84.そわそわ女神様
放射状に髪を揺らめかせた女神さまが、その美しい顔をこれでもかと歪めて、一人のメイドさんを指差した。
(そこな女中! 妾を足蹴にするとは何事か!)
女神様が指示した先に居たメイドさんが、蒼白になって「申し訳ありません」と頭をさげる。
「女神様……? 足蹴ってどういう事ですか?」
ヒビキの問いかけに、「あっ」と領主様が声を上げた。
7年前、イナゴの大群を退けた領主様を出迎えた奥様は、この寝室の入口で石化した。
奥様石像を動かしても良いものなのか、誰も判断が付かなかった為、ずっとその場所に居たらしい。
当然、石化解除をしたのも、部屋の入口なわけで。
石化が解除された時に、奥様の指から滑り落ちた指輪が床に落ち……。
ふかふかの絨毯だから、落下音もなく。
目覚める事なく倒れた奥様をベッドに運んだり、お医者様を呼ぶか……いやいや『動物使い』様がもうじき来るからお出迎え……まてまて領主様のように窓からおいでになるかもしれん……と、司令塔の執事さんも居なかった事も手伝って、てんやわんやの騒ぎになったと。
慌ただしく動くうちに、入口に転がる女神様の指輪に気付かず、靴先で弾いてしまった……という事らしい。
うーん。それ、メイドさん攻めたらかわいそうだよね……。
「女神様、申し訳ありません。私が拾い上げるのを失念していたせいです……」
領主様がメイドさんを必死に庇い始める。
(お主がアホウなのは、今になって始まった事ではないわッ!)
声を荒げる赤い煙な女神様の体が、落ち着きなく揺れている。
最初に会った時も怒ってたけど、こう、なんていうか……威厳たっぷりな感じで、堂々とした姿勢で云ってたよね……?
(ピーちゃん。ヒビキに、女神様何かを誤魔化そうとして焦ってるっぽいって、伝えて来てくれる?)
チュニックの中に、一緒に入っていたピーちゃんへ、こっそり伝言を頼んでみる。
そっとヒビキの耳元に飛んで行ったピーちゃんが、伝えてくれた。
ピーちゃんの伝言を聞いたヒビキが、下を向いて目配せしてきたので、うんうんと頷いてみせる。
たぶん何かを隠したくて、メイドさんと領主様に怒って見せる事で、誤魔化そうとしてるよ。
職場のお局様が自分の失敗隠す時に、若い子の小さいミスを上げ連ねて、有耶無耶にしようとしてた時の態度と似てるもん。
疑似怒りが解けるまで、ひたすら反論しないのが最善手だけど、さりげなく話題を変えてみる手法もある。
ヒントは渡した。 さぁヒビキさんや、あとは頑張れ……。
「女神様、何か焦ってます?」
直球でいきおったー! それは悪手えぇぇ。
焦る私をよそに、女神様が判りやすく動揺し始めた。
(えっ。そ、そそそんな事はないのじゃ! 妾が? 焦る? なぜなのじゃ?)
放射状に広がっていた髪が勢いを無くし、垂れてきた髪をかき上げながら反問する女神様。
「女神様……?」
ヒビキの純粋な瞳にじいっっと見つめられ、言葉に詰まった様子の女神様に。
「奥様が衰弱してた事と関係ありますか?」
アベルさんが援護射撃をしてくれた。
(そんな事は無いっ)
びくーっと背筋を伸ばして断言してるけど、信ぴょう性なさすぎです。
「奥様が目覚めないのですが、このままで大丈夫なのでしょうか……?」
(『世界樹のしずく』を与えたのじゃろ? ならば大丈夫じゃ)
世界樹のしずくが無かったら、どうなってたんだろう……という言葉は、おそらくこの場の全員が呑み込んだに違いない……。
「何日ぐらいで目覚めますか?」
(2、3日もすれば目覚めるじゃろう)
「だ、そうですよ! よかったですね。領主様」
ほっとした顔の領主様が、ぶんぶんと頷いている。
「女神様、石化を解除して下さってありがとうございました」
(よ……よいのじゃ。約束したからの)
お礼を云うヒビキに、すこしそっぽを向きながら、腕組みして答える女神様。
なんとか治まった雰囲気になったので、ヒビキが指輪を領主様に渡そうと歩み寄ると。
(渡さんでよい。ヒビキ、すぐに工房に行くのじゃ)
「えっ?」
(石化の解除が終わったら、一緒に旅をすると約束したろう)
「今からですか?」
(それでは獣娘達と一緒に行けぬではないか)
「あぁ! 工房に仕立てて貰いに行くのですね?」
(うむ。娘達よ、小さい方の宝石を入れて、指輪でも腕輪でも好きな物にするが良い)
「「はーい!!」」
元気よく手を上げたミアちゃんとソラちゃんが、「どンなのにするー?」と相談を始めている。
とろけるような笑顔で二人を見ていた女神様が、氷のように冷たい表情にかわり領主様へと視線を移す。
(そこのアホウ)
「えっ。私ですか?」
(アホウはお主しかおらんじゃろ。娘達の装飾品にする代金は、お主が払えよ)
「もちろんです」
(では、ヒビキ。工房へ行くのじゃ)
「わかりました。領主様、このままお暇しても良いですか?」
「もちろんだよ。ルフェに連絡をするので、少しだけ待ってくれないか」
電話など無さそうだけど、どうやって連絡するんだろう?
水晶とかでキュピーンと何か飛ばすのかなぁ? と、ワクワクしたのだが。
執事さんから素早く差し出しされた紙に、領主様が何かを書いて渡す。
受け取った執事さんが、その紙を小さく丸めて筒に入れ、ミニヨンの首輪へ繋げた。
「ミニヨン、ルフェに届けておくれ」
「判ッタ! 任セロ!」と、元気に返事して窓から飛び立つミニヨン。
……伝書鳩ならぬ、伝書オウム。
かわええ……。
「ルフェは人嫌いなのでね。知らせてないと、扉を開けない事もあるんだよ」
「え……」
「ヒビキとアベル様達なら、大丈夫だろうとは思うが、念の為に……ね」
肩をすくめて補足する領主様。
「それから、荷物になって申し訳ないのですが、こちらをルフェにお渡しください」
執事さんから手渡されたのは、どっしりとした一斗瓶。
……お酒……かな?
ってことは、工房にいるルフェさんってお酒好きのドワーフ?




