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 重い瞼を何とか上げて、セレスメリアは欠伸を噛み殺しながら歩いている。

 先頭を歩いている王女の後ろには護衛騎士と侍女。

 三人は閑散とした村を通り抜けて、外に止まる馬車に赴く。

 案の定、そこには当事者である人々以外に誰もいなかった。


 エトリアを発った時と似たような状況に関心を感じながら馬車に入ろうとしたその時。


「待ってください」


 知っている声の制止を無視し、セレスメリアはそのまま馬車の前まで歩いた。

 ライネリオの手を借りて、そのまま馬車の小さな階段を登ろうとしたその時。


「殿下、どうか、私に少しだけ時間をください」


 請われてようやく満足した王女かのように、セレスメリアはゆっくりと後ろを振り向く。

 そこには、黒いドレスを纏う貴人が立っている。

 彼女の表情は今まで見たことのない程に複雑な色をしている。


 まさか、彼女が見送りに来たなんて全く予想外だ。

 そんな彼女を、セレスメリアはじーっと見つめている。

 誰とも喋らない、閑散な朝。

 その中でギズラー夫人は何回か瞬きをし、ようやく意を決してその重い口を開ける。


「私は、貴女のことが大嫌いです」


 清々しい告白だ。

 ギズラー夫人のこんな明快な言葉はとても心地よいと、セレスメリアは内心思う。

 裏には何も隠されず、詮索なんて必要がない言葉。


「あら、ありがとう」


 だから、この感謝はセレスメリアの本心である。

 だが、夫人からすると、これは皮肉にしか聞こえないだろう。

 仕方ないと感じながらも、それを伝えたいのは王女の我が儘である。


 予想に反して、夫人は嫌がっていない。

 初めて言葉を交わした時のような険しい表情になると思いきや、彼女は困っているかのように眉間に皺を寄せる。


「でも最近、わからなくなりました」


 唐突な心変わりに、セレスメリアは瞬くことしかできなかった。

 何があった、どうして、彼女は心の中でそれを問わざるを得なくなった。


 一方、ギズラー夫人は何回も両手を組み直した後、決心して呆然としている王女を見つめる。


「ねえ、本当に貴女が、私の息子を弄んだの? 貴女のせいで、彼が死んだの?」


 王女セレスメリアとギズラー夫人。

 箱入りの王女と辺境領の管理で多忙であまり社交場に顔を出さない辺境伯夫人。

 そんな接点のない二人を結びつけるのは、一つのみ。


 それは、辺境伯の第一子息の死である。


「お願い。私に、本当のことを教えてください」


 ギズラー夫人の痛ましい声に刺激され、セレスメリアの胸は申し訳なさで満たされた。

 何故なら、彼女自身は真相を知らなかったからである。

 むしろ、どちらかというとセレスメリア自身は蚊帳の外な存在だ。

 蚊帳の中にいる人々は勝手に関連性を見つけ出し、勝手に王女を指差したに過ぎない。


 昔、セレスメリアはその悪意に深く傷心した。

 そのせいで、彼女の世界がより閉鎖的になった。


 だが、ライネリオと再会してから、彼女の考え方が変わった。

 時折、憎しみは辛い記憶を乗り越えるための礎になるかもしれないのだと。

 愛した息子を失くした母が悲しみに溺れないように、その感情が必要なのかもしれない、と。

 憎悪から何も生まれない。

 だが、憎悪を抱けば、人は簡単に死ねない。

 セレスメリアは矛盾している結論に至ってしまったのだ。

 同時に、その憎悪は一時的な処置であるに過ぎないことも知っている。

 しかし、どれもが適切な瞬間が必要である。

 そして、その瞬間を知っているのは、本人だけなんだ。


 それを言い訳にして、セレスメリアは姑息な手を取る。


「貴女は、どっちがいいの?」


 ギズラー夫人は答えない。

 彼女はただただ、硬直したまま、セレスメリアを見つめている。

 そんな彼女に、セレスメリアはとっておきの、一番美しい笑みを送る。


「貴女が必要な答えにすればいいのではなくて?」


 都合のいい解釈をすればいい。

 「セレスメリア」は、そのための存在だからだ。


「わたくしは、どちらでも構わないわ。だって、わたくしには無関係だもの」


 王女は再び馬車の方に向き、今度こそ護衛騎士の手を借りてその中に入った。

 誰も喋らない空間の中で、着々と出発の準備が進められている。

 あっという間に終わったそれを、ギズラー夫人は眺めることしかできなかった。

 その瞳が困惑に揺れている様子を見て、セレスメリアは小さく笑う。


「では、ごきげんよう」


 そう短く別れの挨拶をして、馬車は出発した。

 一人で佇んでいる喪服の貴婦人を残して。




* : * : *




 帰路は往路に比べれば非常に順調である。

 その理由の一つは、大半の魔獣は冬眠からまだ目覚めていないからだ。

 そして、王女は全く我が儘を言わなかったことも大きかった。


 加速する馬車の揺れに彼女は文句を言わなかった。

 必要最低限にしか整備された宿に泊まっていなかった。

 観光と称して新しい場所で時間を潰したりなどしなかった。


 いや、しなかったのではない。

 できなかったのだ。

 セレスメリアの息が日々浅くなっている。

 咳を我慢しないといけない時間も増えつつある。

 そして、それはエトリアを近づけば近づくほど悪化している。

 それに気付くセレスメリアは我が儘を言えなかった。

 言う気力と集中力すら残っていない程、彼女は追い詰められている。

 だから、彼女は黙り、「早く、もっと早く」「精霊様、お願い。あと少しだけ、時間をください」と内心祈りながら日々を過ごすしかできなかった。


 それだけで、冬の道だからとはいえ、たったの十日間でアベイユからエトリアに辿り着いた。

 その立派な門を括り抜ければ、城下町の風景が広がっている。


 セレスメリアはその懐かしい町を切ない気持ちで見つめている。

 灰色に染まった景色に、静かな広場。

 昔の活気が幻かのように、どんよりと重苦しい雰囲気が漂っている。

 しかし、その中でもエトリアの人々は生き延びるために寒い冬の空の下で働いている。

 そして、その間に、彼女の耳に確かに聞こえた。

 昔は「聖女」と称える声は、「悪女」と罵る声を。


「俺らはこんなに働いたのに、それでも寒さの中に苦しまないといけないのに、あの女はのこのこと温かい場所に生きている! これはどういうことだ!」

「俺たちの金は俺たちの物だ! 何であの女の物にならないといけないのか!?」

「陛下! ああ、陛下、どうか見てください! 子供たちはこんなにも細かったのに、それでもまだ女を生かすのですか?」


 城の前に群がる人々から、そんな悪女の死を求めている声も。


 彼女がエトリアから離れた時に、何が起きているのか。

 何故こんな風に変わったのか。

 気にならないと言えば嘘になるが、セレスメリアにとってそんなことはもはやとても些細なことである。


 そう、だってこっちの方が好都合なんだ。

 セレスメリアはそんな彼らのために戻ったのだ。

 本当に役に立てるかどうか今でもまだ半信半疑であったが、浅はかで罪深い彼女に考えられる唯一の贖罪。


 そんな気持ちを抱きながら、セレスメリアは裏口からエトリア城に戻った。





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