ガレス 1
王都エルディアの喧騒から遠く離れた、東区のはずれ。
綺麗に舗装された石畳みの道が途切れ、レンガ造りの古びた街並みが続く一角に、その小さな店はある。
色褪せた木製の看板には、星屑のお直し工房、と丸みを帯びた可愛らしい文字で書かれている。
店主を務めるのは、亜麻色の髪を無造作に後ろで束ねたうら若き少女、ルミアだ。
彼女は今日ものんびりと、カウンターの奥で壊れた魔導ランプのネジを巻き直していた。
カチ、カチ、と規則正しい壁掛け時計の音が店内に響く。
背後の棚には、近所の人々から持ち込まれた修理待ちの道具たちが所狭しと並んでいる。取っ手の取れたお気に入りのティーカップ、歯車の欠けた子供のからくりおもちゃ、焦げ付いて穴の開いた鉄のフライパン。
ルミアが使える魔法は、壊れたものを元の姿に戻す修復の魔法だけだった。
強力な炎を出して魔物を倒すこともできなければ、空を飛ぶこともできない。魔法を教える学校では全く役に立たない落ちこぼれ扱いだったが、ルミアはこの地味で平和な魔法と、自分の小さな工房を心から愛していた。
今日も平和でいい日だなぁ。
淹れたての紅茶を一口飲み、ルミアはふうっと幸せな息を吐き出した。
その頃、工房の外の暗い路地裏を、一人の大柄な男がふらつく足取りで歩いていた。
王国の最強武力である第一騎士団を束ねる騎士団長、ガレス。
見上げるほどの巨躯を誇る歴戦の猛者である彼だが、今の姿はあまりにも惨めだった。分厚い鋼の鎧はひしゃげてひび割れ、顔や太い腕は真っ黒な煤と泥にまみれ、無数の擦り傷からじわりと血を流している。
彼の心を満たしているのは、底知れぬ巨大な絶望だった。
数時間前、王都の地下水脈に魔竜の眷属が急襲してきた。
国の上層部からの極秘任務として秘密裏に迎撃に向かったガレスたちだったが、敵の力は彼らの想定を遥かに超えていた。
強靭な肉体を持つ部下たちが次々と血を流して倒れる中、ガレスは自身の命と引き換えにしてでも敵を討つ覚悟で、王家から下賜された伝説の武具である光の聖剣を力一杯に振り下ろした。
しかし、硬く分厚い竜の鱗に無情にも弾かれ、あろうことか聖剣は真っ二つに折れてしまったのだ。
聖剣を失えば、いずれ地上に現れる魔竜本体を倒す手段は完全に失われる。王国は終わる。自分の力不足のせいで、何万という罪なき民の命が灰に帰すのだ。
その後眷属から必死の思いで退却してきたものの、絶望と極度の疲労で、ガレスの視界はぐにゃりと歪んだ。彼は折れた聖剣の残骸を粗末な布に包んで抱えながら、あてもなく路地を彷徨っていた。
もう王城へ戻って報告をする顔すら残っていない。いっそこのまま、誰にも見つからない暗い路地裏で静かに腹を切って死んでしまおうか。
そんな考えすら頭をよぎった時、不意に足が大きくもつれ、ガレスは目の前にあった古い木の扉に前のめりに倒れ込んでしまった。
カランコロン。
のんびりとした店内の空気に似合わない、勢いよく扉が開く音が響き渡った。
「いらっしゃいませ」
ルミアがカウンターから顔を上げると、そこには信じられないほど大柄で、泥と煤にまみれた強面の男が立っていた。
ガレスは呆然と店内を見回した。ランプの柔らかなオレンジ色の光、ハーブティーの甘い香り、きれいに整頓された木製の家具たち。血と死の匂いが充満する冷たい地下の戦場から、突如として切り離されたような異空間だった。
しまった、ここは一般市民の店か。
ガレスは慌てて身を引き剥がそうとした。こんな血生臭くて薄汚れた大男が突然押し入れば、普通の少女なら悲鳴を上げて逃げ出すか、強盗だと思って衛兵を呼ぶに決まっている。
しかし、ルミアの反応はガレスの予想とは全く異なるものだった。
彼女は目を丸くしてガレスを見上げると、パタパタと小走りで駆け寄ってきたのだ。
「まあ、すごいお怪我。大丈夫ですか、お客さん」
悲鳴を上げるどころか、ルミアは本気で心配そうな顔をして、ガレスの泥だらけの太い腕を細い手で支えようとした。
「あ、いや、私は別に怪しい者では……」
「お怪我から血が滲んでますよ。もしかして、東区の地下水道の工事現場の方ですか。最近あの辺りの地盤を直すために、夜通しで過酷な土木作業をしているって近所の奥さんから聞きました。本当に毎日大変なお仕事ですよね」
ルミアの労うような言葉に、ガレスは完全に思考が停止した。
土木作業。工事現場。
確かに王都の地下では激しい戦闘があったが、パニックを避けるため一般市民には一切知らされていない。目の前の少女は彼を、ただの過酷な肉体労働でボロボロになった現場のおじさんだと完全に勘違いしているのだ。
「いや、これは、その……」
ガレスが言いよどんでいると、彼が胸に抱えていた布包みがスルリと解け、中から真っ二つに折れた光の聖剣が床にガランと転がり落ちた。
かつては神々しい輝きを放っていたが、今は見る影もなく黒ずみ、刀身は無惨にひん曲がっている。
ガレスは鋭く息を呑んだ。
折れた聖剣を一般人に見られた。ただの鉄くずになり果てたとはいえ、王国の至宝である。万が一にも噂になって広まれば、それだけで国中が大パニックに陥る。
しかし、ルミアは床に落ちたそれを見て、ふうむと小さく首を傾げた。
「立派な鉄の棒ですね。工事の足場にでも使うんですか。でも、真っ二つに折れちゃってますし、随分とひん曲がってますね」
鉄の棒。
王国の歴史と共にあり、幾千の魔を祓ってきた奇跡の剣が、この少女の目にはただのひん曲がった土木用の鉄の棒にしか見えていないらしい。
「こんなに分厚くて硬そうな鉄が折れるなんて、よっぽど無理な作業をなさったんですね。お客さん、もしかしてすごく労働環境の悪いブラック企業で働いてるんですか。上の人にちゃんと文句言ったほうがいいですよ」
ルミアは親身になって怒りながら、よいしょ、と重たい折れた聖剣を両手で拾い上げた。
「待て、触るな。それは……っ」
ガレスが思わず制止しようとしたが、ルミアは全く気にした様子もなく、カウンターの上に聖剣をコトンと置いた。
「直せますよ、これくらいなら」
そのはっきりとした言葉が、ガレスの耳に届いた。
「……直せる、だと」
「はい。でも少しだけ時間がかかりますから、そこの椅子に座って休んでいてください」
ルミアはガレスの背中を押して、半ば強引にふかふかのソファへと座らせると、店の奥から湯気を立てる大きなマグカップを持ってきた。
「温かいカモミールティーです。お砂糖とハチミツをたっぷり入れておきましたから、疲れた体にすぐに効きますよ。あと、手とお顔を拭くためのおしぼりもどうぞ」
ガレスの分厚い両手の中に、温かいマグカップがすっぽりと収まった。
信じられない状況だった。国を揺るがす大失敗を犯し、絶望のどん底で死を覚悟していたはずなのに。気がつけば、街の外れの小さな店で、少女から温かいお茶をもてなされている。
ガレスは戸惑いながらも、恐る恐るマグカップに口をつけた。
優しいハチミツの甘さと、心を落ち着かせる花の香りが口いっぱいに広がる。冷え切っていた胃の腑にじわりと熱が落ちていき、ガレスは思わず深く、長く息を吐き出した。
何年ぶりだろうか。
いつ死ぬとも知れない魔物との血みどろの戦い。王国を守らなければならないという重圧。彼の日常は常に限界まで張り詰めており、ただこうしてふかふかの椅子に座って、誰かが淹れてくれた温かい茶を飲むような時間は、もう思い出せないほど遠い昔のことだった。
ルミアが渡してくれたおしぼりで泥だらけの顔を拭うと、絶望でささくれ立っていた心が、嘘のように穏やかに静まっていくのが分かった。
「美味しいですか」
カウンターの向こうで、ルミアが満面の笑みで問いかけてくる。
ガレスは無骨な手でマグカップを大事に包み込みながら、深く頷いた。
「……ああ。五臓六腑に染み渡る」
「ふふっ、よかったです。それじゃあ、私はこの鉄の棒を直してしまいますね」
ルミアは腕まくりをして、真っ二つに折れた聖剣に向き直った。
ガレスはもう何も言わなかった。
王宮に仕える最高位の錬金術師ですら、一度折れた聖剣を修復することなど絶対に不可能だと断言していたのだ。街の小さな修理屋の少女に直せるはずがない。
それでも、ガレスは彼女を止めなかった。
絶望に沈んでいた自分を救い上げてくれたこの不思議に温かい時間の中で、彼女の優しい嘘に、もう少しだけ甘えていたかったからだ。
あったかい物語を書きたいなーと思っています。
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