序章.税金を使ってアニメを作るだけの簡単なお仕事に左遷されました
この章読まなくても、話が通じます。
削除しようかと思いましたがせっかく書いたので、投稿はします。
3行でまとめると、「主人公の山口は、処刑される少女の夢を見る。勤務先(首相官邸)で昼寝すると、処刑されたはずの少女が女王としていた」です。
官僚の山口望は、不思議な夢を見た。
「死ね、死ね、死ね、死ね、死んでしまえ。俺たちはこの何万倍も苦しんだ」
黒い憎しみの言葉は悪魔を呼ぶに違いない。
民衆の怨嗟の声が、耳を塞いでも聞こえてくる。怒号、罵り、侮蔑。広場に集まった数万を超える民衆のあらゆる負の感情が一人の少女に向かっていた。
肩まで伸びた美しいブロンドの髪は、今朝、看守によって処刑しやすいように短く切られていた。短髪になっても、その美貌と気品は際立っている。
黒い仮面を被った処刑人が、おもむろに姿を現す。報復を恐れてのことであろう・・・。王宮の前に建造された処刑台の上には、真新しいギロチンが置かれている。
看守に腕を掴まれた金髪の少女が処刑台の階段を登っていく。
「助けて、ロイズ。ねえ、ロイズ」
急に、場面は切り替わる。
「女王を救いませ。どうか、私の魂と引き換えに・・・」
この国の官僚のトップである大法官のロイズが召喚の儀式を行う。
薄汚れた貴族が目を虚ろにして歩いていた。革命を起こした民衆達も、この異臭を放つ浮浪者のようなみすぼらしい男がアリス女王の側近、大法官のロイズとは気が付かなかった。
女王処刑の歓喜に溢れる王都の中を男はどこかに向かって歩いて行く。
フランス革命のような夢だった。フランス革命に散ったマリー・アントワネットのような美少女がギロチンで処刑される夢だった。山口望は、目が覚めた。目覚めが悪い夢であった。疲れているのかもしれない。
山口望は、朝食を取ると賃貸の小さなマンションを出る。そして、いつものように、霞が関に向かう地下鉄に乗った。
地下鉄に乗ると数駅で目的地に着いた。山口望は、霞ヶ関駅で降りる。四月に、人事異動があった。霞ヶ関駅を降りると、異動前の職場、白亜の巨大ビルを通り過ぎる。そして、新しい職場に、トボトボと覇気なく歩いて行った。
途中で、何人かの顔見知りの官僚に会釈をしながら、IDカードを警備員に差し出すと首相官邸に入って行く。血税で作った巨大な宮殿、首相官邸が山口の新しい職場である。
生活習慣病と戦う冴えないおじさんの山口望は、内閣官房参事官として首相官邸に出向していた。
山口の仕事は、通称オタク課。首相直轄のクールジャパン対策本部メディア対策課である。
山口は、アニメやラノベは嫌いではない。嫌いではないが、税金でアニメ振興をするという首相のいつもの思い付きには強く反対していた。
税金で作った、国会で吊るし上げを食らわない、ポリコレ的に正しい国策アニメが面白いとは思えない。
「男女同権を強調すること。女性の活躍を描くこと。女性の胸等を強調しないこと。女性の水着、下着等の描写はNG。ルッキズムと受け取られることがないように容姿に関する描写はNG。LGBT等の多様性に・・・」
山口は、上司のクールジャパン対策本部事務局長の官房副長官から渡された基本指針に目を通すと大きなため息をつく。
一度、山口は首相宛に上申書を提出したことがある。
「我が国のアニメやラノベを観察する限り、女性登場人物は、巨乳、貧乳、眼鏡っ娘、ぼくっ娘、女装男子等、ポリコレとは違った意味での多様性に富んでいる。視聴者の好みは、多様性に富み、好みも千差万別である。1950年代の悪書追放運動では、首相のご愛読書である手塚治虫の作品も焚書の対象となっている。清く、正しく、美しい作品が面白いとは到底思えない。税金の無駄遣いなので、せめてクラファンで資金を集めるか、首相が政治生命をかけて国会で吊るし上げを食らうレベルの作品を作ってはどうかと具申する」
参考資料として、山口は各省のオタク同期の官僚から集めたアンケートを添付した。
「質問:ブラックジャックは無免許医であるが、こうした作品をクールジャパン本部で扱うことの是非をお伺いしたい」
「回答:厚生労働省。個人的にはブラックジャックは名作と思うが、政府として医師免許不保持を美化する作品を広報することには、当省は積極的には賛同できない」
「質問:ゴルゴ13は一部、与党の大物政治家にも愛読者がいるところであるが、こうした作品を・・・」
「回答:警察庁。本庁の幹部にも愛読者が多いところではあるが、フィクションとはいえ政府として職業暗殺者を美化することは時節柄(以下略)」
「質問:機動戦士ガンダムは特に官僚に人気の高いアニメの1つであるが、(以下略)」
「回答:外務省。個人的にはファーストのBlu-rayを全巻持っているが、我が国は憲法九条で軍隊の保持を禁止しており、国際社会においても(以下略)」
これ、マリアちゃんが書いたな・・・。ガンダム・オタクの美人外交官の顔が山口の脳裏をよぎる。
山口が、官房副長官に上申書を渡すと、大きなため息をつく。
「君も官僚なんだから、首相のわがままぐらい、いつものことだろう。上手くこなしたまえ」
ガチの警察庁公安畑出身の官房副長官が山口を叱責する。
「政府広報は、無難に面白くなく、非難を受けず、誰も見ないが原則です。このご時世、何をやっても非難されます。非難されない作品なら、作るだけ無駄です」
「仕方ないだろう。あのバカ、いや総理がアニメを作ると言っているんだから。文句があるなら、上申書を持って、君が総理を止めて来いよ」
そう言ってから、官房副長官はしまったという顔をする。
「君なら、総理にもダメ出しするな。総理には会わなくてもいい。アニメもせいぜい、数億円の作品なんだから、さっさと業者に発注して、本省に復職したまえ。官房機密費も使っていいからさ」
首相官邸の5階にある官房副長官室を追い出され、オタク課に帰ると山口は、基本指針から大まかなアニメのストーリーを考え、代理店に発注するために発注書を執筆していた。
山口は若い頃、役所で特殊法人の監査をしていたことがある。売り上げが、数兆円規模の特殊法人では、テレビCMに芸能人を起用して、派手に宣伝をしていた。
「国が発注者になるから、バッシングを受けるのだ。であれば、間に特殊法人を入れればそこまで批判を受けないはずである」
政府は、当初、その方針であった。そうして、一千億円規模の独立行政法人・アニメ振興機構の設置を目指し、野党と世論の猛批判を受けた。それで、諦めれば良かったのだが、首相がどうしてもと内閣官房にアニメ振興費を配分した。予算があるので、使わざるを得ない。
こうして、山口が首相官邸に生贄として出向させられたのである。
山口は、無駄金を嫌う。自分の担当課の予算を削りまくり、関係者から恨まれまくっていた。
「ドケチの山口さんが担当するのなら」とアニメ振興費に猛反対していた財務省も予算を出してくれた。
「アニメ振興費は無駄金ですよ。財務省で拒否してくださいよ」
「政治マターの首相案件は、財務省では拒否できませんよ。主計局長が睨まれて干されます。勘弁してください」
いつもは非常に横柄な財務省の主計官と主計課長に頭を下げられ、「あと一桁予算、増やしましょうか?」という申し出を拒否して、首相官邸に戻ったのを思い出す。
『転生したらサキュバスだった。ショタ系インキュバスとスローライフ』
『えちえち麻雀、合法ロリ魔王と眼鏡の僕っ娘』
『腹腹時計』
二十個、タイトル案を山口がまとめていると、総務省から出向して来た28歳の課長補佐、神薙恵が汚らわしい汚物を見るような目で吐き捨てる。
「課長、首相案件ですから各省協議はやりません。首相や副長官がショタ系インキュバスや合法ロリ魔王の意味を知っているとも思えません。課長のふざけたタイトル案に気付いても、官僚は誰も指摘できません。そのタイトル案、通りますよ」
神薙の指摘は正しい。山口は、試しにタイトル案を官房副長官に見せてみる。
「『腹腹時計』は、爆弾テロ事件の被害者のご遺族がご在命だからやめなさい。悪質な冗談にしても、不謹慎だよ。他はいいんじゃないかな、このショタなんとかのスローライフ、政府の働き方改革とも合致するからいいんじゃないのかね」
官房副長官は、事務方と政治家が就任する政務副長官がいる。山口の上司である官房副長官は、事務方の副長官である。内閣人事局長も兼職する霞が関のラスボス、暗黒枢機卿である。長年、警察庁や厚労省、総務省の事務次官経験者のポストだったが、政治主導を掲げ現内閣が誕生した時に、民間企業の天下っていた元警察庁警備局長の大平を一本釣りで引き抜いた。大平は、局長上がりである。警察庁でも珍しい公安畑の官僚だった。警視庁警備課長、警視庁公安部長、警察庁公安部長を経て警察庁警備局長に就任した。公安の神様と恐れられる一方、刑事局や生活安全局の勤務経験がないため、時事に弱かった。
ロリコンものを取り締まる刑事畑や児童ポルノやパパ活を取り締まる生活安全畑の勤務経験がない。そして、公安勤務だけで局長まで昇進してしまったので、過激派やカルト宗教、公安調査の対象になっている組織、指名手配者、事件は全て丸暗記していた。
汚れ仕事と呼ばれる警備畑、公安畑は出世コースではない。全国の公安を指揮する警察庁公安部も準キャリが仕切っていた。だが、準キャリよりも公安に詳しいので、公安の現場指揮を経験していた。そんな危険な人間に警察庁長官をやらせたくないので、警察庁も大平が警備局長に就任すると早期退職を強行した。数年間は、まともな天下り先を紹介して貰えず、知人が経営する警備会社の顧問をやっていた。そんな干された境遇にいた大平に目を付けたのは、総理である。
大平には、良くも悪くも政治判断能力がない。だが、官僚も監視対象にする公安のエースを官僚の頂点に起用したことで、各省庁が首相に逆らえなくなったのである。
そして、本来なら出世コースであるはずの首相官邸勤務を各省庁の官僚があからさまに拒否しはじめた。その結果、「山口君なら大丈夫」と本省から体よく厄介払いされたのである。35歳の山口が内閣官房参事官兼メディア対策課長に抜擢されたのも、誰もやりたがらなかったからである。非常勤の事務職員を除けば、メディア対策課は課長の山口と、美人ではあるが上司にもはっきりとダメ出しをして本省で厄介者のレッテルを貼られた課長補佐の神薙恵の2人きりの左遷ポストであった。
「神薙さんの言ったとおりだった。『腹腹時計』以外なら、OKだって」
神薙は、いまいましそうに山口を睨むと無言で頷いた。
山口は、神薙のそっけない態度も気にならない。一回り年下の神薙に恋愛感情鵜を抱くこともない。セオリー通りなら、無難なアニメを代理店に発注し、可もなく不可もなく神薙を総務省に復職させてやることが山口の務めであろう。山口が本省で扱ってきた数千億円単位の予算と比べれば、10億円前後のアニメ振興費は小銭である。村おこしの予算である。
アニメ振興機構設立をするわけではない。10億円単位の事業など、山口や神薙がやる仕事ではない。本省時代なら、職員が担当し、山口が決裁印を押せば5分で終わる話である。
思いついた人間が、首相だから直属チームを発足させただけなのだ。
官僚は、ブラックな労働環境で働かされる。本省時代は、深夜3時、4時勤務は当たり前だった。だが、メディア課は残業がない。首相直属チームだから、上司は首相と官房副長官しかいない。多忙な2人が山口達の仕事に口を挟むことはない。さぼり放題である。
神薙は、無言で読書していた。
少し休憩しようと山口は、メディア対策課に付属する会議室に一人で入る。内閣官房は、必要があれば新しく課を作ることができる。そのために、内閣府と首相官邸に部屋が用意されていた。複数の役所から官僚が集まり、20名前後の精鋭で運用されるのだが、メディア課は3人しか職員がいない。打ち合わせ用の会議室も、山口の昼寝部屋になっていた。
眠気がする。部屋に入ると急な睡魔に襲われ、山口は机に伏せる。
今朝の夢が鮮明に脳裏によみがえって来る。
「助けて」
夢の中の少女の声が、鮮明に聞こえたような気がした。




