第21話 強制された白い結婚
ヒーム湖の離宮での夜会から2ヶ月後、アレクサンドラとライナーは婚約した。
それから更に10ヶ月後、王都の大聖堂で2人は結婚式を大々的に挙げた。
事前にルーカスが新聞紙にリークしており、大勢の招待客の他に野次馬も詰め掛けたが、大聖堂に入れるのは招待客だけだ。
それでも人々は、新郎新婦が大聖堂から出て来た時に配られるという高級菓子のチョコレートを待ち望んで大聖堂の前に陣取っていた。
ライナーは先に大聖堂に入り、祭壇の前で花嫁アレクサンドラを緊張の面持ちで待っていた。
大聖堂のドアが開き、アレクサンドラが父ルーカスと共に入って来た時、ライナーの心臓は更に早鐘を打った。彼女が近づくにつれ、ライナーはその美しさと愛らしさに目を見張らずにはいられなかった。
アレクサンドラは、ふんだんに刺繍とレースがあしらわれたレオンティーネ特製ドレスに身を包み、恥ずかしそうに頬を染め、少し俯いていた。
「き、綺麗だ……」
ライナーはポカンとして思わず呟いてしまった。
「娘を頼むよ」
声は聞こえなかったが、アレクサンドラを託したルーカスの目はそう訴えていた。
神官の説話を聞き、誓いの言葉を神の前で互いに述べた後、誓いのキスとなった。
その頃にはライナーの興奮は最高潮に達しており、『誓いのキスはする振りだけにしておきなさい』とアンゲラが言っていたことは頭からすっかり抜け落ちていた。
神官が誓いのキスを促すと、ライナーは恐る恐るアレクサンドラに顔を近づけた。彼女に触れた手は細かく震え、手袋の中は汗で湿っている。
アレクサンドラの柔らかな唇の感触がした途端、ライナーの脳天からビリビリと何かが走り、一瞬意識が途切れた。
人々のざわめきと神官の大きな咳払いで我に返った時には、ライナーはアレクサンドラにまだキスをしているままであった。
一方、彼女は真っ赤になってへなへなと崩れ落ちそうになっており、ライナーが抱き寄せていることでようやく立っている有様だった。
その姿がかわい過ぎてアンゲラとガブリエラの刺すような視線にライナーは全く気づかなかった。
◇ ◇ ◇
結婚式の後、夜用の正装に着替えて招待客を招いて宴会が行われた。
人々は夜通し飲んだくれていたが、ライナーとアレクサンドラは早々に退出し、初夜のために身体を磨いた。
ライナーは入浴を終えると、夫婦の寝室の隣にある自室へ戻って来た。
「ふぅ……」
まだ湿っている黄金色の髪を後ろへかき上げながら、ライナーはため息をついた。
「綺麗だったなぁ……」
そう呟きながら、ライナーは夫婦の寝室へ通じる内扉のドアノブに恐る恐る手を伸ばした。
「お待ちなさい!」
「ひぃっ?! は、母上?!」
いつの間にかアンゲラが鬼の形相をして背後で仁王立ちしていた。
「ノックもしないでいつ入ってきたのですか?!」
「そんなことは、どうでもいいの! それよりあなた、どこへ行くつもりだったの?!」
「ど、どこってアレクサンドラのところに決まっています」
「まさかアレクサンドラを抱く気?」
「だって初夜ですよ」
「ハァ……全くあなたときたら……大聖堂で誓いのキスも本当にしてしまうどころか、人前であんなにしつこくして……全く本当に呑気ね」
アンゲラは、大きなため息をついた。
「早くさっきの燕尾服に着替えなさい」
「え?! どうして?!」
「アレクサンドラを抱いてはいけません」
「そんな……」
ライナーは、がっくりして呟いた。
「何か言いましたか?」
「いえ、何でもありません。それでは、いつならいいのですか?」
「ずっと駄目よ」
「ずっと?! でも白い結婚なら違約金が取られるのですよ?」
「5年あるでしょう。結婚5年直前に避妊して抱いておやりなさい。それまでは駄目よ。女が欲しかったら、適当に娼館で発散させなさい」
アンゲラは1度言い出したら、初志貫徹する。もうこうなった母親に何を言っても無駄とライナーも知っているから、初夜を行う選択肢はなくなった。
「でも、抱かなくても時々は優しくしてあげるのよ。飴と鞭を使い分けなくてはね」
「ハァ?!」
「だって冷たくし過ぎてブラバント伯爵家に帰られたら面倒でしょう?」
ライナーは、大きなため息をついた。
「ハァ……もう分かりましたよ。着替えますから、出て行ってください」
「駄目よ。私が出て行ったら、内扉から隣の寝室へ行くつもりでしょう? 外扉を使わなくては駄目よ」
アンゲラの目はライナーをあからさまに疑っていた。
「ハァ……その通りにしますから、出て行ってください」
「駄目よ。家がこんなになる前は、使用人に着替えや入浴の介助を受けていたじゃないの。今更、母親に下着姿を晒したって恥ずかしがることはないわよ。さっさと着替えなさい」
「それとこれとはまた別の話です! 母上がここに居座るなら、私は着替えませんよ!」
ライナーは、ドアのほうへアンゲラの背中をグイグイ押した。普段なら、貴婦人にそのような乱暴な振る舞いをするライナーではないが、もううんざりしていた。
「ちょ、ちょっと! 痛いじゃないの! 止めなさい!」
アンゲラが悲鳴を上げると、ライナーはさすがに罪悪感を覚えて彼女の背中から手を離した。
「すみません。ちゃんと着替えて外扉から隣の寝室へ入ります。だから今は外へ出てもらえませんか?」
「本当に? 廊下で待っているわよ」
「ハァ……どうぞ」
「アレクサンドラに抱かない宣言をしたら、外廊下へ出るのよ。分かったわね?」
ライナーは、適当に『はいはい』とアンゲラに返事した。せっかくの初夜を台無しにされたのだ。そのぐらい構わないはずだ。
ライナーは、今度は軽めにアンゲラをドアから廊下へ押し出したが、廊下でも彼女は何か文句をギャアギャアと叫んでいた。
◇ ◇ ◇
その頃、夫婦の寝室ではアレクサンドラがベッドの上に腰かけて待っていた。
実家から連れて来た侍女アナが張り切って着せてくれた夜着は、とても薄い生地でアレクサンドラの柔肌が透けて見えてしまう。その上、座るとほとんど太腿が丸見えだ。
「恥ずかしいわ……もうアナったら……アナもヨーゼフとの初夜でこういうのを着たのかしら? 明日聞いてみなくちゃ」
これからすることを考えると、全身が火照って仕方ない。アレクサンドラは気を紛らわそうと別のことをブツブツと独りで呟いた。
独り言をやめると、シンと静まり返った寝室にかすかに話声が聞こえてきた。
「あら? ライナーと……お義母様? どうしたのかしら?」
アンゲラが廊下で何か興奮して叫んでいるようだったが、何を言っているのかまでは分からなかった。
「それにしても遅いわね。美男子は初夜の準備に時間がかかるのかしら? キャッ?!」
その途端、外の廊下に繋がるドアがノックされ、アレクサンドラは飛び上がった。
「私です、ライナーです」
「ど、どうぞ」
アレクサンドラが声を震わせながら答えると、ドアがゆっくりと開いた。
その向こうに見えたライナーは、なぜか宴の時と同じ燕尾服を着ていた。
「ア、アレクサンドラ! そ、そんな恰好をして……は、は、は、破廉恥です!」
ライナーは部屋に入って来た途端、真っ赤にした顔を背けて文句を言った。そのまま彼はテールコートを脱いでアレクサンドラのほうへ差し出した。
「これを羽織ってください」
アレクサンドラは『破廉恥』と言われたことがショックで固まっていたが、何度も呼ばれて渋々テールコートを受け取って羽織った。
『着ました』とアレクサンドラが言うと、ライナーは彼女のほうを向いたが、顔を紅潮させたまま、すぐに再び顔をそむけた。
「ま、前を閉じてください!」
「分かりました。これでいいでしょうか?」
それを聞いて初めてライナーは、ぎこちなく顔をアレクサンドラに向けた。
「今日はお疲れでしょう。私は、自室で寝ますね。おやすみなさい」
ライナーは、俯いたまま棒読みの早口言葉でそう言ってすぐに出て行った。
「え?」
バタンと閉まったドアをアレクサンドラは呆然と見つめてしばらく動けなかった。
◇ ◇ ◇
「ハァ……怒っているだろうな……」
ショックを受けたアレクサンドラの顔を思い浮かべながら、ライナーが夫婦の寝室から出て来ると、アンゲラの姿はもうなかった。
「なんだ……だったら抱けばよかった」
ハァともう1度ため息をついた途端、バツの悪そうな顔をした侍女とライナーは目があった。
「あ、あの……ワインをご所望とお聞きしたので……」
「ああ、じゃあ、もらおう。こっちに運んでくれ」
ライナーは自室のドアを開け、ナイトテーブルの上にワインとグラスを置かせた。そのワインはすぐに飲み干してしまい、呼び鈴を鳴らして次から次へとワインを持って来させた。
いつの間にか寝入ってしまったライナーが翌朝目覚めると、ワインを持って来た侍女が裸のライナーの隣に同じく裸で横たわっていた。




