表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/35

28


 太陽は燦々と輝いている。

 冬と思えないほど気温が高く、小鳥たちも美しい歌声を上げる。

 残雪の隙間から若々しい緑が顔を覗かせ、春の到来を告げている。


 そんな晴れ晴れとした季節の中、エトリアの雰囲気は緊迫感で締め付けられている。

 まだ、太陽が登ってから二時間しか経ってないのに、大広場には人だかりがしている。

 その中心に優雅な街づくりと釣り合わない物が堂々と立っている。

 人々はギラギラとした目で、そのものを見つめている。

 その絞首台と、これからそこに吊るされる女性に思いを馳せながら、じーっとそれを見つめている。


 一方、本日の主役である女性は城の中で、最後の公演のために準備をしている。

 綺麗な水で垢を流し、純白なドレスを纏う。

 そして、今まで世話になった侍女に身を任せ、仕上げに取り掛かっているところだ。


 セレスメリアは鏡に映っている自分の姿を眺めている。

 そこに細くて、不健康な白い肌をしている女性が映っている。


(ようやく、ここまで来れた)


 長かった。

 セレスメリアに生きる資格なんてないと気付いた時からここまでの道のりは非常に長かった。

 そう実感するだけで、この何年も肩に居座っている重荷が軽くなった。

 しかし、今はまだ終着点ではない。

 まだ、その一歩手前にすぎない。

 安堵に浸るにはまだまだ早すぎるのだ。

 それに。


(昨日、ハロルド様はなんで謝ったのかな)


 セレスメリアはライネリオに託そうとした目の前にある真っ白い封筒を眺めながら思う。

 その小さな謝罪は小さな棘となり、未だにセレスメリアの心に突き刺さる。

 彼がセレスメリアを生かしたいという想いは痛い程伝わった。

 それが叶わなかったことに対する謝罪のであれば、理解できる。

 だが、そうではないと、セレスメリアの本能は告げている。


(それに、謝れるどころか、私がハロルド様に感謝しないといけないのに)


 だからこそ、セレスメリアはより深い困惑に閉じ込められそうになった。

 だがその寸前、鼻をくすぐる懐かしい香りが彼女の注意を逸らした。


「アコニタ、これは?」

「今日は薔薇の髪油がないですので」

「そう」


 エデルノーラの香りだ。

 あの花には様々な効能を持っている。

 そして、その中に鎮静作用も存在している。

 興奮と緊張で高揚した心臓が僅かにその勢いを弱めた。

 そのおかげで、セレスメリアはより呼吸しやすくなった。


「殿下、次は化粧です」

「ええ、わかったわ」


 アコニタの指示に従い、セレスメリアは体の向きを変え、目を閉じる。

 そして、そのまま、セレスメリアの素顔に薄い仮面が被らされている。


 ほんの僅かに残っている隈は白い粉に隠された。

 垂れ目がちな目元を濃い茶色の線で強いものにさせた。

 そして、最後は、彼女の淡い桃色の唇は鮮やかな薔薇色で塗りつぶされている。


 と、予想したセレスメリアだが。


「アコニタ」

「はい」

「なんで?」


 期待を抱きながら鏡を覗くと、想像したものとかけ離れた自分が映っている。

 隈は完璧に隠されていたが、それ以外は違う。

 目尻はやや垂れ下げたままで、口紅は淡い桜色のものが塗られている。

 これは、「セレスメリア」になりきる前の化粧だ。


 艶やかな薔薇の香り、吊り上がった目尻、大胆な赤い口紅。

 それこそが「王女セレスメリア」らしい化粧であり、長い間身を隠したからこそできる演出。

 そう思って、いつも通りにやるようにとアコニタに頼んだにも関わらず、彼女はそれを叶えてくれなかった。

 二つの事実はセレスメリアから言葉を奪った。

 一方、目を丸くした王女をよそに、アコニタはそのまま彼女の前に膝をつける。

 そして、ぎゅっとセレスメリアの両手を握りしめる。


「セレス様」


 セレスメリアは短く息を呑んだ。

 エトリアに到着してから呼び名が「殿下」に戻ったはずなのに。

 今まで意に沿った行動をとってきたアコニタの異変に、セレスメリアは困惑する。


「本当に、これでいいのでしょうか?」

「それは、どういう意味?」


 セレスメリアの問いにアコニタは眉間に二本の皺を作る。

 あのアコニタが、明らかな表情を見せるとは、セレスメリアは内心場違いの関心を抱く。


 そんな、彼女の言葉足りずの訴えはちゃんとセレスメリアの心に届いた。

 その実感にセレスメリアの身体は芯から温まる。


(まさか、アコニタまで)


 思いもしなかったことだ。

 この半年ではアコニタに迷惑をかけた記憶しか鮮明に残っている。

 だから、セレスメリアからするとこう言われるまでの理由はどこにも見当たらない。

 いや、もしかするとアコニタも王女を利用する立場にいるかもしれない。

 確かに、そんな憶測はセレスメリアの頭によぎる。


 だが、自分の甘さに嘲笑いながらも、セレスメリアは揺るがない瞳で見つめるアコニタのことを信じたい。


 だから。


「ふふ、まさかアコニタはこんなにも面白い人だなんて思わなかったわ」


 王女は小さな笑い声をあげながら、侍女の手に自分の手を重ねる。

 それを何回か優しく撫でて、これだけを告げた。


「ありがとう」


 これがセレスメリアにできる、唯一の答えである。

 結局疑っても信用しても結果が変わらない。

 ここまで来て、どんなに恐れてももう逃げるわけにはいかない。

 だが、確かにアコニタが向けてくれた感情に救われた自分もいる。

 だから、せめて彼女の提案に真摯に答えたい。

 そんな想いを乗せた、感謝の言葉である。


「これでいいのよ。ううん、これが、いいの」


 間を開けてから、アコニタは悲しそうな表情をしながら「わかりました」と答え、そのままセレスメリアから身を離す。

 彼女の変化を目の当たりにして、セレスメリアの心にほんの少し、寂しさが芽生えた。

 アコニタと過ごした日びの記憶が一つずつ丁寧に顔を、見せる。


 ライネリオと一緒で、無言を守りながらもセレスメリアを一人にしなかったアコニタ。

 どんなに我が儘な振る舞いをしても、それを淡々と答えてくれたアコニタ。

 そして、先ほど表情を見せたアコニタ。


 もっと別の形で彼女と出会えたらな、と。

 そうすれば、アコニタの色んな表情が見られるのではないか、と。

 そんな、馬鹿げた、叶わない想いを馳せてしまった。


 突然、静かな部屋の中に扉がノックされた音が響く。

 そこから、身なりを整えたライネリオが現れた。

 彼の登場は、最後の穏やかな時間の終わりを告げる。


 騎士は無言で鎧を鳴らしながら、王女のもとを目指して歩き出した。

 セレスメリアはそのまま席から優雅に立ち上がり、微笑みを作りながらライネリオが近くまで来るのを待つ。

 今日の彼は、いつもと違った服装をしている。

 見慣れた王族の近衛騎士の鎧のはずなのに、ライネリオが身につけると新鮮に映る。


 彼と会うのも、これが最後となる。

 そう思うと、セレスメリアはこの瞬間をできるだけ記憶の中に刻みたくなった。

 視界を彼を中心にして、一心に見つめている。

 彼も他のものに目もくれず、彼女だけを見つめている。


 二人は、手を伸ばせば触れ合える程近くなった。

 それでも、誰も動き出そうとしなかった。


 紫の瞳を映し出す青い瞳。

 青い瞳を覗き込む紫の瞳。


 動き出せば、この一瞬が終わってしまう。

 そう理解しているからこそ、互いは動けなかった。


 だが、どんな一瞬にでも終わりが訪れるものである。

 互いも、嫌になる程それを理解している。


 だから、第三者に終止符を打たれるよりは――。


「殿下」

「ええ」


 二人でそれを打つ。

 ライネリオは手を差し出した。

 セレスメリアも己の手をを差し出し、その上に重ねる。


 ――いや、重ねようとしたその瞬間。

 彼女の胸から気持ち悪い違和感が込み上がる。

 泥のような何かが肺を、胸を満たし、次第に喉を駆け上る。

 抑えようとしてもその勢いがますばかりだ。

 一瞬だけで、その不吉な味がセレスメリアの喉もとにたどり着いた。


 その正体に気づいたセレスメリアは――。


「殿下?」


 その手をライネリオに重ねるのではなく、彼を押しやるために使った。

 だが、彼女の力はあまりにも非力で、彼はビクッとも動かなかった。


 左手で口を覆い、静かに俯いているセレスメリア。

 彼女の突飛な行動に呆気をとられ、固まったライネリオ。

 そんな二人の異変を、後ろから不安げに見守るアコニタ。


 部屋が不気味な程に静かだ。


 その静けさを打ち破ったのはセレスメリアの不気味な咳だった。

 鉄の味が伴う咳だった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ