リリ脱出
カイエンとフードの男が近づいてきてリリを見下ろした。リリは逃げることも出来ずにうずくまるしかない。
フードの男はリリに見覚えがあった。
「この女、賢者の専属メイドですよ。半年前に賢者と一緒にバリアントに来たはずです」
「ほう? つまりアレイスターが近くに来ている可能性があるのか」
リリは思わず顔を上げた。フードの男に既視感はあったが、リリを知っているのならバリアントにいた人間だったのか。
「私を知ってるの? あなた誰?」
「知ったところでお前は死ぬだけだがな」
男がフードを取ると、そこにいたのはバリアントから消えたニックだった。
「レミリアを連れてきた役人……」
「お前らには危うく捕まりそうだったよ。ノイマンのジジイがしつこく探ってきやがったからな」
ノイマンの予想通り、ニックは奴隷商人の関係者だった。姿をくらましてから、アルミダに帰っていたのだ。
「あのポンコツ魔族のせいで計画が台無しにされて大変だったんだ。恐らく魔力が足りなくて術が発動しなかったんだろうけど、魔族のくせに魔力が無いとかほんとゴミ屑だよ」
「フェイ! 喋りすぎだ……」
「すいません!」
ニックの発言は完全に自白といえた。この状況でリリから漏れることはないと、たかを括って油断している。
しかし、ニックはベオウルフの状態を理解していないようだ。リリにもアレイスターの言うベオウルフの内部の闇の魔力というのは良くわからなかったが、たいした術者ではなさそうなので、レミリアに罠を仕掛けたのは別の人間なのだろう。
そしてカイエンはニックのことをフェイと言った。どういうことかわからないが、無事に帰って全てアレイスターに報告しなくてはならない。
「この女は万が一にも生かして返すわけにいかないな。アレイスターを封じる餌にしても良かったが、すぐに消すぞ」
「わかりました。へへ、少し勿体無いですが」
ニックは下衆な目線でリリをみる。クォーターエルフのリリはかなりの美人さんで、レミリアのように貧相でもないのだ。
「馬鹿者。聖職者たる俺の前でそれは許さないぞ」
「じゃあ一思いにやりますか」
「手負いとはいえ、油断はできん。俺がやろう」
(このままでは殺される)
リリは切り札を使う決断をした。
(アレイスター様、申し訳ございません)
心の中でアレイスターに謝罪すると、意識を集中する。リリの身体が風の魔力に満たされる。
「なんだ!? 貴様、何をしている」
カイエンがリリに掴みかかろうとすると、リリは飛び起きてカイエンの顎に向けて拳を繰り出す。カイエンは咄嗟にのけ反るが鋭い攻撃がカイエンの頬を切り裂いた。カイエンがカウンターとばかりに掌底を繰り出すがリリはそれを避ける。
二人の殴り合いになった。リリの打撃は全てカイエンにガードされ、カイエンの攻撃はリリが全て回避する。
(だめだ、強化しても丸腰で勝てる相手じゃない)
リリはカイエンと距離を取り、壁際に落とした短刀まで跳躍すると、短刀を拾い上げた。
「フェイ、足止めできるか」
ニックが杖を構える。また麻痺の魔法を使うつもりだ。
リリはその場で短刀を2、3回振った。
無詠唱で『ウインドカッター』が放たれ、ニックの指ごと杖を弾き飛ばした。
まさか魔法が飛び出してくると思わず、シールドを張り損ねたのだ。
「ぎゃあああ! 指が! 指が!」
「あの短刀は魔導具か!!」
リリが短刀『風切りの刃』を構えると、カイエンも身構える。
リリは反転して入り口にダッシュすると、入り口を塞いでいた柵をバラバラに切り裂き、そのまま階段を登って外に飛び出した。
カイエンは呆気に取られた。リリの動きは速すぎた。自分ですら組み手でガードするのが精一杯な程に。
「あれは身体強化の魔術か何かか? まさか取り逃がすとは」
かなりの情報を掴まれたまま逃してしまった。奴らは口実を得てエテメンアンキに乗り込むだろう。
ならばここで戦うよりエテメンアンキで迎え撃とう。カイエンはそう判断した。
「フェイ、いつまでそうしている。さっさと止血してここを離れるぞ」
「うぐぐ……わかりました」
「奴隷共は奴隷商人に全て渡しておけ。私の部隊は全員エテメンアンキに帰還する。それから……」
カイエンはニックに耳打ちした。
リリは外に出ると追手が無いことを確認しながら、再び認識疎外魔術を使い街中まで戻った。
(逃走なんかに使うことになるなんて……)
リリは悔しかった。深追いして雑魚に構って油断していたら、まさかあんな強敵が現れるなんて。
リリが使ったのは父から受け継いだもう一つの能力。根源に普段から魔力を蓄積しておき、任意で全て消費して身体強化する魔術。
使う時一度に全消費してしまうことしかできないので、いざと言う時のとっておきだったのだ。
死んでは元も子もないので、アレイスターは咎めないだろうが、先に戦いが控えているのに逃走に使うのはもったいない。
無尽蔵に蓄積できるわけではないので強化にも上限がある。今のリリでは3か月くらいで魔力が溢れる。それで普段の5倍くらいの能力になる。
しかし、この力でもカイエンという男に攻撃がクリーンヒットしなかった。多少押してはいたが、持続時間があまり長くはないので勝てたかどうかわからない。
考えながら歩いていると教会の辺りまで戻ってきた。
まだ日は落ちていないので、リリはどこかに身を隠して時間を待つことにした。
木陰に身を隠すと、そろそろ術の効果もきれてきたようで、カイエンにやられた打身が痛んできた。リリは回復のため少し眠りについた。