奪還作戦と防衛作戦
拠点のテント内にて椅子に深く腰掛け、同時に、草原を駆ける馬の上で激しく揺られる。
乗馬に集中している自分の胸中は息が詰まりそうなほど緊張していて、同時に、ゆっくりと落ち着いて深呼吸をする。
テントの外からは訓練中の兵士達の喧騒が聞こえ、同時に、周りを見れば自分と同じように馬に乗って駆ける兵士達の姿。
激しく揺れる髪と胸の感覚を感じ、同時に、座ったままテントの隙間を吹き抜ける風にゆるやかに撫でられる髪の感覚を感じる。
同時に味わうのはあり得ない二つの感覚。
だが俺はそのどちらも、1コンマのズレもなく同時に感じている。
馬で目的地を目指すさなか、テントに入ってくる一人の女の子の姿に目を向ける。
「姫様、これから作戦会議となります! 会議用のテントまでお越しください、バハムート将軍がお待ちですよっ!」
元気いっぱいに報告して来た彼女は、背中に背負っていた槍を手に持って、切先を地面に真っ直ぐ向けた。決して俺の方に向けないためにしている、さりげない所作。
「ありがとう、リップル」
彼女の名前はリップル・サファイア・リリィ。王国の姫を護衛する任に就いている、姫の騎士であり……俺の護衛騎士だ。
報告しに来た彼女に礼を言ってから立ち上がる。ゆっくりと慎重に、あまり短すぎるスカートを揺らさないように立つ。
ガニ股で歩こうとして前掛けをひるがえしてしまうと、今履いているレースで編まれたショーツが見えてしまう。前にも城の訓練場を歩いている時に歩き方を失敗してしまい、リップルに怒られた事がある。
「では、参りましょう。ここは敵地ですのでどこから弓矢が飛んでくるかわかりません。イザとなれば私の背中に隠れてくださいね」
「で、でも……」
それはまるでリップルを盾にするようなものじゃないか。
死にたくないけど、でも女の子を盾にするなんて……。
「姫様、間違えないでください」
「え?」
ピシャリと厳しい声色で注意されて、いつも朗らかで元気な彼女からそんな声が出るとは思わなかった俺は萎縮してしまう。
「あなたは姫で、私は姫を守る騎士です。姫様を守るのが私の使命であり、もしあなたが私よりも先に死んでしまうような事があれば、その時は私の首も飛びます」
「そんな」
「当然です。これは決まりなのです」
「………」
「ではっ、注意して参りましょうかっ!」
いつもの元気な顔に戻った彼女がテントから出ようとした。思わずその手を掴んで引き戻す。
驚いた彼女が足を止めて振り返る。
彼女が開けたテントの入り口からは外の景色が見えた。訓練中の兵士たちと、周りにいくつも張られたテント、そして全てを囲う木の柵。
ここは戦争の拠点だ。
「怖くない、の?」
思わず聞いてしまった。
瞬間、リップルの顔が一瞬だけ泣きそうになった。本当に本当にほんの一瞬だけ。でもその一瞬の表情からは、俺のことを心配する心が見てとれた。
リップルは垂れ幕を下げてテントを閉めると、俺の両手を優しく包み込んでくれた。
「姫様、また厳しい言葉になってしまうかも知れません。いいですか?」
「う、うん」
「その言葉を、戦場で口にしてはいけません。もちろん誰だってそう思ってます、でも絶対に口に出してはいけないのです。それは自分自身の中に飲み込んでおくべきもの」
「リップル……」
「戦争で勝敗をわけるのは兵士達の士気です。士気は軍の心であり、兵士はどれだけ大勢いても怖がりますし、逃げたくなる気持ちに敏感です。もし怖いと言う言葉が聞こえてしまったらあっという間に恐怖が陣営内に伝染し、士気が落ち込んでしまいます。だから……ダメなんです」
それが戦争の厳しさ。
今の俺が立っている場所の決まり。
「それでも、姫様。もしも耐え切れなくなったらいつでも私に言ってください」
「リップル……!」
「いいですか。あなたは、“道具”ではないのです。本当なら今頃お城の中で安全に紅茶を嗜んでいるはずなんです。それでもあなたの“チカラ”は———」
「……ううん、ごめん。リップル。本当情けないね」
彼女の両手を強く握り返してから、テントから出る。
向かう場所は作戦会議用のテントだ。
「行こう。それと、ありがとう」
「姫様……」
心配している顔から、ふわりと無理やり笑顔を作った彼女が後ろをついてくる。
そのすぐ後だった。
「姫様!」
馬の地面を蹴る音が聞こえる。
一つや二つではなく、何千もの数だった。
嵐の如き音の中、しっかりと隣から自分を呼ぶ声が聞こえた。
「はあ、はあ、フラン……! ど、どうしたの?」
息を切らしながら呼びかけに答える。
馬を乗るのも緊張しているが、何より今向かっている目的の場所のことが気がかりであった。それがバレてしまっていたらしい。
姫護衛騎士のフラン・ルビー・アデニウムはすぐ隣に馬をつけると、がっしりと肩を掴んで来た。その掴まれた部分から熱い気持ちが伝わってくる。
「姫様、無理をなさらないでください。もしお辛いのであれば、すぐに行軍を止めます。この部隊は姫様のものですので」
「……はあはあ……大丈夫。ごめん。ありがとう、フラン」
それだけ返して前を向く。フランも俺の肩から手を離して、前を向き直した。
一方でもう片方の俺が作戦会議用のテントに入って、地図が敷かれた四角い長机を囲んでいた。横にはリップルが立つ。
そしてこの野営地を指揮する隊長が地図を指差しながら説明を始める。
「まず改めて我々の戦況を確認します。よろしいですね」
地図を取り囲む全員の顔を順番に見ていって、最後に俺に目を止めた。俺が頷くのを待っている。多分だけど何分、何時間経っても隊長は俺が頷くのを待つだろう。
俺は……頷いた。
それを見て隊長は説明を再開する。
「一ヶ月前の大陸上陸作戦において我々“水の国”は大きな戦果を上げ、足がかりとなる港町とそこから数キロ離れた先の、この野営地まで占領に成功しました」
「占領から一ヶ月間に六回反撃が来ましたが……現状、ここ数日間は敵からの攻撃は来ていません」
兵士が情報を付け加える。
隊長はその意見に頷いた。
「しかし必ず反撃の機を待っているはず。水上での船の戦いは我々に分がありますが、陸上では向こうの騎馬部隊が厄介です。六度の攻撃を防げたのもほとんど奇跡です」
「この空いた数日間の間に準備を整えているはずです。それはきっと恐らく———」
みんなの目が一斉に俺を見る。リップルが咄嗟に俺の前に立って視線から庇おうとしてくれたが、体を横にズラしてそれを躱す。
リップルにお礼を言って、みんなに頷いて見せる。
「きっと、向こうからも“姫”が出てくるはず」
「それを予見して姫様にお越しいただきました。このような砂埃が舞う野営地に来ていただくのは気が引けましたが……」
「何を言いますか、隊長。これも———私の使命です」
全身に力を込めて念じながら手のひらをゆっくりと開く。
ふわり、と手のひらからゆっくりと浮かんで現れたのは青い光を輝かせる宝石。
見慣れていない兵士の何人かから感嘆の声が漏れ出る。
「これが“ホエールハート”……水の魔法を操る宝玉……!」
「姫様しか扱う事ができない、伝説の……」
「皆様!」
好き好きに言葉をこぼす兵士たちにリップルは大きな声を張り上げる。
「まだ作戦会議の途中です! それで、このホエールハートと同じ力を持つ宝玉を持った姫が、向こうからも出張って来るって話でしたよね」
「はい。その通りです、サファイア殿」
隊長は全く動じておらず冷静だった。リップルをサファイア殿と呼び、再び地図を指差す。
「進軍してくるとすれば以前と同じく正面方向、敵国の首都につながる道から。この野営地周辺は林になっていて、罠も仕掛けていますし、それは向こうも分かっています。なので必ず真正面から突っ込んで来ます。そこに———向こうの姫もいる」
「正面衝突ですか」
「普通ならそんな愚策やるべきではありませんが、しかし六度の攻撃によって疲弊し、加えて数日の何もしてこない無風の状況を受けて不安が生まれ、兵士たちの士気が落ち込み気味となっています」
「そこで両者の最大戦力である姫同士をぶつけて、勝利する事で士気回復を狙うと」
「同時に向こうの姫を捕縛できたらと思うのですが……流石にそこまで許してくれるほど敵も馬鹿ではありません。今回の戦いで得るべき“戦利”はこちらの姫の方が強いと言う証明です」
そこまで聞いて兵士の一人が手を挙げた。
「なんだ?」
「その、本当にそれだけでいいのですか? ほ、本当にそれだけに留めるのですか?」
一兵士の疑問に隊長の眉がピクリと跳ねる。ここまで一度も冷静な表情を崩さなかった隊長が、初めて表情を変化させた。
それだけ彼の心に響く言葉だったのだ。
そして、この兵士の疑問の中には言葉の内容以上のモノが含まれている。それは“水の国”が抱えている問題点がだんだん浮き彫りになっている表れでもあった。
隊長は、なんとか何か言おうとした俺の動きを手のひらで制止すると、改めて兵士と向き合った。
「これは戦術的にも有効な手段なのだ。まず、大陸の騎馬は強い。水上戦に持ち込めばこちらに有利だが、ホイホイとこちらの作戦に乗っかってくれるほど向こうも馬鹿じゃない。足がかりとなる港町周辺を抑えたのがほとんど奇跡だ、これ以上の奇跡を望むのならそれ相応の犠牲を伴う。そしてその犠牲の中には姫様も含まれているのだ。慎重に、ゆっくりと、着実に勝っていく。それしか方法はないのだ」
「……そ、そうですね。出過ぎたことを言いました、申し訳ありません」
「大丈夫だ。ここを持ち堪えられれば、我が国から援軍が来る。それも敵を確実に倒すほどの兵力と物資が運ばれて来るはずだ。その刻が決戦の合図だ」
隊長の説得に兵士はまだ完全に納得いってない様子だったが、おくびにもそんな態度を見せてはダメだと、無理やり押さえ込んで頷いていた。
ただ隠そうとしても周りには分かっていた。
(! 向こうで動きがあった)
意識をもう一人の俺の方に移す。
あちらは馬の進軍が緩やかになっていき、だんだんの目前に拠点が見えてきた。木の柵で囲まれた野営地。
ライオンの旗を掲げている。
「姫様ご到着! 姫様ご到着ー!」
俺たちを見つけた監視塔の兵士が急いで連絡した。すぐに門が開いて、拠点を守る隊長が数人の兵士を引き連れて出迎えてくれた。
馬を降りて、短い丈のスカートの先をちょっと摘んでから、令嬢のお辞儀をする。
「お出迎え感謝致します。状況の方は?」
「すぐにでも戦えます。斥候によれば向こうはこちらの攻撃を迎え撃つ体勢のようでして」
「わかった。ありがとう。それじゃ———」
馬に乗り直して、叫ぶ。
「今! 行く!」
馬の腹を蹴り走り出す。後ろの俺について来てくれた部隊も全員、拠点内を突っ切って反対側の門から相手拠点を目指して進軍する。
後から慌てて拠点の兵士たちも隊長が先頭を走ってついて来た。
「ひ、姫様ー! さ、最低限のご説明だけさせてください!」
俺の隣まで追いついてきた拠点隊長が、必死に声を張り上げる。
「現在、我々の拠点の雰囲気は六度の攻撃失敗に加えて、数日の停滞状況が続き士気が落ち込み気味でありました!」
「じゃあ、今は?」
「今は……」
隊長は振り返り、一瞬だけ口を開けて驚いた表情を浮かべた。そしてすぐに感激した顔で身を乗り出して来た。
「流石姫様!! 姫様の果敢な行動に! 兵士たちは盛り上がっております!」
「でも彼らには相手拠点周辺の罠に注意するように指示してから、後方待機をお願いしたい」
「……? っ! まさか、姫様の部隊だけで乗り込むと⁉︎ 行軍の疲れがまだあるはずなのに⁉︎」
流石は隊長、俺の考えをすぐに見抜いた。同時に不安要素を的確に指摘してくれる。
「お願い! やらせて欲しい!」
「……姫様……了解しました! どうかご無事で! ルビー殿、任せました!」
俺の意図を汲んでくれて、隊長は後ろに下がって拠点兵士たちの指揮に向かった。フランをルビー殿と呼びながら。
俺の本当の狙いまでは読めていないだろうけど、意見を聞き入れてくれたあの隊長にはお礼してもし切れない。
「姫様! 私が必ずお守りします!」
「………!」
姫守るのか任務だから、きっとフランだってリップルと同じように自分の身よりも俺を守ることを優先するだろう。
少し迷った。
だが戦争は迷ったものから死んでいく。
すぐに迷いを取っ払って、さらに馬の速度を上げる。そうして見えて来るクジラの旗、敵軍“水の国”の拠点だ。
俺たちの接近に気づいた監視塔の兵士が報告して、すぐに門から槍を持った兵士たちが出て来て陣形を組んで待ち構えている。
「すまない———」
全身に力を込めて念じる。手のひらから、赤く輝く宝玉が浮かび上がる。
それを見た向こうの兵士たちが怯え出す。
心の中で何度も謝りながら———特大の火炎を放つ。
「ギャアアアアアア!!」
敵の兵士の陣形がたったの一撃で崩壊した。
炎に包まれた槍兵達は、たちまち崩れて散り散りに左右へ逃れていった。真ん中にできた道を駆け抜ける。
その先に———“姫”がいた。
同時に———馬に乗って飛び込んで来た“姫”を目撃する。
(思えば、こうして生で面と向かって会うのは初めてだな———!)
感慨に耽っている場合ではない。
すぐに“ホエールハート”を持った姫が、水の魔法を発動する。
それに対して“ライオンハート”から炎を巻き上げる。
陣営のど真ん中で炎と水がぶつかり合う。
威力は互角。
否、互角でなければあり得ない。
なぜなら炎を操る姫も、水を操る姫も、相手のことを本気で殺そうとはしていないから。
だって二人とも同じ俺———ただの男子高校生だった俺の魂が宿っているのだから。




