目視不可
「教室は閉鎖空間だ。関わっている人間の数は限られるし、その空気は簡単に淀む。射手矢君が俺の元に相談しに来たのは偶然だったが、外部に助けを求めたのは正しい判断だった」
新崎先生に促され、僕らは会話の場を小教室に移した。写真だらけのあの教室は、立ち話をするにはいささか不気味過ぎるというのが僕達の共通認識であった。
「どう思う。あの教室、異能の発現だと思うか」
先生は僕たちに意見を仰いだ。それに答えるべく、最初に口を開いたのは理恵だった。
「十中八九。確証はないけど、暴発に近いと思う。遼はどう思う?」
「まあ、それを否定する要素は今のところ、無い。このあたりに白取と野上以外の魔術家が居を構えているという話も、やはり聞いたことは無い」
「そうか……となると、やはり見てもらって正解だった」
「……制御不能?」
また知らない言葉を耳にして、僕は問いかけた。制御できない甲板の大砲と異能力に、何の関係性があるのだろうか。
「簡単に言うと、異能の暴発事故ね。自分の異能の起源をしっかりと認識しないうちは、その力を意識的に制御するのは難しい。ほとんどの場合本人の意志とは無関係に、周りに超常をまき散らしてしまう」
「僕の時は?」
「朔馬の時は、たぶん無かった。少なくとも、私と遼が監視している間はの話だけど」
なるほど、確かに言われてみれば、異能とは衝動に近いものであるように思う。制御できるはずがない獣が、何故か大人しく指示に従っているという感覚は、僕自身も異能を使うたびに感じていた。それに呑み込まれない保証は、まだ貰っていない。
「……で、事情を説明してもらいたい。そもそもいじめなんていう学級問題の真っ最中に、担任は一体何やってた」
「ああ、まさにそれを問い詰めていたところだった。教頭と校長にも、既に情報を共有している。ところが数日前から担任と一向に連絡が付かなくなってな。痺れを切らして教員住宅を訪ねてみたら………」
そこで先生は顔をしかめた。思い出したくないものだったようだ。
「床に寝っ転がって、じたばた暴れてた。大の大人がだぞ? 何を尋ねても、どっか壊れたみたいに『落ちる落ちる』しか答えない。嫌な予感がして教室を確認してみたら、案の定ああなってたってわけ」
罰点がつけられた顔写真たち。確かにその中には、一年C組の現担任と思しきものもあった。どうやら『落ちて』いるのは森賀さんだけではないらしい。その教員の災難の原因は歌狩さんではないのだろうが、妙な偶然である。
「…………で、この射手矢って子があの異能の宿主ってわけですね」
遼は先生から、射手矢悠里の証明写真を受け取った。気の弱そうな、それも含めてごく普通の中学生だ。制服も気崩さず、第一ボタンまでキッチリ留めている。
「先日の不審者騒ぎのせいで、校内に外部の人間を入れるのが難しくなっていてな。佐口を呼んで確認をとるつもりだったんだが、それが難しくなった。ならば、もう彼の方をお前たちの元に向かわせれば手っ取り早いだろ」
「他に、情報はあります?」
「ああ。前に話した時に、彼が妙なことを言っていてな。なんでも年明けぐらいから、他人が罪を犯したのがわかる、とかなんとか。アタリをつけていたのはそれからだ」
「罪、ですか」
「罪といっても、殺人とか大層なものじゃないらしい。といってもそういうのを今まで見たことが無いだけで、それもちゃんとわかるのかもしれないが、彼曰くだと、クラスメイトがいついつのテストでカンニングをしただとか、母親が信号無視しただとか、お釣りを多く貰ったことに気が付いたのに返さなかったとか、その程度らしい。周りの人間の顔を見た時に、ふと気が付くんだそうで」
「制裁の神のあたりか?」
「さあ。それを見極めるのは俺の仕事じゃない。ともかく射手矢は気付いてしまったんだと。ここ最近所持品がよく無くなっているのは自分のケアレスなんかじゃなく、誰かの『罪』であることに」
クラスメイトの顔を見て、隣の席のそいつが自分の教科書を面白半分で隠したのだと、そいつ自身の顔に書いてある。教科書を持っていないかと、試しに問うてみる。間違えて持って帰ってしまっていたと、鞄の中から教科書が出てくる。謝罪を受け取っても、それでもまだ、顔に刻まれた罪は消えない。
「他人と交流する以上、多かれ少なかれ意見や行為の衝突はあるものだ。学校はそういう経験をする場でもある。でもその衝突が明確な悪意によるものなら、それはこの社会では許されるべき行為ではない。社会の規範や倫理を意図して破ったのならば、それは立派な罪だろう。おそらく彼はそうやって、自分がいじめられていることに確信を持った」
「それ、いつの話だ」
遼はため息を吐き出す。問題を野放しにしていた学校当局への失望か、それとも他の何かか。
「あの日は確か…………ほら、丁度放課後に理科室に行った日だ。鍵が消えるだの水道が壊れるだの、散々な厄日だった日だが、覚えているだろうか」
先生が言っているあの日とは、どうやら僕たちが黄泉と初めて出会った日のことらしい。
「僕と理恵があらぬ疑いをかけられた日ですね」
「そうそう。今から思えば、あの日を区切りに…………否、違うな。今年になってから、この学校はどこか様子がおかしい気がする」
「それは…………」
やはり脳裏を過ぎる顔はナイアルラだ。彼が学校に姿を見せたあの十二月三十日から、日常は緩やかに、でも確実に侵食されている。
「で、どうするつもりすか」
遼は依然として厳しい口調のまま、先生に問いかける。
「どうするって、何をだ」
「根本の問題は射手矢が異能力者であるか否かの以前に、彼が教室で受けている仕打ちそのものでしょうが。それとこれとは関係しているかも知れないが、切り離して考えるべきなのは間違いない」
「ああ、その通りだ。いじめに関しては教師の仕事だとも。その解決をお前たちに求めるつもりは毛頭ない。それはさておき、異能力者候補の一人として、彼を推薦したい」
先生はA4サイズの紙を取り出して、僕に差し出した。学年初めに生徒に配られる、クラスメイトの連絡先表だ。たった一人のものを除いて、全て黒で塗りつぶされている。
「射手矢君の住所と連絡先だ。手順は〈守り手〉に一任する」
「でも彼、まだ中学一年生ですよ。そんな危ないこと……」
「俺から言わせれば、お前達だってまだ高校一年生だ。俺が彼を推薦する理由は、彼が能力持ちだからだけじゃない」
僕がその紙を受け取ったのを確認すると、先生は言葉を続けた。
「中学生なんて、学校だけが自分の世界だと思ってしまうもんだろ。大抵はそれしか知らんからな。そこでいじめられなんかしたら、世界のどこにも自分の居場所が無いなんて考えちまう。でも、ホントは世界はもっと広いだろ」
先生はおもむろに立ち上がると、教室の扉を開ける。ひんやりとした空気がゆっくりと流れ込む。
「楽しく生きていける場所を見つけて、そこで輝けばいい。その場が学校である必要性は、本来どこにも無い。もちろんだからといって、問題そのものを野放しにするつもりはないが……」
そのまま先生は窓を開け放つ。通り道を見出した空気は、そこでようやく循環し始めた。
「……が、それも一つの解決の道ではある筈だ。もし万が一、彼が異能力者じゃなかったら…………それはその時考えよう。いじめそのものの解決状況にもよるが、峰流馬が言った通り、こればっかりは時間が勝手に解決する問題ではない」
「担任じゃないのに……」
「そう、だな。でも見て見ぬふりは出来ないだろ、俺にまだ教育者としての信念が残っているうちは」
善性か偽善か。僕は僕たちがしようとしていることの区別がつかないままだった。
**
「えっと…………黒乃先輩、良須賀先輩、みな、みなるば……」
「峰流馬だ」
「峰流馬先輩。すいません。覚えました大丈夫です」
明くる日、僕たちは図書館の二階にあるカフェに射手矢君を呼び出していた。紅茶や珈琲を各人一杯ずつ頼んで、丸テーブルに腰を落ち着けている。新崎先生からは、僕達のことは『罪が見える』特殊体質の相談相手として紹介されているとのことだ。あながち間違っていない。というか、概ねそれで合ってる。
射手矢君は伸びた前髪の奥から、僕達の顔色をおそるおそる窺った。もう既に、彼には何かが見えているに違いない。
「正直半信半疑だったんですけど、ごめんなさい、もう勝手に視させてもらいました」
「構わん構わん。異能の使用に、いちいち他人の許可なんぞ取ってられん」
「……峰流馬先輩、銃刀法違反してるんですか」
ちょうど飲み物を口に含んでいた僕と理恵は、その言葉に思わずむせてしまった。違いない。確かに遼の魔具は魔具である以前に銃だ。しかも二丁もある。
「法律では裁けんだろう」
「でも、自分でもちょっと思ったことあるんですよね。罪の意識があるってことは」
「…………否定は、しない」
理恵は完全にツボに入っているようだ。おかしさに耐えかねて、机に突っ伏して肩を震わせている。
「良須賀先輩は、これ何を殺したんですか。なんかやばいバケモノ見えるんですけど…………」
彼が何を見たのか、僕は正確には判らないが、たぶんアネクメーネで討伐してきた怪異達のどれかを見たのだろう。どれか、もしくはその全てを。
「バケモノで…………たぶん合ってるわよ…………ふふっ」
「おい理恵いつまで笑ってんだよ。おい朔馬もニヤニヤするな」
「いやぁ、当たってるなあって。事前に何も伝えてなくてこれなら、やっぱり適性者なんじゃないかな」
そこで射手矢君は口をつぐんで、僕の目をじいっと見入った。その顔は真剣そのもので、僕の笑みが自然と消えていくのを感じる。僕は、一体僕の何に罪を感じているのだろうか。
「で、この先輩は何が見える? ちょっと俺気になってきたかも」
茶化し半分で僕を見る遼のテンションとは裏腹に、当の射手矢君の目は困惑に満ちていた。それは、今自分が見たものを把握しきれず、それでも一見は百聞を越えることを噛みしめようとしているかのようでもあった。彼から目を逸らすことそのものが逃げであるような気がして、僕は言葉を紡ぎだすのを待った。
「…………なんにも、無いです」
嘘だ、と直感的に分かった。その目の色で、何も見えなかったはずがない。何が見えたのだろう。何を見られてしまったのだろう。
「ともかく、先輩たちが普通じゃないのはよくわかりました…………あ、悪い意味じゃないですよ」
僕が予知夢の話をする相手を選んでいたように、彼も自身の体質の話を、打ち明けるに足る人物だけにすると決めていたようだった。そしてそれに見事、僕達は選ばれたらしい。
「で、これは何なんでしょうか。どうして、何が見えちゃってるんでしょうか。新崎先生は、先輩たちが答えを教えてくれるかもって仰ってたんですけど……」
単刀直入な射手矢君の質問に、僕達は思わず顔を見合わせる。如何せん、説明することが多すぎる。切り出す言葉を掴みあぐねていると、ウェイトレスさんが追加の注文を運んできた。おかしい。誰もドリンク以外頼んでいない筈である。
「パンケーキだ、少年」
「すいません、たぶん別のテーブルじゃ……」
そこまで言いかけて、そこでようやくそのウェイトレスさんと目が合った。彼女は眉を上げて、意味ありげな視線を送る。そう、僕は彼女を知っていた。
「って佐口さん!?」
テーブルのど真ん中にパンケーキを置くと、彼女はにやりと笑って隣の机から椅子を拝借し、並んで座った。
「なんだ。副業があるのは、なにも新崎に限った話じゃないぞ」
取り出したスイーツナイフを彼女は器用に操り、ケーキは綺麗に五等分されていく。
「公私の線引きは重要だ。少なくとも、君たちが思っている以上にな。なあなあで話を進めるのも手立ての一つだが、キッチリとするのに越したことはない。なに、私は診るのが仕事だからな。それは重々判っているさ」
取り皿に丁寧に取り分けていき、最後に射手矢君のぶんを盛り付ける。
「パンケーキ、ですか。僕、最近あんまり食欲がないと言いますか……」
「好きでも嫌いでも食べておくといい。異能は糖分を使うからね」
そしてそのまま目を閉じ、深呼吸を一つ。
「さあ、久々の検診だ。その真の火を見せてくれ」
彼女の目から焔が零れる。無形の炎は生き物のように蠢き、揺らめき、その瞳の奥に宿る。僕を見定めた時と同じ光景であった。彼女はその本質を見抜き、その内に宿す異能力の何たるかを理解するのだ。
「…………」
佐口さんはその異能の目で、射手矢君をじいっと見つめている。炎に惹かれたのか、射手矢君も佐口さんから目を逸らさない。数秒の沈黙の後、炎は消え、二人の間に張り詰めていた緊張も解けた。
「……どうでした?」
僕は彼女に問いかける。が、彼女は一向に答えようとしない。それどころか驚くべきことに、彼女は困惑しているようだった。その表情は、奇しくも先ほどの射手矢君のものと同じ類だった。まるで異能に反して、本質を捉え損ねたと言わんばかりに…………。そしてその射手矢君自身も、佐口さんの顔から何を読み取ったのか答えようとはしない。
「…………適性は、どうやらある」
先に口を開いたのは佐口さんの方だった。
「神性の残滓も読み取れる。この子に異能が宿っているのは間違いない。その意味では新崎の見立ては確かに正しかった。でも、でも……」
彼女は間違いなく狼狽していた。でもそれを押し殺し、極めて淡白に状況を報告する。
「でもそれまでだ。見えるのはそれだけ。他は何も、見えない。そう、まるで鏡の向こうの世界を見ているかのように、妙な違和感が邪魔をして」
一方、狼狽していたのは佐口さんだけではなかった。射手矢君もまた、僕の顔を見た時とは違った困惑の表情を浮かべていた。
「あの……これ言った方がいいのかわからないんですけど」
彼もようやく言葉を絞り出したが、それもただ僕たちを混乱させるだけだった。
「僕も、この人の顔に何も見えないです。……一つも罪が見えないなんて、よくあることなんでしょうか」




