11 綺麗だと思っているので
廊下を行き交う人の数が増えていた。案の定、ロドニーに捕まっているうちに昼休みになっていたようだ。
私はジョシュア様と一度分かれて法務官室に本とサンドウィッチを取りに行こうと、彼の手を放し足を止めかけた。
だけど、今度はジョシュア様が私の手を握り、先に立って歩き出した。
すれ違う方々の目は気になったが、さっきのことを考えれば今何より優先すべきはジョシュア様だ。
私は大人しく彼について行った。
ジョシュア様の向かった先は、先日教えてくれた秘密の部屋だった。
彼は部屋の扉を閉めるなり、顔を両手で覆ってしゃがみ込んでしまった。
「申し訳ありませんでした」
「なぜジョシュア様が謝るんですか?」
「ブラウン次期伯爵に言われたことはもっともです。ウィレミナ様とあの人の関係に口出しする権利なんて私にはありません」
彼がロドニーの前で怯んだのはやはり「ただの恋人」だと言われたことだったのだ。
正直、ロドニーに対してはあなたが何言ってんのという感じだけど、ジョシュア様に対しては申し訳ない気持ちになった。
恋人になることを提案したのは、彼の気持ちを疑っていた私だから。
私は結婚前提の恋人は強いなんて勝手に思っていたけれど、実際のところ、貴族社会において恋人は軽視される関係だ。
それに比べて正式な婚約には国王陛下の許可が必要で、場合によっては夫婦に準じて扱われるのだから、強い。
もちろん、口約束だけの元婚約者は論外だけど。
「そうですね」
嘆息混じりに呟くと、彼の肩がビクッと震えた。
私は彼の前に膝をついた。
「あれは私が言うべきでした。本当はロ……、ブラウン次期伯爵の態度が以前とあまりに変わらないので不快だったのですが、私が言ってもどうせ聞かないからと何も言わなかったばかりか、私も同じように接していました。その結果、ジョシュア様にまで不快な思いをさせて申し訳ありませんでした」
私が頭を下げると、顔を上げたジョシュア様が首を振った。
「ウィレミナ様こそ謝らないでください。私があんなことを言ったのは、ただ私よりもあなたと親しそうなブラウン次期伯爵に嫉妬したからだと、あなたもわかっているでしょう」
そうかもしれないとは思っていたけれど、拗ねたような顔ではっきり言われると何ともこそばゆい。
「私も頭では理解しているんです。ウィレミナ様とあの人は子どもの頃から積み重ねてきた関係があるのだから、たかだか半年の私では太刀打ちできないと」
私をムズムズさせておきながら、ジョシュア様はその顔をどんどん歪ませていく。
「だから、ウィレミナ様が恋人になってくれただけで私は十分満足です。もちろんできたら結婚したいけど無理強いはしたくないので、ウィレミナ様も同じ気持ちになってくれるまでいくらでも待ちます。もし、どうしてもその気になれないなら、こうして一番近くにいられるだけで構いませんから」
きっと本心から言ってくれているのだろうけれど、そこまで悲壮な表情にならなくてもいいのに。
「以前にも言ったと思いますが、私にとってブラウン次期伯爵は縁が切れてホッとしたような相手です。そんな人に太刀打ちできないなんてジョシュア様が弱気なことを言うのは腹立たしいです」
ジョシュア様は項垂れて「すみません」と口にした。
「だから、とりあえず婚約しましょうか」
一瞬の間があって、ジョシュア様がまた私を見つめた。
「今、何と?」
「婚約しましょう」
「私は、いつの間にかウィレミナ様に無理強いをしていましたか?」
「いいえ。むしろ腹を立てた私がジョシュア様に婚約を迫っている状況ですね。まあ、私がここで何と言おうと、正式な婚約となれば決定権はマクニール侯爵と私の父にあるのですが」
それぞれの許可を得たうえで今後のことをお二人に話し合ってもらい、婚約届を整えて宮廷に提出し、陛下にも認めていただかなければならない。
そんな面倒な手順を踏んでこそ、本当に強い関係になれるのだ。
「私から二人にお願いして、予定を調整してもらいます」
ジョシュア様が私の手を握って上擦った声で言った。
「つまり、私との婚約を受けていただけるということですか?」
私の問いかけに、ジョシュア様はコクコクと頷いた。
その顔が、幸せそうに笑み崩れる。
「私が拒むはずないとウィレミナ様もわかっているでしょう」
彼はこれほどの表情を私に見せてくれるのかと、胸がキュッとなった。
「ジョシュア様は物好きですね。私みたいな可愛げのない女がいいなんて」
照れ隠しにそう言うと、ジョシュア様は何度か目を瞬いた。
「確かに、ウィレミナ様を可愛いと思ったことは一度もないかもしれません」
自分の言葉を肯定されただけなのに、少しだけ哀しくなった。
正直なのはいいことですが、婚約を決めたばかりなのだから一度くらいあると言ってくれても……。
「いつも格好良いとか綺麗だと思っているので」
予想外の告白にしばし思考が停止した。
「いやいやいや、綺麗という言葉はジョシュア様のような方のためにあるんですよ」
「ウィレミナ様も私を綺麗だと思うんですか?」
心底驚いたような顔で訊かれて、私のほうが驚いた。
「もちろん思いますよ」
最近は綺麗ばかりでもないけれど。
「それは良い意味ですか?」
「悪い意味の綺麗ってあるんですか?」
「いえ、その、ウィレミナ様に会うといつも目を逸らされていたので、私の顔がよほど嫌いなのだろうと思っていました。最初にあんなことを言ったのだから当然なのですが」
さりげなく逸らしていたつもりだったけれど、気づかれていたのか。本当に会うたびだったのだから、それこそ当然か。
こうなったら、私も正直になるべきだろう。
私は一度深呼吸してから、真っ直ぐにジョシュア様を見て言った。
「ごめんなさい。ジョシュア様の顔があまりに綺麗すぎて、直視できなかったんです」
「……え?」
学園の裏庭で初めてジョシュア様を見かけた時も綺麗だと思ったけれど、あの時は少し距離があったし横顔だった。
さらに、ジョシュア様の「見世物じゃない」という呟きを聞いて、その後は裏庭に彼がいることを図書室の窓から確認するだけに留めた。
廊下ですれ違うことがあっても、彼を見ないようにした。
だから、法務官室で彼の顔を久しぶりに、しかも間近に見て、この人はこれほど美人だったかと愕然とした。
咄嗟に彼から目を背け、緊張してるのかなどと考えて余裕ぶることで周囲と己を欺いた。「好きにならないでください」という言葉は、私にはむしろありがたい重石だった。
それからは、ジョシュア様を前にするとどうしても視線を逸らさずにはいられなかった。
彼の顔をまともに見つめてしまったら、絶対に心の平静を保てないから。
「結婚は無理だと言った本当の理由もそれです。今だって目を逸らしたくて堪らないですけど、ジョシュア様が私だけに向けてくれる顔があるってわかったから、見逃すのが惜しくて必死に我慢してます」
キョトンとしていたジョシュア様が、恥ずかしそうに笑った。
「これまで色々な人に綺麗だと言われましたが、嬉しいと思ったのはウィレミナ様が初めてです。それから、今、初めてウィレミナ様を可愛いと思っています」
ジョシュア様は自分の頬を指先でつついて「真っ赤ですよ」と言った。
私は彼のその仕草を見て、やはり可愛いという言葉もジョシュア様のためにあるのだと思った。
「ジョシュア様こそ、私に会うといつも顰めっ面だったではないですか」
だから彼から求婚されても、私を好きかもなんて考えもしなかったのだ。
「私は好きな人に嫌われていると思いながらその人の前で笑えるほど人間ができていないのです」
きっぱりとそう言われては、返す言葉がない。
「そろそろ中庭に行きましょうか。昼食をとらないと」
「その前に、婚約を叶えてもらったばかりで図々しいのですが、ウィレミナ様にお願いがあります」
普段は少し見上げる位置にあるジョシュア様の目が、今は私よりわずかに低い位置にあって、上目遣いに私を伺っている。
私が正直に打ち明けた途端、ジョシュア様はその顔を武器として使うことに決めたのかと疑いたくなった。
「私にできることなら」
「ブラウン次期伯爵に対する態度は無理に変えなくて構いません。だから、代わりに、私のことも先ほどのように呼んでもらえませんか?」
先ほどはロドニーへの牽制のつもりだった。
おそらく、ジョシュア様もそれはわかっているのだろう。
とはいえ、一度は自ら呼んでしまったのだから、今さら躊躇っても仕方ない。
そう考えて間髪入れずに、でも心は込めて口にした。
「ジョシュア」
ジョシュア様は美味しいお菓子でもじっくり味わっているような表情を浮かべて目を閉じた。
だから私もそのお裾分けがほしくなった、のだと思う。
そっと距離を詰めて、直前で私も目を閉じると、彼の唇に自分のそれを重ねた。
次に目を開けた時、今まででもっとも赤い顔をしたジョシュアと目が合った。
急速に、恥ずかしくて堪らなくなった。
「ジョシュアの許可を得ずに、申し訳ありません」
ジョシュアはブンブンと首を振った。
「ウィレミナ様からなら、いつだって」
「……ジョシュアは呼び方を変えてくれないのですか?」
彼の目が丸くなった。
「それに、ジョシュアも私の許可なんて取らなくて構いませんよ」
「……っ、ウィレミナ」
ジョシュアが近づいてきて、私は再び目を閉じた。




