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私がお茶を淹れると世界が救われるらしい 〜街のはずれのガラクタ修理屋ですが、無自覚に最強の神具を量産していたようです〜  作者: 杠(ゆずりは)


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シオン 1

王都の喧騒が完全に静まり返った、深夜二時。

月明かりすら分厚い雲に遮られた深い闇の中を、一つの影が音もなく滑るように移動していた。


王国の暗部を担う特務機関に所属する最強の暗殺者、シオン。

黒い装束に身を包み、夜の闇に完全に溶け込む彼の足取りは、しかし今日はどこか重く、かすかに引きずられていた。


つい先ほどまで、彼は王都の地下深くで、魔竜の眷属と内通していた貴族の私兵たちと死闘を繰り広げていたのだ。

音もなく背後に回り、一切の慈悲を交えずに喉笛を掻き切る。血しぶきを浴び、命が尽きる瞬間の生々しい感触を両手に残しながら、次から次へと立ち塞がる敵を狩り続けた。

任務は無事に完了した。裏切り者は始末し、魔竜の眷属が潜んでいた巣も潰した。


だが、代償は大きかった。

シオンの体を覆う黒い外套は、敵の凶刃と魔法によって無残に引き裂かれ、あちこちがボロボロにほつれていた。

そして何より、彼の心そのものが限界に近づいていた。


来る日も来る日も、血と泥にまみれ、誰にも知られることなく命を奪う日々。

感情を殺し、ただの刃として生きることを誓ったはずだった。しかし、人を斬るたびに手に残る鉄の匂いと、冷え切っていく自身の体温が、確実にシオンの心をすり減らしていた。


俺は、いつまでこんなことを続けるのだろう。

ふと、そんな思いが脳裏をよぎる。このまま誰にも知られず、路地裏の冷たい石畳の上で野垂れ死んだとしても、誰も涙を流すことはない。それが暗殺者の末路だ。


行き場のない虚無感を抱えながら、シオンはふらつく足で東区のはずれへと迷い込んでいた。

本来ならすぐにアジトへ帰還し、傷の手当てと装備の修繕を行わなければならない。しかし、今の彼には一歩も前に進む気力が残っていなかった。


暗い路地裏を歩いていると、ふと、柔らかなオレンジ色の光が視界の端を掠めた。

見上げると、色褪せた木製の看板が提げられた小さな店があった。星屑のお直し工房、と書かれている。

こんな深夜に明かりが灯っている店など、王都の外れでは珍しい。


シオンは警戒心を抱きながらも、なぜかその光に吸い寄せられるように、音もなく店の扉に手をかけていた。

鍵はかかっていなかった。カラン、と小さなベルの音が鳴り、シオンは身を潜めるようにして店内へと足を踏み入れた。


「あら、いらっしゃいませ」


カウンターの奥から聞こえてきたのんびりとした声に、シオンは即座に隠し持っていた短剣の柄に手をかけた。

深夜の突然の訪問者。しかも自分は全身から濃密な血の匂いと、拭いきれない殺気を漂わせているはずだ。並の人間であれば、一目見ただけで恐怖にすくみ上がるか、悲鳴を上げて逃げ出すだろう。


しかし、カウンターから顔を出した亜麻色の髪の少女は、シオンの姿を見ても全く動じる様子がなかった。

それどころか、作業用の丸眼鏡をずり上げながら、ぱちぱちと不思議そうに瞬きをしている。


「こんな夜更けにお客さんなんて珍しいですね。どうしましたか」


警戒心のかけらもないルミアの態度に、シオンは毒気を抜かれたように立ち尽くした。

彼は自分の姿を改めて見下ろす。黒い外套は刃物で切り裂かれてボロボロになり、その隙間からはどす黒い血の染みが覗いている。むせ返るような鉄の匂いが、自分自身でもはっきりとわかるほどに漂っていた。


普通ではない。この少女は、明らかに普通ではない。

シオンは短剣から手を離し、警戒を解かないまま低い声で絞り出した。


「……服を、直してほしい」


本当ならすぐに立ち去るべきだった。こんな一般人の店に関われば、お互いにとって危険しかない。だが、なぜかこの店の温かい空気が、シオンの足を床に縫い付けてしまったのだ。


「お洋服のお直しですね。見せていただけますか」


ルミアがカウンター越しに手を伸ばしてくる。シオンは躊躇いながらも、身を隠すための最強の魔導具であり、今はボロボロの布切れと化した黒い外套を脱ぎ、カウンターの上に置いた。


ドス黒い血の染みと、むせ返るような鉄の匂い。

刃物で無数に切り裂かれた凄惨な痕跡。

これを見れば、自分が裏社会で人を殺めてきた危険な人間だとすぐに気づくだろう。シオンは、少女が悲鳴を上げる瞬間を覚悟して目を伏せた。


しかし、ルミアの口から飛び出したのは、シオンの想像を遥かに超える的外れな言葉だった。


「まあ、ひどい匂い。それに泥だらけじゃないですか。お客さん、もしかして夜勤の精肉業者の方ですか」


「……は」


「それとも、お酒を飲んでタチの悪い不良の喧嘩にでも巻き込まれちゃいましたか。こんなに刃物で切られたみたいに服がボロボロになるなんて、よっぽど酷い目に遭ったんですね」


シオンはポカンと口を開けた。

精肉業者。不良の喧嘩。

この少女は、凄惨な死闘の痕跡である血の匂いを、豚や牛の肉を切った時の獣の匂いだと勘違いしているのか。刃物で引き裂かれた外套を見て、ただの街の喧嘩に巻き込まれた可哀想な青年だと思い込んでいるのか。


「いや、俺は……」

「こんなにボロボロになるまで働かされるなんて、最近のお肉屋さんはブラック企業が多いのかしら。それとも夜の街は物騒だから、やっぱり喧嘩の方かしら。どちらにしても、大変でしたね」


ルミアは心底同情したような顔でため息をつきながら、血の匂いが染み付いた外套を嫌な顔一つせずに両手で抱え上げた。

その行動に、シオンは再び衝撃を受けた。


王国の暗部として生きる自分は、常に人から忌み嫌われ、恐れられる存在だ。自分の持ち物に、ましてや血に染まった外套に、素手で触れようとする人間などこの世にいるはずがなかった。

しかしルミアは、汚いものを扱うような素振りすら見せず、まるで大切なお客からの預かり物として、ごく自然にそれを受け取ったのだ。


「少し時間がかかりますから、そちらの椅子に座って待っていてくださいね」


ルミアはシオンをふかふかのソファへと案内すると、店の奥から湯気を立てるマグカップを持ってきた。


「温かいホットミルクです。夜中に胃を荒らさないように、お砂糖は控えめにしてありますからね」


シオンの冷え切った両手の中に、ぽってりとした白いマグカップが押し付けられた。

手のひらから伝わってくる心地よい熱に、シオンは思わず目を細めた。


殺伐とした裏社会で生きてきた彼にとって、誰かから無償で飲み物を振る舞われることなど皆無だった。ましてや、それがこんなにも優しくて温かいホットミルクだなんて。


シオンはソファに深く腰を下ろし、マグカップに口をつけた。

ほんのりとした甘さが、冷え切っていた胃袋をじんわりと温めていく。殺し合いでささくれ立っていた神経が、少しずつほどけていくのがわかった。


「美味しい、ですか」


カウンターの向こうで、裁縫箱を取り出していたルミアが、ちらりとこちらを見て微笑んだ。

シオンは少しだけ躊躇した後、小さく頷いた。


「……ああ。悪くない」


「ふふっ、よかったです。夜の冷えは体に毒ですからね」


ルミアはそう言うと、手元に色とりどりの糸と針を並べ、ボロボロになったシオンの外套に向き直った。


「かなり派手に破れちゃってますけど、安心してくださいね。私の得意な裁縫で、元通り以上に綺麗に直してみせますから」


暗殺者の身を隠すための、特殊な魔力が編み込まれた黒いマント。

それが今、街のはずれの小さな工房で、まるでほつれたシャツのボタンを縫い直すような気軽さで扱われようとしていた。


シオンはマグカップを両手で包み込みながら、その不思議な光景をじっと見つめていた。

このままここで、しばらく休んでいってもいいのだろうか。

血の匂いが染み付いた暗殺者の自分を、精肉業の青年だと勘違いして優しくもてなしてくれるこの奇妙な少女の店で。


静寂に包まれた店内に、ルミアが布に針を通すかすかな音が響き始める。

シオンは目を閉じ、生まれて初めて感じる穏やかな時間に、静かに身を委ねていた。

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