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 窓の外がすっかり暗くなった。

 資源が限られた場所であるため、灯などをつけず、今日もセレスは早めに祈り、そしてベッドの上に転がり込む。

 しかし、どんなに目を閉じても、風の音と雨音は彼女の眠りを妨げる。

 いや、それだけではないのだ。

 何よりも、彼女の胸のざわめきがそれを許さなかった。


 ライネリオが部屋を出てからもう何時間も経った。

 それなのに、彼は未だにセレスのもとに戻っていない。

 彼の能力を信じていないわけではない。

 ただ、この長く続く雨と一緒で、不穏なことが連続に起きているせいで、セレスの心も悪い方に傾いた。


 彼は強い。

 アベイユまでの道中で、彼女はそれを実感した。

 だが、こんな悪天候のせいで、彼が油断してしまったのであれば?

 もし、ようやく彼が心を開いた村人たちから犠牲者が出たら?


 このように、セレスの思考は同じところに延々と渦巻いている。

 そして、一周を回るごとに、鼓動の響きも強くなる。


「無理だわ……」


 そう小さく呟きながら、セレスはベッドから起き上がる。

 足音を殺しながら、暗闇の中に気を紛らわせるような何かを探し求めている。

 すると、突然外からガタンと大きな音が響いた。

 反射的に窓の外を覗けば、セレスは小さく息を呑んだ。


 暗闇に隠されたせいで見えづらいが、エデルノーラが入っている植木鉢が倒れた。

 強風のせいなのか、それとも別に理由があったのかわからないが、それは確かに倒れている。

 その光景を見て、セレスの胸は切なさで塗りつぶされている。

 だが、それは一瞬だけのことだ。


 何故なら、悲しそうに倒れているエデルノーラに、小さな人影が近づいているからだ。

 その人影は懸命に、何回かその白い花々を立たせようとしたが、小さな体にはそれが無理である。


(あれは、もしかすると!?)


 そう、その小さな人影の正体は他でもない、ミリアムである。


(なんで、どうして?)


 悪天候と魔獣。

 こんな状況で、外に出るだなんてあまりにも無防備だ。

 セレスは身体を翻し、一刻も早くミリアムのところまで駆け出したいのだが――。


『セレス様、約束してください。絶対、外にでませんように』

「っ!」


 足を止め、セレスは視線を床に落とす。


(私、今何をしようとした?)


 ライネリオの判断は正しかったんだ。

 彼の言葉はセレスにとって強力な歯止めとなった。


(ここで、私が行っても何になる?)


 その向こうに、この半年に積み重ねた努力が無駄になってしまう未来しか見えない。

 可能性に過ぎないとしても、その可能性が存在している限り、取ってはいけない選択。

 今さら、「セレス」を表に出すわけにはいかない。

 ここまで来たのだ。

 稼いだ時間の間に、ライネリオに踏み出している兆しまで目撃した。

 であれば、もう完走するしかないのだ。


 だから、セレスは踏み止まった。

 なんとか、踏み止めた。

 例え、彼女の本質と本能が違うことを叫んでいても。


 疲労感が一気に彼女を襲う。

 これであれば眠れるだろうと、彼女は嘲笑を浮かべた。

 セレスはベッドに向かおうとしたが、やはりミリアムのことは気になってはいる。

 唇を噛みながら窓に近づき、静かにカーテンを捲る。


(どうか、もう、そこにいないで)


 だが、現実はそう甘くはない。

 ミリアムは少し弱くなった雨の中で、まだまだ奮闘している。

 そんな健気な少女の背中に、セレスの決心が柔らかくなった。


(見るくらいは、いいよね)


 直接彼女の元に行かなくても、せめて遠くから。

 あの少女が無事、室内に戻るまでくらいは許されているのだろう。

 そんな思いで、しばらくミリアムの様子を背中に冷汗を流しながら見守っている。


 ミリアムは何回も何回も倒れたエデルノーラを立て直そうとしている。

 だが、あんな小さな身体には、それは叶わなかった。

 それでも、少女は泥だらけの手で顔を拭きながら、懲りずに挑戦を繰り返す。


 その姿に、カーテンを握るセレスの手に力が入った。


(ねえ、早く。早く、諦めて)


 もういいんだ。

 あんなに頑張ったのだから、もういいんだ。

 エデルノーラだって理解してくれるはず。

 だから、もう諦めて、早く教会の中に戻って欲しい。


 そう願った瞬間――。


 ミリアムは、やり遂げたんだ。

 立て直したんだ、エデルノーラを。


 安堵、喜び、羨望。

 様々な感情がセレスの胸を膨らませ、自然とそれが一筋の涙に変わった。

 何故自分が泣いたのか分からないまま、セレスは濡れた草むらの上に座っているミリアムから目を離せない。

 いつの間にか顔を覗かせる月明りに照らされた小さな少女の姿はあまりにも崇高で、眩しいのだ。


 だが、ほっとしたからなのか、ミリアムはそのまま前のめりに倒れて、動かなくなった。

 その姿にセレスの胸にある焦りが再び燃えだした。


(ど、どうしよう……あ、そうか、エマさんに! ああ、何でもっと早く思いつかなかったの!)


 そう思い、カーテンから手を離そうとしたその瞬間、セレスはそれを目撃した。

 雨が止んだおかげで、視界が鮮明になった。

 だから、気付くことが出来たんだ。

 森の奥から大きな影が、一対の輝いている金色の瞳を輝かせながらミリアムの方に歩んでいる姿を。


 刹那に、セレスの思考が白で塗りつぶされた。

 その影の正体ははっきりと分からないが、彼女の小さな細胞まであれが危険だと叫んでいる。


 その時、本能がセレスの身体の主導権を奪った。


 セレスは走った。

 大きな音を立てながら扉を開け、階段を降りる。

 そんなに距離がなかったはずなのに、長い長い廊下を走り続けている感覚だ。

 それでも、セレスは走る。

 教会の裏扉から出て、ミリアムが倒れた場所を一直線に目指す。

 角を曲がった所、少女が倒れている姿だけが見えた。

 彼女がまだ無事であると分かり、ほっとしたと同時により早く彼女の所に行かないといけないと思った。

 セレスは再び走りだした。

 一直線でミリアムに近づき、彼女を抱え込む。

 そのまま鉢植えの後ろに、そしてその隣に転がっている大きな木箱の影に身を潜める。


 肩で息をしている。

 心臓の音も耳に届く程大きく鳴っている。

 冬の夜にも関わらず、額から雨のように汗が流れている。

 中心から熱くなった体温と相反したミリアムの冷たい身体は皮肉なことにセレスの頭を冷静にさせる。


(ああ、彼に、あんなに、注意されたのに、私……)


 彼女の瞼に溜まった涙が自然と溢れだした。


(でも、よかったっ)


 セレスはより強く、ミリアムを抱きしめる。

 やはり、彼女には無理なことだ。

 ライネリオの時のように、結局、彼女は不確定で知らない数多の人よりも、目の前にいる一人の存在を選ぶのだ。

 だって、今はそれが彼女にとっての「できること」なんだから。

 だから、ほら。

 今彼女は後悔こそ感じているが、段々と温もりを取り戻したミリアムの存在への安堵がそれを上回った。


 だが、それは束の間のものにすぎなかった。

 後ろから、重い葉擦れが聞こえている。

 荒い呼吸と共に、その音が段々と近づいている。

 運がいいことに、セレスが外に出た時、雲が月の表情を隠してくれた。

 だから、向う側の存在は二人に気付かなかった可能性がまだ充分残っている。


 セレスは息を殺した。

 静かに、静かに、息を吸っては吐く。

 過去の記憶に引きずられ、身体の震えが強くなる一方だ。


――グルル……。


 セレスは固まった。

 間近から聞いたことのない声に舐めるかのように、彼女の背中から項まで鳥肌が走った。

 近づいている気配に比例し、呼吸が荒くなる。

 ここから脱する方法を考えようとしても、身体の震えがそれを許さなかった。


 ガサガサと、右側から葉擦れがまだまだ続いている。

 それ一秒も早く消えるようにと祈るしかできないセレスだが――。


「ひっ!」


 やってしまったんだ。

 背中にある木箱が僅かに動き、セレスは思わず小さく声を上げた。

 それに応答したかのように、魔獣の荒い息が低い唸り声に変わった。

 その変化に、セレスの震えが更に激しくなり、目の奥が熱くなった。


(せめて、せめてこの子だけ……!)


 真っ白になった思考で、彼女に唯一できることはミリアムを更に深く抱え込むことだけ。

 そしてそのまま、自分の運命を受け入れようとしたその瞬間。


 魔獣の甲高い声が鳴り響く。




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