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聖勇者レアを通り過ぎる破滅の誘惑

【女神】ルシールと同じく、【聖勇者】レアにも変調が起こっていた。


「おほほほ」

「うふふふ」


 男子寮と違いお茶会をするための場があちこちにあるため、お茶やお菓子の臭いが漂うことが多い女子寮で、令嬢たちの笑い声が響く。


「シルバー伯爵家の殿方を見ました?」

「とても雄々しい方ですわね」


 そんなお茶会は、彼女たちが実家にいた時とはかなり違う様相だ。

 年頃の異性が集まる学院なのだから、その容姿や能力を評価をしてしまうのは男女関係ない性であり、時には少々はしたない会話が飛び出すことだってある。


 公爵家の令嬢、聖勇者レアも付き合いでそう言った場にいた。


「レア様?」

「あ、ごめん。ちょっとお茶の味を堪能してた」


 令嬢の一人が、ぼーっとしていたレアに声をかけると、彼女ははっとしたように身動ぎする。


「そういえば婚約者が学院にいるんだってね。雄姿を見届けてる?」

「お恥ずかしいですわ」


 レアはなにかを誤魔化すように、一人の令嬢に声をかけた。

 婿養子を探すために品定めをしている者がいれば、学院に通う前から婚約者を持つ者だっている。

 そして本来なら、公爵家の生まれであるレアにも、婚約者の候補者くらいはいてもいい筈だが、以前にも述べた政治的ゴタゴタで棚上げになっていた。


(兄さんはかなり無茶を考えている節がある)


 もう一点、話を更にややこしくしているのがレアの兄。次期公爵家当主だ。

 レアが己を退けて、女ながら公爵家を乗っ取るのではと真剣に警戒しているこの兄は、レアが王家に嫁いでもその次男あたりが、やって来るのではないか。光の灯教の看板になっても、なにかの拍子に子供を産んで、やはり自分の血脈を脅かすのではと、途轍もない恐怖を感じていた。


(流石に私が男爵や子爵に嫁ぐなんて無理なことは分かっている筈なのに、どうも画策してるような……)


 レアはこの酷く仲が悪い兄が、レアの嫁ぎ先に男爵家や子爵家を望んでいるのではないかと思っていた。

 そうすればレア自身は政治の中心から離れ、公爵家との縁も薄くなり、交わった血統からして彼女の子が公爵家に戻るのは限りなく低くなるだろう。

 勿論、その兄とて王家と光の灯教が絶対に阻止するのが分かっている筈なのに、そんなことを画策しているのは、理屈を超えた恐怖に駆られた故の行動だ。


(人生っていうのは上手くいかないなあ)


 レアにも罪悪感があった。

 兄は公爵家の跡取りとして育ち、能力も十分にあったため不安を感じることはなかっただろう。

 しかしレアが聖勇者の称号持って生まれたことで全てが変わった。

 レアが何をしても称号は彼女を補佐して兄を上回り、全ての注目が集まったのだ。結果的に兄は公爵家の跡取りから、聖勇者より先に生まれた存在に転落し、誰もが気にしなくなった。

 つまり兄にすれば、既に自身の立場を乗っ取られているのだから、恐怖を感じるなというのは無理だ。


(それでもいいような気がしてきた。政治の中心から離れて、誰かとゆっくり生きて、ルシール様、リズベットとお茶を飲んで……そうすれば兄さんも安心する筈)


 短い期間でレアの思考がかなり変わっている。

 自分の人生は自分で決められず、なるようにしかならないと思っていたのに、それが今では別の人生を望んでいた。


(言ってあげようかな。王家に嫁ぎません。光の灯教の看板にもなりませんって。そうすれば兄さんも、初めて笑顔を見せてくれるかもしれない)


 蠱惑的な破滅への誘いが頭をよぎるが妄想と同じだ。

 その筈なのに……。


(本当にそれでいい気がしてきたけど、棚上げされてる閨の作法なんて言い出したら大事かな?)


 どうにも誘いが頭から離れず妄想が膨らむ。

 血を次代に残す義務があるため、閨の作法は淑女教育の一環だったが、表向きは清貧と貞淑を求める光の灯教に配慮して、レアにはその類のことが棚上げされていた。

 そのためもし彼女がそれをつつき始めると、レアの父はぎょっとして大騒ぎするのは目に見えていた。


「レア様、ひょっとしてお体の調子が……」

「え? あ、ごめん。どうもちょっとね」


 レアの破滅的な思考と黙っている姿が合致した結果、酷く疲れているように見えたのだろう。お茶会に出席していた令嬢が気をつかうと、聖勇者は儚げに微笑んだ。


「わたっ……ごほ」

(危ない! なにを言いかけてるんだ! 私にもいい人がいたらなとか言えば、ハチの巣をつついた騒ぎになる!)


 うっかり爆薬に着火しそうになったレアが、慌てて咳払いをして誤魔化す。

 もしこれでレアに婚姻の意思ありと伝われば、王家や最上級の公爵家の跡取りが、学院内で次々にやってきて、光の灯教の司祭も意図を問いただしに来るだろう。

 それが現在の聖勇者、レアの立場だ。


「少し早いけど、休ませてもらうね」

「はいレア様」


 妙な誘惑と自制心の緩さに危機感を抱いたレアは、一足先に自室に戻りベッドに倒れ伏す。

 何処かの誰かを求めて無意識に布団を丸め、それに抱き着いて……だ。

 腕で抱きしめ、体をこすりつけ、脚を絡み付かせる。


 溶けた様な吐息を聞いた者はいなかった。

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