三つ首
状況を整理しようと思う。射手矢君はおそらく無自覚のうちに、その異能力を暴発させてしまっている。その結果があの教室だ。できることなら、射手矢君に教室の現状を悟られないようにしつつ、異能の起源を認識してもらい、暴発をストップさせたい。あの告発が今の時点で知れ渡ったとして、改善されるとは到底思えないし、むしろ悪化させてしまうだけだと思われるからだ。少なくとも、新崎先生たちの『対応』を待ちたい。
あの告発が超常の力に拠るものであることは確認済みである。先生によると、例の写真たちは剥がしても剥がしても、目を離した隙に綺麗に貼りなおされているらしい。できれば学校が再開するまでに片を付け、写真を撤去させたい。
「……まあ、異能の所持そのものは確認できたんだろ。なら当面は問題ないじゃないか。次の手順は参加の意思確認だが…………俺たちとの同行は本人たっての希望、というのは本当かい?」
依然として首をかしげたままの佐口さんと共に、僕らは禁書エリアの扉を叩いた。当然射手矢君も一緒だ。迎えに出たのは綿津見。彼は僕達から報告を受けると、さっそく加入手続きに移っている。
「え…………あ、はい!」
見上げるほどの本棚が立ち並ぶこの空間に圧倒されたのか、当の射手矢君といえば、口をぽかーんと開けて、本棚のてっぺんまでを見上げていた。たしかにここの書架には、学校の図書館とは比べ物にならないほどの重厚感と荘厳さがある。内蔵されている書物の古さが故であるが。
「危険は承知しているのかな。なにせ君はまだ中学生…………いや、年は本質的には関係無いんだが、ともかく生半可な覚悟でやっていける世界ではないのは確かだ。その説明は受けているのかい?」
「えっと、新崎先せ…………学校の先生から、聞きました。大丈夫です。お母さんも、必死に何かをするのはいいことだって、オッケーくれました。僕、自分に何が起きてるのか、知りたいんです」
彼のお母さんも正確に事情を把握しているとは到底思えないが、まあ、知りたい、と言われてしまえば、僕達に否定する権利はない。僕達全員、己が知的欲求を満たさんがためにここにいると言っても過言ではないし、少なくとも僕はそうだ。彼の気持ちはよくわかるし、数か月前の自分ともよく重なる。
「……そうか、ならば拒む理由はない。なにせここは自己責任の空間だからな。自分の発言に責任を持って行動してくれれば、それ以上は何も言うことはないさ。なに、ある種の課外活動だと思えばいい。さて、それでは改めて名乗るとしよう。俺は……」
詳しい説明の類は綿津見がやってくれるようだ。どうやらここまでで僕らの仕事終わったらしい。遼と理恵と、顔を見合わせて一息つく。すると、何か言いたげな叡掠さんが近づいてきた。一緒にここに来た歌狩さんの姿は見当たらないが、森賀さんのいる病院に向かったという話を聞いたような気もする。
「あの子、起源も異能も不明なんだって?」
「ええ、まあ。ってこれ、部外者の貴方に言っていいんでしょうか」
「紳士協定について聞いていないのかい? 彼が異能力者なら、それも含めて公開情報だよ」
叡掠はほら、と部屋の奥を指さした。そこでは佐口さんが、辞書ほどの分厚さの本を何冊も広げ、真剣そのものといった表情で目を通している。
「知っているだろう。異能力は絶対の法則なんだ。神の御業だからね。そんな神の残滓がどこでどのような形をとっているのか、俺たちは把握する義務がある。ああ、君たちの好きな言い回しを借りれば、世界の均衡のために」
頷く。理解はできる。
「と、するならば。ミシャグジ神の彼女が狙ったものを見出せなかったのは、それは異能の不調なんかではなく、単純に、自身の異能の捉え方が間違えていたということになる。絶対の法則は、一切の例外を受け付けないからね。そしてその間違いは同時に、悲しき哉、彼女自身の存在意義そのものに直結する。だから彼女はああも必死になっている、というわけだ」
叡掠の台詞を無理やり区切らせるように、遼が僕の肩をぐいと引き寄せ、強引に距離をとらせた。
「何が言いたい。論理のすり替えまで使って、朔馬を説き伏せることに何の意味がある」
彼の目は警戒の色に染まっていた。遼と彼の間には、何か確執があるのだろうか。
「つれないなあ。俺はただ、事実を述べたまで」
「俺たちは異能の出自こそ違えど、同じ信念を核にして集った者たちだ。存在意義がどうかなんぞ、部外者のお前に心配されるような話ではない。……その厭味ったらしい顔、何か悪巧みでも思いついたか」
何も、と叡掠さんは取ってつけたような笑みを浮かべた。だがその目は当然のごとく、笑っていない。
「暴発現象の様子から推定される、彼の起源神格は裁定神のカテゴリだろう。ちょうど我らがエッダには、フォルセティという名の司法神が登場してな。俺は、彼がそうであると踏んでいる。場合によっては…………」
彼の視線は、今度は綿津見と親し気に話す射手矢君に注がれていた。
「彼が属するべきは〈守り手〉ではない」
**
叡掠の話は否定できない。当然それも可能性の一つであるのだ。世界中の神話で言及されている裁きの神のうち、彼の起源となったものが北欧に由来しないとは言い切れない。
だがもしそれが真実なのだとしたら、彼は〈牙〉となるべきなのだろうか。それともこのまま、僕達〈守り手〉に属するべきなのだろうか。
僕がこの問いに妙に引っかかっているのは、それは僕達自身にも同じことが言えるからだろう。僕達は禁書を守る者として、この図書館を拠点に戦っている。でも僕のデウスエクスマキナも、理恵の白虎も、リーダーの綿津見のワダツミだって、書物という概念には直接関係は無い。ただこの街に住まいがあるという、所属の理由は言ってしまえばただそれだけである。
一方、対する〈牙〉には明確なつながりがある。北欧神話という一つの共通性を絆とすれば、強固な連帯感だって生み出すことができるだろう。そしてそれは、いたって自然である。どちらが良い悪いという話ではないのだろうが、どうしても比べてしまう。
「地縁か血縁か。確かに、優劣つけ難い問題ではある」
本棚の背表紙を目でなぞりながら、独りぼうっと考え事をしていた僕の隣に、また叡掠さんがすっと並んだ。
「…………思考でも読めるんですか」
正直、不気味だ。とはいえこれくらいの超常現象にはさすがに慣れてきたころだ。
「まあ、俺は叡智を掠め取る者だからな」
彼は特に否定するそぶりも見せず、一冊の本を手に取った。それは禁書ではなく一般書で、各地の神話のエピソードをおおまかにまとめた入門書のシリーズだ。そこらの書店にも置いている。
「だがな、舞台神の少年。知識は脳を濁らせることもある。なにせ、その全ては単なる過去に過ぎない。今この瞬間のヒントにはなるが、それが絶対だと言い切ってしまえば、ヒトは持っている知識より先には進めない。嗚呼、なんたる悲劇。ここに記されたその全てが、破棄すべき日がいずれ訪れる」
彼が開いているのは、もちろん北欧神話のものだ。
「何の話をしてるんで-----」
「何の話か、勿論文字通りの意味だとも。書に刻まれた情報は、刻まれたその瞬間より先には進めない。読み手が頁を開く頃には、既に過去の遺物というわけだ」
僕はそこで直感した。彼がこの話相手に僕を選んだのは単なる気まぐれではないということを。僕は、正確には僕の所持する禁書は、彼が言った本の宿命から逸脱することができるのではないか。そして彼は、おそらくそれを知っている。
「……僕に何をしろと」
「ははは、話が早くて助かる。……頼みがある。たった一度でいい。そう遠くない未来に訪れるいつか、君の禁書の力で、俺に協力してほしい」
「協力って、何にですか」
「それは……まだ教えることはできない。これはある種のお願いだから、応えてくれるかどうかは君自身に委ねるとも。なにせ……」
そこで彼の言葉は途切れた。彼の携帯電話が突如、けたたましいアラームを鳴らしたからだ。
話の腰を折られ残念そうにため息をつくと、叡掠さんはそれを耳元に当てる。
「どうした」
どうやら今のはアラームではなく呼び出し音らしい。
「トラブルって何が………………って、モリガンの嬢ちゃんが!?」
ちらりと、僕の顔色を窺う。
「意味が分からん。とりあえず、そこから動かず待っとけ。そっちに向かう」
彼は電話を切ると、僕の肩に手を置いて一言、行くぞ、と付け加える。
「森賀さん……に何かあったんですか」
どうやら何か問題が発生したらしい、ということを嗅ぎつけて、エリアに散らばっていた他の面々もこちらに注意を向ける。
「あー、詳しいことはまだわからんが」
顔色をうかがう相手が僕だけではなくなり、言葉を選び出した叡掠さん。
「彼女が意識を取り戻したそうだ。よかったよかった。…………これが良いニュース」
「勿体ぶるな。悪いニュースは何だ」
相も変わらず手厳しい遼が、続きを催促する。誤魔化すのは無理と判断して、観念した彼は口を開く。
「歌狩からの連絡なんだが、森賀の嬢から、その…………異能力が、消えたそうだ」
「異能力…………って、森賀さんの!?」
彼女の異能力、多重分岐人格。それが消失したと、そう告げる叡掠さんの様子は、嘘をついているようには見えなかった。
**
「先輩、私の所為じゃ無いんですって」
病院の入口に陣取っていた歌狩さんは、駆け付けた僕たちの姿を見るや否や駆け寄ると、開口一番、その責任を否定した。
「病院に着いて、異能を解除するように病院の先生に言われて、ちゃんと解除して、それから反応を見たいから、もう一度同じ幻を見せるようにって、言われた通りにしようとしたんですよ」
彼女の畳み掛けは止まることを知らない。矢継ぎ早に言葉が紡がれ、その全てが焦りに呑まれている。
「でも異能がうまくかかんなくて、まごついてたら……」
「目が覚めたのよ」
自動ドアが開き、中から出てきたのはなんと、森賀さんその人だった。持ち込んだ服が無かったのか、運ばれていったときに着ていた制服を着まわしている。
「って、森賀さん…………大丈夫なのまだ寝てなくて」
「寝るも何も、さっきまでずっと寝てたんですから。検査結果も異常無いようですし、私は元気よ、ほら」
彼女はその場で、くるりと一回転して見せる。そして回転の途中に射手矢君の姿を目に留めると、そこでぴたっと立ち止まる。
「あら、見ない顔ね」
「あ、えっと…………え? 生きてる?」
「勝手に殺さないでよね。朔馬、この子になに吹き込んだの」
「僕!? 僕は別に何も…………」
射手矢君はおそるおそる頭を下げつつ、髪の隙間からその目で様子を伺う。だがその視線を受けても、森賀さんは一向に意に介していない。というかおそらく、彼の視線の意味に気付いていない。
「新入り? …………まあいいわ。ともあれ黄泉はどうなったの。ちゃんととっ捕まえれた?」
「いや、残念ながら逃げられた。そんなことより花音、なんともないのか? その、聞いた話によると、お前異能が……」
遠慮がちに問いかけたのは遼なりの気遣いだったようだが、予想に反して彼女は澄ました顔である。
「そう、ね。どうやら戦神モリガンとしての……森賀花音としての私は、落下したときに死んだみたい。今まで通り異能を使おうとしても、私の感情は分離せず、私は私一人のまま」
そう口にする彼女だが、特に傷ついている様子もない。
「ま、これは仕方ないわね。そういうリスクとは常に背中合わせだってこと、私も判っていた筈なんだから。命があるだけマシよマシ」
「おや、それは助かる。これで俺たちの間のわだかまりも解消されたというわけだ」
「だからって、貴方たちの罪が許されるわけじゃないのよ……?」
罪、という単語に、射手矢君がびくっと反応する。その目に懐疑の念がこもった。
「…………確かに、森賀花音から異能《多重分岐人格》の気配は感じられないわ。存在に、不自然な空白が空いているというべきか。この不自然さ、なんと形容すればいいのやら…………」
佐口さんの炎を帯びた目は、森賀さんを…………いや、異能を失った彼女は、もう野上さんと呼ぶべきだろうか。ともかく彼女を、診ていた。佐口さんの異能の不具合は、今は無いようだ。
「……魔術の方は消えていないようだけど?」
「ええ、そっちは変わらず。だって魔術は技術でしょう。この腕に染みついた業が、そう簡単に消えてなくなってくれるはずないじゃない」
異能を神々からの贈り物だとするならば、魔術はヒトが紡ぎだした経験の蓄積なのだから。
「まあ、〈守り手〉にはこれまで通り在籍するつもりよ。異能を失くした今となっては、野上家の中に私の居場所は本格的に無いでしょうし。…………それよりそこの新入り君、何か言いたそうね」
さて彼女の興味はといえば、既に射手矢君に向いていた。
「あ、いえ……何も」
「何もって様子じゃなかったでしょう。さっきから他人様の顔なんてまじまじ見て。ほら、怒ったりしないから言ってみなさい」
「花音、この子は……」
「あら理恵、異能絡みの話? だったら猶更気になるわ」
話すよう促され、おずおずと彼は言葉を紡ぐ。
「僕には力があるんです。ヒトの罪を白日の下に晒すべく、神が与え給うた力が」
射手矢君の言い回しには、少しの含みがあった。でも僕がその違和感を言葉にするより前に、彼は続く言葉を並べる。
「ただ顔を見るだけで、僕には判るんです。その人が背負う罪。その人が自責する過去の悪行が。みだりに人前で暴露すべき話じゃないって綿津見さんに言われましたから、この場では言いませんけど」
「あら…………それは残念」
「……でも、ひとつ訊いても良いですか?」
野上さんが頷いたのを確認すると、射手矢君は、なんとも奇妙な疑問を呈した。
「あなたには、どうして首が三つあるんです?」
「……どういう意味かしら。私を新手の妖怪扱いしてません?」
「でも、そう見えるんです。他の人はみんな、首は一つだけで、だからその上の顔に見える罪も一つなんです。でも野上先輩には、首が三つ。そしてそのうち二つには、あるはずの顔さえ載っていない」
反射的に、両手で首を押さえる野上さん。当然のことだが、僕の目にも首は一つしか見当たらない。三つ首という言い回しが比喩、ないし概念上の理解であることは間違いないだろう。素早く反応したのは佐口さんだった。
「そう、そうだよ射手矢君。それはまさしく良い表現だ」
ますます訳が分からないと、野上さんの表情はさらに困惑の色を濃くする。だが対して佐口さんは、自信のようなものを掴むに至ったようだ。
「奇遇だが、私にも同じように診える。先ほどの違和感の正体はどうやらこれのようだ。花音、君の真火だが…………私にも三つほど見える。心当たりはないか?」




