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第97話 友として

 本降りになった雨は容赦なく頭上から降り注ぎ濡れた髪が視界を遮っても、御形ごぎょうは目の前に現れた青年をじっと見つめていた。

 自らを帝だと申し出た相手を、である。

 目鼻立ち、顔の輪郭。

 確かにどことなく凌霄りょうしょうの面影がある。

 朝廷で鳳仙ほうせんの犬として夜な夜なみやこを駆けずり回っていたあの頃。

 清涼殿に出入りすると必ずと言っていいほど凌霄は物陰からこちらを見ていた。

 もしかしたらその頃から、目をつけられていたのかもしれない。

 鳳仙が崩御し、凌霄が即位したことをきっかけに朝廷を去ってからというもの、大人になった凌霄の顔を見ることはなかった。

 改めて両手を広げる青年の顔を見る。

「お前が凌霄の子、なのか」

「先ほどからそのように申している」

 強い眼差しは楯突く時の風雅の君によく似ている。

 凌霄にはふたりの子がいることはわかっている。

 名は白椎はくすい榛紀しんき

 白椎は京を追われてからというもの、備中びっちゅう妹尾せのお家で預かっていたから顔はよく知っているが榛紀に面と向かったのはこれが初めてのことだった。

 御形は笑いが止まらなかった。

 腹の底から笑ったのは何年ぶりのことだろうか。

 こんなにも容易く求めていたもののひとつが手に入るとは、何と幸運なことだ。

 御形はそう思った。

 榛紀の暗殺に向かわせた湖薄こはく檜緒ひおが簡単に内裏へ侵入できるとは思っていなかった。

 そう簡単に入り込めない場所であることはかつて出入りしていた御形が1番よくわかっている。

 それでもあわよくば達成できたらいいと思って刺客として放ったものの、始末するはずの相手がここにいるということは、彼らはとんだ役立たずだったというわけだ。

 だが、相手が自ら内裏を出て今、目の前にいる。

 御形は右手を挙げた。

 手首を軽く前に倒すと後ろに控えている獅子がたてがみを揺らして無防備な榛紀に襲いかかった——。



 雨の音に消されることなく、辺りに鋼の音が鳴り響く。

 月華つきはなの刀が受け止めたのは巨大な獅子の牙だった。

 顔の2倍はあろうかという大きさの牙は硬く、榛紀に襲いかかったところだった。

 大口を開けた獅子の口に横一文字に刀を当てた月華だったが、巨大な獅子の重量を支えきれずにぬかるんできた地面に履物ごと足がめり込む。

「月華っ」

 腰を抜かしたのか、榛紀が尻餅をついた音が背中から聞こえたが、振り向く余裕はなかった。

「月華、よせ! そなたに何かあれば多くの者が悲しむ」

 それを聞いて月華は無性に腹が立った。

 これでは榛紀のことは誰も必要としていないようではないか。

「ふざけるな! しんに何かあっても多くの者が悲しむのは同じだろうっ」

「私などいなくなったところで影響はない」

「それは、正体を隠しているからか? 本当に影響ないと思っているのかっ」

「……そなた、知っていたのか?」

 不気味な笑い声を発する御形に反応してさらに獣の勢いが増した時、後方から3人の声が同時に聞こえた。

「月華!」

「兄上!」

「月華殿!」

 聞こえたのは紫苑しおん悠蘭ゆうらん、そして萩尾の声だった。

 噛み殺されそうになる榛紀を助けるのに必死で彼らが近くにいることは目に入っていなかった。

 かえでから彼らが榛紀を追って行ったと聞かされてことを思い出す。

 月華は力を振り絞って叫んだ。

「紫苑、悠蘭、榛のことを頼むっ」

 獣は2体。

 底知れない術者がひとり。

 武が悪いのは一目瞭然である。

 だがここで引くわけにはいかない。

 六衛府や六波羅ろくはらの応援が来ると信じて今は持ち堪えるしかないのだ。

 でなければ寝殿に向かわせた百合ゆりを再び奪われることになる。

 それだけは何としても避けなければならない。

「わかった、任せろ!」

 紫苑の返事とともに、すぐに泥を跳ねる音が聞こえた。

「な、何をする紫苑。私はまだあの者とも月華とも話があるのだ。ここを退くわけには——」

「お気持ちはわかりますがこれではただの足手まといです」

「だがこのままでは月華を生贄にするようなもの——」

「ご無礼を」

 月華が獣の猛攻を抑えながらちらりと首を傾けると紫苑が榛紀を肩に担いでいるのが目に入った。

 紫苑らしい。

 こうでもしなければ榛紀はその場から動かなかっただろう。

 紫苑の肩の上で暴れる榛紀を抑えるようにそばに寄り添っている悠蘭と目があった。

 互いに小さく頷くと彼らが離れたところへ駆け出していく。

 月華はそれまで獅子の牙を受け止めていた刀を引き、3歩ほど後方へ退いた。

 受け手を失った獅子は勢い余って顔を地面につけた。

 泥まみれになった口周りの水滴を払うために大きく顔を振る様はまるで狂犬のようだった。

 興奮した獅子は爪を出して前足で地面を蹴る。

 爪の跡が地面に深く傷跡を残した。

 ちょうどその時、刀を持ち出した家臣たちが数人、月華の周辺に集まってきた。

 みな震えを隠すように声を張り上げている。

 そのうちのひとりが月華のそばに寄って言った。

「月華様、及ばずながら我らも加勢いたします」

「気持ちはありがたいがあれの相手はお前たちには無理だ。それよりもこれ以上犠牲が出ないように邸の守りを固めろ」

「ですが……」

「門が破壊されたことで邸内と外が繋がってしまっている。市井の民に害が及ばぬよう注意を払うんだ」

「……承知、いたしました」

 そう家臣が答えたところ、恐怖のあまりか別の家臣が数人、興奮した獅子に向かって刀を振りかざしていた。

「おのれっ、化け物め」

 数人が獣に襲いかかったが、足蹴にされたのは言うまでもない。

 獅子の前足がひと掻きしただけで大の大人数人が遠くへ飛ばされた。

 池へ落ちた者、塀にぶつかった者、地面に転がった者など様々だったが、一様に呻き声を上げてそのまま動かなくなった。

 月華のそばにいた家臣は唖然としながらも恭しく首を垂れて負傷した者たちの救出に向かったのだった。

 月華は刀を握り直した。

 戦況は何も変わっていない。

 榛紀が死なずに済んだというだけで、危険が去ったわけではないのだ。

 改めて近くで見ると巨大な獣たちである。

 かつて土御門皐英つちみかどこうえいが操っていた式神よりも大きく感じる。

 あの時は百合を取り戻すのに必死で、正直なところ詳細は覚えていない。

 そしてあの時は途中から鬼灯きとう雪柊せっしゅうが加勢に来てくれたことで難局を乗り切った。

 だが今はふたりともまだ備中から戻っていない。

 ますます厳しい状況にあることを認識すると、自然と全身の毛穴から冷や汗が噴き出てくるような感覚がした。

「お前の邪魔がなければ憎き凌霄りょうしょうの子を仕留められたものを」

 御形の視線が月華に真っ直ぐ刺さった。

 金縛りにあったかのように体が動かない。

 もちろん、術にかかっているわけではない。

 それほどに底知れぬ恐怖を感じているのだ、御形に対して。

「まあいいでしょう。順番に始末すればいいだけのこと。まずはお前からいくとしよう」

「お、お前の目的は何だっ」

 月華は恐怖に硬直する体内から搾り出すように言った。

「目的? とにかく私は全てを壊したいだけだ。朝廷も、凌霄の子たちも目障りだ。全てを壊し、私は桐江きりえを取り戻す」

「桐江? それは誰のことだ」

「お前は知らなくてよい」

 御形の合図で再び獣たちが動き出した。



 現場から少し離れると紫苑は肩に担いだ榛紀を静かに降ろした。

 地に足がついた途端、月華の元へ向かおうとする榛紀を紫苑と悠蘭ふたりがかりで引き止める。

「ふたりとも離せっ。このままでは月華がっ!」

弾正尹だんじょういん様、あなたが行ったところで何の役にも立ちませんよ」

 珍しく真面目な口調で諭す紫苑に悠蘭は内心、驚いた。

 日頃から砕けた物言いで人を喰ったようなところもある紫苑でも、さすがは少輔しょうゆうとして官吏たちをまとめる立場にある者である。

 今の紫苑はまるで別人のように悠蘭には見えた。

「戦う術はないが、この命は取引材料になるはずだ」

「冷静になってください、あなたらしくもない。あれが交渉できるような相手に見えますか? ならず者を通り越して、もはやあれは妖のようはものです」

「…………っ」

 もどかしそうに下唇を噛む榛紀を悠蘭も同じ気持ちで見ていた。

 獣がひと掻きで家臣たちを何人も薙ぎ払ったのをこの目で見た。

 威力は皐英こうえいが操っていた式神の比ではないような気がする。

 あんなものに対抗する手立てがあるというのだろうか。

 数多の戦場を駆け抜けてきた鎌倉の武将である月華とて、とても手に負えるものとは思えない。

「たとえ妖だとしても、月華を差し出したままというわけにはいかぬ」

 納得がいかない様子の榛紀に、それまで静観していた萩尾が初めて口を開いた。

「全く——」

 腕を組み、まるで子どもを叱る父のような眼差しで榛紀を見つめる。

「こうと決めたら、てこでも動かない頑固さは凌霄とそっくりだ」

 紫苑と悠蘭は聞き捨てならない萩尾の言葉に思わず互いを見合った。

「…………?」

「凌霄は確かに友人を見捨てない情の深い男だった。そこはそなたも似ているのかもしれぬな」

「……どこの誰かは知らぬが部外者は口を出さぬことだ。今はそなたの相手をしている場合ではない。とにかく紫苑、悠蘭、その手を離せ」

 萩尾の話を無視して、榛紀は静止を振り解こうとした。

 まるで暴れ馬のように手がつけられない。

 紫苑は軽く暴言吐くと思いがけない行動に出た。

「度重なるご無礼を」

 そう言った彼は自らの拳を榛紀の鳩尾目がけて打ち込んだのである。

 彼のことだからもちろん加減は心得ているのだろうが、榛紀が気を失うには十分だったらしい。

 その場に力なく項垂れる榛紀の体を紫苑とふたりがかりで支えた。

「そなた、何をした!?」

 それまで説教をする親になりすましていた萩尾が急に狼狽えたので紫苑は呆れ顔で答える。

「ちょっと静かにしていただいただけだ。あんな冷静じゃない状態でその辺に置いておけないだろ? ……っていうかあんた、一体何者だ!?」

 紫苑の疑問も最もなことだ。

 寝殿を飛び出した萩尾が自らについて事情を説明する暇があったとは思えない。

「私のことはよい。そなたたちの敵ではないことは断言しよう。それよりも榛紀様を安全なところへ」

「そうですね。とにかく邸の中へ運びましょう」

 悠蘭は気を失った榛紀の右腕を自分の首にかけて体を支えた。

 当然、反対側は紫苑が支えてくれるものと思っていたがそうはならなかった。

「悠蘭。悪いがこの人のこと、頼むぜ」

 支えを得られず均衡を崩しそうになった一方を見かねた萩尾に支えられた。

 意識のない人間の体はここまで重量があるものなのかと実感する。

「紫苑さんはどうするんですか」

「俺は月華の加勢に行くに決まってるだろう?」

「は!? 危険ですっ。素手で戦うつもりですか」

「どうするかは行ってから考えるさ」

 紫苑はその続きはなし、とばかりに月華の元へ駆けて行った。

 悠蘭は呆然と見送るしかなかった。

「あの男、何者なのだ?」

 走り去る紫苑の背中を眺めて萩尾が言った。

「あの人は朝廷の官吏で久我くが家の方です」

「久我家の……。どうりで自信満々で敵に向かっていくわけだ」

 代々兵部省に官吏を置いてきた久我家のことは萩尾も理解しているらしい。

「あれは久我家の、というよりあの人の性格ですね」

 悠蘭は紫苑が月華の元へ向かったのは武術に長けていると自負しているからではないように思った。

 友人を助けたいという彼なりの思いやりからなのだろう。

 久我紫苑はそういう懐の深い男であることを悠蘭は知っている。

「ひとり増えたところであの御形に対抗できるとは思えぬが、まずは榛紀様を——」

 そう萩尾が言いかけた時、彼らの背後から駆け寄る気配がした。

 足音は不規則に響き、走り慣れない者がもがきながらぬかるんだところを進んでいるように聞こえる。

「榛紀っ!」

 振り向くとそこにはずぶ濡れになりながら泥を跳ね上げる風雅の君の姿があった。

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