12 傍にいてくれると
さすがにこの日は断れなくて、ジョシュアに屋敷まで送ってもらうことになった。
だけど、今までの傾向からしてあまり早い時間に帰宅しないほうがいいだろうと、王宮のすぐ近くにある王立図書館に寄りたいとお願いした。
これはもともと予定していたことだったので、嘘ではない。
「私も行きたいと思っていました」
ジョシュアはそう言い、馬車に乗ってからは何だかウキウキして見えた。
それほど図書館に行きたかったならよかったと安堵していたのに、いざ到着するとジョシュアは私の後をついてきて一緒に本棚を眺めるばかりだった。
「借りる本は決まっているんですか?」
もう閉館間際なので、のんびり選んでいる時間はなかった。
私は週に二回は通っていて、休日に訪れた時に自分の次に読みたい本がどの棚に並んでいるか把握しておき、平日はそれを借りて帰るだけというのがいつもの流れ。
今日は時間稼ぎのために本棚の間をブラブラしているに過ぎない。
「いえ、私は借りません」
「図書館に来たかったのではないんですか?」
「図書館で本を借りたかったわけではなく、ウィレミナと一緒に図書館に来たかったのです。あなたがここでどんな風に過ごすのか見てみたくて」
悪びれずにそう言ったジョシュアの顔から思わず視線を逸らした。やはり正直すぎるのも問題かもしれない。
というか、もしかして、ジョシュアにとってこれはデートだったの?
「怒りましたか?」
「怒ってはいません。閉館直前の図書館に駆け込んだのが初めての……、二人での寄り道でいいのですか?」
まったくそんな風に捉えていなかったことが申し訳なくて、私の口からデートと言うのは憚られた。
「この先、たくさん重ねていくデートの大切な初めてが図書館なんて、ウィレミナらしいです」
ああ、やっぱりデートだったのね。しかも、誘ったのは私ってことよね。本当にごめんなさい。
ここはとりあえず話題を戻そう。
「マクニール侯爵なら立派な書斎をお持ちでしょうから、図書館で借りる必要もありませんよね」
よく考えたら、昼休みにジョシュアが読んでいる本の背表紙に図書館の分類番号が貼られていたことはなかった気がする。
「そうですね、父に借りることが多いです。それから、叔父にも時々」
「コーウェン公爵の蔵書なんて、きっとすごい数でしょうね」
コーウェン公爵の書斎を覗けるなんて、ちょっと羨ましい。
「コーウェン家には、叔父の書斎とは別に図書室もあるんです。今度、ウィレミナも見せてもらうといいですよ」
私がコーウェン家に行くの……?
それは、行くよね。ジョシュアの正式な婚約者になるんだから。
さっきは羨ましいと思ったけど、実際に行くとなるとそれどころじゃないわ。
そんな感じで、この日の私は図書館に寄っただけにしてはやけにぐったりした気分で屋敷に帰った。
婚約なんて早まったかなと思わないでもないけれど、ジョシュアがデート中ーー本当にこう言っていいのだろうかーー終始明るい顔をしていたことが私にとっては何よりだ。
翌日の昼休み。さて今日は何と言って断わろうかと考えながら中庭に向かった私を、思わぬ事態が待っていた。
「先ほど、ウィレミナの父上にお会いして改めてご挨拶に伺いたいと申し上げたら、今夜はどうかと仰ってくださいました。なので、今日はお屋敷まで一緒に帰りましょう」
「また急にお誘いするなんて、本当に申し訳ありません」
確かにジョシュアが両家の予定の調整をしてくれるとは言っていたけど、昨日の今日とは早い。
一応、昨夜のうちに両親にジョシュアと正式に婚約をしたいと考えていると話しておいてよかった。
いや、話してしまったからお父様はジョシュアを今夜誘ったのか。
「いえ。もう息子として扱ってもらっているようで、嬉しいです」
「ええと、ちなみにマクニール侯爵のほうは?」
「やはり今日でも構わないと言っていましたが、後日にしてもらいました」
私もすでに娘扱いしていただいているようだ。
そうして、この日も仕事を終えてからジョシュアと落ち合ってマクニール家の馬車に乗った。
しばらくすると、ジョシュアの表情が強張ってきた。
「何だか緊張してきました」
「大丈夫ですよ。うちの家族は前回同様、ジョシュア大歓迎に決まってますから」
むしろ今日はすでにお父様から屋敷に知らせが行っているはずだから、前回以上に違いない。
「だとしても、婚約の許可をいただくのに失礼なことはできません」
「ジョシュアはただいつもどおりにしていれば何も失礼になりません」
「ウィレミナがそう言ってくれると、少し安心します」
「大いにしてください」
「じゃあ、お屋敷に着くまで手を握っていても構いませんか?」
「……どうぞ」
私がジョシュアに向かって手を差し出すと、彼は立ち上がってその手を取り、私の隣に座り直した。
顔が見えなくなった分、指を絡めて繋がれた手の感触や温度でジョシュアの存在を強く感じた。
「私はこうしているほうがドキドキしてしまうのですが」
「私もです。だけど、ウィレミナが傍にいてくれると感じられて安心できるのも本当です。……ウィレミナだけです」
その言葉にそっと隣を窺うと、ジョシュアと目が合った。
彼は私に向かって穏やかに微笑んだ。
そもそも私がジョシュアの恋人になったのは、彼が失恋から立ち直って、また誰かの前でこういう顔ができるようになってほしかったからだ。
あくまであの時の私が思い描いていたのは、彼がいつか微笑みかけるのはまったく別の令嬢で、私自身はそのための踏み台になるつもりだったので、恋人になった途端、ジョシュアの笑顔を見せられて戸惑うことになったのだけど。
ともかく、私がそんなことをあれこれ考えたのも、私に求婚したのがジョシュアだったからだ。
ジョシュアには幸せになってほしい。そのために私ができることは、何でもしてあげたい。
そうまで思っていたのだから、こんな微笑みを向けられた以上、私は腹を括るしかない。
私はジョシュアの手をぎゅっと握り返した。
「それなら、私はこれからずっとジョシュアの傍にいます」
「はい」
たとえ、彼の笑顔を見せられるたび、私の心が暴れまわるとしても。
その後、馬車の中は沈黙が続いたけれど、ジョシュアと手を繋いでいたせいか、少しも気まずさを覚えなかった。
相変わらずドキドキしているけれど、それを隣でジョシュアも感じているのだと思うと、何だか可笑しくて笑い出したくなる。
私がこんな心地良さを味わえるのは、やはりジョシュアが一緒にいる時だけなのだろう。




