死を前にして故郷を想う
ついに薬が完成した。
アールに貰ったレシピを元にした、ラルフの為の薬の事だ。
服用薬と吸引薬があり、その両方が今朝方にようやく完成したのである。
手順や材料には間違いは無い。最悪、フェネルがイジって無ければ、これで病気は治せるはずだ。
治せなかったらそういう事か、或いはアールの見込み違いなので、前者であればレーナに話してフェネルをボコって貰う他に無い。
「やれやれ……これでようやく完成か。最終的には錬金術のようなものだ。少なくとも現時点では、医術の限界もここまでという事だろうな……」
両目を押さえてそのまま擦り、ぼやくように一人で呟く。
カーテンの外からは陽が差し込んでおり、朝が来た事を私に告げていた。
「……さて、それでは行くとするか」
結局一睡も出来なかったが、だからと言って寝る訳には行かない。
ラルフの現状が分からない以上は、一刻も早く届けてやるべきだ。
そう思って立ち上がり、両方の薬をトランクに詰めた。
「うん……まぁ、大丈夫だろう」
自分の服を嗅いでみる。昨日から着替えて居ないからだ。
臭くは無い。というか分からない。自分の臭いとは分かり辛い物だが、まぁ、きっと大丈夫だろう。
そう思った私はトランクを持ち、部屋を出てから応接間に向かった。
「おはようございます先生。あれ……なんか酷い顔ですよ? ちゃんと寝ました?」
声をかけてきたのはルニスであった。
テーブルの前の椅子の上に両足を乗せて座っており、両手にはコーヒーカップを持って、それに息を吹きかけている。
ピンクの髪にピンクのパジャマは、寝ていない私の目には毒々しく、ついつい顔を顰めてしまって、ルニスに「なんですか……」と、少し引かれた。
「いや……少し目にキたものでな。他意は無いんだ。他意は」
一応答えて台所に向かう。そこでは私の予想通り、レーナが朝食を作っていた。
「あ、おはようございます。何か……酷い顔ですよ……? ちゃんと寝ましたか?」
ルニスと同じ反応である。それほど酷い顔をしているか? と思い、何気なく右手で顔を触る。
「それはそうと、朝食の後はレーナの家に行こうと思うんだ。もし、特に用事が無ければ同行してくれるとありがたいんだが」
言うと、レーナは「えっ?」と驚き、「い、良いですけど」とその後に答えた。突然の事に困惑しているようだが、理由は行きがてらに話せば良いだろう。
「すまないな。じゃあ、そういう事で」
聞きたい事が聞けた為に、話を切り上げて応接間に戻る。
「ふぁ~~~ぁ……あっ……」
直後に見たのはルニスの欠伸。こちらに気付いてはっとしている。
まぁ、別に恥ずかしいモノでも無し、微笑んで見せてから正面に座った。
そこからはルニスと話をしながら、レーナの作る朝食を待った。
話と言っても仕事が殆どで、たまに助言をするようなもの。
その病気の場合はこっちが正しい、とか、その患者なら先に診るべきだ、とか、偉そうに言うなら先輩としての、小さな小さなアドバイスである。
「なるほどー。やっぱり先生は凄いなぁ。ここで働けて良かったですよー」
「そう言って貰えると私も嬉しいな。一歩間違えば潰れそうな医院だが、ルニスがもし、居てくれると言うなら、ずっと居てくれると非常に助かるよ」
持ち上げられて嬉しかったのか、私はついついそんな事を言った。
「えっ……ちょ、先生、それって」
と、ルニスが言った時、「しまった!?」と、ようやく迂闊さに気付く。
「ぷ、プロポーズと変わらないじゃないですか先生ぇぇ! やだなぁそんな唐突に! でも分かってます! 分かってますから! 僕は基本二号で良いです! レーナさんと僕と先生、三人で頑張って生きて行きましょうね!」
テーブルの上に身を乗り出して、私の手を取ってルニスは言った。
「(あああやっぱこうなったかあああ!!)」
と、思う私の顔は複雑で、でも内心では「三人もありかな……」等とも思い、「それは駄目だ!」とは言えなかった。
と言うかピンクが! ピンクが毒々しい! 朝日が反射して目が焼かれるようだ!
そんな事を感じて目を逸らしていると、ルニスは「なんちゃって」とトーンを落とした。
不思議に思って顔を戻すと、
「先生が良くてもレーナさんが、多分OKって言わないですよねー」
と、台所を見ながら「ボソリ」と言った。
「あー……参考までに。もし、レーナがOKと言ったら、ルニスは二号で満足なのか? やはり一番に愛して欲しいとか、そういう欲求は持って居ないのか?」
興味心からそれを聞くと、ルニスはまずは「多分」と言った。
「僕ってこういう体ですから、どっちにとっても中途半端なんです。仲良くなっても友達止まり。恋人にはやっぱり出来ないかな、みたいな。だから、なんか慣れちゃったんですよね。二番目でも三番目でも何でも良いから、誰かに必要として欲しいと思う気持ちに」
それから諦めたような顔で言って、私を少し考えさせた。
「なーんてね。ちょっと暗くなっちゃいましたね! 冗談ですじょーだん! さっ、今日も頑張りますかー!」
ルニスが言って立ち上がり、わざとらしく伸びをする。
「必要とはしているさ。それに、少し広い意味だが、私はルニスの事が好きだよ。だからそう悲観的になるな」
何かを言ってやりたかったので、私はそれだけをルニスに言った。
「ちょっとちょっとぉー、告白じゃないですかーそれー? 童貞処女を本気にさせると、エラい事になりますよ~?」
そんな事を言ってきたので、「少し広い意味だと言っている!」と返す。
「分かってます分かってます。でも、それでも嬉しいですよ。何時まで居るか分かりませんけど、本当によろしくお願いしますね」
ルニスはそう言って、部屋へと向かった。おそらくパジャマを着替えるのだろう。
「(童貞処女とは新しい言葉だな……まぁ、ルニスにしか適用できないものだが……)」
一人残った私は思い、ルニスが持っていたカップを眺めた。
食事を終えた私とレーナは、馬車を借りる為に街へと向かった。
外出する事は食事中に告げたので、留守中の家はルニスが守ってくれる。
街に着いて馬屋に行くと、生憎馬車は出払っていた。
馬自体は貸せるらしいが、引いて、誰かを乗せられる物が荷車位しか無いと言うのだ。
近場であればそれでも良いが、ラルフの城はかなり遠い。
薬が入った瓶が割れたら、全てが無駄になってしまう。
「じゃあ、お母さんに来てもらいますか?三十分位で連絡は取れますよ」
どうしたものかと悩んでいると、レーナが横からそんな事を言った。
面倒をかけては申し訳ないが、安全の為にはそれが一番だ。
「それでは頼むよ。申し訳ないが」
故に、私はそれを受けて、レーナにお願いをしたのである。
馬屋から離れて道端に行く。
どんな方法で連絡を取るのか。興味津々でレーナを見ていた。
すると、レーナは特に何もせず、「あれ……おかしいな……」と呟いたのだ。
「な、何がどうした?」
訳が分からないので質問すると、レーナは「いえ……」とまずは言った。
「多分、うちに居ないと思います。馬……っていうかナイトメアなんですけど、どういう訳か居ないみたいなんです」
それからそう言い、私の疑問をほんの少しだけ晴らしてくれた。
「(で、どうやって連絡を……?)」
そんな疑問が残ってしまうが、そこはまぁ、そういうものだと自分自身に無理矢理言い聞かす。
ちなみにレーナが言ったナイトメアと言うのは、別名で悪魔の馬とも言われる、見た目は馬だが完全に魔物の部類に居る強馬の事だ。
その速さは馬の数倍。戦闘力は悲しい話だが、私の十倍以上はあると思われる。
本気になれば蹴飛ばされて殺されるか、かじられて殺されるかのどちらかだろう。
ともあれ、そういう馬だったからこそ、片道十五時間はかかる距離を、三時間程度で行けた訳だろう。
ラルフのものとは思えないので、おそらくはだが先代のヨランの持ち物だと推測される。
「どうしましょう……ゲートを使わせて貰いますか? 近くにあるか分かりませんけど、このまま待って居ても時間の無駄ですし……」
「そうだな。行くだけ行って見ようか。馬では流石に中身が心配だ」
トランクを見せてレーナに答える。
中身が何かは知らないのだが、レーナは「ですね」と言葉を返した。
ゲートに向かい、リーンに聞くと、まぁ、割と近い場所にゲートが存在する事が分かった。
と言っても徒歩であれば片道八時間はかかる距離だ。
しかし、それでも向かうしか無く、リーンに頼んで送ってもらった。
送られた先に居たドリアードは、古木の虚に引き篭もっており、第一声から「メンドクサ……」等と言うと困った性格の持ち主だった。
「ど、どうも初めまして、イアンと言います」
一応言うも、完全に無視。
「初めまして。レーナと言います」
と、レーナが続けてやっとの事で、重たい口を少し開いた。
「口動かすのメンドクサイんで……」
それだけ言って「しっしっ」と、左手で私達を追い払う。
「(ドリアードにも色々居るな……)」
口には出さず、そう思い、私はレーナと歩き出した。
ドリアードの森を出てから九時間。
夜の帳が降りた頃に、私達はようやく目的地に着いた。
予測の上では八時間だったが、初めての道ゆえに少し迷った。
結果として一時間遅れた訳だが、無事に辿り着けただけ幸運だったろう。
つり橋を渡って門をくぐり、枯れた噴水を通り過ぎる。
玄関は相変わらず真っ暗だったが、これはこういうものなので、私はそこは気にしなかった。
近付くと、「ぱっ」と明かりが灯る。
そして、玄関が向こうから開けられ、私達を迎える誰かが現れた。
「あら、先生、どうしたんですか?」
現れたのはシーナであった。妹を見つけて不思議そうな顔をしている。
「お母さんは?」
と、レーナが聞くと、「お父さんと外出中」と、短く答えた。
居ないと言うのは本当らしい。
どういう原理か分からないが、レーナの言葉が真実だったようだ。
しかし、ラルフが居ないと言うのは私にとっては大問題である。
「すぐに戻りそうですか?」
と、シーナに聞いて、早々の帰宅を心で願った。
「いえ……二十日位はかかるらしいです。出たのが四日前なので、最低でもあと十六日位は……」
「なっ……」
その回答には動揺をする。
状況が分からない。これが怖いし、何より作った薬がもたない。吸引薬の方は別だが、服用薬の使用期限が三日以内という事らしいのだ。
十六日も待って居たら、この薬を飲ませた事でラルフにトドメを刺してしまうかもしれない。
「(間が悪かったな……)」
と思うと同時に、なんとかならないかと思案する。
「どこに行ったの?」
と、レーナが聞いたので、考えながらも耳を傾けた。
「里帰りだって。て言っても、私にはどこか分からないけどね」
「里帰りぃ? なんで急に?」
シーナが答えてレーナが突っ込む。その後にシーナは「さぁ?」と言って、「最近疲れてたみたいだから、故郷が恋しくなったんじゃないの?」と、推測を含めた意見を発した。
「(疲れていた……?)」
まさかとは思うが死出の旅か? そう考えると納得ではある。
死を前にして故郷を想う。人間には割と良くある話だ。
「(冗談じゃない……!)」
そう思い、レーナに場所を聞いてみる。
だが、レーナも場所を知らず、「すみません……」と顔を曇らせた。
「父の部屋を調べてみますか?何か手がかりがあるかもしれません」
言ってきたのはシーナであった。
「そうですね。ラルフには悪いが、少し急ぐので」
状況が状況なので、私はシーナの提案に甘えた。
城に入り、ラルフの部屋に行く。
三人で色々調べてみたが、手掛かりとなるものは何も無かった。
やたらとキューピー人形があったが、これはシーナが「趣味みたいです……」と、困った顔で教えてくれた。
「(知らなかったが困った奴だな……)」
押すと「ピー!」と言う人形を持ち、言葉に出さずそう思う。
「秘密主義にも程があるよ……娘達が両方知らないなんて、普通ありえない話だよね……」
「そういう事全然話さなかったよね。お母さんもそうだけどお父さんはそれ以上」
レーナとシーナが二人で話す。その後も色々と話しているようだったが、私はそれには関わらずに居た。
どうしたものかな、と、考えていた為である。
「んっ?」
キューピー人形を並べて置いて、十体目位でふと思いつく。
「ヨランは? ヨランは知って居ないかな?」
そう、この城の本当の主である、ヨランであれば故郷の事を知っているのではないかと思いついたのだ。
「ああー……」
レーナも、シーナも微妙な顔だ。あの時の事を思い出したのだろう。
しかし、それしか方法は無いと、二人とも頭では分かってくれたのか、特に異論は発さなかった。
「一応、行くだけ行って見よう。ここでじっとしているよりは良い」
言うと、「ですね……」と声を揃えて、二人は渋々体を動かした。
「ほう……そんなつまらん理由で、我を叩き起こしたという訳か……?」
私達は地下に行き、眠っていたヨランを目覚めさせた。そして、起こした理由を話すと、ヨランはそう言って少し怒った。
「世界の終わりが来たら起こせと、何度も何度も言ったはずだがな……貴様達の低能では理解が出来んか。悲しき事よ。実に実に」
言いながら、ヨランが体を起こす。見た目は完全に幼女であるが、喋り方と態度は実年齢に比している。
「ラルフの故郷。当時の呼び名でソール地方と呼ばれておった。と言っても貴様達には分からんだろうから、親切にも場所を示してやろう」
棺桶の端に座ったヨランが、前方に向けて右手を伸ばす。
直後にはそこに地図が現れ、ヨランの言うソール地方が拡大された。
「現在で言うトルケ共和国か……割と遠い所だったんだな……」
そこはイグニスの北の北、砂漠地帯を挟んだ向こうの、この大陸の北西部に当たる場所だった。
歩いて行けばおそらくは、五十日以上はかかるだろう。
地図が更に拡大されて森の中の一部を映す。
「ここが?」
聞くと、ヨランは「そうだ」と言って、ラルフの故郷である事を教えてくれた。
「それでは代償を頂こうか。叩き起こされ、挙句聞かれ、ただで済ませてやれるほど、我は心が広くないのでな」
地図を消してヨランが言った。
代償と言われても何も無いので、「どうすれば良いんだ?」と困り顔で返す。
「貴様は何もしなくとも良い。そうだな、そこの生娘二人が、熱い口づけでもして見せれば良い」
「ええっ!?」
ヨランの言葉に二人が驚く。
「なんで!?」
と、レーナは疑問していたが、それは私も分からない。
「早くせんか。時間が無いのだろう」
頬杖をついてヨランが急かす。全くもって目的は不明だが、「血を吸わせろ」とか言われるよりは、遙かにマシな注文ではある。
「うう……」
「仕方ない……か……」
レーナとシーナが覚悟を決めた。
そして、ヨランが見守る前でお互いの唇を近づけていく。
これが男女なら私も拒否するが、姉妹であればむしろアリである。
禁断の世界を目にしてみようと、目を大きくしてそれを見守った。
「んーーー……」
二人が目を瞑り、唇を重ねた。
「もっとだ! もっと濃厚に!」
と言う、ヨランの目的は本当に不明だ。
「むーーーー……」
二人が僅かに口を開ける。おそらく呼吸をする為だったが、なんだかとてもエロチックに見える。
「舌だ!舌を絡めるのだ!」
興奮したのかヨランが立ち上がる。なぜか拳まで作っている程だ。
私もそれに便乗し「唾液も絡ませて!」とついつい言った。
しかし、それには「ムリィィィ!」と言って、二人の唇はそこで離れる。
「サイアクー……」
「それはこっちもよ……」
レーナとシーナが口を拭う。姉妹と言えども嫌は嫌だったのだ。
「(しかし、良いものを見せて貰った)」
もう少し見て居たい気持ちはあったが、私は二人に素直に感謝した。
「中途半端だがまぁ良かろう。それでは寝るぞ。もう起こすな」
ヨランは言って棺桶に戻り、蓋が勝手に「ずずず」と閉まる。
「ありがとう。色々な意味で……」
結局目的は分からなかったが、私は一応礼を言った。
「色々ってどういう意味ですかね……?」
と言う、二人の声が聞こえて来たのは、それを言った直後の事だった。
振り向くと、二人が両目を細めていた。
「まさか先生……何か言ったんですか?」
これはシーナで、眉毛が動いている。
「先生が指示したんですか?」
こちらはレーナで、半ギレである。
「いやいや! そんな! まさかだろ!? 言う暇なんて無かったじゃないか! たまたま良い目に遭っただけだ!」
これは完全に藪蛇だった。
「良い目って!?」
と、シーナにキレられ、無言で部屋から出て行かれたのだ。
レーナは何も言わなかったが、そんな姉の後ろに続いた。
「ごかっ、誤解だー! 違うんだぁ!」
私はそんな二人の後ろを、修羅場を見られた駄目男のような、情けない風体で追うのであった。
翌朝。
私とレーナは城を出て、ドリアードゲートを目指して歩いた。
万が一、戻ってきた時の事を考えて、シーナには城に残ってもらった。
そして、八時間の道のりを行き、ドリアードゲートの森に辿り着く。
「申し訳ないのですが、トルケ共和国までお願い出来ますか? 出来るなら街に近い所で」
古木の虚の前に立ち、そこに引き篭もるドリアードに言う。
ドリアードは「ん……」と返事はしたが、なかなかそこから出て来なかった。
「あの……」
と、もう一度声をかけると、やっとの事で体を動かす。
「メンドクセ……」
と、一言言って、ようやく虚の外へと出て来た。
「ん」
ゲートを開いて再び戻る。
「(大丈夫か、そんなので……)」
と、思いはしたがそこへと入った。
数秒後には私はすでに、別の古木の根元に立っていた。
「あんらーあんだどこがらぎなずったぁ?」
と、やたらと訛っているドリアードに聞かれ、失礼ながら「ひいっ!?」と驚く。
直後にはレーナも現れたので、二人で自己紹介をして道を聞いた。
「いぢばんぢがいのはマードゥンっで街だなぁ。西に五ギロっでいうどこだべぇ」
「そ、そうですか。ありがとうございます。帰りにもお世話になると思うので、すみませんがよろしくお願いします」
ドリアードに礼を言い、私とレーナは西に向かった。
街は彼女の話の通り、一時間程歩いた先で見つかった。
ただし、街の名はマードゥンでは無く、マートゥンと言うのが正しいもので、おそらくはだが訛りのせいで、そうなったのだと推測される。
「(これも地方の特色の差か……)」
悪いという訳ではないが、正直な所は聞き取りにくい。
こちらの住民全てがこうだと、情報収集に手こずってしまう。
そんな事を思っていたが、住民達は普通だった。
あのドリアードがドリアードの中では田舎に住んでいただけの事だろう。
「(田舎とか都会とか、そんな感覚があるのかは知らんがな……)
そう思いつつ、本屋に向かい、地図を買って外に出た。
溜め池の近くの椅子に座り、それを広げて場所を調べる。
結果、目的の場所はここから西の、森の中にある事が分った。
割と深い森のようだが、下調べをすると時間がかかる。
レーナも居るし大丈夫だろうと、私はそこに突っ込む事を決めた。
時刻は十六時十二分。
これから発つと夜になるが、薬の期限が心配な為に、今回は強行する事にした。
森に着いたのは十八時前で、辺りはかなり暗くなっていた。
「(マズったかな……)」
と、思いはするが、今となっては後の祭りだ。
「すぐに見つかると良いですね……」
という、レーナの言葉に頷いて踏み入った。
森の中は当然ながら、外より更に薄暗い。
しかし、レーナが居てくれたので、安心して前を任す事が出来た。
大きな岩が現れたのは森に入ってすぐの事。
大きさは大体六m程か、私達の正面に「どん」と居座り、直進する事を不可能としている。
左右の道は無いに等しいが、そのどちらかに行かねばならない。
「方向的にはどっちですか?」
「多分左だな。南西の方向だ」
聞かれた為にそう答える。
方向感覚には自信があるので、多分とは言ったが間違いは無いはずだ。
レーナと共にそちらに向かい、草木を踏み分けて三十分ばかり歩く。
すると、先ほどの大きな岩が再び眼前に現れたのである。
「に、似たような岩……ですよね?」
不安になったのかレーナが聞いてくる。
「激似だが、そう思いたい所だな……」
そこには自信が無かった為に、私の返答はそんなものだ。
「ど、どっちに行きますか? やっぱり左ですか?」
「いや、多分真っ直ぐだろうが、岩が邪魔で行けないからな。とりあえず、右にでも行って見よう」
そして、今度は右を選び、三十分ばかりを再び進んだ。
「ええっ!?」
「なにぃ!?」
レーナと私がそれぞれ驚く。驚きの原因は同じ岩が三度姿を現した事にある。
「(これは何かをやられているかな……)」
そう思った私はペンを取り出して、岩に☆のマークをつけてみた。
「もう一度だけ歩いてみよう。同じ岩なら、その時考えよう」
それから振り向き、レーナに言って、もう一度だけ左に進んだ。
「やはりか……」
三十分後、当然のように先程の岩が目の前に現れる。
確認するとマークもついている。同じ所を歩いているのは間違いないようだ。
「誰かに何かをされているか、或いは何かが施されているようだ。歩いても無駄だし少し休もう」
言って、その場に腰を下ろす。
レーナも理解したのであろう、スカートの裾を折ってその場に座った。
それから何分が経っただろうか。私の腹が情けない音を出す。
「何か食べてくれば良かったな……」
言うと、レーナは「わたしもペコペコです」と言って、「何か食べられそうなものは無いかな」と、周囲の草むらを探り始めた。
いやいや、そんな所には何も無いでしょ。いくら私がキノコ好きでも、流石に生では食べられないよ。
そんな気持ちで笑って見ていると、レーナが不意に「あっ!」と言った。
「ど、どうした!?」
と聞くと右手を伸ばし、何かを掴んで私に見せてくる。
「蛇です! 食べられますよ!」
逞しすぎて何も言えない。とりあえず「私は良い……」と言うと、「そ、そうですか」と言ってそれを離した。
「もっと普通のものが良いですね……木の実とか、キノコとか。生き物じゃ無い系で食べられるもの……」
レーナは懲りずに食料を探した。こういう時にはアグレッシブで、私はちょっとついていけない。
「いてっ!」
草むらの中から声が聞こえた。レーナでは無い、何者かの声だ。
おそらくレーナのまさぐる手が当たり、その為に発した声だと思われる。
「やべっ!!」
直後にはそんな声が聞こえて、草むらの中を「がさがさ」と移動する。
レーナはそれを目で追った後に、一ヶ所に定めて「ばっ」と飛びついた。
そして、捕まえた何かを持ち上げて「先生!捕まえました!」と言ってきたのだ。
一体何だ? と、思って近づくと、小さなおっさんが「じたばた」していた。
「てめっ! このっ! 離せってーの! こんな事してただじゃすまさねーぞ!」
見た目に反して声は甲高い。大きさはおそらく40㎝程。
人と比べると鼻だけは大きめだ。
「ホビットか……? もしかして君達が……」
言うと、おっさんは「ウッセー!」と言って、レーナの両手を「ばんばん」叩いた。
しかし、ダメージは全くのゼロ。
きょとんとした顔でレーナに見られ、「なんかすみませんでした……」とおっさんは謝った。
ホビットとは所謂小人の事で、属性的には妖精に近い。
土や森に深い関係があり、洞窟や森に住みついている。
性格は若干善寄りの中立で、こちらが何かを仕掛けなければ、手出しをしてくる事は無いはずだった。
「この岩……というか、同じ場所を行かせたのは、君の仕業だと思って良いのか?」
聞きはしたが、確信していた。
そういう事が出来るのも、彼らの特性の一つだったからだ。
「おれっちだけの仕業じゃねーよ! 皆でやったのさ! ざまぁみさらせ!」
ホビットが言って頬杖をつく。
脱出するのは諦めたのか、観念したような態度である。
「一体何が目的なんだ? 悪い事をした覚えはないが?」
「バカヤロー! 無断で入ってきてんじゃねーか! おれっち達のナワバリによう!」
言って、右手で「ドン」と叩く。
直後には「あ、すみません……」と謝る辺り、本当は気の弱いおっさんなのかもしれない。
「それは悪い事をしたと思うが……そんな事とは知らなかった。害意は無いんだ。許してくれないか?」
ともあれ、原因が判明したので、悪くは思わないが私は謝罪した。
「駄目だね」
が、ホビットの返答はそれ。
「やれやれ……」
どうしたものかと息を吐くと、
「おい! 何捕まってんだよ!」
「だから俺は反対したんだ! あいつはノロマだって、最初に言ったろ!?」
「人間コラァ! やんのかコラァ!」
仲間達がわらわらと現れた。その数はおっさんを含んで七人。
まさに七人の小人である。
大体の者が緑の帽子と、同色の衣服に身を包んでおり、その内の一匹は体に見合った小さなカンテラを右手に持っていた。
「まぁとにかく解放しろよ! 仲間達と相談してやっから!」
おっさんが言うのでレーナに頷く。
解放されたおっさんは、「わりぃわりぃ」と言いながら仲間に近付いて行った。
「ばかやろー! 何笑ってんだ!」
「勝負事に負けて笑ってる奴は、一生勝つ事はできやしねぇ!」
「真剣味がたりーん!」
「ぎゃあああ!!?」
が、直後におっさんはフルボッコ。見ている私達が動揺する程の酷い仕打ちが加えられた。
「ちょ、ちょっと、その辺で……」
「部外者は黙って居てくれますか! これは僕達の問題なんで!」
止めてみたが無駄だった。
おっさんへの暴行は更に続き、白目を剥いて「アヘアヘ」言いだした頃、ようやく制裁は終わりを告げた。
「あの、ちょっと良いですかね……?」
自然、敬語になった私が、その隙をついて声をかける。
「なんだよ!?」
と、「キッ」と睨まれた為に、不覚にも少しビビってしまう。
「いや、私達はただ、通りたいだけなんだ。君達の縄張りを荒らす気は無い。この先に村があると人から聞いてね、そこに行きたいというだけなんだ」
そう言うと、ホビット達は目を瞬かせて顔を見合わせた。
「いつの話よ?」
なんて言っているので、どういう事かと顔を顰める。
「シラネ。ウチのじーさんの頃の話だろ? 二百年とか、その辺じゃね?」
割と若めのホビットが言う。
「もしかして、今は無いのか……?」
恐る恐る聞くと「ねぇよ」と言われる。
「森の中に呑まれちまってらあ」
別のホビットがそう言って、全員で「アヒャヒャヒャ」と笑い出した。
「そ、そんな所にまだ居ますかね……?」
私の近くでレーナが言った。
居ない、と言い切る事は出来ないが、そういう事だと自信がなくなる。或いは村が無い事を見て、すでに帰っているかもしれない。
しかし、ここまで来てしまった以上は、確認の為にも行くしかないだろう。
「兎にも角にも行くしかない……今からではコレが間に合わなくなる」
言って、右手のトランクを見る。
今夜が終われば二日が経過し、明日の夜には保障外だ。そうするとまた作り直すしか無くなる。
ラルフの状況は不明であるが、もしかしたら最悪、間に合わなくなるかもしれない。
そう思った私が一歩を進むと、ホビットの一匹が「おおっと!」と立ち塞がった。
「何の真似だ? これでも急ぐんだが……?」
「こっちも仲間がやられてるからねぇ。悪いけどタダじゃあ通せないよ」
言うと、一匹がそんな事を言ってくる。
やったのは百パー彼らであったが、そこを言っても無駄そうである。
「……ならどうすれば良い?」
と、代わりに言うと、ホビット達は「ごにょごにょ」と話し合い出した。
「じゃあそれで」
合致を見たのかそう言って、一人が振り向いてレーナを指さす。
「その女を賭けて俺達と勝負だ!」
「……いやいや、なんかすり替わってないか? 私達は通りたいだけなんだがな?」
直後の言葉が謎過ぎたので、困った顔で私が言った。
「なら勝負だ!」
だが、ホビットは決して譲らない。仲間達も揃って「勝負だ!」と言っている。
レーナに頼めば殲滅できようが、それではかなり後味が悪い。
かと言って無視をすれば、また延々迷わされるしで、自然選択肢は一つしかなくなる。
ちなみにこのホビットという種族。実はかなりの女好きだ。
七人のなんたらと眠り姫と言う童話があるが、裏話を調べてみると驚く事になる。
王子が来るまで何をしていたかと言うと……まぁ、そこは調べて見て欲しい。
ともあれ、そういう種族であるから、私は本心ではそうしたくなかったのだ。
「ああ……分かった分かった……で、何で勝負をするんだ? 生憎私は荒事は苦手だぞ」
例えば勝負に負けたとしても、レーナがそれには大人しく従うまい。
そう思った私が諦めたように言うと、ホビット達はまた話し合い出した。
そして、数秒後に「くるり」と振り返り、
「まずは物まねだ!」
と、私達に言った。
めんどくさっ!! と、正直思う。
しかしながら拒否は出来ない。
「じゃあどうぞ……」と、力なく言うと、一匹のホビットが何かをし始めた。
どうやら釣りをしているようだが、時折、顎をしゃくれさせている。
「ヤヌーさんとこの爺さんのマネ」
「知るか! ていうか判断できるか!」
思わず怒鳴るがホビット達は「似てる似てる」と大喜びだ。
「じゃあ次俺!」
と、一匹がしゃしゃり出て、何かを叩くような動きを見せた。
それから数秒後に「おン!?」と言い、振り向いた後にまた叩き出す。
「おぉー、ノベンタさんか。超似てるわー」
「知らんと言うに……」
殆ど反則のようなそれに、私とレーナは呆れかえった。
「じゃあそっちの番だ。これ以上のモノがお前に出せるかな?」
どうやらバトンは渡されたらしい。
「何かあるか?」
と、レーナに聞くと、「そいつは駄目だ!」と、ホビット達に言われた。
勝負をするのは私だけ、と、そういうルールだと考えられる。
「(うぅぅん……まぁ、身内ネタで良いと言うなら、適当にしても分からんだろう……)」
悩んだ結果、そう思い、適当にフォックスの真似をしてみた。
「こりゃイアン! そりゃ違うじゃろ~」
と。
「微妙だな……」
「知ってるの!?」
その反応には驚くしか無く、私は思わず鼻水を噴きかけた。
「三十五点って所だな。チャンスはあと一回」
くそっ、と思いつつ次を考える。
一瞬、ラーシャスの顔が浮かんだが、微妙と言われそうで次に流す。
「(中立マン……で行って見るか……声とかは多分無いと思うが、奴らにはきっと分からんだろう)」
そこに至って覚悟を決める。
「わ、私は中立だ!」
と、思い切って真似? をすると、ホビット達もレーナも黙った。
え? なんですか? みたいな顔だ。外したみたいで胸が苦しい。
「う……うーん。まぁまぁ、似てた……かな?」
「だいぶね……まぁ、八十点ってとこ?」
絶対知らない反応である。だが、知ったかぶりたいのか、ホビット達は揃って「うんうん」言っていた。
「てわけで引き分けだ! 次で決着をつけてやるぞ!」
もう好きにして下さいよ。そんな気持ちで次の勝負を待つ。
ホビット達は「ごにょごにょ」と話し、勝負を決めて振り向いてきた。
「次の勝負はキュンっとくる度だ! そこのお嬢さんに審査員をしてもらう!」
もうどうでも良いよ。そう思っていた為に、適当に「はいはい」と言う言葉を返す。
「僕と彼女が出会ったのは今から三年前の事でした。中学校の一年生の時に、僕達は同じクラスになりました。運動会の練習の時、僕は転んで怪我をしました。皆は「ばっかでー」と笑ってたけど、彼女だけは「大丈夫?」と声をかけてきてくれました。僕はそんな彼女を好きになり、陰からずっと見つめていました。中学を卒業して、別々になったけど、僕達は偶然道で会えました。彼女もきっと懐かしかったのでしょう、一時間近くも話してくれました。もう会えないかも、と思った僕は、勢いでデートに誘いました。彼女の返事はなんとOK。日曜日にデートをする事になりました。三十分早く待ち合わせ場所に着き、五分過ぎてから彼女が来ました。僕の為に選んでくれたのか、それはもう可愛い服です」
「お、おい……」
なんか急に語り出したので、不安になって声をかける。
「髪の毛も、以前とは違っていました。所謂ポニーテールです。男の一番喜ぶ髪型です。これから行くのは野外演劇場です。……さて!! 僕は何と言うでしょう!?」
どうやら勝負の説明らしい。「大丈夫かこいつ……」と、思いながら、私は一応「あ、ああ……」と返事した。
「審査員のお嬢さんはその子の気持ちになって考えて下さい」
「分かりました! 頑張ります!」
レーナの方は「ノリノリ」である。こういう展開は割と好きらしい。
「じゃあこっちからいくぜ! 行ったれやカンバー!!」
カンバーと言われたホビットが「おう!」と言ってから前に踏み出す。
「いくぜえ!!」
そして、気合を入れてから、自身が思う「キュンと来るセリフ」を言った。
「なんだ、馬の尻尾みたいだな……お前の手綱を握れって事かい?」
他のホビットが「キャー!」と喚く。
アホか、と思っている私の方は、それとは反して能面である。
「さあ! 審査委員長! カンバー君の得点をどうぞ!」
「うーん……」
得点を急かされ、レーナが考える。
「七十五点くらいですかね……」
意外に高い!? 流石に驚き、まさかの不利さをここに至って意識する。
「まぁ、こんな所だな。彼女がアフロなら百点だった」
なんだか妙に強気であるが、レーナが審査員ならありえたかもしれない。
カーバンとやら恐るべし、と、私は内心で汗を拭う。
「じゃあ次はお前の番だ! 七十五点以上じゃないと、そこの女は我々のモノだぞ!」
ホビットの一匹に「びしり」と指される。
それには「わかった……」と一応答え、どうしたものかと私は考えた。
ウケ狙いで行くか、それとも普通か。
レーナの琴線が分からなくなり、その判断に非常に迷う。
「(だがまぁやはり、普通が一番だろう……)」
何と言っても引き出しが無い。
ウケ狙いで! と言われても、私には笑えるネタが無いのだ。
それ故に普通に行く事を決め、緊張を解く為に第一ボタンを外した。
「百点です!」
その直後にはレーナが言って、ホビット達が「なんですと!?」と驚く。
私自身は唖然としており、「なぜ!?」とは言えずに固まっていた。
「百の言葉より一つの行動。先生は女心が分かってますね……ボタンを外す程緊張している。その子にもきっと伝わりましたよ。私とのデートで緊張してくれる。それは女の子にとって嬉しすぎる事ですから!」
親指を立ててレーナが言った。
いや、あの、今日も綺麗だね、とか、言おうとしていた私の覚悟は……?
そして、その点数は?
聞こうとしたが、盛り上がっているので、それを無理矢理「ごくり」と飲み込む。
ホビット達は「負けたぜ……」と言い、なぜだか涙を拭っていた。
「行けよ! クソ! 彼女の元に!」
直後にはそんな事を言い出した為に、私の心配は頂点に達す。
「じゃ、じゃあ行かせて貰います……」
「幸せにな~!」
そんな言葉に見送られつつ、私達は森の奥へと向かった。
かつての村に辿り着いたのは、それからおよそ一時間後の事。
倒壊し、草木が伸びた家屋の中には誰も居らず、当然ながら他の家にも人間の姿は見られなかった。
「やはり帰ってしまったのか……」
呟くと、レーナは一人で歩き、かつての村の奥へと向かった。
「れ、レーナ、どこへ行くんだ?」
言いながら追うと、枯れた池が見え、その近くに見た事がある馬車があった。
繋がれているのは見覚えのある馬――
つまり、レーナの家に居る二頭のナイトメアであった。
レーナを見つけ、「ブルルッ」と鳴く。もう一頭は無言で顔を寄せ、レーナに鬣を撫でて貰って居た。
「居るな。どこかに」
近付くと、レーナは無言で頷いた。
私とレーナは手分けして、かつての村で捜索を開始した。
ラルフを見つけたのは私だった。
村の外れの建物跡で、フィーナに膝枕をしてもらっていた。
「探したぞ……」
と、私が言うと、ラルフは「すまんな」と、一言謝った。体を起こそうとしたようだが、自分一人では起き上がれない。
結局フィーナに手伝って貰って、ラルフはようやく上半身を起こした。
「(痩せたな……随分と……)」
元々中肉中背であったが、今ははっきりと痩せ細っている。
病が進行しているという事は、それを知らない娘達はともかく、私とフィーナには痛い程分かった。
「それで……どうした……? こんな所まで……私の最期を見送ってくれるのかな……?」
笑ってはいるが覇気は無い。完全に空笑いと言う奴である。
「冗談は止せ。実は出来たんだ。その病を治す薬がな」
その目を見ずにそう言って、その場に屈んでトランクを開ける。
ラルフはそれには無反応だったが、妻であるフィーナは顔を向けていた。
「吸引薬と服用薬がある。とりあえず吸引から試してくれるか?」
言って、包みをラルフに差し出す。
しかし、腕が動かせないようで、結局はフィーナがそれを受けた。
「ごふっ!!」
吸い過ぎたのか、鼻から噴き出す。流石に笑える状況では無く、私は「吸い過ぎだ……」と小さく言った。
「うん……実に心地良い……」
吸引を終え、ラルフが呟く。見た目は全く変わらなかったが、声に生気が戻った気がする。
「次はこれだ。全部行ってくれ」
小瓶を出してフィーナに渡す。フィーナはコルク栓を抜いた上で、ラルフの口にそれをあてがった。
「マズイな……」
そんな事を言ったので、「文句を言うな」と一応言って置く。
飲み終えたラルフは「ふぅ」と息をつき、夜空を見上げて静かになった。
「効果はいつ?」
「正直な所は不明です。材料自体に間違いはないので、予測通りなら治るはずですが」
フィーナに聞かれ、そう答える。
「あ。そんな所に居たんだ」
レーナの声が後ろから聞こえた。倒壊した家屋の隙間から見ると、レーナがこちらに近付いて来ていた。
「すまんが連れて来てしまっ……」
顔を戻して言おうとすると、ラルフの両目がいつの間にか閉じていた。
「あなた……?」
と、フィーナが揺するが起きない。
レーナが中に入って来てもラルフは「ぴくり」とも動かなかった。
「まさか……駄目だったのか……!」
叫ぶようにそう言って、両膝を擦らせてラルフに近付く。
そして、心臓に右耳を当て、ラルフの心臓の鼓動を調べた。
どくん……どくん……
確かに鳴っている。寝ているだけだ。死んではいない。
「寝ているだけだ……」
自分自身に聞かせるように、絞り出すように私が言った。
フィーナもそれで息を吐いて、直後には「良かった……」と小さく言った。
訳が分からないレーナは立ち尽くし、「何が……?」と呟いて茫然としていた。
ラルフの現時点での状況は正直「不明」と記すしかない。
あの後、ラルフは目を覚ましたが、自分で歩く事は出来なかった。
妻であるフィーナが言う分には「顔色が良くなった」という事だったが、それでも私やレーナからしてみれば、まだまだ病人の顔であった。
しかし、一応ラルフは帰宅し、その際に「迷惑をかけたな」と言った。
今後はこういう事はしないと言ったが、はてさてどうなる事やらである。
ともかく、出来るだけの事はやった。
あとは折を見て城を訪ね、病気の状態を見て行くだけだ。
それでも回復に向かわないようなら、別の手段を講じなければなるまい。
三日後はラーシャスとの約束の日である。
呼ばれている理由は完全に謎だが、日頃の恩を返す為には、一も二も無く行くしかないだろう。
ラルフの様子を見に行くのは、それが終わった後になるな。
「しかし、足が疲れたな……今回は随分と歩いた気がする……」
そんな事を呟いていると、ルニスが「ばっ!」と飛びついてきた。
そして、私の前で屈んで「気持ちいいですか?」と言って揉んでくれたのだ。
「んっ、んっ」
と、声を出しながら、懸命に足を揉んでくれる。
そこまでは、まぁ、良かったのだが、多分死角になったのだろうな……
台所から出て来た様子のレーナが、食器を床に落としたのである。
何だ!? と思ってそちらを見ると、レーナは口を「ぱくぱく」とさせていた。
状況的にはつまりこう。
ルニスが屈み、私の股間に顔を近づけて何かをする様を、レーナはそこから見ていた訳だ。
「センセー、ちょっとニオイますよー? 外出してたのは分かりますけど、ちゃんと洗って下さいねー?」
ルニスがそんな事を言った直後、レーナは「ばたーん!」とその場に倒れた。
慌てて立ち上がった私達だが、レーナはすでに気を失っていた。ニオイの元は三日着た服だが、レーナはナニかと誤解をしたらしい。
「どうしたんですか?」
と、疑問するルニスには何も言えない私であった。




