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セレスの額から、冷や汗が流れ始める。
王女になる前に別れはあるが愛され、王女になった後に歪でありながら箱入りに育てられた彼女にその刺激は強すぎる。
一人のは未だしも、一斉に多数の視線にセレスは震える。
(この視線、どこかで……あ、そうか)
セレスがアベイユに送られた理由となった人物。
あの赤髪の騎士と似た、憎悪に満ちた視線だ。
残酷なことに、その連想は一つの答えを導き出した。
要するに。
(こんなにも、いるんだ)
彼女は初めてその事実を直接肌で感じた。
恐怖はまだ残っているが、心底からじわじわと、別の感情が芽生え始める。
(こんなにも!)
「セレスメリア」の死を祝ってくる人々はこんなにもいるのだ。
そう実感すると、彼女の震えが収まり、足に力がわいてくる。
(もしかすると、私は知らないだけかもしれない。知らないから、一かそれ以外に迷ってしまう。……なんだ、そもそも選ぶ必要なんてないわ)
一を助けたい、見捨てられない。
だが、多数のためにも何かを成し遂げたい。
であれば、選択肢は一つしかないのだ。
(私って、こんなにも強欲なんだよね)
セレスは自分を嘲笑い、そのまま立ち上がる。
(ふふ、精霊様、やっぱり私は地獄行きなんだよね。……それなら)
「皆様、夜なのに、とても元気だね」
場違いな言葉に全員が面食らっていた。
そんな彼らを見て、セレスは手を一度軽く合わせ、微笑みを深くした。
「皆様方は運のいい方々だわ。こんな辺鄙なところなのに、王族を一目で見るだけじゃなくて、言葉を交わせるだなんて、ね!」
「なっ!」
一人の男は顔を赤らめながら動こうとしたが、一歩しか踏み出せなかった。
誰かが、後ろから彼の方を掴み、それを止めたからだ。
「ライネリオさん!? 離してくれ、あいつが俺らを!」
ライネリオはまるで彼らの怒涛が聞こえないかのように、そのままセレスの前まで歩きだし、彼女を庇う。
いつの間にか、エマの近くに立っているアコニタも二人と合流し、ライネリオと同じことをした。
「嘘だろう」
「そんな、ライネリオさん、貴方は、あっち側なのか?」
護衛騎士は口を閉ざす。
彼も、村人たちに情があるとはいえ、護衛騎士である彼の優先順位は王女を守ることだ。
だから、王女は彼の代わりに説明したんだ。
「あら、なーに勘違いしてるのかしら?」
セレスはライネリオの腕に自分の腕で巻き、そこに頭を寄せる。
そして、勝ち誇ったような笑みで宣言した。
「怒りん坊さんは最初からわたくしの、なのよ? もちろん、こちらのアコニタもね」
村人たちは騒然とした。
一気に提示された真実が飲み切れず、皆が混乱した。
それを見たセレスは、もう一つ、やらなければならないことがあるんだ。
全てを選択できるために、やるべきことがあるんだ。
「ふふ、ふふふ!」
混乱に似つかわしくない、楽しそうな笑い声は場を一気に静かなものにした。
だからこそ、彼女はあえて全てを大袈裟にする。
「ふふ、あははは! あぁ、ものすごく面白かったわ!」
セレスの隣に立っているライネリオまで目を丸くした。
ここからは、誰も彼女の行動を予測できる人はいない。
そんな彼を見て、セレスは妖艶な笑みを浮かべながら、彼の頬を自分の左手で包み込む。
「ねえ、知ってる? 彼って、ものすごく憐れな人だよ? 幼い頃に家族を全員失くして、奴隷にまでなって。その挙句、ふふ! その原因となる人物の護衛も任された、可哀想、可哀想な男よ?」
「セレスっ」
セレスはライネリオの唇を人差し指で封じる。
その次は、アコニタの肩に両手を置く。
「そして、彼女はね……毎日興味のない人の面倒を見て、そんな人のため毒まで飲んでるわ! そんな馬鹿なことをしなければいけないのよ? ああ、なんて憐れな人だこと!」
不思議なことに、誰も言葉を発さない。
この好機を逃がしてはいけない。
そう思い、セレスは畳み掛けに行く。
「でもね、わたくしはそんな、可哀想な人達が大好きよ? とっても、大好きなのよ。特に、わたくしを嫌う人はもっと別格なの。だからね――」
ライネリオとアコニタの前に立ち、セレスは両手を合わせる。
そして、悦びに酔ったような笑顔を作る。
「わたくしは、皆様がだーいすき。心から愛してるわ」
王女の一方的な演説が終わっても、誰一人も動かなかった。
だが、セレスは確かに肌で感じた。
ひしひしと、盛り上がる憎悪の炎を。
セレスは自覚している。
今、彼女は正に「酔っている」のだ。
自分の役に、自分の苦しみに、自分の運命に。
だからこそ、彼女は「セレスメリア」を上手く演じられたのだ。
今までと比べ物にならない程に。
それに対して観客はちゃんと答えてくれたんだ。
「あら」
気が付けば、セレスはライネリオに抱きしめられている。
彼とアコニタの視線を辿ると、そこにはトーマがいる。
トーマは涙を流しながらセレスに向かって石を投げている。
ライネリオのおかげで、一つも彼女のもとに届かないにも関わらず、今でも投げ続けている。
「お前のせい!」
誰も彼を止めない。
いや、誰も彼を止めることができない。
「お前のせいで! お父さんが! お前のせいで、お母さんが!」
何故なら、皆はあの少年の王族に対する憎しみを知っているからだ。
知っていて、共感できるからなのだ。
「お前なんて、死んじゃえ!!」
大人であれば、こんな純粋で残酷な願望を口にしないだろう。
倫理や常識、周りの目などを考慮し、それを包み込んで、別の言葉にすり替える。
だが、子供は大人よりも一直線で素直な観客だ。
過去に沢山の子供と触れ合ったセレスにはわかる。
だから、彼女は我慢できなかったんだ。
月明りの下で、セレスは満足そうに微笑む。
その笑みは目撃した人の言葉を奪うほど、とても清らかで、美しいものだ。
* : * : *
その後、エマはなんとかトーマや村人を説得して、その場を収めた。
自分の失態をセレスに直接謝ったが、セレスはそれをどうでもいいかのように振る舞う。
むしろ、セレスはエマに感謝している。
何故なら、彼女のおかげで、一つの真実を実感できたんだ。
しかし、問題ごとを起こしたため、ギズラー夫人に一歩も部屋から出ないようにと忠告された。
これはいい知らせだと思い、セレスは無言でそれを受け入れた。
そして、それ以降、ミリアムは一度も姿を表したことはなかった。
トーマに止められたのだろうか。
しかし、セレスにとってそれは好都合である。
これで、気にする必要のあるものが一つ減ったからだ。
魔獣を無事討伐したからなのか、それともライネリオは憎き王女の護衛騎士であると発覚したからなのか。
ライネリオの朝の日課は中止になった。
その事実にセレスは非常に残念に思っているが、大丈夫。
あの日、彼女は種を蒔いたのだ。
時間が経てば、元通りにはならないかもしれないが、別の形でライネリオは受け入れられたのだろう。
今村さんに必要なのは、時間だ。
楽観的な考えであると自覚しているが、セレスにはもうそう願うことしかできない。
アコニタはいつも通りだ。
変化をしない彼女に、セレスは安堵を覚える。
一方、ライネリオの様子は一変した。
感情を乗せた視線でセレスを眺めることを隠さなくなったんだ。
時折、セレスに何かを伝えようとしたが、毎回途中でそれを止めた。
気になっていないと言えば嘘になるが、彼女自身にもその箱の中身を確認する勇気がなかった。
だから、二人は現状を維持することに努めた。
そんな、灰色の日々が続き、冬が深まり、次第にその終わりを迎えたある日のこと。
「セレスメリア王女、ハロルド殿下からの命令です」
突然訪れたギズラー夫人は、深刻な表情をしながら、月と太陽の印が押された何かを読み上げた。
「できるだけ早くアベイユから旅立ち、至急王都に戻るように」
そして、平坦な声で告げた。
「冬の終わりを告げる鐘が十二回鳴らされる時。それは、貴女の最もめでたい日となります」




