第1話 現代魔法
かつて世界は、石油資源の枯渇によって、資源と技術を奪い合う戦争の時代にあった。
そんな中、中立国であった日本で、新たな地下資源「魔鉱石」が発見された。
魔鉱石は、それまで身体能力の強化程度にしか使えなかった魔法の可能性を大きく広げた。
雷属性の魔法による発電、さらには魔法による物体の破壊さえ可能となったのである。
日本は大量の埋蔵資源を背景に、世界各国への供給を約束。度重なる外交交渉の末、戦争は終結した。
それから100年。
魔鉱石は世界経済を支える重要な資源となり、魔法技術は大きな発展を遂げていた。
しかし、それはあくまでも政治や経済の話。
人々にとって、魔法とはもっと身近なものだった。
火をイメージすれば、瞬発力が増す。
水をイメージすれば、肉体は柔軟性を増し、襲いかかる力を受け流す。
風をイメージすれば、周囲の物体に作用する。
土をイメージすれば、肉体は硬く、重くなる。
人々は、肉体が本来持つ能力とは異なる、この不思議な力を「魔法」と呼んだ。
それは国や人種を問わず、世界中の人々に共通する概念であり、日常生活やスポーツにも深く根付いていた。
これは、政治とも戦争とも関係のない、
ただ、魔法を用いた一つの競技に出会う、ある少年の物語である。
新流府。
日本の北陸部にある府である。
その日、奉利小学校は、少しだけいつもと違っていた。
「C、D、C……体育は……」
巽総士、9歳。
先日誕生日を迎えたばかりの彼は、1学期の成績表を見つめて震えていた。
「体育は……D」
ギリギリ、Eはなかったかぁ。
「あのなぁ、総士。
体育は本当にギリギリでDだったぞ」
困り顔で話すのは、担任の関先生だ。
「クラスでも背が高いし、キミは武闘技も
やってるんだろ?」
「……」
「もっとできるはずだよ。自信持とうよ」
総士は俯いたまま、背中を丸めて自分の席に戻った。
成績表を渡される日は、いつもガッカリする。
親に怒られるからじゃない。
嫌々でも宿題は出したし、自分なりに勉強もした。
それで、この結果なのだ。
帰りの会が始まるまでの教室は、成績表の話でもちきりだった。
「タクト、体育Aだってよ」
前の席の健吾が、振り返って言った。
「やっぱりな」
隣の陽太がうなずく。
「足、学年で一番速いし。
しかも他の教科もほとんどBだってさ」
「女子はナオだろー。
あいつ男より足速いし、背もでかいし」
二人が笑う。
総士は笑うタイミングを逃して、黙って鉛筆の先を見ていた。
窓際の席で、タクトが周りの男子に囲まれていた。
サッカークラブでは、3年生なのにエースらしい。
体育の時間は、みんなまずタクトを探す。
タクトにパスを出せば、なんとかしてくれるからだ。
総士のところには、ボールはあまり回ってこない。
教室の後ろでは、ナオが女子たちの真ん中で笑っていた。
女子のボス、という感じだ。
ナオは、クラスで一番背の高い総士と、1センチしか変わらない。
次の測定で抜かれてたら嫌だな。
女子より背が低いなんて、理由はうまく言えないけど、とにかく嫌だった。
だから総士は、ナオの近くにはあまり行かないようにしている。
*
「結局さあ、体育はタクトで、
勉強は美咲なんだよな」
校門を出たところで、陽太がランドセルを背負い直した。
家が近所で、保育園のころからの付き合いだ。
「美咲の母ちゃん、毎晩つきっきりで
宿題見てるらしいぜ」
「ふーん」
結局そうなんだ、と総士は思う。
最初から決まってるみたいだった。
「てかさ、体育って意味わかんなくない?」
陽太が口をとがらせる。
「授業では魔力の使い方やれって言うのに、
記録測るときは魔力で伸びた分、
数えないんだぜ」
「……わかる」
魔力を込めて跳んだときだけは、少しだけ遠くまで届く気がするのに。
その分は、成績表のどこにも書かれない。
魔法は、誰にでも使える。
火をイメージすれば、体が速く動く。
水なら柔らかくなり、
風なら周りのものに力が届き、
土なら硬く重くなる。
大昔には、手から炎を出したり、
空を飛んだりする魔法があったらしいけれど、
今ではお伽話だ。
今の魔法は、体をほんの少し強くする力のことをいう。
電気を作るのに使われているのと、あとはスポーツや格闘技くらい。
身体の大きさを自在に変えたり、モノを凍りつかせたりなんてできはしない。
魔法ができるから偉い、なんて人は、どこにもいない。
田んぼの間の道を、二人で並んで歩く。
遠くの山の上に、夏の雲が大きく盛り上がっていた。
「家きてゲームしない?
新しいの買ってもらったんだ」
「いいなー」
一瞬、行きたいと思った。
でも、総士は首を振った。
「無理。成績表の日は、まっすぐ帰ってこいって
言われてる」
「父ちゃんに? 総士んちの父ちゃん、
怖そうだもんな」
「……別に、怖くはないけど」
怒られたことは、あまりない。
でも、なんとなく逆らえない。
分かれ道で陽太と別れると、ランドセルが急に重くなった気がした。
*
玄関を開けると、煮物の甘い匂いがした。
婆ちゃんが夕飯を作っているのだ。
上がり框の端に、父の大きな革靴が揃えて置いてあった。
もう帰ってるんだ。
いつもなら、父が帰ってくるのは夜遅くだ。
総士がベッドに入ったころ、酒の匂いと一緒に重い足音が廊下を通っていく。
それが、この家の夜の音だった。
家にいるのは、たいてい爺ちゃんと婆ちゃんと、兄の勇心だけ。
成績表の日は、まっすぐ帰ってこい。
そう言ったのは父だった。
居間では、父が座卓の前にあぐらをかいて、新聞を広げていた。
父の背中の向こうには、ガラス戸のついた棚がある。
中には、父のメダルやトロフィーがぎっしりと並んでいた。
「……ただいま」
総士は成績表を差し出した。
父・巽宗一郎は黙ってそれを開いた。
体育の欄で、指が一瞬止まった気がした。
「そうか」
それだけ言って、父は成績表を閉じた。
怒られなかった。
ほっとしたような、置いていかれたような、変な気持ちになった。
自分の部屋に戻って、ベッドに寝転んだ。
天井の染みを数える。
キミは武闘技もやってるんだろ、か。
関先生の言葉が、頭に残っていた。
武闘技は、魔法で体を強くしながら戦う格闘技だ。
相手の道着をつかんで投げたり、足を払ったり、開いた手で打ったりする。
総士は、父に言われて、小学校に上がった年から週に3回、夜の練習に通っている。
いつも、試合に行くまでは楽しい。
道場の前からバスに乗って、窓の外を流れる田んぼを眺めて、上級生の冗談を聞いて。
ほとんど遠足気分だ。
でも、会場に着いて畳の端に立った途端、全部どこかへ行ってしまう。
相手はだいたい1学年上で、なんだか強そうに見える。
組まれて、回られて、気づいたら天井を見ている。
この前の試合なんて、"片脚跳"で30秒もたたずに一本負けだった。
負けるんだよなー、いつも。
悔しい、とは思わない。
相手のほうが年上で、強いんだから、仕方ない。
前に、道場で誰かの親に言われたことがある。
悔しいと思わないと、強くなれないよ。
負けても泣かないなんて、子どもらしくないなあ。
よくわからなかった。
泣いたら強くなれるなら、みんな泣いている。
自分に才能があるとも思っていない。
魔法っていっても、少し速くなったり、少し重くなったりするだけだ。
格闘技なら、テレビでやってるのはボクシングかキックボクシングばかりだし。
学校で人気なのは、野球とサッカーとバスケだし。
向いているのは、たぶん兄の方だ。
4つ上の勇心は、小学生の頃からチームのレギュラーだった。
酒が入ると、父は兄を相手に、昔の全国大会の話をよくしていた。
棚のメダルを取り出して、腕を振り回して、婆ちゃんに叱られて。
総士は少し離れたところで、それを見ていた。
父さんは、全国で3位になった人だ。
その息子なのに。
ゲームも漫画も好きだけど、大抵すぐに飽きてしまう。
武闘技だって、別に好きで始めたわけじゃない。
ただ、負けてばかりなのは、ちょっとシャクだなぁ。
*
翌日、総士は家の裏の倉庫にいた。
父が昔使っていた道着や、試合の記録がしまってあったはずだ。
父さんは、どうやって勝っていたんだろう。
なんとなく、それが気になった。
重い引き戸を開けると、埃っぽい匂いと、むっとした熱気が押し寄せてきた。
段ボールをひとつずつ覗いていく。
黄ばんだ大きな道着。
文字のかすれた賞状と、古いノート。
そして、一番奥の箱の底に、それはあった。
色あせた表紙。
角はすり切れ、背は何度も開かれたせいで割れかけている。
『無鬪技』




