脅威の生命
その日は義足の調整をしていた。
先の、ケンタウロスの子供用の、特別仕様の義足である。
大体のサイズを頼んでいたのだが、やはりは微調整が必要なので、仕事の合間に私がそれを代行していたというわけだ。
現在、診察室の中には私一人しか存在しない。
フェネルは珍しく来ては居ないし、患者の予約も今日は無かった。
レーナは洗濯や掃除等、所謂家事をこなしてくれており、余程の用が無い限りは診察室には入って来なかった。
故に、私は黙々と、無心でひたすら調整をしていた。
「まぁ大体こんなものか」
朝から数えるなら3時間程が経ったか。
調整の終わった義足を眺め、私が納得の声を発す。
「これならあの子も喜んでくれるかな」
一人で微笑み、義足を置く。
それから伸びをして今更気付いた。
「……今日は暇だな」
という事に。
フェネルはおらず、患者も居ない。
実を言うと今日は朝から一人も患者が来ていなかった。
それはたまにある事なのだが、家計的にも私的にも、なんだか少し寂しい事で、何よりもやるべき事が無いので、私は暇で仕方が無かった。
やむを得ず棚を開け、薬品の位置を整理してみる。
2分で終わりまた暇になる。
雑巾を持って台を拭く。
ついでに診察台も拭いてみたが、それでも3分はかからなかった。
鳥の鳴き声が聞こえてくる。
ヤバイ位に暇である。
ここまで暇なのも珍しい事だ。
私はやむを得ず診察室を出て、何気ない気持ちで玄関に向かった。
外に出ると暖かい陽が、私の顔を眩しく照らした。
見上げると、空が綺麗だった。
雲一つない青空が頭上一面に広がっていた。
胸の痛みも今は少ない。
父親の血の影響だろう、傷の治りは人よりは早いらしい。
「(春の到来もいよいよだな……)」
清々しい気持ちになった私が心の中で言う。
「おい」
という声が聞こえて来たのは、その直後の事であった。
視線を戻し、前を見るが、しかし、そこには誰も居ない。
「おいというに」
という声は、視線の更に下の方から聞こえた。
「あ」
足元には中年の男が居た。
身長は120㎝位だろうか。
あまりに小柄であった為に、私の視界には入らなかったようだ。
本人には言えないが、本当の事である。
「ああどうも、お久しぶりです」
それは私の患者であった。
名前はホルグ。
種族はドワーフで、人間の年齢に換算するなら30才前後の髭親父だ。
ドワーフは屈強で、こうと決めたら動かない頑固な精神の持ち主である。
彼もまたそれに違わず、頑固な精神の持ち主だった。
なぜ、彼の名を知っているのか。
彼はヘルニアを患っており、何度かは私の治療を受けた。
しかし、ヘルニアが悪化したので「手術をしよう」と私は言った。
すると彼は「冗談じゃない!」と、それを拒否して逃亡し、以来、一度も私の医院を訪ねて来なかったという訳である。
悪い意味だが、屈強で、頑固な精神の持ち主と言えよう。
「言って置くが手術はせんぞ。今日は別件じゃ。さっさと入れ」
不愛想にそう言って、ホルグは中へと入って行った。
ここは私の家なんだがな……と、思いはしたが私も続く。
診察室の中に入ると、ホルグはもう椅子に座っていた。
そして、目を見開いて「さっさとしろ」と命令するのだ。
ドワーフとは大体こんな感じで、不器用で不愛想な連中である。
そこに悪気は無いというので、私もこれしきで怒りはしない。
「今日はどうしましたか?」
「フン! 見て分からんのかヤブ医者め」
そう、これ位でも怒りはしない。
「ヘルニアも全然治っとりゃせんわ!」
しかし、これには怒りたかった。
それはあなたの判断でしょう!? と。
「まぁええ。目じゃ。今日は目なんじゃ」
ホルグが即、そう言わなければ私も流石に怒ったかもしれない。
だが、そう言って目を見開いたので、私はそれを診る事にした。
「ふむ……特に異常は無いようですが」
言葉の通り異常は無かった。
念の為にと指を動かすが、目の反応は正常に見える。
「そんなわけがなかろうよ。現にワシの視力は落ちとる。以前であれば50m離れても、お前さんの鼻のハナクソをきっちり確認する事が出来た。それが今は情けない、500m離れた程度で、お前さんの鼻しかわからんようになった。これで異常が無いっちゅうのならお前さんは本当にヤブ医者じゃわい」
待て待て逆に良くなってないか!?
というかどうして鼻にこだわる!?
突っ込みたい所がありすぎて、私は直後は無言であった。
「……困るんじゃよ。実際な。仲間の鼻しか見えんようでは」
「ま、まぁそれは困るでしょうが、視点をもう少し引いてみては?」
それには流石に言わざるをえず、遠慮をしながら私は言った。
「バカモン! それが出来れば医者はいらんわい!」
怒られてしまったが正論ではある。
それが出来ないからここに来たのだ。
私は妙に納得し、なぜ、そうなったのかを聞いてみた。
「知らん。1週間位前から急にこうなった」
「何かが目に入った記憶は?」
「無いな。仲間と同じ場所で働いとったからな。妙なもんがそこにあったなら、ワシでなくとも仲間の誰かがそれに気付いて指摘したろうよ」
「鉱山関係のお仕事でしたか?」
「それがどうした。もう何十年も鉱山関係のお仕事をしとるわ」
ホルグは言い方はともかくとして、私の質問に答えてくれた。
実際、おそらく目は悪くない。
むしろ良くなりすぎている。
つまり、言い方を変えるなら、調整が効かなくなっているのだ。
彼の場合は視界が異常に拡大されて映っている訳で、確かにそれは彼にとっては非常に困る事柄だろう。
「現時点で原因は分かりませんが、これで中和は出来るかと思います」
私が出したのはレンズであった。
縮小と拡大の為に使う医療器具のひとつである。
勿論、今回は縮小用で、これを眼鏡のようにして使用すれば、苦し紛れの一先ずはだが、ホルグの視界はまともになって生活に困らなくなるはずだったのだ。
「細工はあなたの得意分野でしょうから、ここではレンズの調整だけをしましょう。後はこれを持って帰って、好きなように加工してください」
ドワーフ達は手先が器用で、細工や装飾を得意としている。
そこへ私が踏み入る必要はまったくもって不要なのだ。
彼にとっては眼鏡を作るなど、それこそ朝飯前の事だろう。
「フン。まぁ良かろう。そうと決まったらさっさとしてくれ」
そこにはプライドもあったのだろう、ホルグは少し誇らしげであった。
私は丁度良い尺度を探し、その都度レンズを変えて行った。
約10分後、レンズが見つかり、ホルグはそれを受け取って銀貨を置いて帰って行った。
「これはあくまでも応急的な処置です。根本的な解決ではありません。何か異常が現れた時、原因が分かった時にも面倒でしょうが来ていただけますか?」
帰り際、私は彼にそう言い、彼もまた「わかった」とそれに答えた。
1週間後か、2週間後か、それともまた以前のように何か月も経ってから「ひょっこり」と来るのか。
私はその時そう思ったが、ホルグが私を再訪したのは、それから僅か5日後の事だった。
診察室にはドワーフが居た。
それも1人や2人では無い、総勢18人の大人数である。
なぜ、こういう事になってしまったか。
それはホルグを治療した……というか、ホルグに眼鏡を与えたからだ。
「困るんじゃよ先生! ワシはもう仲間の顎しか見れんで」
「ワシは仲間の嫁しか見えん!」
「ワシなんて耳の後ろ側のなんかかさぶたっぽいやつしか見えんのじゃあ!」
そう、ホルグの仲間達が一斉に押しかけて来たのである。
連れて来た本人のホルグはというと、まるで関係が無いかのようにお手製の眼鏡を磨いている。
先程まで居たフェネルでさえも「オヤジ臭い!」と言って逃げて行った。
私は彼らの苦情と病状を一人で聞かねばならなかった。
なんだかどうも嘘くさいというか、「わざとじゃないの……?」というものもあったが、私はそれらを一つずつ、順番にカルテに書いていった。
「あるんじゃろ眼鏡が! ホルグの奴にくれてやった眼鏡が!」
「仕事にならんのじゃ! 先生さんよ! 頼むからひとつわけてくれんか!」
「厠はどこじゃ! 漏れそうなんじゃよおおお!」
「ワシを診てくれぇええ!!!」
無理だなこれは。
私は即断した。
診察に入る所か、症状を聞く隙すらもない。
18人が一斉に、休む事無く主張してくるので、誰が何を言っているのかが全く把握できなかった。
「あー!!」
という大きな声を発し、とりあえず彼らを黙らせる。
「原因の……究明をしましょう。その方がめんどくさくな、いや! 早い」
そして、彼らを治療するより、原因の究明を選ぶ事にした。
18人全員に構っていては、何日かかるか知れたものではないからだ。
ドワーフ達は「うにゃうにゃ」と、何事かを皆で言っていたが、やがては少しずつ口を閉じて、私の質問を待つ空気になった。
私はまず、いつからそうなったのかを1人1人に聞いて行った。
2日前やら4日前やら、中には1週間前やらと、結果としてはバラバラだった。
それでは、どこでそうなったのかを同じように聞いてみる。
返ってきたものは仕事場やら、自宅やら、通勤途中やらと様々である。
しかし、ひとつ分かった事もあった。
自宅から仕事場までの間で、彼らが発病しているという事だ。
原因はおそらくこの中にある。
だが、この際彼らの自宅は除外しても良いだろう。
誰かの家が原因ならば、家族の者もなっているはずだし、他人に感染する類のものなら、もっと多くのドワーフ達が同じ症状になっているはずだ。
そうなると通勤途中と仕事場に何かがあるという事になり、そこに居る、もしくは通る者だけにこういう症状が現れている、と、そう考える方が妥当と言える。
18人のドワーフ全てに、レンズの調整をしてそれを渡す。
これは完全な一時凌ぎで、何よりそんなに手持ちが無かった。
それよりは原因の究明をして、今後の発生を食い止めた方が、私としてもありがたいのだ。
私は彼らにそれを伝え、翌日には出発するという事も伝えた。
ドワーフ達は「うにゃうにゃ」と、何事かを相談していたようだったが、最後にはようやく納得をして19人揃って帰って行った。
「やれやれだな……」
泥だらけ、土だらけになった床を眺め、私は大きく息をついた。
助手であるフェネルが居ない以上、これを掃除するのは私だからだ。
尤も、フェネルが居たとしても「嫌です」と、断られてしまう事は目に見えていたのであるが……
ドワーフ達の町に到着したのは、翌日の午前11時頃だった。
その面子は私自身と、レーナとフェネルの3人である。
フェネルの同行に関しては、私はどうしようか少し迷った。
しかし、危険は無いと思うし、本人が来たいと言っているのにそれを拒否して置いて行こうものなら、何をされるか分からないので連れて来たというわけである。
我ながらなんと情けなく、腰の引けた大人だろうか。
他人事ならゲンコツをして、叱りつけてやれと忠告できるが、自分の事となると途端にそれが出来なくなるのが情けなかった。
「ねー先生、ドワーフって手先が器用だっていうのは本当なんですか?」
現在、私達は町に入り、長い坂道を上っている。
その坂道は町の中を蛇行するようにして伸ばされており、その間に彼らの家や店舗等が建てられていた。
山の中腹に作られた町故、こういう構造でも仕方がないのだろう。
「ねー先生! 聞こえなかったんですか! ドワーフって手先が器用なんですかって!」
フェネルが再度、後ろから言った。
どうせつまらない事であろうと無視をかましていたのであるが、なぜか余程に聞きたいらしい。
私は坂道を上りながら、「その通りだ」と短く答えてやった。
「ふーん……」
聞いたフェネルはそれだけを言い、その後に「ぷつ」と静かになった。
正直、こういうのは気になって仕方がない。
「な、なぜそんな事を聞く?」
ついには自分の好奇心に負け、フェネルにそれを質問してみた。
別に、とか言われたら悶絶ものである。
「えっとね。僕の父さんが、母さんに指輪を贈りたいんですって。結婚20年記念だとかで。で、なんか洒落たデザインの指輪を作れる人を探してんです」
珍しく、フェネルはまともに答えた。
「いいな~」
と、言ったのはレーナであり、それからすぐに「お父さん優しいね」と続けた。
私はまずは「そうか」と返し、それから「20年記念」という所に、ほんの少し疑問を持った。
フェネルは現在13才で、単純に逆算するのであれば、結婚してから7年後にフェネルを産んだということになる。
それって少し遅くないか、と、私はそう思ったのである。
「お前を産んだのが随分遅いな。まぁ、人それぞれだろうから突っ込む所ではないかもしれんが」
それ故にフェネルにそう聞いて、疑問を消してもらおうとした。
「あれ? 言ってませんでしたっけ? 普通に僕、姉さんが居ますけど」
「なあっ!?」
初耳である。寝耳に水である。
しかし、結婚年数的には確かに居てもおかしくは無い。
だが、今まで黙って居るか?
私の事にはズケズケと、土足で踏み入ってくる癖に、自分の事は隠し過ぎだ。
驚きよりむしろ怒りの方が大きい。
「まぁなんだ、よくも今まで黙っていられたな? 別に気にしていないがな私は」
それ故に私は皮肉を込めて、フェネルにそう言ってやるのだ。
「だって先生聞かなかったじゃん。僕には実は姉さんが居るよ! なんて、突然、意味もなく言う訳がないでしょーが」
「そ、それはまぁな……」
黙らされた。正論である。
そんな奴は確かに居ない。
私がいきなり「両親は居ません! 一人っ子でーす!」と言うのと全く同じだ。
フリが無ければ普通は話さない。
それでなくとも私はフェネルに必要以上には絡まない。
と、なれば奴の言う通り、話す機会は無かっただろう。
「こ、この際だから聞いておくが、お前ほかにも兄弟は居るのか? 実は8人兄弟でした、とか、おっそろしい事を隠してないよな?」
「だからそもそも隠してないでしょ! 後は6才の弟だけですよ。先生はやっぱり全体的に僕に対して失礼ですよねぇ」
私が聞いて、フェネルが答えた。
失礼、というなら奴も相当だが、今回は私も認めなざるを得ない。
「お姉さんはいくつなの?」
フェネルの後ろからレーナが聞いた。
「18ー。そういえばレーナさんはいくつなの?」
フェネルは問いに答えた後に、逆にレーナに質問をした。
「ふふっ、いくつに見える? まーお姉さんよりは年上かな~?」
「え……? に、28くらいっすか?」
「なんかリアルな年齢出すよね……そういう時は80才とか、90才とかのありえない年齢を言って欲しいな……そうしたらまだ笑えるし……」
フェネルの言葉にレーナがへこむ。
フェネルは「サーセン!」と謝っていたが、レーナはそれを怒りはしなかった。
彼女も半分は魔物である為、実際はそれなりの年齢なのだろう。
だが、「いくつに見える?」という質問には「20前後」と答えるべきだ。
私にはそう見える。気を遣っているわけでは無く。
「おう! 来たかヤブ医者め!」
坂の上から声がした。
見れば、一件の家の前にドワーフのホルグが立っていた。
どうやら作業をしていたようで、右手にはハンマーを持ったままだ。
顔にはお手製の眼鏡も見えた。
「随分な言われようだ。知らない人に聞かれたら私の商売は上がったりですよ」
「失業したら弟子にでもしてやるわぃ。尤もそのナヨっちぃ体では、床掃除から一生卒業できんだろうがな」
ホルグが言って、「ガハハ」と笑う。
フ ェネルも「ギャハハ!」と一緒に笑ったが、自称でも助手に居る立場の者が、ここで笑うのはどうかと思った。
「まぁとりあえず中に入れ。どうせ貧乏暮らしなんじゃろう。寝床と飯くらいは提供してやるわい」
そう言って、ホルグが中へと消えた。
「あれで気を遣っているつもりなのですよ。ドワーフとは全く不器用な連中です」
レーナに言って、私が苦笑する。
「そうだと思って接しなかったら、初対面で心が折られますよね」
聞いたレーナが微笑んで、「確かに」と私が同意した。
「先生みたいなドMにはむしろ物足りない感じですよね?」
という、フェネルのそれには否定をしておいた。
どこでどうなってドMになったのだ。私は。
「おい! 何をやっとる! 遠慮せんで入ってこんか!」
やり取りの間を遠慮と取ったのか、家の中からホルグが言った。
「あ、ああいや、それではお邪魔をします」
私が言って、中へと入り、レーナとフェネルが後ろに続く。
中に入るとホルグが座り、「カンカン」と何かを叩いているのが見えた。
部屋はこの一部屋のみ。溶鉱炉があり、椅子があり、台があるだけの作業部屋だ。
左手に地下への階段が見えるので、寝室やら台所やらはそちらにあるのだと推測された。
「お前さん達の寝床は下じゃ。適当に使ってくれてええ。必要なものが何かあればワシに声をかけてくれ」
私達に向かってそう言ったきり、ホルグは黙って作業に没頭した。
察するに、つるぎを作っているようで、誰のものなのかは分からないが、随分と気合が入っているようだった。
「僕、とりあえず休みたいっす。先生はご飯を作ってくれるんですよね?」
「ですよね、ではないだろう、ですよね、では……」
質問ではなくそれは命令だろう、と、そこまでの事は流石に言えず、私達はとりあえず地下へと向かった。
発見できた部屋は三つ。寝室と、台所と、湯浴みが出来る部屋であった。
私は寝室に荷物を置いて、適当な材料を使わせてもらって昼食を作る準備へ入った。
「先生、私もお手伝いします」
レーナが現れて、腕をまくった。
こうなるともう私の方がお手伝いという感じである。
昼食を摂ったら情報収集だ。
私はレーナを手伝いながら、まず、どこへ行くべきかを考えていた。
昼食を摂った私とレーナは、酒場や市場等を巡って歩き、鉱山で働くドワーフ達の異常の元となる情報を集めて回った。
結果として分かった事はふたつ。
何もわからない、という事と、鉱山勤めのドワーフ達以外にも、異常が出始めているという事だった。
教えてくれた人達は「ちょっと目が悪くなって」と、事態の本質に気付いていなかった。
しかし、それは間違いなく、鉱山で働いているドワーフ達と同じ症状の病であった。
或いはこれは感染するのか、と、私は一瞬不安になった。
フェネルとレーナだけでも帰すか、と、直後にはそうも考えていた。
「先生、鉱山に行って見ませんか? 被害者が多いのはやっぱりそこですし、という事はその原因も、近くにあるんじゃないかと思うんです」
レーナがそう言ってこなければ、私はおそらく「フェネルを連れて~」と、レーナに頼んでいた事だろう。
だが、レーナにそう言われ、確かにそうだと思った私は、もしもの時の用心棒にとレーナに残ってもらう事にした。
我ながら実に情けないが、何かが居たり、あったりした場合、私には切り抜ける力が無い。
私にもしもの事があれば、調査状況はゼロへと戻る。
それはつまり、謎の奇病の拡大を意味しているかもしれないのである。
奇病は人間達の町にも広がり、やがてはそれは大陸中に……!
――なんて事もあり得なくはないのだ。
まぁ、それは行き過ぎかもしれないが、念には念を入れて良いはずである。
後になって「あーやっぱりな……」では、なんというか、後味が悪い。
あの時ベストを尽くしていれば、と、きっと後悔する事だろう。
「そうですね。行って見ますか。一応、マスクは付けていきましょう。或いは、という事もありえますので」
そう思った私はレーナに言って、一旦ホルグの家へと戻り、マスクを市で調達した上で鉱山を訪ねてみるのであった。
鉱山はドワーフ達で溢れていた。入口だけで20人は居る。
仕事中なので、まぁ当たり前の事だ。
彼らはトロッコに乗せられてきた鉱石の塊を運んでいたり、使い物にならないのだろう、規格以下の鉱石を別のトロッコに乗せたりしていた。
全員が何かしら作業をしていたが、一人だけそれを見てパイプを吹かしているドワーフが居た。
察するに、現場監督だろう。
私達は調査の許可を得る為、彼に近付いて話しかけてみた。
「なんじゃぁ? お前さん達は? 掃除夫なんぞ募集しとらんぞ」
不愛想に男が言った。
もう全員がそんな感じで、私はだいぶ順応していた。
「いや、私は一応医者です。ホルグというドワーフに依頼されて、病の原因を調べているのです。仕事中で申し訳ないのですが、中を見させてはいただけませんか?」
ゆえに、全くへこたれず、表情も変えずにそう言えたのだ。
男は「医者ァ?」と怪訝な顔だったが、「まぁ、そういう感じじゃな」と、直後には妙な納得をした。
以前にもそんな事を言われた気がするが、「そういう感じ」とはどういう感じなのか。私は一瞬疑問に思う。
「ホルグの知り合いなら問題なかろう。仕事の邪魔だけはせんでくれよ」
「それは承知しています。助かります。ありがとう」
男に礼を言ってから、私とレーナは坑道へと入った。
壁には松明が差されていた為、中は意外と明るかった。
通り過ぎるドワーフ達が、私達を「じろり」と見ていたが、許可を貰った事を知っているのか、何も言ってはこなかった。
坑道はいくつもの道に分かれ、奥深くへと続いていた。
片っ端から調べるのでは、はっきり言ってキリが無い。
どうしたものか、と佇んでいると一人のドワーフが声をかけてきた。
「なんぞ目的があって入って来たんじゃろ? 分かる範囲でなら教えてやるぞ」
基本的にはお人好しで、面倒見の良い種族である。
私は彼の好意に甘えて、ホルグが過去に働いていたという現場はどこなのかを質問してみた。
「確か、12番坑道じゃな。ついてこい、案内してやる」
ドワーフが言って、歩き出した。
自分の仕事もあるのだろうに、本当に気の良い連中である。
「ウロウロするなよモヤシの兄ちゃん。脇には大きな穴もあるでな」
そう、口の利き方はともかくとして……
「ん!?」
直後に坑道が「ぐらり」と揺れた。
天井から小石が「パラパラ」と落ちてくる。
「地震か!?」
私が焦り、そう言った。
「ハッパじゃハッパ。人間達との技術交換でな。クソみたいに固い岩盤にゃ、最近アレを使っとるのよ」
振り向きもせずにドワーフが言う。
「ハッパ、とは何ですか?」
その後ろに続き、私が聞いた。
「あん? ああ、火薬じゃよ火薬。火をつけてドカン! 一発じゃ」
ドワーフが答えたそれによって、私は揺れの原因を知った。
「(先生、火薬って何ですか?)」
一方で、それでも分からなかった様子のレーナが、小声で私に聞いてきた。最近まで秘境で暮らしていた為か、レーナは火薬を知らないようだ。
「簡単に言うと爆発する粉です。火をつけるとドカン、とね。色々と調合した結果のものらしいですが、その辺りの事は私にはちょっと」
「そうなんですかー。硝石と硫黄と木炭なんかを混ぜるんですかね?」
「さ、さぁどうでしょう……? その辺りの事も詳しくはないですが……」
教えるつもりが逆に教えられ、私はなんだか恥ずかしくなった。
もし、フェネルがここに居たら、「先生ザマァ!」と、私を罵倒して、腹を抱えて笑った事だろう。
「ついだぞ。ここじゃ。今日は使う予定はないで、好きなだけ調べて行くとええ」
ドワーフはそう言って、返事も聞かずに歩き出した。
「助かりました」
と、礼を言うも、手を上げるという事すらしない。
本当に不器用な一族である。
私は彼を見送った後、レーナと共に調査を開始した。
1時間程が経過して、私は大きく息をついた。
場所としては山中だからか、どうにも空気が薄い気がした。
見れば、レーナも呼吸をする為に意識して大きく息を吸っていた。
そうしないと酸素が足りなくなって、最悪、意識を失うからだ。
こんな所で重労働をしているドワーフ達の頑健さには、素直に凄いという他に無い。
「先生、ちょっと……」
レーナが言って、「ぐらり」とふらつく。
駆け寄ろうとした私も直後にふらつきを感じてたたらを踏んだ。
目の調整がうまく効かない。
目の前の光景が遠くなったり、近くなったりと不安定だ。
空気が薄いと言うだけでは無い。
何か、危険な成分が空気中に混ざっているのだ。
「ここに居てはマズイ! 戻りましょう……!」
私はレーナにそう言って、彼女と共に歩き出した。
お互いにフラフラの状態である。
出口の方向に近付くにつれ、ふらつきは少しずつ収まっていった。
目の調整も効いてくる。どうやらあの辺りに何かがあるのだ。
そして、それが入口から漏れ、少しずつ、少しずつではあるが、彼らの町へと広がっているのだろう。
ドワーフは頑丈だが、それは同時に感覚の鈍さも意味している。
マスクをしていた私達でさえ、一時間程度でああなった。
現場で働いているドワーフ達にはもっと影響があるはずだ。
「おう、お前さん達か。どうじゃ? 何か見つかったかね?」
外へと出て来た私達を見つけ、現場監督がそう言ってきた。
「実は……」
12番坑道で実際にあった事。
そして、自身の推測を私が監督に話して教える。
全てを聞いた監督は、「うーん」と小さく唸ったが、だからと言って今後どうするかを考えてはいない様子であった。
「一時的で良い。この鉱山を閉鎖する事はできませんか? 今のままで作業を続けたらどういう事になるか分かりませんよ」
「バカな事を言うな。そんな事は出来ん。ワシらにも生活がある。お前さんがそれを保障できるのか? 出来んだろう? ならばそれは諦めろ」
私が提案し、監督が拒否した。
それはそうだ、と私にもわかる。
しかし、これを放置すれば、被害者が増えるのは間違いなかった。
「ならば12番坑道だけでも立ち入り禁止にできませんか? 私が思うにあの辺りにこそ、異常の原因があるはずなのです」
ゆえに、私は少し折れて、元凶に近いと思われる場所だけでも閉鎖してくれと頼み込んだ。
それを聞いた監督は少しの間「うーん……」と唸った。
しかし、10秒ほどが経った後に、
「まぁ、それ位ならなんとかなるじゃろう。明日の監督にも伝えておこう」
私達に向かってそう言って、一日限りの立ち入り禁止を約束してくれたのだった。
私達はそれに感謝し、その言葉を信じてホルグ邸へと帰宅した。
その翌日。
12番坑道で普通に作業をしているという事を聞いたのは、正午に近い時の事だった。
約束が違う、それではマズイと、鉱山に向かった時にはもう、現場には異常が発生していた。
巨大な腕が突き出されていた。
鉱山の中から、外へと出る為に狭い入口を掻き回している。
腕は白骨。
しかしながら、僅かに肉片が付着しており、入口周辺の地面を掴んで、本体を外へと引き出そうとしていた。
腕の外見は人とは違う、獣の前足のようなそれで、現在、十数人のドワーフ達が斧を両手に戦っていた。
「な、な、な、な、なんすかあれぇぇ!?」
うっかりついてこさせてしまった、フェネルがそれを見て悲鳴を上げる。
それはそうだ。私でも驚いている。
腰を抜かしてしまわないだけ、ただの子供にしてはフェネルは優秀だ。
「どけい! 邪魔じゃあ!」
新たに現れたドワーフ達が私達を押しのけて走って行った。
目的地は言うまでもない、鉱山の入口に居る巨大な腕だ。
腕は今、少しずつだが入口の周りの岩を砕き、その中に居るのであろう本体を外へと引っ張りだそうとしていた。
腕の大きさから察するのなら、本体の大きさは50m程。
かの、赤き古代竜、ラーシャスに匹敵する程の、恐ろしい巨躯の持ち主だと思われた。
そう思って見ると腕がそれらしい。
つまり、ドラゴンの腕に似ていたのだ。
「まさか……」
私がそう思った直後に、腕の本体が僅かに見えた。
入口周辺の岩を砕き、顔の先端部分が現れたのだ。
それは間違いなくドラゴンだった。
ただし殆どの肉は無い。
筋肉質な肉片が僅かに付着しているだけだ。
ドラゴンの死体。ドラゴンゾンビである。
名前だけは聞いていたが、私は見るのは初めてだった。
出来れば一生関わりたくは無かった。
なぜならば異常に危険だからだ。
生前のような知能は無いが、その分生命力が増大しており(死なないのだから当然だ)、剣や斧での生半可な攻撃では一切ダメージを与えられない。
その上、ラストブレスという腐った息を吐く個体もおり、これを喰らうと急激に体調を崩して倒れてしまうのだ。
「そういう事か……」
私は気付く。
奴が放った死臭によって、私とレーナはやられたのである。
つまり、奴はあの現場の周辺に過去に埋まったか、埋められていたのだ。
それが何かの衝撃――
例えば、火薬の爆発の衝撃等により、目覚めて活動するようになり、その影響で空気が淀み、皆が体調を崩していった。
そして今日、腕なり、足なりが自由になったドラゴンゾンビは、外に出る為に動き出した。
そう考えれば全ての事に納得が行く流れであった。
「先生逃げましょう! 僕達は無力! 生まれたばかりの雛鳥よりも無力!」
フェネルが叫び、腕を引っ張る。
確かにそうだ。言う通りである。今回ばかりはフェネルが正しい。
しかし、あれと戦っているドワーフ達には、かなりの負傷者が出ているようだった。
これを見捨てて逃げて良いのか。
のこのこと後からやってきて「大丈夫でしたか!?」等と言って良いのか。
素知らぬ顔で、今ついたばかりです、みたいな、偽善者面で治療をして良いものなのか。
いいや、それは多分違う。
今、ここで動かなければ、私は彼らの目を見て話せない。
死者でも出たらそれは尚更だ。
「お前は逃げろ。私は行く」
ゆえに私はフェネルに言った。
聞いたフェネルは「え!?」と言った後に、
「先生頭ダイジョウブっすか!? ビビりすぎて何本かプッツンしちゃったの!?」
と、私の思考を問いただした。
私はビビりすぎたというわけでも、プッツンしちゃったわけでもない。
「私は医者だ。負傷者を前にして逃げられるか」
そう、医者だから行かねばならないのだ。
「フェネル君は逃げて。先生はわたしがちゃんと守るから」
直後にはレーナがそう言ってくれ、私の恐怖は少し収まる。
レーナならきっと守ってくれる、と、男ながらに安心したのだ。
我ながらなんと情けない事。
「じゃ、じゃあ僕は逃げますよ!? 後でチキンとか言わないで下さいよ!?」
「言わんよ……むしろ良く頑張ったな」
「最後の最後に褒められたみたいでなんか嫌な気分なんですけど!?」
死ぬ気はないが、死ぬかもしれない。
しかし、それはフェネルに言わず、
「いいから逃げろ」
と代わりに言った。
「これで死んだら寝覚めが悪いなぁ……レーナさんちゃんとお願いしますよ!」
フェネルは最後にそう言って、元来た道を走って行った。
ドラゴンゾンビはもうすでに、肩までを外へと露出させていた。
腕を払い、そして噛みつき、群がるドワーフ達を事も無げに倒している。
このままでは彼らは全滅である。
「なんじゃこりゃあ!?」
そこへホルグが姿を現した。
右手には斧を持ち、左手には先のつるぎを持っていた。
手短に私が事情を話す。
「そういう事か。ならばワシも行く。コイツはお嬢ちゃんが使うとええ」
事情を聞いて、理解をしたホルグは左手のつるぎをレーナに渡した。
レーナがそれを「すらり」と引き抜く。
武器を持ち、敵を見据えるその姿はさながら戦女神のようである。
「行こう、レーナさん!」
「はい!」
隣に立つレーナと共に、私は戦場へと駈け出した。
ホルグが遅れて私達に続く。
坂道を上がり、左に曲がる。
そこはもう戦場だった。
巨大な腕が私の眼前、数メートルの所を通り過ぎた。
その風圧で髪が流れ、土煙によって私が目を瞑る。
その刹那にレーナとホルグは敵へと向かって斬り込んでいた。
私は敵の動きを見つつ、負傷者達を戦いの圏外へと引きずった。
そして、応急の処置を済ませ、再び戦いの圏内へと戻る。
レーナはやはり圧倒的だった。
ちらり、と見ただけではあるが、他のドワーフ達の追随を全く許さない程に活躍していた。
今は敵の腕へと飛び乗って、顔へと向けて駆け寄っていた。
しかし、これはもう一方の左手によって阻止されて、レーナは地面の上へと飛び降りた。
戦っているドワーフの数は、もう8人にまで減少していた。
私は引きずり、応急治療をし、何度も何度もそれを繰り返した。
そしてようやく、戦場に倒れているドワーフが一人も居なくなった頃、ドラゴンゾンビは口を開き、漆黒の息を吐いたのである。
漆黒の息、ラストブレスは、レーナを含む私達全員の体を一気に飲み込んだ。
直後にはあらゆる負の体調が私達の体を支配していた。
頭が、腹が、耳が、腕が、体中の全ての部分が痛く、立っている事すら困難だった。
全員がその場で膝をつき、体の全ての部分が発す、負の体調に呻きながら耐えていた。
勝負あった、と思ったのだろう、ドラゴンゾンビは攻撃をやめ、少しずつ、また少しずつと、本体を外へと出し始めていた。
今はもう腰までが、坑道の外へと露出していた。
そして、全てを出し終えたドラゴンゾンビが、ゆっくりとこちらに体を向けた。
もう駄目だ、と私は思った。
せめてレーナを救いに行きたいが、体が少しも動かなかった。
ドラゴンゾンビが口を開き、ブレスをもう一度吐きつけようとする。
これを喰らえばおそらくは、意識を保ってはいられなくなる。
全てがそれで終わりである。
私が最後に思い出したのは、フェネルのお菓子を知らずに食べて、その時に言われた口汚い言葉だった。
確か
「このお菓子ドロボーが! 羊の皮を着たドロボー豚め! 皮を剥かれてはく製になっちまえ!」
だったか。
まぁ、何にしても酷い言葉だ。
最後の最後にフェネルとは。
私はその場に相応しくない、呆れたような笑みを浮かべた。
直後。
ドラゴンゾンビの顔面に大量の火矢が撃ちつけられた。
火はドラゴンゾンビの肉に引火し、奴の顔を燃え上がらせた。
見ればドラゴンゾンビの後方の、鉱山の入口の下の方には、ドワーフ達が数多く集まり、火矢を構えてこちらを見ていた。
その中にはフェネルの姿も見えた。
考えたくは無い事だったが、あいつが助けを呼んできたのだ。
「ぎゃあああ!!?」
ドラゴンゾンビがそちらを見ると、フェネルは一瞬で逃げて行った。
しかし、その一瞬がドラゴンゾンビには命取りとなった。
レーナが飛んで、一閃したのだ。
着地と同時にレーナは倒れた。それが最後の力だったらしい。
ドラゴンゾンビはこちらに向いて、レーナを踏みつけようと前足を上げた。
が、そこで動きは止まった。
顔がズレて、レーナの横へ「ずしん」という音を発して落ちる。
直後には奴の体は、倒れ込んでいく積み木のように順番に地面に落ちて行った。
倒した、という訳では無いが、一時的に力が喪失したのだ。
だが、そこからのドワーフ達の動きと処置は迅速だった。
全員で一斉に走り寄って、斧で、ハンマーで、奴の骨を粉々に砕いてしまったのだ。
一陣の風が吹き、砕かれた骨は粉となって、どこかの空へと飛んで行った。こうなっては奴も復活できない。
とにもかくにも私達は、ドラゴンゾンビの魔手から逃れられたのだ。
私はそこで意識を失った。
レーナに駆け寄り、助け起こしたい、と、頭の中では思いながら。
私が意識を取り戻したのはそれから半日後の事であった。
レーナはその2時間前には意識を取り戻していたらしい。
私はレーナが心配だった。
明らかに顔色が悪かったのだ。
しかし「大丈夫です。本当に」と、先に言われて、何も言えなくなったのである。
帰り際、ホルグはレーナにつるぎを、そしてフェネルに指輪を渡した。
どういう事かと私が聞くと、「持って行け、迷惑料じゃ」と彼は言った。
そういう意味ではなかったのだが、私はそれに一応感謝した。
「注文通りっすね! 流石ホルグさん!」
と、フェネルが喜んだので、そちらはどさくさでフェネルが頼んだ両親へのプレゼントだと私は理解した。
見ると、中心には大きなルビーが。
そしてその周りには、例えるなら苦悶の表情で大口を開けている男女が見えた。
色は青。縦長の顔でルビーを包むデザインだった。
それでいいのか……!?と私は思ったが、
「サイコーですよねコレ?」
と、フェネルが嬉しそうだったので、私は「あ、ああ……」と同意をしておいた。
お父さん、お母さん、あなた達の息子は親孝行かもしれないが、美的感覚は最悪ですよ。
心の中ではそう思いつつ……