのを見て、出かかった非難の声は喉元付近で止まってしまいました。


 血のような赤ではなく。

 宝石のような紅でもなく。


 あくまでも朱。


 あの普段の彼が持つ古井戸の底を連想させるような空虚な黒はどこへやら。

燃え上がる炎よりもまだ熱く。


 こぼれくる陽光よりもまだ強く。


 爛々とした光を放つ二つの瞳。


 激しくて猛々しくて、見つめるものすべてを焼き尽くすかのようなその輝きですが、不思議と禍々しさは感じません。


 あくまでも厳かで、どこまでも清らか。

 むしろ神秘的とさえ言ってみても、決して大げさにはならないでしょう。


 ……なんだか目の前にいるはずのタチガミ・イチジという人間そのものが、神聖にして侵しがたい、私たちのような凡人では決して手の届かぬ、はるか遠くの場所に立っているかのような、そんな得も言われぬ不安が募ってしまうほどに。


 「……大丈夫……なのですよね?」


 なので、非難の代わりに口をついたのは『大丈夫』の言葉。


 また性懲りもなく無茶をしてと思う気持ちは怒りでしょう。

 なんで人の忠告を守れないのだと思う気持ちは呆れでしょう。


 それでも寸でのところで命を助けてくれてありがとうと思うのは心からの感謝ですし、指先から伝わる到底ヒトからは感じられるはずもない異質な感触とその姿を見て胸が苦しくなるのは、紛れもなく、悲しみでした。


 言いたいことに聞きたいこと。


 彼に対する想いのたけは多々あれど、どれもこれもがあまりに取り止めがなく、あれもそれも伝えなければという気持ちばかりが先行して、結局はただの『大丈夫』に落ち着くしかありませんでした。


 「……ああ、大丈夫」


 そしてイチジさんは。


 「何も問題はないし、どこにも問題はない」


 他人の気持ちなど興味がないのだという無表情なくせに、誰かの心の機微に人一倍敏感な彼は。


 私の拙い問いかけに込められた複雑な感情を、しっかりと読み取ってくれるのです。


 「相も変わらず理屈はわからないし、一体、俺の身に何が起きたのかだって全然わからないんだけれども……とりあえず、これだけはハッキリと言える……」


 二度、三度。


 その感覚というよりは、もっと根本的な何かの感触を確かめるかのように右手を開いたり閉じたりしながら……。


 「俺は俺のままだよ、アンナ」


 言葉の通り、イチジさんは私の目を見つめ返しながらハッキリと断言するのです。


 朱色の瞳。

 龍燐の腕。


 驚くべき変容の数々がその身に起こっても変わらない、淡々とした、その癖妙に堤港無用な優しさを帯びたいつもの声色に、私は心から安堵します。


 「……よかった……です……」


 はい……本当に……よかった……。


 「心配をさせてごめん」


 「いえ……」


 「そして、心配をしたよ」


 「……はい……そうでしょうね……」


 「……ごめんな……」


 一際感情のこもった『ごめん』を言うと、イチジさんは変質していない左手をおもむろに伸ばします。


 ポン……

 

 そうして手が置かれたのは私の頭の上。


 朱色でも硬質でもない、神聖さなど何も感じない、生身の人間としての柔らかさをもった大きな手のひらが、私の頭の上に乗ったのです。


 「あ、あの……」


 「……君をこんなにもボロボロにしてしまったのは間違いなく俺のせいだ。……本当に、ごめん」


 ポン、ポン……


 「思い知らされたよ。誰かが自分のために身を投げ出すことの恐怖。だというのにただ傍で見ていることしかできない焦燥。君が純粋に俺のためだけにこんな風に傷だらけになってくれたおかげで、今まで自分がどれだけ周りにいてくれる人たちに酷いことをしてきたのか、そしてそんな風に傷つけているだなんて自覚もなく、よくもまぁ平気な顔して生きてきたものだと……ホントに痛感した」


 ポン、ポン……


 まるでココさんを甘やかす時のように。

 まるで泣きじゃくる子供をあやすように。


 ……まるで、縁も浅い私ごときの頑張りなんて意味はないだろうと思いながら、それでも愚直に伝えようとしたことが、ちゃんと彼の心に届いてくれたのだという喜びに、今にも泣きだしそうになっている愚かな女をねぎらってくれるかのように。


 イチジさんは優しく、優しく、私の頭をポンポンとしてくれるのです。


 ……恥ずかしい。


 いい年した大人の女がそんなことをされても、羞恥以外の何物でもありません。

 

 ともすれば、こちらの格さえないがしろにするような行為。

 

 あなたは何の気なしにやっているのかもしれませんが、いたくプライドを損なわれたからといって怒りすら覚える女性だっていることでしょう。

 

 だから、イチジさん……これもまた私からの忠告です。

 

 女性の頭を軽々しく触ったり、安易に髪の毛をくしゃくしゃと撫でてはいけません。

 

 そんなことをされて年甲斐もなく嬉しくなったり。

 

 こんな風にいつまでも優しく触れていてほしいと至福に浸ってしまう大人の女は。

 

 きっと、私くらいなものなのですから……。


 「……バカな女だと……非難しないのですか?」


 「できるわけがない。こんな出会ったばかりの俺なんかのために必死になってくれた君を、どうして非難することができるんだ。……俺がもっとちゃんとしていれば。せめてもう少し人間らしくあれば、君がわざわざこんなことをしなくてもよかった。非難されるのは、むしろ俺の方だろ?」


 「まったくです……まったく……なんて浅はかな人なんですか……あなたは……」


 「……アイツが口癖みたいに言っていたその『浅はか』の本当の意味も、きっと俺はわかってあげられなかったんだろうな」


 「そうですよ。……傍にいた時間が他の人よりも長かった分、彼女がどれだけあなたのために傷ついてきたのか……まったく……浅はかなうえに鈍感とか救いようがありません……」


 頭に添えられた手の動きが止まります。


 そうして置かれた手のひらから、彼の体温とともに驚きが同時に伝わってきます。


 「……パクのことを、どうして君が?」


 「私と彼女……パクさんはおそらく、同じ魂を持った者です」


 「たま……しい?」


 「前世や来世という考え方の中で、最も知られた説の一つですね。一個の揺るぎない魂があり、それは宿る肉体を変えながら時代や世界、あるいは生命としての種ですら越えて次の世代へとつながれ、永久にも等しい歳月にわたり連綿と存在し続ける……というものです」


 「……なるほど」


 「もちろん、状況を鑑みた末の仮説にすぎません。正直なところその説だって言ってしまえば反証も確証もない単なる仮説の域を越えません。……生まれ変わりだとか、前世の記憶だとか、そもそもそんな曖昧とした概念で説明しようとすること自体、間違いなのかもしれません」


 「……生まれ変わり……」


 「そして私はあくまでもアンナベル=ベルベットであり、彼女はどこまでもパク・クライネル・アーバンハイト・キリザキ。それぞれの人生を歩み、それぞれの感情を抱き、それぞれの人格を持った、まったく別の人間であることは疑いようもありません。……ですが……」


 私はイチジさんの腕を掴んでいる方とは逆の手を、またそっと自分の胸に添えます。


 「確かに彼女はココにいます。確かにパクという女性の存在をココに感じるのです。この命の一番根の部分、魂をもっと深く深く掘り下げた、私たちには決して触れることも知覚することすら許されない何か根源的な部分を、私とパクさんは共有しているのでしょう。何もなければ一生そのまま……いいえ、死してもなお交わることがなかったであろう私と彼女。それがこの魔素という未だすべてを解明しきれない力の塊であまねく構築された≪幻世界とこよ≫……姫様が最近良く使われる表現で言うところの≪マホウの世界≫にあって、一時の交差をさせたのだと思います」


 「……そうか……」


 「さきほどあなたは、私たちは出会ったばかりと言いましたよね?はい、確かに私とあなたがまともに会話をしたのは今日が初めてです。あなたを遠巻きに監視していた時はこちらが一方的に見ていただけですし、どちらかが姫様といる時に顔を合わせてもせいぜい軽い挨拶を交わすだけの間柄でしたから」


 「初めて君を見た時は、本当に驚いたよ」


 「そういえば姫様を迎えにあがったあの村で、あなたは私の顔を見るなり『パク?』と言いましたね。私はその言葉の意味をまったく理解できませんでしたが、今にして思えば、あなたが驚き、反射的に彼女の名前を呼んでしまうのは当然だったのかもしれませんね」


 「こう言っちゃなんだけれど、何から何までアイツと瓜二つなんだよ、これが」


 「パクさんは、こんな馬鹿な女だったんですか?」


 「馬鹿がつくほど真面目なやつではあったかな……」


 そうしてイチジさんは、彼女の面影を重ねるように私を見つめます。


 私を通して……私の向こう側を覗き込むかのような視線。


 その視線の正体がわからなかったうちは不快に感じていたのも事実です。


 しかし、今となっては……死してもなお、次の生たる私の中にいてまでもなお、消し去ることのできない彼女の強い想いを知ってしまった今は。


 別段、不愉快でもありません。


 ……それに……。


 「そしてまぁ……いい女だった」


 「ふふふ。では、そのパクさんと瓜二つの私もまたいい女ということですよ?」


 「もちろん。ただでさえ君は美人だしスタイルも抜群、容姿は完璧なくらいに素晴らしい」


 「え?あ、あの、じょ、冗談だったんですけれど……」


 「知的だし、品があるし、所作だって美しいし、大人の魅力がたっぷりだ。そのくせ意外と可愛らしい性格をしていて、そのギャップが何とも言えず男心をくすぐってしまう」


 「で、ですから、もういいです。わ、わかりました、調子に乗った私が悪かったですから……」


 「ココみたいな子供と接っしている時に見せる顔は、言葉遣いこそ変わらず丁寧だけれど、やっぱり母性味溢れる優しくて柔らかいものだし、ああ、いいお母さんになりそうだなと思ったり、こんな嫁さんがいてくれたら男としては誇らしく……」

 

 「く、≪クロス・シェイド≫!!!!!」


 ガキガキィィィィンンン!!


「ぐぬっ」


 そう、彼がつらつらとまくし立てる誉め言葉に恥ずかしくなって、思わず魔術を使って口を封じなければならないほど。


 最初から……確かに私を通して他の誰かを透かしているところはあっても、イチジさんは私のことも一人の女としてちゃんと見ていてくれていたのです。


 「……ひどくないですかね?」


 「だ、だってあなたがいきなり恥ずかしいことを……」


 「そんなところも可愛いけれど」


 「くぅぅぅ……」


 「だいたい、いきなりって言うなら、さっきは自分から突然キスしてき……」


 「≪クロス・シェイド≫ぉぉぉぉぉ!!!!」



 ガキガキガキガキィィィィンンンン!!!!



 「……いや、何気にこれ痛いんだからね?十字架、刺さってるからね?」


 「う、うるさいです」


 「ほら、あっちでゼノ君の看護をしてるココが何事かとこっちを見てる」


 「い、色々と、はい、ホント、色々と罪づくりなあなたが悪いんですからね」


 「……まぁ、それを言われたら返す言葉もないな」


 「あ……すいません。……決してそういう意味で言ったわけでは……」


 「……たぶん、俺はまた同じことをする」


 「……イチジさん?」


 束縛の十字に動きを封じられながらも、彼は真剣な表情で続けます。

 

 「君にもアルルにも同じことを言われ、パクや他の仲間たちが口にしてこなかった気持ちもようやく本当の意味で理解できたと思う。自分のこれまでを省みたし、これからに生かそうとも素直に思える。……俺は罪深いやつだ。誰の生死も気にかけてこなかった生き方を、どうにか誰かの命を助けることで否定したくて……けれど、その誰かの中には確かに自分が勘定に入っていなかった。こんな俺みたいなロクデナシの人殺し、初めから入れようとさえ思えなかった」


 「そんな風に……自分を卑下しないでください」


 「本当のことだから仕方がないんだ、これは。俺は多くの命に……大切な仲間だったはずのパクの命に換えて生かされたというのに、その生かされた命で何をしてきたかと言えば、罪滅ぼしみたいな偽善の数々と、染みついた生き方からの逃避。そして、あまつさえ結局は寂しいとか辛いとかいうそれだけの理由で、死に場所をずっと探し歩くことばかりだった」


 「イチジ……さん……」


 「君が気づかせてくれたよ、アンナ。君が見せつけてくれた傷や血が、やっぱり俺はロクデモナイ男なんだって……俺に捧げられた多くの命、そのかけらほども、俺には生きている価値がないんだって、気づかされた」


 「……もう、やめてください……」


 「そして、もっとロクデモナイなのが、きっとそんなことをわかったうえで……自分のしていることがまた誰かを傷つけることがわかっているうえで、また同じようなことを俺はする。……いや、現にしてしまった。アルルに一度、たしなめられたばかりだというのに」


「それ以上、何も言わないで……。私は……私たちは……」

 

 私たちは……

  そんなことをあなたに言わせるために……

   命を燃やし、あなたを生かしたわけではないんです……

 

 あなたが自分のことを好きになれるまで……

  そんな素晴らしい日々があなたの元に訪れる時まで……


 あなたに生きてほしいから……

  あなたにずっと生きていてほしいから……


あなたの為になら傷ついてもいいと、命さえ捧げてもいいと本気で思ったから。

 皆、あなたのことが大好きだから、そうしただけなんですよ。


 「……あのですね、イチジさん……」


 そう伝えようと。

 それだけは何としても言ってあげなければと。


 そうしなければ、彼はまたどこにも救いの見つからない、暗い澱の中に沈んでいってしまうような気がしてならなかった私が開いた口……。

 

 「……だから、アンナ……俺の傍にいると……君のことも……きっと俺は……ま……た……」

 

 シュゥゥゥゥゥ……

 

 「え?」


 そこから紡がれたのは、ただ疑問符付きの一文字だけでした。

 

 ポフ……


 「え?え?え?」


 「…………」


 気を失ったのが先か?

 それとも鱗が引いたのが先か?


 正直、どちらとも言えないタイミングでしたが、とにかく何の前置きもなくイチジさんの腕から朱色の輝きと意識が失せ、力なく彼の頭が私の胸へと傾いできました。


 「ディ、≪解呪ディスペル≫……」


 慌てて魔術の拘束を解き放つと同時に、今度は頭だけではなく、体ごと倒れ込んでくるイチジさん。


 ただでさえ成人男性の大きな体です。


 グッタリと全体重がのしかかってくる重さは、いくら日頃から鍛錬をしている私でも支えきるのは難しく、そのままペタリと床に座り込んでしまいます。

 

 はい、もちろん。

 

 私の胸に顔をうずめ、イチジさんがしな垂れかかってているままに。


 「ちょ、え?い、イチジさん??」


 「…………」


 「え?なに?ど、どういう状況?」


 「つがいのオスとメスがイチャイチャしてるじょーきょーだゾ」


 「つがっ!!……って、ココさん!?」


 「うん、ココだゾ」


 ユラユラと尻尾を揺らし、ピコピコと耳を動かしながら。


 離れた場所で青年の容態を看ていたはずのココさんが、傍目からは愛し合う男女が仲睦まじく抱き合っているようにしか見えない状況にあるということを、屈託のない口調で説明してくれました。


 「あのですね、こ、これはですね、あれなんです。い、いわゆる一つの……」


 「『おおばぁふろぉ』」


 「え?」


 「おにぃさんもゼノ君も、おおばぁふろぉが落ちついたから気をうしなっただけ。しんぱいないんだゾ、おねぇさん」


 「……はい、そうですね。呼吸も穏やかですし……よかった……」


 ココさんの言う通り、落ち着いてみればなんのことはありません。


 目を瞑り、規則正しい寝息を立てているイチジさん。


 密着した体からは確かな心臓の律動が伝わり。

 鼻先が埋まった胸には温かく湿った息がかかります。


 散々、無謀の限りを尽くし、挙句に『獣化』というか『ドラゴン化』まで果たすくらいまで大いに人間を踏み外していたというのに。


 「……ホント……これは反則ですよね……パクさん……」


 その寝顔は、まったく穢れのない無垢の子供のそれを思わせるくらいに可愛らしいものです。


 普段はあれだけ無表情だというのに、意識がない時の方がよっぽど感情表現が豊かなのが不思議です。


 本当にわかりやすい。


 なんて穏やかな顔をして、なんて安心しきった顔で人の胸の中で眠っているのでしょう


 これではまるで、私が傍にいることに心からの安息を感じているみたいではないですか。


 これではまるで……。



 ギュ……



 さきほど言いかけた、突き放そうとする言葉とは裏腹に、『ずっと傍にいて、時々こんな風に抱きしめてくれないか』と言っているみたいではないですか。

 

 「……雨に打たれた子犬……あなたの場合、野良犬と表現した方がいいですかね」

 

 「わんわん♪♪」

 

 「そう、わんわんです。寂しいくせに辛いくせに、素直に誰かの温もりを信じられない、信じる資格なんてないんだと頑なになっている、可哀そうな野良犬です……」



 ギュ……



 私は一層強く、イチジさんの頭と体を抱きしめます。


 その人生、その生き様。


 いいえ、もっと単純に、男という性別や三十歳という年齢のせいでもあるかもしれません。


 起きている時には、まず絶対に甘えてこないであろう彼のことを、今だけは存分に甘やかしてあげましょう。


 そしてその役割は、本来、私のものではないのでしょう。


 姫様か、あの眷属たる幼女か。

 はたまたまだ知らない誰かであるのか。


 なんにせよ、目覚めている時の彼がこんな風に穏やかな心のままで他者に身を委ねることができる存在が、きっといつかあらわれることでしょう。


 ……そう思うと、少しだけ彼の体温を感じる胸の奥の部分がチクリとします。


 これは彼女の痛みか。

 それとも私自身の痛みか……。


 もう、どちらでもいいような気がします。


 だって、私と彼女は同じ魂を有するもの。

 そして、同じ人に対して同じ恋心を抱いたもの。


 パクさんの想いに共感したものではなく、これは紛れもなく私の恋心。


 それだけがわかっていれば……いいではないですか。


 それに……です。


 「イチジさん……」


 こうして現在、胸を貸しているのは他の誰でもなく、この私。


 いつかあらわれる彼の想い人でも、かつて彼を想って華々しく散っていった彼女でもなく。


 今、彼を抱きしめてあげられるのは私だけ。


 そのことが。

 ただ、それだけのことが。


 こんなにも誇らしく、そして嬉しく思う私は。


 やっぱり、愚かで浅はかな女なのかもしれません。


 そして……願わくば。


 いつかあらわれる彼の想い人にもなることができたらいいなぁとも思っているのですから、どうやら欲深な女でもあるようですね。



 ピキィィンンンン……



 「…………」


 何を似合わない乙女的な感傷に浸っているのだとでも言いたげに、なんとも無粋な横やりが入ってきます。


 通信魔術≪テレ・パス≫。


 『白光』の魔属性に属する、思念を光として飛ばす高等魔術。


 魔力の消費量こそ少ないものの、離れた相手の座標指定や描く言葉一文字一文字に魔力をのせなければならないなどの繊細な作業であったり、通信の際は、常に互いに送受信の為のチャンネルを頭の中に別箇に開設しておかなくてはならないという使い勝手の悪さ。


 姫様が、それをより汎用的かつ実践的にする魔道具を開発してくれていますが、それが一家に一台、一般家庭に据え置かれるような時代はいつやってくるのやら……。


 「おねぇさん?」


 「……なんでもありませんよ」


 「なんだか、馬にけらせて殺してしまおうかという顔をしてるゾ?」


 「さすがですね、ココさん、鋭いです。……馬どころかドラゴンか獣になったゼノさんにでも蹴られてズタズタに引き裂かれればいいのに、くらいには思っている相手からちょっと通信が入りまして……」


 「ゼノ君、起こしてくる?」


 「……いいえ、彼もまた疲れているでしょうから……」


 そうして私は、頭の中で回線を開きます。


 『……こちら、ベルベッ……』


 『ひゃぃぃぃぃぃんんん!!!』


 『……は?』


 『や、やめないか!そ、それ以上はひゃぃぃぃんん!!!』


 ……えっと。


 これは何なのでしょうか?


 いくら奉公先の王族であり、次代のラ・ウールを担うであろう第一王子であったとしても、極力関わり合いになりたくない部類の人間から、わざわざ面倒な魔術を使ってまで、どうして私は卑しい喘ぎ声を聞かされなくてはならないのでしょう。


 『……ナルル様?』


 『お、おおお、ベ、ベルベットか?まったく、お前は今まで何を……』


 『アンナですの?』


 『え?姫様ですか?』


 私とナルル様を繋いだ回線から割り込むように零れてきた思念。


 その人生、その生き様。


 その高潔な在り方そのもののような美しく澄んだ声を間違えようもありません。

それは私が専属でお仕えする尊い人。


 アルル=シルヴァリナ=ラ・ウール第一王女様です。


 『よかった、無事でしたのね?』


 『え?は、はい』


 『イチジ様も一緒なのですよね?彼は?』


 『はい。今はその、色々とありまして眠っていますが、イチジさんも無事です』


 『……イチジさん?』


 『?はい、全身に傷を負ってはいますが、イチジさんは今、私の胸でスヤスヤと……』


 『……なるほど、随分イチジ様と仲良くなられたようですわね、アンナ?』


 『はっ!?いえいえいえ!!その、違います!違うんですよ、姫様!!』


 『……まぁ、その辺りは帰ってきてからゆっくりと話してもらうとして……』


 『ちっ……やり損ねたかあの獣人め。なにが何でも屋はぁぁぁんん!!』


 『おいおい、誰が勝手に思念を飛ばしていいと言ったんじゃ?んん??』


 『や、やめ!!いたいいたいたいた……』


 『いいですわよ、リリラ=リリス。もっと痛めつけてあげてくださいまし』


 『もちろんじゃ。我のマスターの命を狙ったその罪。こんなものだけであらい流せるとは思わぬことじゃ、にょっほっほ』


 『…………』


 聞き覚えのある幼女の思念まで入ってきましたが……一体、私のいない王宮で、本当に何が起こっているのでしょう?


 『とりあえず、アンナ?そちらに迎えを送ります』


 『……助かります。戦闘の危険はありませんので、医療班だけお願いできますでしょうか』


 『わたくしも一緒に行きたいところなのですが、いささか野暮用がありまして』


 『我もマスターの元に駆けつけたいんじゃが、ちょっとした雑用がありまして』


 『……わかりました』


 『ベ、ベルベットぉ!たす、たすけ……(プツン)』



 「…………」


 「おねぇさん?」


 「馬やドラゴンよりもよっぽど怖いお二人に蹴られているようですね……」


 「???」



 しばらくの後。

 姫様の派遣してくださった医療班が到着するまでのほんのもう一時。


 私は、イチジさんの寝顔を眺め続けました。


 こんな身近でこの愛らしい顔を見られる機会が、またあるのかどうか……。


 冷静に考えてみると、恋敵が姫様ということになってしまのでは?と頭によぎり、何やら複雑な気持ちになってしまったので、あえて冷静な自分を無視することにしました。


 助けが来るまでの、この一時だけ……あなたは私のものなのです。

 

 本当に、本当に、わずかな時間。


 天井の穴から丸く注ぐ陽光に照らされた私は。


 誰はばかることなく愛に溺れ、金色に輝く。


 日向の花になれるのですから……。



               @@@@@


 そうして王宮へと帰還した私。


 イチジさんとゼノさん、ココさんの身を王室医療団に任せたその足で、一連の報告……というていの抗議をするべくナルル様の私室へと出向きました。


 ……そしてノックをするまでもなく、半ば開け放たれた扉の奥で展開されていた光景をそのまま述べるとなると……。

 

 「くっ!殺せっ!!」


 と、毛足の長い絨毯の上で四つん這いになって身もだえているこの国の第一王子。


 「ええ、やります。やってやります。さながら姫騎士やエルフに対するオークのごとく、無慈悲な鉄槌をくれてやりますわ、お兄様」


 と、実の兄のお尻を踏みつけながら、そう高らかに言い放つこの国の第一王女。

 

 「ほれほれぃ、これか?これが欲しいのかぁ?卑しいブタめぇ。悔しかったらさえずってみるがよいのじゃ」

 

 と、一国の王子の鼻の穴に、よくわからない棒状の何かを差し込んでいるこの国の始祖。


 ……まぁ、ようするにです。


 パタン……


 私が静かに扉を閉め、すべてを見なかったことにしてしまいたくなるほど。

 凄惨なありさまだったということなのです。



 ……さて、私も自分の治療がてら、医務室にイチジさんの様子を見に行きましょうかね。



 私だけの彼である時間は、もう少しだけ延長されたようです。




 RHASE:01 眼鏡の才女  


         ↓

 

 RHASE:02 囚われの姫君


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