173 【コミックス三巻発売記念!】聖女エリス(後)
可愛くて清らかなセレフィオーネの最愛の兄。
エリスから見れば超人のような強さのセレフィーが、兄は自分よりも強いという。
さすが魔のグランゼウスと言うべき魔力量とセンスにより、魔法で右に出るものはこの世になく、飽くなき探究心で、それ以外の知識も破格で、人格も偏りなく清廉。
ゆえに、四天のうち西、東、南の御三方からの加護を受けている。
到底叶う相手ではなかったこと、弱い自分を見つけられても諦めのつく相手であることにホッとして、力が抜ける。
「飛んでいたら、うっすらセレフィオーネの魔力を感じてね。おやっと思って降りたんだ。こんな遅くまで、女の子が一人で森になんかいちゃダメだ」
エリスは〈魔力なし〉のために魔法学院には行けず騎士学校に入学した。しかし、ほんの僅かな魔力をセレフィオーネが自分の魔力を呼び水に引っ張り出してくれた。その魔力が残っているということ?
いや、それよりも……
「え、えっと、あのう……」
(私のことを普通の女の子扱い?)
そんなこと、騎士学校に入学して以来、されたことがない。
「今日は神殿に泊まってるの? それとも宿?」
「宿……です……」
「そうか。では送るよ」
ラルーザはさも当たり前のように、エリスに手を差し出した。エリスは恐る恐るその手に身を委ね、立ち上がる。そして、スマートな仕草のラルーザに対して、自分の格好が、あまりに色気がないことに、なぜかとにかく悲しくなった。
「あの、私、こんな格好で……」
「それどうしたの? 祖母から貰った? それは私がマルシュの伝統着を真似て考案したんだ。使ってもらってるんだ。嬉しい。使い勝手はどう?」
なんと……セレフィーにいつかの誕生日にプレゼントされたこの稽古着、目の前の御仁が作ったらしい。自分の姿を見て不快どころかニコニコしている。
「とても……軽くて動きやすいです……」
「うーん、でもそれマーカスに作らせた既製品だよね」
そう言うと、ラルーザは右手をさっとエリスの全身に振り下ろした。エリスの身体に一瞬重みがかかる。
「防御魔法をかけた。あと刃物も通らないようにしておいたからね。女の子に傷でもついては大変だ」
噂に聞く、グランゼウス伯爵家独自の創作魔法……妹を守るためだけに編み出された……を施され、エリス脳内は混乱に陥る。
「そんな、貴重な魔法を……」
「ん? 大事な人を守るために作ったんだ。使わないでどうするの」
「私も……守ってくださると?」
「もちろん」
ラルーザのただの、なんの含むところのない微笑みに、エリスの、いつの頃からか張り詰めていた心が決壊した。エスコートされている彼の肘を、縋るように握りしめる。言葉がポロポロと胸から湧き上がりこぼれ落ちる。
「私には……本来守ってもらう価値などないのです」
「エリス?」
ラルーザが体をかがめ、エリスを覗き込む。
「ラルーザ様は……ご存知でしょう? 私は、紛い物の聖女なのです……本当はこんなに偉そうに、人を裁く資格なんてないのっ!」
「……君は聖女だよ」
淡々とラルーザは答えた。
「いいえ、見てください! この! セレフィーの作った指輪の魔法が、光の槍に似てただけ! 私に魔力など、ほんの僅かしかないっ!」
エリスはラルーザの目の前に、金の指輪が見えるように手を掲げた。
そこで我に返り、自分の愚かな、子どもっぽい仕草に呆然とする。
するとラルーザは、エリスの掲げた手を掴み、そっと下ろし、指輪を撫でた。
「これはまた強烈なものを……セレフィオーネってば」
ふふっと笑った上で、指輪に何かの効果を更に重ねた。そしてエリスを見下ろした。
「始まりはどうであれ、ルー様、そしてミユ様が君の聖女としての活動を応援し、気安く『聖女を呼べ』『聖女ちゃんに会いたい』と話しているらしいよ。四天の神が、君の戯れに合わせたとでも言うの?」
「いえ、ですが……」
「エリス、ルー様とミユ様は神。決して間違わない」
「はい……」
それは全くの正論で、エリスはなんの反論もできない。しかし、心のモヤモヤは居座り続ける。
そんなエリスの肩にラルーザが手を乗せて、言葉を選びながら語りかけた。
「色々と不安に思うのは無理はない。聖女とはいえ人だもの。迷うよね。エリス。君がもし道を踏み外しそうになれば、ちゃんととどまらせるものはいる。妹も、祖母も、ルー様もミユ様も。だから安心して、とりあえず自分の思うように動けばいい」
聖女になった瞬間、エリスは周囲から神格化された。自分もそうあらねばならぬと身を引き締めた。しかし、目の前の強者は『聖女も人』と言う。
「私は……このままで?」
許されるのだろうか?
ラルーザは目を細めて頷いた。
「まさか、うちのおばあさまに叱られるようなこと……しちゃう?」
「そんなことっ! できっこありません!」
「ならば大丈夫でしょ?」
ラルーザはニコニコとエリスの手を元どおり自分の肘にかけて、ゆったりと歩き出した。
「セレフィオーネはね、君のことを大好きでたまらないお姉ちゃんと言ってるよ。私も君を恩人と思っている。君は何度も妹のために真っ直ぐに戦ってくれた。魅了なんぞにかかり、皆を傷つけた私よりも、うんと強いよ」
エリスはこの時までセレフィオーネの大怪我の直接的な状況を知らなかった。ラルーザの特に隠すふうでもない言葉に、全てを察した。
(誰よりも愛するセレフィーを……ラルーザ様が……)
その苦悩は、いかばかりか? エリスの胸もギュッと締め付けられる。
「だから、君が窮地に立たされたときは、私や父が必ず駆けつけると誓うよ。エリスはまだ若いんだ。のびのびしたいようにしていい。やがておばあさまの庇護が無くなる時代が来ても、グランゼウスとトランドルがこれまで同様一番の後ろ盾であることを約束する」
「ラルーザ様……」
「エリスは十分頑張っているよ。私が保証する。これで少しは楽になれないかな?」
「心の重しが……消えました」
エリスは久しぶりに力を抜いて、笑った。
〈スピード〉をかけて走ってやってきた森までの距離は案外長かったが、二人で歩けばそれだけで心が温まった。ひとりぼっちでなければ、沈黙すら心地よい。
ふと、エリスはラルーザを見上げる。ラルーザもまた、いつもほぼ単独行動だ。
「ラルーザ様は……」
「ん?」
「ラルーザ様には、頼ることができる人はおいでですか?」
「いるよ。父と祖母だね」
エリスは眉根を寄せる。
「そのお二人は、ずいぶんと世代が上です」
「まあ……そうだね」
エリスは……迷いもあったが口にした。秘密を持たずに話すことができる、数少ない相手なのだ。
「ラルーザ様は、〈賢者〉になられると聞きました」
「……誰に?」
「ミユ様です。一度、四天の神々について、正しい知識をご教授いただきました。もちろんセレフィーが通訳です」
現在、北の四天様が不在。敬愛するキラマ様のように次代を育てることなく、どこかに旅立たれた? らしい。ゆえに北の御方の仕事を他の三柱の神々が分担するも限界があり、世界の均衡がいびつになりはじめた。
そうした場合に、神々は〈賢者〉を立てる。欠けた四天の穴埋めだ。
もちろん〈賢者〉には女神への絶対の忠誠心の他に、厳しい条件が山ほどある。それをクリアしているのは現状ラルーザ様だけで、そんな逸材は今後も現れるはずがない、とミユ様の弁。
「妹も守れない私に、笑ってしまうよね。でも、アス様の命だ。粛々と従うのみ」
四天の地位は平等。しかし北のタール不在の今、経験値が圧倒的に違うアスの言が重みを増す。
ラルーザは自分が代理を担う、北の極星を見上げ、小さなため息を一つ吐く。
「まあ、父もまだ健在だしね。これも運命。伯爵位を継ぐまでは誠心誠意、務めを果たすよ」
そのラルーザの瞳に一瞬、言いようのない孤独が差した。正義感の塊であるエリスはもちろん見過ごせなかった!
「わた、私が、ラルーザ様を、支えます!」
「エリス?」
ラルーザがエリスを見下ろし瞠目する。
「私をみんなが支えてくれる力をもって、神殿をまとめ上げ、誰も文句の言えない地上の権威を手に入れて、ラルーザ様をサポートします!」
エリスの真っ直ぐな言葉は不意打ちで、ラルーザの身内にしか開かない心の奥まで届いた。目尻がゆるゆると下がる。
「ふふっ。ありがとう。じゃあ、〈聖女〉と〈賢者〉、似たような肩書きを背負わされた女神と四天の神々に忠誠を誓ったもの同士、仲良く協力していこうか。よろしくね」
「っ! はいっ!」
ただの妹の友人である自分をも、こんなにも気にかけて包み込んでくれる人。人類でたった一人、四天の代行者という重すぎる責任を背負ったこの人を、地上の厄介ごとを一掃することで支えていこうとエリスは決意した。
ラルーザが右手を差し伸べる。エリスは気持ちも新たに両手でそれを包むような握手をして祈った。
(私にぬくもりを下さったラルーザ様に、どうか女神の祝福を……)
突如、天頂の星が眩く光り、パチンとはじけ、そのカケラが地表に向けてキラキラと輝きながら降り注いだ!
「何? 何?」
慌てるエリスを咄嗟に庇うように、ラルーザがそっと抱き寄せる。
「……悪しき気配も魔力の行使も感知しない。ただの……頑張ってるエリスにご褒美だよ。きっと」
ラルーザの声の途中から、初めて異性の腕の中に入っていることに気がついたエリス。
(ご褒美? 光が? それともラルーザ様に守られることが? どうしよう、ラルーザ様って胸も腕も細身に見えて実はすごく……逞しい……やだっ! 何考えてるのっ!)
「エリス?」
エリスは筋肉が大好きだ。
◇◇◇
アスが自分の司る天上の異変に頭を上げた。
『む? ゴールデンシャワーか?』
『ふーん。女神、ご機嫌だな。何か気にいる祈りが届いたんだな、きっと』
『ねえねえ、ルー様、聖女って結婚してもいいの?』
『務めさえ果たせばいいんじゃね? なあアス』
『ササラのことか? 我もセレを守ったコダック相手ならば祝福するぞ?』
『コダック先生、いい筋肉してるもんねえ』
『……ルー、なんでうちの女どもは、筋肉信仰なんだ?』
『皆、騎士学校卒だからな〜尊いんだろ?』
『アス様、筋肉は裏切らないってセレちゃま言ってたよ。ギレンは割れてる?』
『…………』
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