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深夜に台所に立つ理由


5月が終わり、6月がやってきた。

過ごし易い季節は終わりを告げて、周囲は少しずつ夏へと変わっている。


陽射しは暑く、風は生温い。

屋上に来た私は顔を顰めて、手で覆いながら太陽を見上げた。


「そろそろ夏か…嫌な季節だな…」


正直に言うと夏は苦手だ。


寒さは着ればなんとかなるが、暑さは脱いでもどうにもならない。

裸になっても暑いものは暑いし、そもそも仕事場ではそんな事は出来ない。

自室であればやっても良いが、そこは完全に自己責任でとなる。


だが、苦手だ嫌だと騒いでいても、自然の掟には到底逆らえない。

今年も例年通りに耐えて、冬の到来を待つしかないだろう。


二階に続くドアを閉め、私は屋上の縁へと向かう。


「(暑さで爆発しないだろうな…)」


と、一瞬緑のシートを見るが、その辺りの事は計算済みと、ホルグを信じて気にしない事にした。


「いやぁ…しかし、良い眺めだな…」


縁に立って景色を眺める。

ここからの眺めは絶景である。


左右の森、正面の道。


背後には生憎出入口があるが、それを除いても最高の場所だった。

折も折、森の木々は夏に備えて緑に映えており、美的感覚に乏しい私でも、見ていてとても心が和んだ。


「ん…?」


そんな中にあるものを見つけ、私は両目を細める事になる。

場所としては出入口の左方向の森の中に、小屋のような物が作られていたのだ。


それは木の枝の上にあって、よくよく見なければ発見できない。

私の場合は本当に、たまたまそこを見ていたからこそ、運良く発見できただけだった。


直線距離なら300m程。


大きさは多分私の部屋程か?

まぁ、とにかく一室だけの、簡素な作りの小屋だと思われた。


「先生チィーッス!そんな所で何やってんすかぁ~?」


右手の方から声が聞こえる。

見るまでも無くフェネルの声なので、「休憩中だ」と声を返した。


「まーたルニスさんにブン投げですか!クーデターが起きますよクーデターが!」


そんな声が聞こえた後に、玄関が閉められる音が聞こえる。

返事を待たずに入ったのだと思い、私は一人で「やれやれ…」と言った。


ルニスにブン投げ。

これは合っている。


合っているが実際には、今は全く仕事が無いのだ。

何よりまず設備が無いし、薬もブッチャケ風邪薬位しか出せない。


風邪薬と言っても実の所はそういう薬は存在しないので、解熱薬と栄養剤をいくつか所持しているだけである。


必然的にこちらから患者を呼び込む訳には行かず、支援してくれた患者達に再開した旨は伝えていない。

玄関の前には看板も無いので、一見さんには医院と分かるまい。


まぁ要するにブン投げられたルニスも暇を持て余しており、ブン投げた私はそれ以上にやる事が無くて困っているという訳だ。


開店休業とはまさにこの事。


森を見つめて「ぽけーっ…」としていると、例の小屋に何かが降り立った。


「(鳥か…?)」


と思うが少々デカい。

良く見ようとして両目を細めると、あちらがこちらを見たような気がした。


まさか見えるとは思わないので、驚きはしたがそのまま見つめる。

すると、「それ」は小屋から飛び立って、こちらの方に飛んで来たのだ。


「バレたか…?いや、別に、何も悪い事はしていない…よな?」


そうは思うが少々焦る。

見てんじゃねー!!と逆切れされたら、私はおそらく「はぁ…」としか言えない。


それにもし、好意的でなければ、何気にこの身が危ういかもしれない。

防衛の為にガルガンチュアを見たが、これは流石にやりすぎである。

ホルグの言った通りになれば、相手はミンチで森は火の海だ。


故に、それでの防衛は諦め、念の為にと少し移動した。

出入り口の近くに立った上で、相手の出方を伺おうとしたのだ。


だが、すぐに分かった事は、相手は敵では無かったという事だった。

黒い髪に黒い服、イケメン顔にゴーグルをつけた、フォーリスと言う名の青年だったのだ。


屋上の上に降り立って、「久しぶりだな」とフォーリスは言った。

私が「ええ…」と困惑して返すと、フォーリスは「ずい」と箱を出してきた。


縦横の長さは40㎝程。

高さはおよそ30㎝と、週刊誌を分厚くしたような感じである。


「引っ越しの挨拶だ。受け取ってくれ」


謎ではあるがそれを受け取る。


「開けてみても?」


と、質問すると「ああ」と言ったので蓋を開けた。


第一声は「ひぃ!?」というもの。

効果音は「ズギャアアアアン!」で間違いない。


中身は何かの幼虫だろう、白く細長い虫であり、大量のそれが箱の中で「ウネウネウネウネ」と動いていたのだ。

良く落とさなかったと自分を褒めたいが、その顔はおそらく凍り付いていた。


「煮て良し、炒めて良し、そのまま食べて良し。特上ランクのゴールモールだ。まぁ、遠慮せずに受け取ってくれ」


バードマン(鳥人間)にとってはご馳走なのか、フォーリスは至って真面目な顔だ。


「はぁ…」


と言ってとりあえず受けたが、この蓋が再び開く事は無いだろう。


「そう言えば、引っ越しと言いましたが、もしかしてあそこに引っ越して来たのですか?」


それはそれとして闇に葬り、疑問に感じた事を聞く。

フォーリスは質問に「ああ」と答えて、少し考えてから「引っ越しと言うよりは」と続けた。


「転勤だな。本部からこちらに異動となった。良い機会だから役職を話そう。俺はアーファブル大陸連盟、略して、ア連で諜報部隊長をしている。黒づくめなのはその為で、矢を受けるのもそのせいだ」


突然のカミングアウトであるが、最後の部分はそれでも謎だ。

理由は多分匍匐前進だが、彼の理論では諜報=矢を受けるのは必然、となってしまうらしい。


だが、そこはスルーして上げたいので、私はとりあえず「そうだったんですか」と返した。


「しばらくはこちらに居ると思う。これからは気安く付き合ってくれ」


言われた為に「ええ」と言い、今後の話し方を気遣う事にする。


「ちなみに、そのア連ですか、そこのリーダーはピンクの髪の?」

「ああ、名前は知らんがな。顔もマスクで隠しているし、怪しいと言えば怪しいんだが…」


私が聞くと、フォーリスは言った。

言葉の後に「ふふっ」と笑い、


「彼女の行動は信頼に値する。そこを詮索するつもりは無いよ」


と、先の言葉にそれを加えた。

どうやら信頼を得ているようなので、そこには私も安心をする。

おそらく、先の戦争の責任を取る為に頑張っているのだろう。


「あ、ケツ矢の人だ」


そこでフェネルが現れたので、会話を中断して2人で見つめた。

なんちゅうあだ名だ、と、思いはしたが、「こら!」と叱っては対象がばれる。

なので私は「何だそれは…」と誤魔化して、フォーリスの名誉を守ろうとした。


「ケツ矢のフォーリスだ。近くに引っ越してきた。君もよろしく付き合って欲しい」


が、本人が認めた為に、その気遣いは無駄となり、言われたフェネルも「受け入れちゃうの!?」と、懐の広さに動揺していた。


「後に4人程があそこに着任する。少し騒がしくなるかもしれないが、その点はどうか容赦をして欲しい」

それを無視してフォーリスが言い、私が「はぁ…」と言葉を返す。

聞いたフォーリスは去ろうとしたが、何かを思い出して翼を畳んだ。


「一応先生にも伝えておこう。最近、大陸の魔物達の中に、何者かと結託して動き出した者が居る。この間のケンタウロスもそうだが、そういう連中が増えて来ている。何者かの正体は今の所不明だが、俺達のリーダーは最近出来たアブディクル帝国の王を疑っているようだ。先生にどうしろという事じゃないが、一応、記憶に留めておいてくれ」


そして、私にそう言った後に、黒い翼を再び広げた。


「アブノーマル帝国?ロリコン共和国的な?」


漫画の話と思ったのだろう、フェネルには「まぁな…」と嘘をついて、フォーリスの背中に「分かった」と返す。

フォーリスは最後に「ではな」と言って、西の空へと羽ばたいて行った。


「(結託する魔物と新しい国か…果たして本当に結びつきがあるのかな…)」


心で呟き、息を吐く。


「センセーこれなんなんですか?避雷針的な何かですか?」


聞かれた為に振り向くと、ガルガンチュアのシートが取れていた。

フェネルはその上でそれを眺めて、迂闊にも色々と触っていたのだ。


「だああああああああああ!!?触るなぁ!それには触れるな!大量殺戮者になりたいのかこのバカ者が!」


慌てて駆け寄ってフェネルを引きはがし、あまりの勢いにフェネルが転ぶ。


「何するんすかぁ!?」


と、フェネルはキレたが、私は構わず説教を続けた。


「良いからこれだけには絶対に触るな!フリじゃないぞ!裏返しでも無いからな!分かったらホラ!さっさと下に行け!」

「な、何なんすか一体…マジになっちゃって…」


叱るとフェネルは渋々と、仕方が無しに足を動かした。


「…ああ、ついでにこれを持って行け。開けずに裏庭にでも捨てておいてくれ」


すれ違い様に箱を渡し、退かされたシートを再びかける。

フェネルはそのまま出入り口に行き、しばらくしてから悲鳴を上げた。


「(やはり開けたか…)」


と思った後に、戻る為にと出入り口に向かう。


「なあ!?」


そこには投げられた箱が落ちており、階段上には「うねうね」と、白い虫達が徘徊していた。


まさに二度手間、要らぬ事である。


私は泣く泣くそれを集め、箱の中へと戻して行った。




その日の午後に客がやって来た。


見た目の年齢は25前後の、夫婦と思われる男女であった。


男の方の髪は茶色。短めで、髪型はごくごく普通だ。


女の方は紫色で、長い髪を後ろでまとめ、左の肩から前に出していた。


私は彼らを応接間に通し、手前のソファーに座って貰った。

そして、自分は奥に座って、訪ねて来た理由を問ったのである。


「俺達はディザン王国のファンドという村から来ました。俺の名がロイで、こいつがレミーです」

「ああ、イアン・フォードレードです。挨拶が遅れて申し訳ありません」


男、改めロイが言うので、そこで私も自己紹介する。

聞いたレミーが礼をしたので、それには私も礼を返した。


「先生の事は噂で聞きました。治療だけじゃなく、困っている事も解決してくれる何でも屋とか」


ずばり言われると悲しいものだが、否定は出来ないので頷いておく。

正しい場所に来れたと思ったか、二人はそこで顔を見合わせて、「良かった」と言って微笑み合った。


これで黙られたら悶絶モノだが、話はきっと終わってないはず。

好奇心を押し殺し、話の続きを黙って待った。


「実は今、ファンドの村で奇妙な事件が起こってるんです」


続きが聞けたのはそれから数秒後。

当然の疑問に「それはどのような?」と聞いてみる。


「血が何者かに吸われているんです。50人以上が吸われました。10日程前にはついに死者が出て、どうにかしようという事になったんです。でも、俺達じゃ何も分からなくて、こういう事に詳しい人に調べて貰おうって事になったんです」


直後に浮かんだのはヴァンパイアだが、そうだとしたら話がおかしい。

もし、ヴァンパイアに吸われたならば、死ぬか、眷属に加えられるか、或いは虚ろな状態になって単純作業しか出来なくなるはずだ。


死者は一人で、50人以上が現在普通に生きているとしたら、これはヴァンパイアである可能性は殆ど無いと言って良かった。


「あの…先生…?」

「あ、ああ、失礼」


考えているとロイが言ったので、それにはすぐに言葉を返す。

聞いて居たという事は分かったのだろう、ロイは直後に「いえ」と言った。


「現状で分かっている手掛かりはありますか?」

「そう…ですね…正直な所は殆ど何も…吸われている時間が夜中から未明にかけてという事くらいですか…」


聞くと、ロイがそう言った。

一応レミーに顔を向けて、「何かある?」と聞いている。

レミーは少し考えてから「何も無いわね…」とロイに言った。


「どうでしょうか…引き受けて頂けますか…?」


遠慮がちにロイが言う。

おそらく、情報の少なさに引け目を感じているのであろう。


だが、幸いと言って良いのか、私は現在、滅茶苦茶暇だった。

なので、それを2つ返事で受け、彼らの村に行く事にしたのだ。


「ありがとうございます!助かります!」


受けると言うとロイは喜び、レミーの手を取って「良かったな」と言う。

何やら事情がありそうだったので、私は彼らの関係を聞いてみた。


「あ、えっと…6月の末に結婚するんです…お腹の中にはもう赤ちゃんが居て…だからそれまでには解決したくて…」


答えたロイが「えへへ…」と笑う。

レミーも少し照れ臭そうだった。


「そ、そうですか。それはおめでとうございます」


順番がちがーう!!と、叱りたい所だが、それを押して彼らを祝う。

その後に私は立ち上がって、レーナに成り行きを話しに行った。


「分かりました。じゃあ、今回はついて行きますか?」

「そうだな、お願い出来るだろうか?」


成り行きを聞いたレーナが言ったので、念の為にと同行を依頼する。


「勿論ですよ。お願いされます」


と、レーナが笑って受けてくれたので、ルニスの元へと足を向けた。


「あ、センセーだ。キモイ虫はちゃんと片付けましたか?」


どこへ行ったかと思っていたら、フェネルはルニスとバトルをしていた。

机の上にマップを広げ、向かい合っての戦闘中である。


質問を無視して近寄ると、ルニスが顔をこちらに向けた。


「す、すみません…かなり暇だったんで…掃除でも何でもするべきでしたね…」


その言葉には「構わんさ」と答える。

建て直したばかりで床は綺麗だし、実際問題する事は無い。

患者が居たなら問題行為だが、こういう状況なら遊んでいても良いだろう。


そう思った私はルニスを叱らず、外出する旨と理由を伝えた。


「あー、じゃあボチボチやってます。もし荷物が届いたらテキトーに配置しちゃって構いませんか?」

「そうだな。全て任せるよ」


ルニスが聞いて私が答える。

返って来た言葉が「分かりました」だったので、それに頷いてから右足を動かした。


「ちょっと!どっか行くんすか!?」


直後のそれはフェネルの質問で、聞いて無かったのか、と思うが故に、私の眉間に皺が寄る。


「まぁ気にするな。飽きる程バトってろ。少々危険な香りもするし、どの道お前は連れて行けんよ」


言うと、フェネルは「えー!」と言って、露骨に不満げな表情をした。


「だってレーナさんは連れて行くんでしょぉ?だったら全然安全じゃないっすかぁ!レーナさんから離れませんし、先生と目が合う度にビクッとしてあげますから、今回は連れて行って下さいよぉ!」


続けてそんな事を言ってきたので、「意味が分からん」と返しておいた。


「いや、もし、どうしたの?って聞かれたら、「最近先生が僕に暴力を…」とか、怯えた瞳で言おうかなぁと」

「冗談でも言うな!洒落にならんわ!」


男の立場とは弱いもので、子供や女性には到底適わない。

嘘や冗談で冤罪にされる事は、いともたやすき事なのである。


それが分かるか分からないのか、叱られたフェネルは「けけっ」と笑い、その後に「だったら連れて行って下さいよ」と、足元を狙って付け込んできた。


まぁ、最近は大人しくしていたし、あまり相手をしてやらなかった。

そうも思う私はそれを「仕方が無いな…」と受けてやるのだ。


「その代わり、ちゃんと言う事を聞けよ?」


言うと、フェネルは「はい!」と返事した。

珍しく素直だな…と思っていると、直後に小さく「ある程度はね…」と呟く。


聞こえているんだがバカなのか。

いや、バカだから言うんだろうな…

私はそれで納得し、出発の為の準備に向かった。




私達はその日の内にゲートを通ってファンドにやって来た。

森に入ってから外に出るまで、ロイとレミーには目隠しをしてもらい、秘密は守った上での移動だ。

どういう事かと困惑していたが、二人は拒否せず協力してくれた。


そして、その結果としての時間の短縮には、相当驚いていたものだった。


ゲートがある森から歩いて1時間。


ファンドの村に着いた後には村長の家へと案内される。

直接来たのはロイ達だったが、許可を出したのは村長のようで、その人物に挨拶するのは筋だという事での訪問だった。


年齢はおそらく50くらいと村長と言うには少々若い。


だが、本人の紹介の中に、「父の後を継いだばかり」という言葉があった為に納得をした。

他にも色々と話を聞いて、彼もまた吸血の被害者だと分かる。


「犯人の顔は覚えていますか?」


と、一応聞いてみたのだが、前後の記憶が欠落しているようで、いつ吸われたのかすら分からないらしかった。


これ以上の情報は得られなかったので、礼を言って家を後にする。


「あいつが犯人なんじゃないですか?覚えてないって嘘くさくないですか?」


宿へと向かう道の途中で、フェネルが言ったので「うーん…」と唸った。

否定は出来ないが、肯定も出来ない。

要するに情報が足りなさすぎるのだ。


なので私は「まぁ、待て」と言い、結論を急がないように諭しておいた。


数分後には宿屋に到着し、村長の言葉がロイから伝わる。


その事により宿泊費がタダになり、ここを拠点にした捜査が始まった。


村の人口は600人程。


しかし、東西の要である為、行き交う旅人は意外に多い。

通りには流しの行商人も居り、犯人候補は無数に存在した。


私はまず地図を買い、それを片手に聞き込みを開始する。

どこどこで何があったと言われても、地元の事では分からないからだ。


「吸血被害があった家もチェックしておいた方が良いですよね?行動範囲が分かると思いますし」


流石のレーナには「そうだな」と言い、ついでに赤いペンも買う。


「墜落死人形のラックさんですって!惨死シリーズのNo1ですよ!ちょっと先生プレミアもんですよ!」


と、騒ぐフェネルにも「流石だな…」と思い、「そうか」と言ってスルーしておいた。


ちなみに値段は900リーブル。


悪ふざけのようなレベルのものに、払いたくは無い金額である。


「いや、「そうか」じゃなくて買って下さいよ!プレミアもんですよプレミアもん!」

「プレミアもんだかナニえもんだか知らんが、余計なモノを買う金は無いんだ。言う事を聞くんだろ?忘れたのか?」


あまりにしつこいのでそう言うと、「ちいいい」と言いつつも静かになって行く。


「じゃあレーナさん買って下さい…今度皿洗い手伝いますから…」


最終的にはレーナに頼み、「仕方が無いなぁ…」と買って貰って居た。

レーナのそれは優しさだろうが、フェネルを駄目にする甘さでもある。

故に、少し困っていると、「すみません…」と、レーナが謝って来た。


「い、いや、別に構わんさ。私に金が無かっただけの事だし、たまには恩を売っておくのも良いだろう」


実の所はそうは思わず、少々困っていた私であったが、レーナに嫌われたく無いが為に彼女への甘さを発揮するのだ。

聞いたレーナは「そうですよね!」と、安堵の表情を私に見せている。


「(人の事は言えんな…私も甘々だ…)」


と、苦笑いしながら反省し、地図を片手に歩き出した。


夜までに色々と聞いて回ったが、得られた情報は特に無く、吸血被害に遭った人達の家がいくつか記されただけだった。


ロイから聞いた話によれば、事件が起こるのは夜中から未明。

それを信じた私達は宿屋に戻ってその時刻に備えた。




仮眠から目覚めたのは24時前だった。

フェネルは未だに隣で寝ており、「うにゃうにゃ」と何やら寝言を言っている。


「(起こす必要は無いか…面倒なだけだしな…)」


そう思った私はフェネルを放置し、待ち合わせ場所のロビーに向かう。


「あ、おはようございま…じゃないや、お疲れ様です」


そこではすでにレーナが待っており、コーヒーを片手にそう言ってきた。


「先生の分もありますよ」


と、温めのコーヒーを勧めてくれたので、正面に座って口を付けた。


「ううん…苦いな…」


完全無欠のブラックである。

私の味覚はお子ちゃまなので、ミルクが無しでは少々辛い。

だが、目覚ましの為だと我慢して、顔を顰めてなんとか飲み干した。


「フェネル君はどうしたんですか?」


平気な顔でレーナが聞いてくる。

多分、同じブラックだろうに、レーナの味覚は大人のようだ。


「あぁ、面倒なんで置いて来た。起こしたら起こしたで騒ぐだろうしな」


カップを置いて答えると、レーナは「ですね」とそれに同意する。

その上で残りを一気に飲んで、私のカップを持って立った。


そして、カウンターの前まで行って、カップを戻してこちらに向かう。

行きましょう、という事だと受け取って、私もソファーから腰を上げた。


外に出ると当然真っ暗で、通りには人が誰も見られない。

軒先の灯りすら点いておらず、私とレーナは闇の中を月明かりを頼りに彷徨う事になった。


「吸血する魔物、というと、どういうものが挙げられるんですか?」


後ろからレーナが聞いてくる。

深い意味は無いのだろうが、おそらく少し気になったのだろう。


「まずは普通にヴァンパイアだな。有名なのはこれが一番だろう。それからラミアやエンプーサ。最近ではチョンチョンやチュパカブラ等という、珍しい魔物も見られるようになった。はっきり言って特定は難しいが、今回の事件は少なくとも、ヴァンパイアの仕業では無いと思う」


世間話の一環として、思いついた魔物を話す。

聞いたレーナは「なるほど…」と言い、「確かにそんな気配はしませんね」と、ダンピール独自の意見を発した。


言って無かったがダンピールは分かるのだ。

近くにヴァンパイアが居た場合には。


だからレーナが居ないと言うなら、この周辺にはヴァンパイアは居ない。

という事は犯人はやはりそれでは無いと言う事だ。


「ん…?」


自身の推測に満足していると、眼前の道を誰かが横切った。

薄暗いので良く分からなかったが、スカートが見えたので女性だと思う。


「行きましょう」


と、レーナが言ったので、追い越された後に背後に続く。

少し走って左に曲がると、女性はまだ前方に居た。


歩き方には不自然さは無い。

散歩と言っても理解は出来る。


だが、現在の時刻と性別は、自然と言って良い物では無く、疑問に思った私達は、彼女を捕まえる事に決めた。


「すみません!ちょっと良いですか!」


レーナが走り、女性を捕まえる。

少し遅れて私が追い付き、振り向いた女性の顔を目にした。


「れ、レミーさん…!?どうしてここに…?」


ロイの恋人のレミーであった。


「あ、こんばんは」


と、普通に言ったが、それすらも少し異常と言える。

まさかと思って口を見たが、血のりのようなものは見えない。

服にも、手にもそれは見えず、私は一先ず息を吐く。


「こんな時間に何をしているんですか?それこそ魔物に襲われますよ…」


言うと、レミーは「そうですね」と微笑んだ。

なんだかおかしいな、と、思いはしたが、外面的には異常は見られない。


「じゃあ帰ります」


と、直後に言ったので、それには短く「ええ…」と答えた。

レミーはその後に振り向きもせず、真っ直ぐに我が家に戻って行った。


「どうも怪しいな…」

「確かに仰る通りですね…疑いたくはないですけど…」


私が言って、レーナが同意する。

ロイの為にも疑いたくはないが、挙動があまりに怪しすぎる。


「少し、彼女を見張ってみよう。結果として潔白が証明されるなら、彼女にとっても良い事のはずだ」


その言葉にはレーナは「そうですね」と、反対せずに賛成してくれた。


それから私達は彼女の家に行き、しばらくの時間を見張る事にする。

幸いにもカーテンが閉まり切っておらず、そこから台所の様子が見えた。


角度的に足しか見えないが、私達にも好都合で(こちらもバレにくい)、とりあえずそこに居る事が分かれば、アリバイは十分に確保できた。


「(こんな時間に何をしてるんですかね?)」

「(うーん…何かの下ごしらえでもしてるんじゃないか?)」


時間が時間故にレーナが疑問し、想像の範囲内で私が答える。

結局、レミーは明け方近くの、太陽が出て来る瞬間まで台所に居り、太陽が頭を見せた頃にそこから移動して姿を消した。


「これで事件が起こって居れば、とりあえずレミーは除外される訳だな…」

「そうですね…」


言った後に二人で欠伸する。

それに気付いてお互いに笑い、休息する為に宿屋に戻った。




鍵を開けて部屋に入ると、フェネルはもう起きていた。

なぜ連れて行かなかったのかと大騒ぎするかと思ったが、


「あ、どうも…」


と言っただけで、フェネルは騒ぎを起こさなかった。

気持ちが悪いので「どうした?」と聞くと、「なんか体が怠いんです」と返してくる。


「怠い?風邪か?開けっ放しにして寝るからだ」


窓を閉めながら更に聞くと、「僕じゃないっすよ…」とフェネルは言った。


「おい、ちょっと首元を見せて見ろ」


まさかと思ってフェネルに近付く。


「キャア!先生に襲われるゥゥ!?」


と、僅かな抵抗を見せたので、「襲うか!」と突っ込んで首筋を調べた。


「なっ…やはりか…」


予測の通り、フェネルの首には4つの小さな穴があった。

何者かに血を吸われた証だ。

が、ロイの言った通り、特に害は無いようで、血を失った事による怠さだけが体に残るようだった。


「なんなんすか?どういうフェチなんすか?姉さんに報告しても良いんすか?」


それは駄目だ、と断って置き、私は一人で考える。


犯行時刻は夜中から未明。

私とレーナが居ない間だ。

その隙に窓を開けて侵入し、フェネルの血を吸ったのだろう。


ここは二階で、足場になる物も無い。

とするとどこかから持ってきたか、或いはそんなものを使わなくても、侵入出来るスキルがあるのだ。


カモフラージュとして窓を開け、鍵を開いて侵入した線もあるが、これは宿屋の利用者としては警備を信じたい所であった。


「(まぁ、何にしろ生きていて良かったな。レミーの潔白も証明された。少し寝てから聞き込みを開始するか…)」


そう思って体を横たえる。


「あれ?寝るんすか?」


と、聞いてきたので、「少しだけな」と言葉を返す。

フェネルは「ふーん…」と言った後に、ポケットの中からデッキを出した。


「(こんな所まで持ってくるのか…)」


少々呆れてそう思ったが、それで大人しくしていてくれるならと、何も言わずに両目を瞑った。


おそらく三時間程眠っただろうか。


目を覚ました時にはフェネルは居なかった。

カウンターに行って亭主に聞くと、1時間程前に出て行ったと言う。


奴にとっては三時間は長すぎた。


それに気付いて宿屋を出ると、表でロイとレミーに会った。


「おはようございます。朝ご飯はもう終わりましたか?」


聞いてきたのはロイだった。

それには「おはようございます」と挨拶を返す。

その上で「いえ、まだなんですが」と続けると、「良かった」と言ってロイは微笑んだ。


「チェリーパイを持ってきたんです。レミーの手作りなんですが、これがまた最高なんですよ」


なるほど、それの下ごしらえだったらしい。

断る理由は全くないので、「それはそれは」と言って受ける。


「下ごしらえも大変でしょう。ありがたく3人で頂きますよ」


何気なくそう言うと、レミーは「いえ」と言葉を返した。


「下ごしらえなんて殆どしません。焼くのに時間がかかるだけです。それも2時間位ですけど」


それから言って、「うふふっ」と笑うので、疑問で顔を顰めてしまう。


「あー…という事は早起きをして、朝早くから台所に立ったという事は…?」


聞くと、レミーは「いえ」と言う。


「3時間前に起きたばかりです。長旅で疲れていたのか、昨日はかなり早くに寝ました」


続けて言った言葉がそれなので、私は露骨に不審な顔をした。


「ど、どうしたんですか?何かレミーに怪しい所でも?」

「ああいえ…ちょっと、こちらの事です…」


ロイに聞かれてそう返す。

本当の所は怪しんでいたが、現時点ではそれは言わずに置いた。


「あ、先生起きたんですね」


そこへフェネルが姿を現した。

通りの向こうからやってきたので、やはりどこかに行っていたのだろう。


「じゃ行きますか」


近付いてくるなりそう言ったので、疑問の為に「は?」と言う。

すると、フェネルは「見つけたんですよ!」と、目を大きくして言ったのである。


「もしかして犯人か!!」


まさかの展開に私が驚く。

フェネルは「ええ!」と叫んだ後に、


「溺死人形のデキシーさんです!惨死シリーズのNo2ですよ!プレミアもんですよプレミアもん!」


と、がっかりするような言葉を続けた。

外出した理由はそれ探しだったらしい。


私は大きく息を吐き、「いい加減にしような」と、優しく言った。




犯人は未だに不明であったが、レミーの怪しさは増大していた。

その日の聞き込みで分かった事だが、被害者の家の中心地点に、レミーの家が含まれていたのだ。


それに加えて今朝の言動。


嘘だとしたら隠す事では無いし、本当の事なら尚更怪しい。


そう思った私はその日の夜も、レミーの家に張り付く事にした。


24時が過ぎた頃、レミーは家へと帰宅する。


今夜はロイがついていたので、おそらく今まで一緒に居たのだろう。

そして、そこからは昨日と同様に、台所の中に篭ってしまう。


「いっそ、玄関を叩いてみますか?起きているのなら出てきますよね?」


2時間程が経った時、レーナがそんな事を提案してきた。

私が見張り、レーナが叩いて、反応を見ようと言うのである。


「そうだな。やってみよう」


普通に良い案だと思った為に、許可を出してレーナに頼む。

レーナは「はい」と言った後に、玄関に向かって歩いて行った。


少ししてからノックが聞こえる。


窓際のこの場所でも聞こえるのだから、レミーに聞こえないはずは無い。


「(動かんか…)」


しかし、レミーは一歩も動かず、微動だにせず台所に立っていた。

ノックの音がもう一度聞こえる。


だが、結果は一度目と同様。

無視しているのか聞こえていないのか、兎も角レミーは動かなかった。


「どうでした?」


レーナが戻り、聞いてくる。


「全く動かん。根が生えたようだ」


事実を伝えるとレーナは唸り、「突入しますか…?」と、段階を上げて来た。

即座に「良し!」と言える程に、私の肝は据わっておらず、少々の間を無言で悩む。


「この際、白黒をはっきりさせましょう!怒られたら怒られたで、わたしがなんとか言い訳しますから!」


アグレッシブレーナが目覚めたらしい。

こうなると立場は逆転である。


「ああ…」


と言ってレーナに従い、窓がこじ開けられる様子を目にした。

割と「ガタガタ」と音が鳴ったが、レミーはそれでも台所から出てこない。


小さな声で「お邪魔します…」と言ったが、返されてくる言葉も無かった。

低姿勢で進んで台所に行き、レーナが「きゃっ」と小さく鳴いた。

すぐにも追い付いてそこを見ると、下半身だけがそこに立っていた。


腰から上は何も無い。

断面部分がむき出しである。


ただ、切られたという印象では無く、パズルのピースが離れるように、内臓と骨がそこの部分から綺麗に離れたと言う印象だ。


「ど、どういう事なんですか…?」


驚いた顔でレーナが言って、訳が分からず私が首を振る。

思い当たる魔物も居ないし、かと言って死んでいるという訳でも無い。


彼女はこの状態でも生存しており、朝になると元に戻る。

という事は今、上半身は一体どこに行っているのか。


「まさか!!?」


思い当たるのはフェネルであった。


連夜で来ると言う証拠は無いが、来ない言う根拠も同様に無い。

そう思った私は家を飛び出し、宿屋に向かって全力で駆けた。

すぐ後ろにはレーナが続き、「どうしたんですか!?」と質問してくる。


「フェネルが危ないかもしれん!あくまで予測だが!」


それだけを返して更に駆け、5分程で宿屋に着いた。


「なっ…」


直後に私は絶句する。


窓から何かが飛び立ったのだ。

それは、背中に翼を生やしたレミーの上半身であった。


血を垂らさず、内臓も落とさず、翼を動かして飛び去って行く。

まさかの結末に茫然とした後に、フェネルが眠る部屋へと急いだ。




フェネルの命は無事だった。

血を吸われては居なかったのだ。


おそらく、私達の気配を感じて、行為の前に逃げ出したのだろう。


ちなみにレミーの正体だが、後で知った所によると、マナナンガルという名前の魔物らしかった。


深夜になると体を分割し、生血を求めて夜空を彷徨う。


その間の記憶はおろか、当人自体がそんな魔物だと自覚してない例が殆どで、レミーもその例に漏れず、自分を魔物だと自覚していなかった。


今までにそういう事件が無かったとするなら、おそらく、子供を妊娠した事により、彼女の何かが目覚めたのだと思われる。


台所に立っていた理由については、皿洗いや歯磨きなど、その時間に台所でする事があり、その最中に体が離れた結果、突っ立ったままとなってしまったのだろう。


事件の真相を知った私達は、この事をまずロイに話した。


筋道で行くなら村長だろうが、それだとレミーが下手をしたら殺されるかもしれないと思ったからだ。


ロイは考え、苦悩していたが、最終的にはレミーを選ぶ。


村を離れ、山奥に住み、やがて生まれて来る子供と共に暮らして行こう決心したのだ。


それは厳しい道のりだろうが、私とレーナは賛同をした。


愛があればなんとかなるさ。


なんて、甘ったれた事は言わないが、愛が無ければ出来ない事も、世の中にはひとつやふたつはあるだろう。


それから二日後に彼らは旅立ち、村長に報告して私達も帰宅する。


荷物は未だに届いておらず、医院は相変わらずの暇暇モードだ。


「(まぁしかし報酬のお蔭で、来月の半ばまでならなんとかなるな……結婚式があるというのが、ラッドさんには悪いが痛い出費だ…)」


屋上で一人で思っていると、後ろで「ごそごそ」と物音がした。

何かと思って振り向くと、フェネルがアレをいじっていた。


「実際コレ何なんですか?天気予報の道具か何かです?」


一度手酷く怒ったはずだが、それでも奴は分からないらしい。

ワレンシュタイン家の家訓では無いが、流石に拳の出番かもしれない。

そう思った私が足を動かすと、フェネルの手元で「ピッ」と鳴った。


直後に「シュボボボボ!」と、後尾に火が点く。


「何だこれ!カッケー!」


フェネルが喜び、一方の、私の顔が細長くなる。

慌てて近寄って「バンバン」叩くと、火は何とか消えてくれた。


「はぁぁぁぁぁ…」


長く、大きな息を吐き、それからフェネルを「きっ」と見る。

鉄拳制裁も仕方なしなので、拳を振り上げて「フェネル!!」と言った。


「先生、お荷物が届きまし…」


レーナが現れたのはその時だった。


「先生が!先生が僕に暴力を!タスケテーレーナさぁぁん!」


フェネルが走り、後ろに隠れる。

それから「にやり」と笑ってきたので、私は軽い殺意を覚えた。


「何か悪い事したんだよね?ワレンシュタイン家では体罰は普通にありだから止めません」

「え!?」


が、レーナにそう言われ、盾を失ったフェネルは愕然。


「荷物が届きましたんで、お仕置きが終わったら降りて来て下さい」


レーナがそう言って姿を消すと、「いや、その…」と顔を逸らした。


「さて、お仕置きの時間と行こうか?何しろレーナのお墨付きだからな。徹底的に行かせてもらおう」


その日、我が家の屋上からは、フェネルの悲鳴が絶え間なく上がった。


具体的にはお尻ぺんぺんです。

フルボッコなんてまさかそんな!

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