遠きあの日
あけましてホニャラララ!
喪中の方も居るでしょうから、ホニャラララで失礼します…
新年からちと暗い話なので、苦手な方はスルーして下さい。
それでは今年もよろしくです!
ある日の昼、買い物に行った私は、フォックスの医院を訪ねる事にした。
用事は無いが、何となく、奴に会いたくなったのである。
時刻は14時頃。
フォックスはどうやら、大掃除をしている最中のようだった。
ロッカーを開けたまま、棚を開けたままという、行き当たりばったりな掃除をしており、それを見た私等は、「一ヶ所をきちんと片付けてから、次の掃除に行けば良いのに……」と、少し呆れた位であった。
「おぅ、イアンか。今は生憎掃除中でな。いつものように相手はしてやれんぞ」
私に気付いてフォックスが言う。
こちらに顔は向けなかったので、一応集中はしているらしい。
「構わんよ。子供じゃないんだ。適当にしているさ」
「さようか。なんなら手伝え。そこの棚とかロッカーとか」
ハタキのようなもので指して、背中を向けたままでフォックスが言う。
「ああ、少し位ならな」
このままではきっと終わらないだろうと思い、私は好意で手伝う事にした。
紙袋を置き、雑巾を持ち、とりあえずの形でロッカーに向かう。
ロッカーの中には「よれよれ」の白衣や、バットや、賞味期限の切れたパン等が、所狭しと詰められており、それを見た瞬間、私の顔は相当のしかめっ面となる。
「食べ物と道具を同じ場所に入れるか……? それもバットって、何に使うんだ……? 」
「食べ物? そんなもんが入っとったか? バットはアレじゃ。ご婦人方がな、気合を入れる為にバスーンとやるのよ。このワシの尻に向かってな。よしこぉぉい! バスーン! オギャアアア! っちゅう流れじゃ」
私が言うと、フォックスが答えた。
当たり前じゃろ? みたいな顔だが、バットの使い方はおそらくは、世界でただ一人の使い方だと思われる。
「とりあえず、パンは捨てておくぞ? バットはまぁ……使うのだろうから、一応、ここに入れたままで良いな?」
聞くと、フォックスが「おう」と言ったので、私はいくつかのパンを取り出した。
中を見ると、ほぼ真っ黒で、少なくともウン年単位でここに放置されているものだと考えられた。
「(ヒドイな……)」
思い、顔を顰めて、つまむようにしてそれらを一ヶ所に置く。
置いた瞬間「ボワッ」と、カビが舞うパンも中にはあって、私は正直、手伝った事を、すでに若干後悔していた。
全てのパンを出し終えて、バットを出して白衣を取り出す。
その奥には少々エロイ本があり、私は無言でそれも取り出した。
「赤ちゃんプレイで新たな世界へ!」
それが「ちらり」と見えたタイトルで、フォックスの趣味を知ったようで、私はなんだか居たたまれなかった。
「フォックスたんママになでなでしてほちいのぉ! あぶぅ! ママだいしゅきぃ!」
か……友人の性癖は知るものじゃないな……(勝手な想像だが)
5分程が経ち、ロッカーが片付く。
私は次に開け放たれていた、棚の中を片付ける事にした。
「……おいおい」
すでにして薬品がごちゃまぜである。
育毛剤は分からないでもないが、洗剤があるのは本当にマズい。
「生まれた赤子を洗うのか? こういうものは置いてたらマズイだろう……?」
「ほっほっ、まぁ、マズかろうな。間違って使うとも限らんしなぁ?」
見せると、他人事のようにフォックスは笑った。
なんだかな、という気持ちを殺し、私は足元に洗剤を置く。
そして、通称で「マイサン」と呼ばれる薬の裏にあるものを見つける。
ガラス細工のアクアリウムだ。
中には白い砂が入っており、振るとそれが雪のようにガラス細工の中に降り積もる。
まだ持っていたのか、と、私は思う。
懐かしさのあまりにそれを手に取り、気付いた時には振っていた。
フォックスはそれに気付いたようだが、何も言っては来なかった。
「50年位前かな……思い返すと早いものだな……」
私が言うと、フォックスは小さな声で「うむ……」と唸った。
掃除の手を止めて、遠い目をする。
フォックスもきっと思い出したのだ。
50年前のあの日の事を。
50年前のとある日の事。
私はプロウナタウンの薬屋で、若き日のフォックスと顔を合わせた。
当時の髪の毛の色は茶色。
身長は170㎝位はある、なかなかイケている青年だった。
その第一声は、
「悪いんだが、金を貸してくれないか」
というもの。
買い物に来ていた私に近付き、頭を掻きつつそう言ったのだ。
どういう事か、と、私が聞くと、「貧乏をしているんだ」と、彼は言った。
「良い物件を見つけてな。勢いで有り金を突っ込んじまった。お蔭で、場所は確保できたんだが、薬品がひとつも買えなくなってね。こうして財布の紐が緩そう……じゃない、人の良さそうな奴を見つけては、声をかけているってわけさ」
そして、続けて理由を話し、最後に「どうかな」と、私に聞いた。
財布の紐が緩そう……の部分が、気持ち、引っかかった私であったが、悪い奴では無いと思い、
「許容範囲内でなら」
と、それを承知した。
「本当か? あんた良い奴だなぁ! まぁいつか損すると思うが、得する事もきっとあるさ。差し当たり俺が友達になってやる。あんたあれだろ、友達居ないだろ?」
何て奴だ、と、思いはしたが、私は「まぁな……」と正直に言った。
「正直な奴だなぁ。悪い事じゃないが。俺はフォックス。あんたは?」
「イアン・フォードレードだ」
私が名乗るとフォックスは「そうか、よろしく」と右手を出してきた。
「ああ、よろしく」
と、握手に応じると、フォックスは「違う」と、首を振った。
「金だよ金」
ああ、そっちか……
私が思うと「まぁ良いか」と言い、フォックスはその手を「ぶんぶん」と振った。
「お前さんの専門は?」
握手の手を解き、フォックスが聞く。
「内科と外科をある程度だ」
「ほお、じゃ俺とはかぶらないな」
私が言うと、フォックスは「にやり」としながらそう言った。
「君の専門は?」
「産婦人科だ。葬儀屋と産婦人科は何もしなくても客が来るってな。宣伝なんか面倒だろう?」
その言葉には私は「まぁな」と、本心からの返答をした。
「その点お前さんは大変だぞ? 内科や外科は腐る程あるからな。まぁ、今日の借りがあるから、ご婦人方には伝えておくさ。イアン・フォードレードっていう凄腕の医者がいるって事をな」
フォックスが言うので、私は棒読みで「それは助かる」と答えて置いた。
現時点では困ってないし、困ったとしても宣伝等を行うつもりが無かったからだ。
そうなったら別の場所で、またボチボチとやっていた事だろう。
私はフォックスの買い物に付き合い、そして、その日は全額を負担した。
金額はもう流石に忘れたが、財布の紐が緩い奴でなければ、OKは出さない位ではあった。
そして、その帰り道、私はフォックスが開院するという、マンションの一室へと案内された。
一応、身分を証明して、私に信じてもらう為の行動だったのだろう。
開院は1か月先という事で、まだまだ改装の途中であったが、私はフォックスを信用し、逆に、私の家の事も教えた。
「えらい郊外だな」
そうは言ったがフォックスも、私を信用した様子であった。
そして、私とフォックスの交友はこの日、この時から始まったのである。
それから三日後。
私は街で、偶然フォックスと再会した。
流石に食わずには居られないという事で、市場で彼が働いていたのだ。
「おうイアン! お前さんも買ってけ! 友人特価で2倍にしてやるぞ!」
「どういう特価だ。高くなってどうする……」
バナナのようなものを右手に、フォックスは私を呼び止めた。
見れば、果物屋の手伝いなのか、露店の中には大量の果物が雑に並べられている。
「並べ方が雑だな……」
「そうか? そんなもんどうでも良いだろう?」
私が言うと、フォックスが言った。
こういうものは見た目が大事だ。客が言うのだから間違いはない。
私はそれをフォックスに言い、適当な並びを種類別にし、果物の色毎に並び替えてみた。
「ほら、こっちの方が随分マシだ」
一仕事を終えた私が、満足そうな顔で言う。
反してフォックスは微妙な顔で、「はぁーん」と、小さく唸っただけだ。
こいつ、絶対O型だな。と、私が思った瞬間である。
かくいう私もO型だが、だからこそO型の悪い部分も分かる。
「おい、そこのデカイ奴」
後ろから、唐突に声がした。
振り向くと兵士が2人立っており、いぶかしげな顔で私を見上げた。
「……何か?」
不快な顔で私が言った。
デカイ奴呼ばわりされた事もそうだが、兵士に呼ばれるような事をした覚えが無いのもその一因だ。
「女を見なかったか? 15、6才の、あまり良いものを着てない女だ」
「いいえ……その女が何か?」
聞くと、兵士は「それなら良い」と言って、二人揃って歩いて行った。
振り返り、フォックスを見ると、「なんだろうね?」と言う顔で、小首を傾げて苦笑いしていた。
直後。フォックスの背後で物音がして、積まれていた箱が崩れ落ちた。
「ギャアアア!!」
中に入れられていた大量の果物が、箱と共にフォックスに降り注ぐ。
箱の後ろには女性が立っており、おそらく彼女が当たった為だろう、自分のせいでそうなった事を心配そうな顔で見ていた。
年齢ならば15、6才。
髪の毛の色は薄い緑色。
麻の、粗末なローブを着ただけの薄幸そうな少女だった。
「いちちちっ……なんだぁいきなり……」
幸いにもフォックスは無事で、果物と箱の中から、後頭部を押さえて立ち上がった。
少女はそれに安心したか、胸を押さえて息を吐いた。
「ん? なんだこの子は? イアンの知り合いか?」
その質問には「いや」と言い、私は少女から発されるだろう、謝罪と紹介の言葉を待って見る。
「……」
が、少女は何も言わず、頭を「ぺこぺこ」と何度も下げるだけ。
それが治まると、自分がやった、という事を身振り手振りで私達に伝えようとした。
「……喋れないのか」
まさかと思いつつ私が呟く。
少女はそれを聞き取ったのか、真剣な顔で大きく頷いた。
「こりゃああれだな……」
フォックスはそこで言葉を止めたが、言いたい事は私にも分かった。
おそらくはだが「奴隷だな」と、フォックスはそう言いたかったのだ。
この時点ではこの国は、まだ王権を確立して居なかった。
地方の豪族同士の戦いが未だに続いていたのである。
勝利者は敗者が持っていた土地や、私有物を好きにする事が出来る。
そこにあるものを奪う事が出来、住む者を奴隷と出来たわけだ。
今でこそそれは改善されたが(今は罪人が奴隷となる)、この当時はそういう事が、当たり前のように行われていたのである。
「という事はさっきの兵士は、この子を探していたという事か?」
「だろうさ。こんないたいけな子をなぁ……見逃してやろうって気にはならんのかねぇ」
私が言うと、フォックスがため息を吐きながらにそう言った。
少女は現在、地面に落ちた果物を箱の中へと拾って戻している。
良い子だな、と、普通に思う。
自分のやった事を詫びた上で、元に戻そうと努力しているのだ。
こんな少女を捕まえて、「見つけましたぜ旦那ぁ!」と、連れていく事は私には出来ない。
フォックスも同じ気持ちなのだろう、困った顔で少女を見ていた。
「ぐぅぅぅぅ……」
と、少女の腹が鳴った。
少女は一瞬、動きを止めたが、その直後にはまた動き、箱の中に果物を戻す作業を再開させた。
「はぁ」
フォックスが息を吐き、リンゴを持ってその場にしゃがむ。
「ほれ。腹減ってんだろ。食べな」
そして、それを少女に見せて、顔の前へと押しやるのである。
少女は直後は戸惑っていたが、やがてはフォックスからそれを受け取り、地面に指で「ありがとう」と書いてから、リンゴに「しゃくり」と歯を立てた。
その際、私は少女の舌が、半分ほどしかない事に気付いた。
酷い話だが、切られたのだろう。
奴隷の拷問等良くある話だ。
その拷問の過程に置いて、少女は舌を切り取られ、同時に言葉を失ったのだ。
「(人間とは残酷な生き物だな……同族に於いてさえそういう事をする……)」
やりきれなさに首を振る。
どのような地位に居る人間にしろ、その行為には何らかの報いがあって然るべきだろう。
「イアン。俺はこの子を匿おうと思うんだが、お前さんはそれを黙って居てくれるか?」
不意に、フォックスが私に言った。
少女も意味は分かるのだろう、驚きの顔でフォックスを見ていた。
「まだ、短い付き合いだから知らんだろうが」
「ん?」
私の言葉にフォックスが振り向く。
「私は口は堅い方だ。この機会に良く覚えておくと良い」
この男となら友人になれる。
そう思った私が言うと、フォックスは「ああ、良ぉく覚えておくよ」と、微笑みながら言葉を返した。
フォックスと少女の暮らしが始まった。
部屋を借り、服を買って、生活用品も2人分買った。
それらの資金は私持ちだったが、2人の幸せそうな顔を見ては、文句を言う事はとてもできなかった。
少女の名はリアと言い、実際の年齢は16だった。
出身地はここから北東。
村の名前はミズンという事だが、これはもう焼き払われて、どこにも存在はしていないらしい。
勿論、喋る事は出来ないので、これらは全てフォックスとリアとの筆談の結果分かった事だ。
「リアはな、本が好きなんだ。小さい頃から好きだったんだとさ。だから最近は片っ端から新刊なんかを買って見せてる。クロスワードパズルっていうのか。アレは意外に面白いな。リアと二人でやってるんだが、なかなか答えが出て来なくってなぁ」
カフェで会い、話した時に、嬉しそうにフォックスは言った。
「それのお金はどこから出てるの?」なんて、言おうものならブチ壊しなの
で、私は「ほどほどにしておけよ」とだけ、苦笑いをしながら彼に言った。
「すまんな……お前さんには世話になりっぱなしだ。いつか、お前さんに困った事が出来たら、その時は全力で協力してやるから、今は気持ちだけで勘弁してくれ」
「ああ、期待はせずに覚えておくよ」
言って、紅茶をひとすすりする。
言われたフォックスは「ひどいな」と言って、苦笑いでコーヒーを一口飲んだ。
「俺が21。リアが16」
「ん?」
突然の言葉に私が疑問する。
「いや、俺が21才で、リアが16才じゃないか。どうなのかな、5才差って。結婚とか普通にありだと思うか?」
「ぶっ!!」
私は紅茶を噴き出した。
年は別に問題ないが、突然すぎて思わず噴いた。
「い、いやすまん。年は良いんだが……」
言いながら、ナプキンで口を拭く。
「まだ一週間も経っていないだろう? 決断があまりに早すぎやしないか?」
そして、今度はテーブルを拭いて、正面に座るフォックスに言った。
「イアン……お前さんは分かってないな……こういうのは勢いなんだよ。そういう生き方だと機を逃すぞ? 好きな女が出来ても言えずに、結局言えないままで終わるぞ? 向こうから言ってくれるだなんて、甘い考えはここで捨てろ。男は告白してこそ男だ。言っての後悔なら望む所だろう?」
カップを置き、首を振って、「分かってないなぁ」と言う顔で、フォックスが私をたしなめて来る。
「しかし、フラれたらどうするんだ? もう一緒に居られなくなるだろう?」
「だから、言っての後悔なら、そりゃあ仕方がない事だろうさ。言わなくて、好きな女がどこかに行ってしまったらどうする? ギリギリになって告白したって、大抵の場合は手遅れなんだ。気持ちってものは思った時に伝えないと、何の意味も無いんだよイアン」
質問に答えてフォックスが言った。
確かに、彼の言う通りである。
だが、私にはその勇気は無い。
理解は出来るが実行できるかは、また別の話なのだ。
「覚えてはおくよ。貴重な意見として」
結果、私はそう言って、お茶を濁すようにして紅茶を飲んだ。
「言葉は無いがな、楽しいんだ。リアと一緒に生活していると。こういう事になるとは思って無かったが、まぁ、その、なって良かった」
フォックスが「にひひ」と笑い、残っていたコーヒーを一気に飲んだ。
「さて、じゃあ仕事に行ってくる。お前さんにも少し位は金を返さにゃ気が咎めるしな」
「そう思ってくれるだけで十分だ。ま、体を壊さない程度にな」
レシートを取って「ヒラヒラ」と見せ、私はフォックスに言ってやった。
立ち上がったフォックスは「ああ」と言って、左手を見せて仕事に行った。
「(結婚か……当人同士がそれで良いなら、私としても祝福するさ)」
そう思い、紅茶を飲み切って、私はその場に立ち上がった。
四日後。
フォックス達を訪ねた時、彼らは丁度クロスワードをしていた。
私はお土産のケーキを置いて、ソファーに座ってそれを見ていた。
「違う違う、3文字だよ3文字。え? ぼんち? いや、確かに一つしかないけどさ」
フォックスが言って、リアが笑う。
笑うと言っても声は無いが、その顔は心底楽しそうだ。
邪魔をするのもなんだと思い、私も一冊本を取った。
「団地妻達の憂鬱な午後。宅配業者危機一髪! 行為の最中に開けられるドア!」
それが、本のタイトルで、一体どういうものかは気になるが、ヤバい系統の本だとは思い、私はそれを遠くに追いやった。
「分かるかイアン?」
「あへえ!?」
名前を呼ばれ、私が驚く。
タイミングが悪いという事もあり、極めて間抜けな声である。
「い、いや、3文字で最後が「ち」。ヒントはひとつしかないもの」
「あ、ああ……」
少々引いてフォックスが言い、落ち着きを取り戻して私が答えた。
直後に出たものは「だんち」であったが、そのすぐ後には「づま」と続き、首を振ってそれを掻き消す。
そして、改めて考え直し、
「あー……さんち、じゃないか? 名産品の産地というだろう? ひとつといえばひとつだし」
という、思いついたそれをフォックスに言った。
聞いたフォックスは「ほぉーん」と唸り、それから本の一部を眺めた。
「いや、それだと二列目の最初が「ん」のつく奴になって、ンコ、位しかなくなるからな。だから多分違うだろ」
多分じゃなくて絶対違うが、私は「そうか」と控えめに答えた。
というかそもそもだが「ンコ」なんて言葉は存在しなかった。
そこで、何かを思いついたのか、リアが両手を軽く叩いた。
早速にも何かを伝えようとして、ペンと紙を両手に握る。
が、ドアがノックされた為に、リアは行動を停止したのだ。
今にして思えばそれは早く、力強いノック音だったと思わざるを得ない。
「はいはい、どちらさんですかー」
ノックに答えてフォックスが言い、本を置いて立ち上がる。
それから玄関へと歩いて行って、チェーンを外してドアを開けた。
嫌な予感を覚えたのはこの時で、不審な顔で玄関を見る。
「イアン! 逃げろ! リアを連れて逃げてくれ!」
直後にフォックスは大声を出した。
すぐにも誰かに捕まったようで、その姿はドアの向こうに消える。
逃げろ、と言われても出口は無かった。
この部屋の唯一の出口は、残念ながらそこだけなのだ。
「おとなしくしろ! 抵抗するな!」
兵士達が詰めかけて来る。
その数は5人。全員が、警棒のようなものを持っており、私が立ち上がろうとすると、それを振り上げて威嚇をしてきた。
はっきり言って勝てる相手では無い。
しかし、私には義務があった。
友であるフォックスから頼まれた、リアを逃すと言う義務が。
「リア! 逃げろ!」
兵士達に飛びかかり、リアに向かってそう言った。
直後には私は頭を殴られ、急速に意識を失って行った。
リアが捕まり、私に手を伸ばし、何かを言おうとしている様を見ながら。
私が目を覚ましたのは、その日の夜の事であった。
フォックスが借りている部屋では無い、巨大な檻の中での事だ。
檻の中にはフォックスと、そして、リアの姿もあり、その他にも4人程、手足を拘束された人達がいた。
私達は馬車に乗せられ、どこかへ運ばれている最中らしい。
幸い、私達は拘束されていないが、檻の中に居る以上、だからと言ってどうにもならない。
「気が付いたか」
私に気付き、フォックスが言った。
見れば、顔は青あざだらけで、右足には添え木がされている。
「折られたのか?」
と、私が問うと、苦笑いしながら「ああ」と答えた。
「管理人の婆さんが、報奨金目当てで密告したんだと。人間ってのは信用ならんな」
「そういう事か……」
フォックスの言葉に私が呟く。
道理で迷いも無く突入してきたわけだ。
向こうは最初から知っていたのだ。
奴隷であるリアが逃げ込んでいる事を。
もはやどうでも良かったのかもしれないが、管理人の老婆に教えられ、そういう事ならとやってきたのだろう。
金目当てに人の幸せを売る。
それも、人生が終わりかけている、年老いた老婆がだ。
彼らはこれからもっともっと、幸せになれたかもしれなかったのに。
人間というのは信用ならない。この点は決して否定は出来ない。
「(やれやれだ……)」
ため息を吐き、私は座った。
当然、椅子等はありはしないので、胡坐をかいて座る感じだ。
人を不幸に落とした金で、老婆は何を買うのだろうか。
そんな事を、ふと、考える。
「すまんな」
とは、その直後にフォックスが発した謝罪だった。
「何が?」
「いや、巻き添えだろう。どう考えたって。俺に関わって居なければ、お前さんはこんな目に遭わずに済んだ。金は失うわ、自由は失うわ、挙句に……」
命まで失うわ、と、フォックスはおそらくそう続けようとして、リアの存在に気付いて黙った。
「まだ、希望が無いわけじゃない。諦めるな、最後まで」
そうは思わなかったが、私は言った。
フォックスか、リアのどちらかが、少しでも希望を持ってくれればと、そう考えての発言だった。
「無駄だよ無駄」
言ったのはフォックスでは無く、馬を操る兵士の一人だ。
振り返り、格子の向こうから、私達に向かって話しかけてくる。
「お前らはこれから死ぬまで、ろくなものも食えずに働き続けるのさ。怪我をしても、病気になっても、お構いなしに死ぬまでな。女の方は使い道が違うから、うまいことやれば長生きできるかもな?」
言って、もう一人の兵士と共に、「ひひひ」と下品な声で笑う。
「その前にちょっと味見しとくか?」
という、直後の言葉にはリアは恐れ、体を「びくり」と震わせた。
「ふざけるなゲスが! リアに少しでも手を出してみろ! 貴様らの家族を皆殺しにしてやる! 父親も母親も! 姉も妹も全員だ! 何年かけてでもやってやる! どんな手を使っても! 必ずだ!」
怒鳴るようにフォックスが言い、リアを含んだ全員が、そんなフォックスに顔を向けた。
兵士も流石に引いたのだろう、
「な、なんだ、こいつ。アタマおかしいんじゃねぇの……?」
と言って笑ったが、直後には何も言わなくなった。
「俺はさ……リア……好きなんだよ。リアの事が。もし、無事に逃れられたら、俺と結婚してくれないか……?」
そのすぐ後にフォックスは、リアの目を見てプロポーズした。
マジか……と、思った私であったが、リアの答えは気になっていた。
無言で彼女を見ていると、リアは「ぽろり」と涙を流した。
そして頷き、笑ったのだ。
それはフォックスのプロポーズが成功した事を意味していた。
「そうか……良かった……」
「へへっ」と笑い、フォックスが言う。
私は勿論嬉しかったが、その反面で「良くやるよ」と思い、首を振って苦笑いをした。
同乗していた他の4人も、少しだけ顔を綻ばせている。
地獄の中に奇跡を見て、彼らも嬉しくなったのだろう。
そんな時、馬が嘶き、突如として馬車が急停車した。
何事かと思って見ると、馬車の前方に影があった。
その身長は4メートル程。
赤い双眸に灰色の肌。
腰みのだけを着けた状態の、巨大な人間がそこには立っていた。
人喰い鬼、オーガである。
「お、オーガだ!!」
兵士が叫び、剣を抜きかける。
しかし、緊張でうまく行かず、腰も抜けているのであろう、ただ「わたわた」とするだけだった。
その間にもオーガは近づき、運転席でまごつく兵士に太い腕を振りつけて来た。
「ぎゃあああ!!!」
一人はかわしたが、もう一人は、その攻撃の犠牲となって、左の方へと吹っ飛んで行った。
「う、うわああ! こ、殺される!!」
兵士は言って、馬車から飛び降り、剣を落として走り去った。
残されたのは檻の中に居る私達7人だけとなった。
「アアアアア……?」
格子を掴み、覗き込んで、オーガが奇妙な声を発す。
皆、死んだように黙り込んで、奴が去るのをひたすら待って居た。
だが、オーガは黙って居たからと言って、見逃してくれるような魔物では無い。
私達が生きて居ようと、死んでいようと関係が無く、奴にとっては肉でしかないのだ。
「ガアアア!!」
やがては格子の左右を引きちぎり、私達の体を露わにさせた。
チャンスは今、逃げるのならばこのタイミングをおいて他には無かった。
「逃げるぞ!」
私が言って、フォックスを担ぐ。
重いが、そこはバカ力である。
「ふんのおおおおおおお!」
と、気合を入れて、直後には荷車から飛び降りた。
私に続いてリアが飛び降りる。
手足を拘束された4人は、まだ荷車の上に居た。
しかし、彼らを助けて居ては、私達は全員やられてしまう。
私はこの時、非情になって彼らを見捨てて逃げようとした。
が。
「リア!」
と直後にフォックスが叫び、リアが馬車の前方へと走って行ったのを目にしたのである。
リアはオーガを引き付けて、その隙に彼らを逃がそうとしたのだ。
彼らもそれが分かったのだろう、「すまねぇ!!」と、彼女に礼を言いつつ、遅いながらも逃げようとする。
「イアン! 頼む! 降ろしてくれ!」
「降ろせるか……! くそっ! フォックス! 覚悟を決めろ!」
言われた私はそう答え、フォックスを担いで前方に走った。
オーガは手を伸ばし、動くリアを、無傷のままで捕まえようとしていた。
「リア! 代われ! もう大丈夫だ!」
入れ替わるように私が前に出る。
リアはその隙に少し下がって、私達を遠くから見守っていた。
「剣だ! イアン! 剣を拾え!」
地面に落ちている剣を見つけて、私の後ろでフォックスが言う。
「拾ってどうする! 私は使えんぞ!」
私が言うと、フォックスは、
「じゃあ俺が拾う! 近づいてくれ!」
と、近づくように指示をしてきた。
このままで居るといずれはやられる。
そう思った私はそれに従い、猛攻をかわして剣に近付いた。
そして、そこでフォックスを降ろし、オーガの注意を引く為に更に前へと飛び出した。
そこはもうオーガの目前。
見上げれば腰みのの中も見えるという、かぶりつきの特等席だった。
「ガァァァァ!」
流石の至近にナメられたと思ったか、オーガが鳴いて、右足を上げる。
私はその踏みつけを、飛び退く事でなんとかかわした。
「ずぅぅぅん!」という音が鳴り、土煙が上がって地面が揺れる。
「ゴァアアアア!!」
今度は逆の左足だ。
「くっ!!」
転げるようにして距離を取って、私はぎりぎりでそれをかわす。
「しまった!!」
が、足の爪に服が引っかかり、動く事が出来なくなった。
オーガはすでに右手を振り上げ、すぐにもそれを振り下ろそうとしている。
「フォックス!!」
最後の頼みでフォックスを見る。
フォックスは例えるのなら、槍投げの選手のような体勢で右手に剣を持って佇んでいた。
「ほおおおりゃあああああ!!」
そして、無理をして数歩を走り、オーガに向けて投げつけたのだ。
投げられた剣は一直線に飛び、オーガの右目に突き刺さった。
「ギヤァァアァァアア!!」
凄まじい声を上げ、オーガが一歩を後ずさる。
私はこの隙に危地から脱出し、自身のもてる最強の技である雷魔法を発動させた。
ぶつける場所は勿論目である。
掌から生まれた雷は波を描いて剣へとぶつかる。
そして、剣から目の中へと伝わり、オーガを苦悶させたのである。
「(何とかなったか……)」
私は思い、例の4人が逃げたかどうかを確認した。
荷車にはもう誰も居ない。どうやら無事に逃げられたようだ。
ここに居る理由はもはや無い。どちらにしろ逃げなければ。
そう思った私の横を、オーガの拳が走り抜けた。
その先にはフォックスの姿があった。
骨折している彼にとってはどうしようもない攻撃である。
フォックスは諦め、「ふっ」と笑った。
直後にフォックスはリアに押され、「どうっ」と横に倒れたのだ。
リアは代わりに攻撃を受け、地面の上を転がるようにして飛んだ。
そして、遠い所で止まり、地面を血で滲ませたのである。
オーガは剣を抜き、それを投げ捨て、馬を掴んで逃げて行った。
最低限の食料が得られて、それで奴は良しとしたのだ。
残された私達は、ただ、茫然と立ち尽くしていた。
「リア……! リアー!!」
何秒が経っただろうか、フォックスが不意に叫んだ。
私もその声で我に返り、フォックスを立ち上がらせてその場に急ぐ。
リアはもう、助からなかった。
内臓は破裂し、骨はバラバラだ。
即死で無かった事が不思議な位に。
「リア! 目を開けてくれリア!!」
リアを抱き起し、フォックスが叫ぶ。
リアは目を開け、フォックスに気付き、力ない笑みを彼に見せた。
そして、震える指を使って、地面に「いのち」と書いたのだ。
「いのち……? どういう事なんだリア?」
フォックスが聞くと、リアは今度は「くろすわーど」と地面に書いた。
そう、クロスワードの例の答え、最後が「ち」の三文字が何であるかを伝えたかったのだ。
最後にリアは
「うれしかった」
と書いて、「にこり」と笑って両目を閉じた。
フォックスは泣いた。彼女を抱きしめて。
私は彼らに背を向けて、黙って、静かに涙を流した。
フォックスが大声で泣いたのは、後にも先にもあれだけだった。
後日、クロスワードの景品としてガラス細工のアクアリウムが届いた。
フォックスはそれを50年間、ずっと保存していたわけだ。
きっと生きていたのだと思う。
彼の中では、リアはずっと。
だからこそ独り身を貫いて、クロスワードばかりをしていたのだろう。
実に、不器用で、一途な男だな。
私はアクアリウムをそっと戻し、止めていた手を再び動かし始めた。
この不器用で一途な男の、友である事を誇りに思いつつ。
まぁでもフォックスもアツイ奴ですよ…




