心地良い悶絶
私は肉を焼いていた。
患者の患部から摘出したものでは無い、市場で売っていた普通の牛肉だ。
値段はまぁ、そこそこにした。
ハッキリ言って食べに行った方が安い。
が、今現在もベッドで寝ているレーナに元気になって貰いたくて、奮発して購入して来た物だった。
味付けは塩と胡椒のみ。
焼き加減はミディアムレアを目指す。
レストランで出てくるような料理を見れば、レーナもきっと喜んでくれる。
そう思って挑戦しているのだが……
「ううん……少し甘かったかな……?」
所詮は素人。まさに付け焼刃。
まな板に乗せて切ってみると、少しばかり生焼けだった。
やむを得ず、もう一度フライパンに乗せ、火を使わずに余熱だけで焼く。
「んー……」
そしてつつく。指でつんつんと。
正直良く分からなかったが、先ほどよりも硬かったので、私は再び肉を取った。
「あー……」
切ると、今度は赤身が無かった。もはや完全にウェルダンである。
過去に焼いた事がある訳では無いので、基本は行き当たりばったりだ。
「しかし、こちらの方が安全だな、うん。結果オーライという事にしよう」
そう自分に言い訳をして、今度は適当に野菜を炒めた。
竈に薪を入れ、火力を高める。それから一気に野菜を炒めた。
「おおー、これはどうしてなかなか」
肉を並べ、野菜を盛る。
こうして見るとそれなりにうまそうだ。
買って来たソースを上からかけると、店でも出せそうな雰囲気にすらなる。
「少し修行すれば店でも持てるかな」
持てるわけがない。調子に乗りすぎだ。
フェネルが居ないと私はどうも、少しテンションが高くなるらしい。
「えーっと、あれはどこに置いたか……」
あれとはつまりトレーの事だ。
「っと、あった」
幸いにもそれはすぐに見つかり、私はそれに料理を乗せた。
ナイフとフォークもそれに乗せて、水を入れたカップも乗せる。
それから小皿にパンを盛って、まずはトレーを左手に乗せた。
そして、最後に右手に小皿を持って、私はレーナの部屋へと向かった。
応接間を抜け、廊下を歩き、レーナの部屋の前に着く。
左腕の上に皿を置き、右手で軽くノックしてみる。
寝ているのだろうか、返答は無く、3秒ほど待ってみてから、私は部屋のドアを開けた。
部屋の中はまだ暗く、レーナはやはり眠っていた。
「レーナさん、御飯ができました」
どうしようかと一瞬迷ったが、温かい内に食べて欲しくて、私はつい、レーナに言った。
「ん……? んんっ……おはようございます先生」
片目を開けてレーナが目覚める。
時刻的には11時過ぎなので、実際には「こんにちは」の方が近かったりしたが、そこは捻くれた言葉は返さず、素直に「おはようございます」と答えた。
「カーテンを開けても大丈夫ですか?」
「あ、はい。すみません、先生」
机の上に料理を置いて、窓際に向かってカーテンを引く。
眩しい光が入り込んで部屋の中が明るくなった。
「今日も良い天気ですよ」
レーナはそれを聞いてはいたが、すぐには私に言葉を返さず、窓を見て、外を眺めて、しばらくしてから「そうですね」と呟いた。
「素人なりに作ってみました。良かったら食べてみてもらえませんか?」
トレーを持ってベッドに近付く。
椅子を引き、レーナの横に座ってからそれをレーナに見せてみた。
レーナはそれを目にしたのだが、直後はどうにも無感動で、少しずれたタイミングで、
「わ、わぁ、すごい美味しそうです!」
と、不必要なまでに喜んで見せた。
何か変だな、と思いはしたが、そういう所が無いでもない女性だ。
私はあまり深く考えず、それらをレーナに渡そうとした。
「……」
しかし、レーナはそれに気付かず、一点を「ぼうっ」と見つめているだけ。
「レーナさん……?」
と、声をかけると、ようやく気付いて手を動かした。
「あれっ……? おかしいな……」
「……」
動かした手はトレーの横で、虚しく宙を掴んでいた。
そう、理解したくはないが、レーナにはトレーが見えていないのだ。
「せ、先生……わたし……見えて……ないかも」
本人にもそれは衝撃だったのか、声も、体も震えていた。
勿論、私にもそれは衝撃で、それ故にレーナのその言葉にはすぐには反応できなかった。
なぜだ、どうしてだ、と私は思う。
原因は間違いない、あの戦いでラストブレスを喰らったからだ。
だが、それなら私もドワーフも、同じように喰らっていたではないか。
なのに私は回復したし、ドワーフ達も回復している。
どうしてレーナ一人だけが、こんな目に遭わなくてはならないのか。
理由が分からない。理不尽である。
あのレーナが震えている。怖いのだ、彼女だって。
これからどうなるのかが分からなくて、不安で不安で仕方がないのだ。
安心させたい。落ち着かせたい。
どうにかして希望を持たせたい。
そう思った私は気付いた時にはレーナの体を抱きしめていた。
料理がこぼれ、シーツを汚したが、そんな事はどうでも良かった。
レーナが少しでも安心してくれるなら、私はどんな事だってする。
彼女は私を守ってくれた。今度は私がそうする番だ。
「あ……せ、せんせ……い……?」
小さな声でレーナが言った。
同じような小さな声で、私はレーナに「大丈夫」と言った。
レーナの体の震えが止まる。
直後にはレーナは目を瞑り、私に「はい」と言ってくれた。
レーナを救う。絶対に。同じ事は繰り返さない。
私はそう決意して、彼女の体を強く抱きしめた。
それから10分後。
私は走り、プロウナタウンのフォックスを訪ねていた。
どうしたら良いかを聞く為では無く、レーナの面倒を見てもらう為だ。
おそらくフェネルがすぐにも来るが、奴には正直任せられない。
何かがあった時にはきっと、適当(悪い意味で)な事をしてしまうだろう。
だから、私は奴では無くて、何だかんだと言いつつも信頼しているフォックスにレーナの事を頼みたいのだ。
「おう? 別に構わんぞ。1日か? 2日か?」
「何日とは断言できない。迷惑をかけた礼はする。すまないが暫くの間頼む」
私が言って頼み込むと、フォックスは「へっ」と鼻で笑い、
「水臭い事を言うでないわ。行って来い行って来い。何日か知らんが、後でたっぷり請求しちゃるから」
右手を「ひらひら」と振って見せて、私の頼みを受けてくれたのだ。
何だかんだと言いつつも困った時には助けてくれる。
そして、結局お礼は受け取らず、何事も無かったかのような顔をして、いつものように接してくるのだ。
昔からこいつはこういう奴だった。
クロスワードパズルにドハマりしなければ、温かい家族も作れていただろう。
「すまんな。恩に着る」
言って私は再び走った。
図書館に行って資料を漁り、少しでも怪しいものを見つけたら、片っ端から当たるつもりだった。
「あ! せんせー! 何してんすか!」
その途中でフェネルに見つかった。
方向的には完璧に、我が家へ向かう道の途中だ。
私は一瞬「しまった……!」と思ったが、直後には「いや」と考えを変えた。
猫の手でも借りたい状況という言葉がある事を思い出したのだ。
言葉が通じる分猫よりマシだし、レーナの事なら私の事よりは協力的だと考えた訳だ。
「いい所で見つかった! 来いフェネル!」
「ええ!? ちょっ! なんなんすかあ?! 強制フルマラソンっすか!?」
フェネルに手伝いをさせる為に、私はフェネルを引き連れて走った。
そこは大人と子供であるので、歩幅や体力に明確な差があったが、それでも構わずフェネルを引っ張った。
「股がぁ! 股が裂けちゃうううう! せんせ! せんせヤバイ! 僕の唯一無二の股があああ!!!!」
そう言われたが、私は止まらない。
客観的に見たならば相当ひどい図に映った事だろう。
フェネルは殆ど飛ぶようにして、私に引きずられて走っていた。
後にして思えば無理をせずに引き摺られた方が楽だったろうに、それでも無理に走ろうとしたのだから、何と言うか不憫な子である。
「せんせいもう無理! せんせいもう無理ー!!!」
フェネルの声が異常に甲高い。
そろそろヤバいか? と思った時には、もう図書館は見えていた。
「ちょっ! いやあああああ! はずかすぃいいい!」
やむを得ず、私はフェネルを抱え、まるでお姫様抱っこのようにして図書館への僅かな道を走った。
最初からこうすれば良かったと思ったが、ここに来てはもう遅かりしだ。
図書館につき、フェネルを下す。
下ろされたフェネルは「汚された……」という、謎の言葉を吐いていた。
見れば少し涙ぐんでいる。
それほど私に触れられたくないのか……
「で! 何なんですか? こんなことしてぇ! 責任取ってくれるのよね!?」
殆どフルギレでフェネルが聞いてきた。
「キモイからやめろ……」
と、とりあえず行ってから20段程の階段を上がる。
そして、上がりながらに理由を話すと、フェネルは「ええっ!?」とまずは驚いた。
「あのレーナさんが? マジっすか? だって先生も喰らったんでしょ?」
「そうなんだがな……思うにレーナはあの瞬間に、私や、他のドワーフ達を守る為に何かをしたのではないのかな。例えば自分だけが引き受けようとしたとか。そうなら私やドワーフ達だけ、回復が早かったのも理解が出来る。反してレーナだけが悪化している理由もな」
フェネルに聞かれ、私が言った。
聞いたフェネルは「あー」と言って、「レーナさんならありえますかもね」と、珍しく私に同意した。
図書館に入り、利用申告をし、私とフェネルは2階に上がった。
一階部分は政治や事件等、所謂時事ネタが殆どであり、考古や歴史、伝承等、そう言ったものは二階にあるので、そちらの方を重要と踏んだのだ。
「呪いか毒関係から当たって行こう。お前には少し厳しいだろうから、分からない事があったらすぐ聞いてくれ」
「へーい」
私の言葉でフェネルが動く。
そして、すぐにも一冊を手に取り、不可解な顔ながらもそれを読みだした。
一応、フェネルなりに心配しているのか、えらく素直で、協力的だ。
これが私の事であったなら、おそらく奴はこうはしないだろう。
「シラネ」と鼻くそをほじって終了で、私は哀れあの世行きである。
そういう意味ではレーナの方が、フェネルとうまく付き合っているわけで、私としてはその点は、少しは見習わなくてはならないのかもしれない。
「ねー先生」
「ん?」
フェネルに呼ばれ、私が近づく。
「なんかちょっと小腹が空いたんで中立マンチップス買ってきて下さいよ」
「アホか! ここは図書館だぞ!」
「あうちッ!?」
私に対しては本当に酷い子だ。
私はフェネルの頭を叩き、「居ないよりはましだ」という言葉を心の中で何度も唱えた。
そして、一冊の本を手に取って、資料集めに集中していった。
図書館には5時間程居たが、結局有益な情報は無かった。
私はやむを得ず、生きる図書館である、とある竜を訪ねる事を決めたのだった。
「ほう、ドラゴンゾンビのブレスをなぁ……直撃を喰らって生きておるとは流石はヴァンパイアの血を引く娘よ」
赤き竜、ラーシャスはそう言った後に「ふふふ」と笑った。
巨体の為に空気が揺れて、僅かの鼻息で髪が揺らされた。
フェネルはすでに失神しており、右手を「ぴくん」と動かしただけだ。
私とフェネルは古代竜のラーシャスの元を訪ねていた。
私はフェネルには「ヤバいぞ?」と言い、ついてこないよう忠告したが、「先生の知り合いならヘッポコ竜でしょ?」と、忠告を無視して奴はついてきた。
結果、ラーシャスを見るなり気絶して、こうしてずっと横たわっているわけだ。
今後、もし同じ事があれば、こいつは全力で拒否する事だろう。
「確か中水という水がある。いや、正確にはあった、と言うべきかな。あれを使えば大抵の毒や、呪いの類は消し去れるはずだ」
ラーシャスが言って、首を動かす。視線は遠く、洞窟の入り口だ。
何かが来た、という訳ではなく、気の毒だが、という事を態度をもって表したいのだろう。
「あった、という事は今は無いのか? 聞くまでもないかもしれないが」
「そうだ。おそらく今は無い。聖水洞と邪水洞というのがディザン王国の南西にあってな。昔は両方が湧いていたのだが、あそこにはヒドラが棲みついてしまった。以来、聖水は湧かなくなった。奴の毒に負けたのだな」
私の質問にラーシャスが答える。
ここで体を少し動かして、洞窟の中に小石を降らせた。
ヒドラ。
分類的には竜にも近い、9本首の魔物である。
大抵は沼や、洞窟に住み、近寄る者を誰彼かまわず食料にするという凶暴な奴で、9本の首は斬り落としても次から次にと復活してしまう。
そして、呼吸をする事により、周囲に毒性の空気を作り、自分自身を除いた生物の住めない環境へと変えてしまうのだ。
彼らを倒す方法は、どこかにあるという急所を突く事のみ。
それ以外の方法ではヒドラは決して倒せないと聞く。
「詳しい場所を教えてもらえるか?」
しかし、私は行かねばならない。現状、唯一の可能性である。
どのような毒でも治せるというなら、それにすがるしか道は無い。
「分かっていないのか? 湧いていないのだぞ? それにこんな事を言っては悪いが、お前一人では餌になるだけだ。すまんが教えるわけにはいかんな」
ラーシャスが言って、顔を反らした。
気遣ってくれる気持ちは嬉しいが、気遣ってくれるなら尚の事に私はそこを教えて欲しかった。
「頼むラーシャス。私は以前、君の元を訪ねた事がある。その時には確か旅行だと言ったな? だが、あれは違うんだ。どちらかというと逃避に近かった。お蔭で確かに傷は癒えた。だがな、まだ引き摺っているんだよ。あの時こうしていればきっと、とな。だから私はもう嫌なんだ。出来る事をせずに後悔するのは。頼む、その場所を教えてくれ」
頼むとは言ったが懇願だった。
心の中を全てをぶちまけて、ラーシャスに向けて懇願をした。
フェネルが気絶している事は私にとっては幸いだった。
奴が普通に立っていたら、私は恥ずかしくてそれを言えなかった。
聞いているのがラーシャスだけだから、私は本音を言えたのだ。
「ふむ……」
聞いたラーシャスが小さく唸る。
ラーシャスは少し「もぞもぞ」とした後に、
「話し相手が居なくなると、私としては困るのだがな」
と、私の顔を見てそう言った。
「教えても良いが条件がある。行くのはこれから2日後の夜。そうだな、お前達の感覚で、24時頃に洞窟に入れ。そして、奴を引きずり出せ。方法は問わん。これが守れるなら教えてやろう」
そして、直後に条件を出し、私の答えを待ったのである。
「2日後の24時だな。分かった」
拒否する理由は何もなかった。
私は受け、場所を聞いて、フェネルを担いで洞窟から去った。
ラーシャスが念を押して「忘れるなよ24時だ」と後ろから声をかけてきたので、私はそれに「分かった」と答えた。
ドリアードゲートへ向かおうとして、私はふと、思い出した。
確か、この辺りにはバーサーカーのコッドが居たな、という事を。
彼は戦闘のエキスパートだ。
それこそ私の200人分くらいだろう。
図々しいとは思わなくはないが、このまま行っても確かに死ぬだけで、そうなっては文字通り、元も子もない。
ならばいっそ恥を忍んで、頼むだけ頼んで見るのも良いか、と、私はそう考えたのだ。
「……行って見るか。できるだけの事はしておこう」
私はフェネルを担いだままで、コッドが住んでいる場所へと向かった。
コッドは会って、話した直後には、私の頼みを引き受けてくれた。
立ち上がって斧を持ち、「行くか」と即座に言ってくれたのである。
フェネルが「渋っ!」と言っていたが、私もその時は「渋っ!」と思った。
男でも惚れる男と言うのは、コッドのような者を指して言うのかもしれない。
私とフェネル、そしてコッドは、現在夜の森に居る。
そこは別名で朱の森と言われるエルフ達が住んでいる森であった。
なぜ、私達がここに居るのか。それは戦力を得る為である。
「オレ一人では先生を守れない。もう一人か二人位は腕利きを連れて行った方が良い」
これがコッドの提案であり、エキスパートの彼が言うならと私も色々と考えてみた。
その結果、過去に知り合ったエルフの事が頭に浮かび、駄目で元々の精神でこうして訪ねたというわけである。
現在、森は延々と続き、終わらない同じ光景が、何度も何度も繰り返されている。
これはエルフが仕掛けた魔法で、彼らに気付かれ、受け入れられなければ、延々ここを歩き続けるか、もしくは引き返すしか道は無いという、結界のような代物だった。
彼らの村に辿り着くには、彼らに気付かれなくてはならず、私達はそれを期待して、同じ場所をずっと歩いていたのだ。
ここに来てから1時間、或いは2時間が経っただろうか。
フェネルは「眠い、無理」と言って、今は私の背中で寝ている。
コッドは何も言いはしないが、その沈黙が私には「大丈夫かオイ? そろそろキレるぞ?」と、常に主張しているようで、むしろ逆に恐ろしかった。
それからも更に数十分、私達は無言で歩いた。
気付かれなかったか……と、思った直後、緑の木々が突然に、一斉に朱い色へと変わった。
「気付いてくれたか!」
私は思わずそう言った。
「お久しぶりですイアン先生! どうしたんですか連絡も無く?」
そして、エルフの男女が現れ、私達の前に下り立ったのだ。
一人はアリウ。もう一人はその妻であるルクである。
随分と前の事になるが、彼らは私を覚えてくれていた。
医者をしていて良かったと純粋に思う瞬間である。
「お蔭さまで子供も産まれました。でも、結婚式にはどうして来てくれなかったんですか?」
聞いてきたのはルクだった。
あの時は死にそうな顔をしていたが、今はとても幸せそうだ。
子供も産まれたという事だし、まさに幸せ絶頂期だろう。
「いや、流石に図々しいかなと。私は実際、何もしていませんでしたから」
ルクに言うと、夫婦揃って「そんな事はありませんよ!」と返してきた。
息の合った良い夫婦である。
私は感心し、一人で頷いた。
「あまり時間が無いんじゃないのか?」
横から「ボソリ」とコッドが言った。
確かにその通りだ。
感動の再会に少しばかり気分が高揚してしまったらしい。
「実は……」
言うべき事を思い出し、時間が時間という事もあるので、手短にアリウとルクに伝えた。
アリウとルクは途中途中で「なるほど」とか「うんうん」とか言っていたが、全てを聞いた後にお願いされると、
「わかりました。喜んで」
と、あっさりと協力の意を示してくれた。
良い夫婦である。本当に。
「ルク、お前は留守番だ。弓矢の腕も魔法の腕も私の方が上手だからな」
「ハイハイわかりましたよー。じゃあしっかり頑張ってきて!」
アリウが言って、ルクが言った。
直後には頬にキスをして、お互いの愛を確かめ合う。
私がそっと目をそらすと、同じように目を反らしていたコッドと目があって何だか少し気まずくなった。
コッドも多分、「嫁さん見つけよう……」とか、心の中で思っていたのだろう。
いや、一方的な私の予測だが……
「では行きましょう。その子はどうします? 良ければ我が家で預かりますが」
その子、つまりフェネルを指して、アリウが私に聞いてきた。
「いや、一応ウチに置いて行きます。これの家族が心配するでしょうから」
「なるほど。わかりました」
アリウが答え、小さく頷いた。
「それでは気を付けて!」
ルクが言って、枝に飛び乗る。
直後には溶けるようにして姿を消して、周囲の木々の風景も緑のものへと変化していた。
私達はとりあえず、我が家に帰る為にドリアードゲートに向かった。
翌日。
私達は朝早くに我が家を出発して目的地に向かった。
目的の地は聖水洞と、邪水洞と呼ばれる場所で、位置としてはディザン王国の南西に存在するらしかった。
ゲートを通り、以前訪ねたフリートという町を目指して歩く。
そこがディザン王国の最南端にある町だったからだ。
そして、フリートの近くを流れている大きな川を遡る。
夕方頃まで歩いただろうか、左手の川が大きく分岐した。
一方の川は更に左へ。
もう一方の手前の川は、私達の右手の方に伸びていた。
川に沿ってそのまま進むと、やがて滝が見えて来た。
時間的にはそろそろ夜だ。
私達は今夜はここで休息を取るという事にする。
「果物でも探して来ます」
言ってアリウは森の中に消えた。
「オレは水を汲んで来よう」
コッドがそう言って動き出したので、私は火を起こす事にした。
枯れ木を集めて一か所に置き、数本を取って火を灯す。
その方法は当然魔法で、「こういう時には便利だな」と、身勝手ながらにそれに感謝する。
そこへ、コッドが戻って来た。左手には水が入った袋が。
右手にはどうやって捕まえたのか、3匹の魚を吊るして持っていた。
「凄いな。どうやって捕まえたんだ?」
「水面をパンチした。運の悪い奴らだ」
私が聞くとコッドが言った。
直後には魚を「ずい」と突き出し、無言のままで私に手渡す。
受け取った私はそれを木に刺し、焚き火の周りの岩間に刺した。
コッドは特に何も言わず、私の横の岩へと座った。
「そういえば体の調子はどうだ? 少しは良くなったのか?」
「ああ、まぁお蔭様でな。しかし反面、力は衰えた。もし足手まといになるようだったら置いて行ってくれて構わない」
振り向きもせずコッドが言った。
「君が足手まといになるような状況なら、私はもう死んでいるな。置いて行け、というのならそうなった私をこそ置いて行ってくれ」
私が笑い、そう言うと、コッドは「わかった」と普通に言った。
当然、私は言葉を失い、意味もなく魚を突く羽目になる。
「村を作ろうと思うんだ」
唐突にコッドが口を開いた。
突然の事で聞き逃してしまい、私は「ん?!」とコッドに聞き返す。
「村を作ろうと思っているんだ。あそこにな。基礎だけでも。そうすればオレが死んだとしても誰かがいつか住んでくれる。……あそこには人が住んでいてほしい」
聞かれたコッドはそう言って、再び口を閉ざしてしまった。
私は少し経ってからコッドに「それがいい」と言ってやった。
それから数分は無言だった。
焚き火が爆ぜる「パチパチ」という音だけが、周囲の闇に吸われて行った。
「すみません。今帰りました」
どれくらい経っただろうか、森に果物を探しに行ったアリウが闇の中から現れた。
その両腕にはブドウのような、薄緑色の果物が抱えられていた。
「魚ですか。先生が?」
言いながら、アリウが果物を置き、私の眼前の岩へと座った。
「いや、彼だ。そういえば紹介はまだだったかな?」
「ええ、そういえばそうですね」
コッドを見ながら私が言うと、アリウが言ってコッドの方を見る。
「彼はコッド・エイガーだ。不愛想だが気の良い男だ」
「なるほど」
私の説明にアリウが頷く。
それからコッドの方に向けて「よろしく、私はアリウだ」と言った。
コッドはそれに「ああ」とだけ返し、彼らの短い自己紹介は終わった。
「(本当に不愛想ですね)」
小声で言ってアリウが笑う。
以前はこういう性格ではないと思ったが、あの時は余裕が無かったのだろう、或いはこちらの性格こそが、アリウの本来の性格なのかもしれない。
「目的の場所は聖水洞でしたか?」
「ああ、何か心当たりが?」
アリウに聞かれ、私が言った。
「心当たりというよりは、殆ど伝承の類のものですね。いつだったか父が話していました。聖水洞と邪水洞、二つの洞から湧き出る水で癒せぬ毒はこの世には無し。されど均衡崩れし時は、どちらの水も猛毒と化す。……一言一句違わないわけではないですが、これに近い事を言っていたかと」
「均衡崩れし時、というのが、今の状態というわけか……」
私が言うとアリウは「おそらくは」と、推測ながらも同意をしてくれた。
「邪水洞の方は生きているのか?」
これはコッドの質問だった。
一応、聞いてはいたようである。
「ラーシャスはそちらには何かが居るとは言わなかった。だから多分、生きているんじゃないのか?」
私が言うと、コッドは「そうか」と言い、それきりまた口を閉ざした。
何で聞いたかは分からないが、彼なりに思う所があったのだろう。
「先生、もう焼けてるんじゃないですか?」
アリウに言われ、魚を見ると、むしろもう焼けすぎていた。
私は責任を取る為に一番焦げた魚を食べた。
ほろ苦く、そして、何だか暖かい、春の思い出の夜であった。
聖水洞へと続く道は、険しく、そして困難だった。
私達を最初に出迎えたのは、道なき道の山道であり、木を分け、草を分けて進んでいくとやがてはそれは断崖へと変わった。
コッドに担いでもらう事で、なんとかそれを突破したが、彼がついてきてくれなかったら、私の冒険は終了していた。
崖を上ると、今度は三つの大きな裂け目が私達を出迎えた。
これは、アリウがロープを持って飛び越える事で突破となったが、彼がついてきてくれなかったら、ここでも冒険は終了していた。
つまり、私一人であったなら、ひとつも突破できなかったわけで、ついてきてくれたこの二人には私は本当に感謝をしていた。
裂け目を越えると洞窟があり、左手には大きな滝が見えた。
水の色は綺麗であったが、それに接する土や岩は、それとは不釣り合いに不気味な色だった。
予測の域を出ない事だが、この水は見た目はともかくとして、邪水のみで構成された猛毒に近い水なのだろう。
もし、ここにフェネルが居たら……
考えるだけでぞっとする。
「この水うまいっすマジうまいっす! おい死イィィっ!?」
となる事は明白だろう。
「どうします先生。おそらくこの上なのでしょうが……」
アリウが私に聞いてくる。
このまま洞窟に入りますか、という、そういう意味の質問なのだろう。
現状、ここの周囲には魔物の類は見かけられない。
しかし、洞窟に入ったとして。無事、上に辿り着けたとして。そこがここと同じとは限らない。
聖水洞と邪水洞の周囲には、魔物が溢れているかもしれないのだ。
そうなるとそこで待機をする事は、火事場の中で雨を待つよりきっと難しい事だと言えよう。
つまり、待機をするのであれば、現状ではこの場が最良なのだ。
私は迷い、考えた。
懸念する事がひとつあるからだ。
それは、約束の時間までに辿り着けていない場合の事である。
洞窟の中が意外に広かったり、複雑だったりした場合、迷って、間に合わなかった場合には、どうなるのかが心配なのだ。
ヒドラが増える、とか、ヒドラが増える、とか、具体的な事を言われていれば、私にも方針が立てられるのだが、特に何も言われていない為に、その立てようがなかったのである。
「うーん……」
結果、私は必死で考え、最悪のケースを想定した上で方針を決めねばならなくなった。
この場合の最悪はやはりは「間に合わない」というものだろう。
魔物が居ても戦って、倒し切ればなんとかなるが、間に合わなくて消滅したり、永遠に取れなくなってしまえば、どうしようもなくなってしまうからだ。
「入ろう。中の安全が確保できれば、そこで時間を待っても良い。中の状況が分からなければ、最悪、間に合わないという事もありえる」
結論として私が言って、アリウとコッドが「こくり」と頷いた。
「一応、先生も持っておいてください。出来る限りは守りますが、万が一、という事もありえます」
「ああ、しかし君の武器が……」
「私にはこれがあります」
聞くと、アリウは弓を見せた。
そちらの方が得意なのか、その顔は自信に満ちている。
私は「なるほど」と言って笑い、アリウの剣を借りうけた。
そして、私達は3人揃って洞窟の中へと入ったのである。
洞窟の中は薄暗かったが、見えない、という程では無かった。
周囲3m程なら私にも見えるし、エルフであるアリウのお蔭で、その先の様子も知る事が出来ている。
前にも言ったがエルフとは暗闇の中でも目が効くのである。
洞窟の中は蜘蛛の巣や、菌糸が張り放題の状態だった。
時折、地面には骨が見えたが、個人的にはその骨は獣の骨だと思いたかった。
そんな私の願いを壊し、そいつは突然姿を現した。
巨大な蜘蛛、ジャイアントスパイダーだ。
唐突に私の横から現れ、飛びかかり、私を押し倒して、その上に「ぐわっ」と覆いかぶさったのだ。
「ぎゃああああ!!」
突然の事に私は驚き、そして、異常に近い顔に嫌悪感を覚えて顔を反らした。
腹を押すと「ぶにゅり」と柔らかい。触った事を後悔する程だ。
巨大蜘蛛が口を開け、私を喰らおうと顔を近づけた。
それを押し返す私の心境は、ゴキブリを素手で触る事にかなり近い代物だった。
「ギシャアア!!」
が、やつは直後には顔を反らして奇声を上げた。
見れば、コッドが巨大蜘蛛の背中を自身の斧で切り付けていた。
「ぶじゅり」と緑の体液が迸る。
コッドの腕にそれがかかったが、彼は気にせず斧を振り上げた。
その心境は分からなかったが、私であればかかった瞬間に「やるんじゃなかった……」と思った事だろう。
コッドの再度の攻撃は残念ながら空を切った。
巨大蜘蛛が素早く身を引き、暗闇の中に逃げたからだ。
「大丈夫か?」
と、コッドが言って、私に手を差し伸べて来た。
勿論、体液にまみれた手である。
「だ、大丈夫だ。ありがとう」
その手を取って私が立ちあがる。
体液にまみれたその手は一応、ズボンに擦り付けて掃除をして置いた。
流石に拒否はできなかったから……
「どうやら蜘蛛以外にもここには色々と居るようですね」
先頭に立つアリウが言った。
直後には、前面の闇に向かってアリウは弓矢を撃っていた。
「ぱふん」という音がして、人型の何かが姿を現す。
緑色の菌に塗れた、キノコ人間のモールドマンである。
もはや生前の記憶はもたず、キノコの菌の集合体に操られているだけの存在で、仲間を増やすための依り代として生あるモノを襲う生物だ。
こいつは確か火に弱い……のだが、ここでそれを使った場合、あっという間に燃え広がって進退窮まる事は間違い無い。
だが、それだからといってこいつを直接攻撃してはならない。
攻撃すれば菌が舞い散って、私達の器官に侵入するからだ。
そうなれば昨今近い内に、私達はまとめてキノコ人間だ(一人はキノコエルフだが)。
「攻撃は駄目だ! こいつは菌をまき散らす!」
私はそれを早口でアリウとコッドに短く伝えた。
「つまり逃げるしかないという事ですか!」
アリウのそれが正解だった。
焼ければいいが、そうはいかない。
という事はもはや逃げるしかない。
たかがキノコに情けない事だが、この屈辱は生きて帰って、キノコパーティを開いて濯げば良いだろう。
私とアリウ、そしてコッドは、モールドマンの隙間を抜けて洞窟の奥へと走り出した。
モールドマンには知能が無い為、抜けられた事すら分かっていないようで、その場でフラフラしてはいたが、私達を追ってくるという事は無かった。
モールドマンを撒き、走っていると今度はゾンビに襲われる事となった。
その数はおよそで10体ばかり。
殆どの肉が削げ落ちていて、どちらかというとゾンビと言うよりスケルトンと呼んだ方が近いのかもしれない。
しかし、彼等はアリウとコッド、そしてどさくさの私の攻撃であっという間に倒される事になった。
倒した、と言っても一時的に行動不能になっただけなので、私達は即座にそこから移動し、出口を探して洞窟内をさまよった。
蜘蛛に蝙蝠、果てはムカデまで、様々なモノに襲われたが、私達はなんとか出口を見つけた。
そこを出ると目の前には巨大な湖が広がっていた。
左には滝があり、右手には多くの花が咲き乱れている
そして、遠くには二つの洞窟の入り口も発見する事が出来た。
時刻は16時32分。
時間的にはかなり早く、私達は目的地への到着を果たした。
「先生、そろそろ時間です」
アリウに起こされ、私は目を開けた。
懐中時計の時間を見ると、23時50分を指していた。
ほんの少し休むつもりが6時間近くも眠っていたらしい。
交代で休むつもりであったが、私ばかりが休んでしまった。
アリウとて疲れていたのだろうに、私に気を遣ったのだろう。
私はアリウに「申し訳ない」と言い、頭を振って体を起こした。
「気にしないでください。私も少し休みました。彼が代わってくれたので」
アリウが言って、コッドを見た。
コッドは視線に気づいていたが、それに気付かぬフリをして、武器を支えに立ち上がった。
「2つありますが、聖水洞はあちらという事で良いのでしょうか?」
アリウが指さす方向は私から見て右手の方だった。
湖へと注ぐ小川が見えたが、確かにそちらの洞窟からは水が流れてきていなかった。
一方の左手の洞窟からは、一応の水が流れてきており、ラーシャスの言葉から考えるなら、出ていない方が聖水洞と考えるのが筋かと思われた。
「そういう事だろう、おそらくは」
私が言って、立ち上がる。
それに続いてアリウが立って、私達はそちらの洞窟に向け、武器を構えて歩き出した。
なんだか少し喉が渇き、水筒を開けて水を飲む。
ふと、湖の中を見ると、一匹の大きさが私程もある巨大な魚がうようよしていた。
「ぶふぅ!」
驚きのあまりに私が噴き出す。
すわ何事か、と、アリウとコッドがすかさずそちらの方へと向いた。
「い、いや、何でもないんだ。魚があまりに大きいというか……かなり不気味な魚だったもので」
私がそう説明したので、二人はとりあえず武器は下した。
それにしてもこの魚、よくよく見れば目つきが悪い。
下あごも「ずいっ」と突き出しており、そこから二本牙が伸びていた。
おそらく普通の水ではないのに平気な顔で遊泳している。
魔物、といっても差支えない程の貫録をもった魚と言えよう。
だが、現状この魚は私達にとっての問題では無い。
不気味だ、とは思いはしたが、それは放置して洞窟に向かった。
洞窟の前に着いた時には24時の3分前だった。
伸びをしたり、屈伸したりとコッドは準備に余念がない。
アリウはと言うと静かに目を瞑り、微動だにせず時を待って居た。
私はそんな2人を見た後、「このままではいかん」と考えて、とりあえず剣を見たりしていた。
そして、いよいよ時間はやってくる。
私達は24時きっかりに洞窟の中へ突入した。
まず、第一に思った事は洞窟の中が綺麗だという事だ。
蜘蛛の巣は無いし、菌糸も無い。
蝙蝠等の生き物も居ないのか、糞尿の類も確認できなかった。
つまり、彼らが住めないだけの強烈な理由があるわけである。
私達は慎重に、洞窟の奥へと進んでいった。
天井が高く、横にも広い。
話に聞く「やつ」が棲むには確かに最適といえる場所だ。
小川の跡に沿う事数分。
横幅が不意に広くなった。
しかし反面、明度は低く、腕を伸ばした先程度にしか目視ができないようになった。
「先生危ない! 避けて下さい!!」
直後に、前方から声が聞こえた。
アリウの声だ、と思った時には、私はコッドに抱えられていた。
コッドは私を抱えたままで右方向に大きく飛んだ。
そして、私が立っていた場所を、何かが猛然と通り抜けたのだ。
「明かりをつけます! 目をやられないでください!」
暗闇の中からアリウの声がした。
返事の代わりに目を瞑ると、瞼の上から眩しさが差し込んだ。
アリウが魔法で明かりをつけたのだ。
再び目を開いた時には、そこにはもうヒドラが立っていた。
身の丈およそ5m。
大蛇のような九つの首に、紫色の胴体からは四本の足が生えている。
そこだけ見るならカメのようだが、その上に生える九つの首が、奴を魔物だと証明させていた。
「フシュウフシュウ」と言いながら、ヒドラが紫色の毒を吐いて、少しずつアリウに近付いて行く。
アリウが矢を放っているので、敵だと強く認識しているのだ。
アリウは後退し、距離を稼ぎつつ、的確に矢を放っていたが、ヒドラはそれがどこに刺さろうとお構いなしで進み続けた。
「ここに居ろ。奴はオレ達でおびき出す」
コッドが言って走り出し、ヒドラの横から斧で切りかかる。
その攻撃は不意を突き、ヒドラの前足に「ずぶり」と食い込んだ。
しかし、直後に傷は回復し、内部の肉に押されるようにして、コッドの斧は弾き出された。
そして、9本の首の2本が動き、コッドへの反撃を開始する。
コッドは1本を斧で切り裂き、もう1本を飛んで避けた。
首は地面に「ズボリ」と刺さり、その事によって土ぼこりが舞い上がる。
その時にはもう別の首が、コッドに向けて襲い掛かっていた。
コッドはそれを斧で受けたが、続く攻撃は避けられそうになかった。
だが、アリウの放った矢が、1本の首の目に突き刺さり、その隙をついてコッドは後退し、離れた場所で体勢を整えた。
ヒドラの、コッドに切られた傷はもう完全に治っていたが、矢はそこに刺さっている限りは視界の回復は望めないようで、アリウが狙ってやったのかはともかく、これは効果的な手段のようだった。
「アリウ! 目だ! 目を狙うんだ! ただし1つは残してくれ! おびき出せなくては意味が無い!」
「わかりました!!」
私の言葉にアリウが答えた。
その声でヒドラは私を見たが、正面からコッドが迫った為に目標を再び彼へと定めた。
アリウが走り、矢を放つ。
その狙いは正確無比で、1矢で1眼を確実に貫いた。
続き、コッドが腹部を切り裂く。
その傷はすぐにも塞がったが、攻撃しようと動いた直後、矢はその首の目を貫いた。
これはイケる、と私は思った。
面倒な事をしなくてもこのまま倒せてしまうのではないか。
それならそれでその方が、危険を冒さずに済むのではないだろうか。
私がそう思った直後、戦況は私達に不利なものとなった。
目を失ったヒドラが暴走し、ヤケクソになって全ての首から毒の息を吐き始めたのだ。
狙いは無く、考えも無い、全ての首を振り回し、そこら中に吐きつけている。
こうなっては手が付けられない。近付く事すらままならなかった。
コッドも離れ、後退を始めた。
アリウは矢を構えていたが、紫色の息に阻まれて狙いが付けられずにいるようだった。
私の考えが甘かった。
倒せてしまうなどとんでもない。
あっという間にお手上げではないか。
このままここでじっとしていれば、いずれは毒にやられてしまう。
そうなる前になんとかしないと、私達は揃って奴の餌である。
とにかく注意を引き付けなくてはならない。
私がここに居る事を奴にアピールしなくてはならないのだ。
そして、外におびき出して……
その後は一体どうなるというのか!?
「どうなるんだ!? 聞いていないぞそう言えば!!?」
口に出して思わず叫ぶ。
幸か不幸かその声で、ヒドラは私の存在に気付いた。
こうなればもはやヤケクソである。向こうもヤケだがこちらもヤケだ。
「さぁこい! 私が相手をしてやる! 貴様なんぞものの5秒で細切れミンチのプップクプーだ!!」
何を言ったか自分でも分からない。もはや勢いとノリだけだった。
「聞いているのかデクノボーが!!」
ヒドラが二の足を踏んでいたので、私は奴に剣を投げつけた。
剣は届かず、「カラン」と落ちたが、ヒドラは体をこちらに向けた。
「来い! 素手だ! 素手でやってやる! 表に出ろ! 真剣勝負だ!」
その挑発が効いたのかどうか、ヒドラがゆっくりと歩き出す。
まだ足りないか、と私は思ったが、直後にはその足を一気に早め、猛然と私に近付いてきた。
「よおし! こい! その意気だ!」
妙なテンションの私が言って、洞窟の外へと走り出した。
アリウとコッドは茫然と私の暴走を眺めていた(気がする)。
私が走り、ヒドラが迫る。
ヒドラはやはり見えていないのか、洞窟の壁に体をぶつけ、蛇行しながら私を追っていた。
もし、直線で迫られたなら間違いなく追いつかれていただろうから、これは私には幸運だった。
「おい! どうした! ビビったのか?! そんなに私が怖いのか! デカイのは体だけだな全く!」
途中、ヒドラが足を止めたので、私は駄目押しに挑発をした。
言って、「ははは!」とわざとらしく笑うと、ヒドラは再び動き出す。
私のテンションもどうかしていた。或いは毒にやられたのかもしれない。
後になって考えると、とんでもない事をしでかしたと思う。
ともあれ私は洞窟の外に出た。
ヒドラも遅れて飛び出してくる。
そして、私とヒドラは対面し、時間が「ぴたり」と停止するのだ。
「(……私は何をしているんだ!?)」
ファイティングポーズを取ったままで、私の頭が一気に冷える。
どうして、なんでこうなった!
と、心の中で繰り返す。
ヒドラは今、ゆっくりと私の方に近付いてきていた。
終わりだ、もはや成すすべなしだ。
私は一応構えは解かず、心の中ではそう観念した。
直後、私とヒドラの間に、凄まじい大きさの何かが下り立った。
それはすかさずヒドラを掴み、巨大な顎で首にかみついた。
そして、一気に5本を食いちぎり、悶えるヒドラを掴んだままで、高熱のブレスを吐きつけたのだ。
ヒドラはまさに成すすべが無く、あっという間に消し炭と化した。
降り立ったものはラーシャスだった。
彼は上空で待って居てくれたのだ。私達がヒドラをおびき出す時を。
わざわざ時間を指定した理由は、どうやらこういう事だったらしい。
振り向き、にやりと笑った(ように見えた)ラーシャスに、頼もしさと恐ろしさを感じた瞬間だった。
私達は一夜を待って、聖水洞の復活を見届けた。
そして、湖でそれが混ざり、中水が生まれた瞬間を見る。
泳いでいた魚は見る間に変化し、割と可愛い魚になった(それでも下あごは突き出ていたが)。
私達は中水を採り、ラーシャスに乗せてもらって下山を果たした。
「まぁ今回のお礼というか、お前の気がすまんようなら、いつぞやの酒を持って来るといい。ひとつでなくてもふたつでも良いぞ? そこはお前の気持ち次第だ」
ラーシャスは去り際にそう言って「ふふふ」と笑って飛んで行った。
その口ぶりから最低でも2つは望んでいるのだろうが、私は3つ持って行って驚かせてやろうと考えていた。
「それでは先生、私もここで。今度は遊びに来て下さい」
「じゃあゲート開けるよー」
アリウが言ってゲートが開く。
ここのゲートはムルメという幼げな少女が管理しているようだ。
「ありがとう。いつかそうさせてもらうよ。奥方様にもどうぞよろしく」
「わかりました。ではまた」
ゲートの中にアリウが消えて、その直後にはゲートも消えた。
「オレも頼めるか?」
「あん? いいよ別に。カーレント地方だっけ?」
コッドが聞いてムルメが聞き返す。
コッドはそれには「ああ」とだけ言った。
「ありがとうコッド。君達が居なければ成し遂げられなかった。レーナが回復したらまた会いに行くよ」
「ふっ、素手でヒドラとやりあった男が、随分と殊勝な事を言う」
私が言うとコッドは笑った。私としては苦笑いである。
あの時は本当にどうかしていた。今考えるとぞっとする。
「あいよーひーらきましたー」
独特の口調でムルメが言う。
ゲートはもう開いていた。
「じゃあな。大事にしろよ」
何を、と聞く暇もなく、コッドはゲートの中へと消えた。
まぁ、なんとなく分かりもしたので、心の中だけで返事をしておいた。
「おっさんはどこ?」
「おっさん!?」
衝撃の言葉に私が引いた。
しかし、確かに年齢的には彼女から見たらおっさんなのだろう……
「あー……私はラーズ公国だ。リーンの居る場所と言ったら分かるかな?」
「へいへい、おっさんはラーズ公国ね」
「……」
二度も言われ、私は傷ついた。
ゲートが開き、「あいよ」と言われる。
しかし、素直に「ありがとう」が言えない。
「おっさん開いたよ」
と三度も言われ、私はようやく引きつる笑顔で、
「ありがとう!!」
と言えたのだった。
自宅に帰るとフェネルが寝ていた。
フォックスが言うにはこいつらしくなく、レーナの看病をしていたらしい。
タオルを代えたり、食器を運んだり、という、些細な看病らしかったが、私は眠っているフェネルを撫でて心の中で褒めてやった。
「うーん……臭い……イアン臭い……」
直後のそれは寝言だろうが、どういうニオイだと私は疑問した。
「レーナは?」
「今は落ち着いとるな。夜になるとちと熱がの」
「そうか……すまなかったな。助かった」
私が言うとフォックスは「見つかったのか?」と聞いてきた。
私はそれに「ああ」と答え、レーナの部屋に向かって歩いた。
ノックをするが返事は無い。
そっとドアを開けてみると、レーナは汗をかきながら寝ていた。
隣に座り、汗を拭う。辛かったろう、と私は思った。
こんな目に遭わせているのは全て私の責任である。
私が強ければ、こうはならなかった。
「レーナ」
小さく名前を呼んでみる。
聞こえない事を前提とした声だ。
眉毛がぴくりと動いた気がしたが、やはりはレーナは起きなかった。
「レーナさん。今、戻りました」
普通の声で呼びかける。
「ん、あ、先生……?」
今度はレーナも目を覚ました。
「これを飲んでみて貰えますか? ラーシャスから聞いた薬なのですが」
目覚めたレーナに袋を渡す。
やはりは見えないようなので、右手を添えてそれを掴ませた。
「今、紐を解きます」
口を縛る紐を解き、私が「どうぞ」とレーナに言った。
レーナは少し躊躇をしていたが、やがてはそれを口に近づけて、少しずつ喉に通して行った。
「薬にしては美味しいですね」
言って、レーナが「にこり」と微笑む。
目が見えない為だろう、その対象はズレていたが、私はそれでも微笑み返した。
「あれ……?」
二分程が経っただろうか、レーナが小さな声を出した。
「見える!! 先生! 目が見えます! まだぼんやりだけど先生が見えます!」
直後には大きな声で言い、私の右手を両手で掴んだ。
治った。本当に治ってしまった。
医者要らずとなっては困ってしまうが、今回だけは素直に嬉しい。
流石ラーシャスだ、と心で呟く。
そして「良かった……!」と実際にも呟いた。
レーナの声が聞こえたのだろう、部屋の外から「よっしゃあ!」と聞こえた。
フォックスの声だ。
盗み聞きとは卑しい男だが今回に限りそれは見逃そう。
「とにかく良かった! 治ってくれて! あなたが居ないと私はどうも、調子が出ないと言うか駄目人間になる。しばらく休んで、回復したら、またよろしくお願いします」
レーナの手を取り、私が言った。
しかし、直後には恥ずかしくなり、握っていた手を「ぱっ」と離した。
「こ、こちらこそよろしくお願いします……」
そんな私の動作で照れたのか、レーナの頬が赤くなった。
あれ……もしかして……? と私は思う。
いやいやいや! それはない! そんなものは男の幻想に過ぎない。
私は「ゴホン!」と小さく咳込んで、気まずさを消すべく立ち上がった。
とりあえずそう、何か食べ物を、何か体力がつくものをガンガンにレーナには食べてもらおう。
そう思った私は部屋を出て、買い物に行こうと動き出した。
「先生?」
「は、はい?」
さぁいくぞ、というその態勢のまま、呼び止められた私が振り向く。
「あの、もしかしたら夢かもなんですけど……わたしの事レーナって呼んでませんでした?」
「!?」
呼んだ。確かに私は呼んだ。
寝ていると思ってどさくさで呼んだ。
しかし、まさか聞こえていたのか……
焦った私は無言であった。
「もし、夢じゃなかったら……ずっとそう呼んでくれませんか……?これからはその、レーナって……」
もし、夢じゃなかったら。それは私のセリフであった。
右手で自身の頬を殴る。
痛い。これは夢じゃない。
夢だとしても醒めたくはない。
「せ、先生……?」
私の奇行に困惑したのか、レーナは目を瞬かせていた。
「あ、あー……で、ではレ、……レー……ナ、私は買出しに行ってくるので、無理をせず体を休めていてください……」
やっとの事で私は言った。
聞こえているかすら怪しいものだ。
「はい?」とか言われたら悶絶ものだ。
「はい!」
だが、レーナは満面の笑みで、私にそう答えてくれた。
結局、私は悶絶したが、それは心地良い悶絶だった。




