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ハードシップメークス  作者: 小走煌
7 秋の大会
70/227

香椎東対柳川女子⑪

「そんな……」

「誰も……」

「かすりもしない……」

 香椎東ナインの目の前で繰り広げられる凄惨な光景は、もはや殺戮と呼んでもいいくらいだった。

 五回の攻撃、そして六回の攻撃。いずれも香椎東の打線は完全に封じられた。

 そして、迎えた七回裏。

 この回先頭の文乃を見守る香椎東ベンチからは、少しの声も発せられていない。四回裏に湧き起こった熱気は完全に鎮火させられていた。

 この沈黙も、まさに悪魔の所業とでも言うべき玲央の投球によってもたらされたものだった。

「先輩……」

 しかし、その状況下で行動を開始するものがいた。

 伊勢崎華凛。この回確実に打席が回る彼女は、現状のチームにおいて唯一この状況を打破する可能性のある人間と接触する。

「どう、ですか」

 華凛が言葉を投げ掛けた当人は、こちらへ顔を向けることなく、あくまでグラウンドの方を見ながら口を開く。

「どうかな。やってみないとわかんないかな」

 主将らしい冷静さを纏った声だが、そこにはどこか張り詰めた空気も孕んでいた。

「捺先輩……」

 そう、捺ならば。捺ならなんとかしてくれるかも知れないと、華凛はそう考えていた。それはもはや考えというより願望に近いものかも知れなかった。

「……分かってる。私で止めなきゃ、だもんね」

「……」

 捺は気付いていた。華凛も、あえてそこには言及しなかったが知っていた。

「ストライク! バッターアウト!」

 直後、審判のコールがこだました。

 文乃は空振り三振に倒れた。これで、八者連続三振。四回の華凛からスタートし、今まで誰も打球を前に飛ばせていない。

 捺が九人目なのだ。捺までも三振したら、香椎東は九者連続三振を喫することになってしまう。

「華凛」

 不意に、捺は立ち上がり華凛と正対する。

「もちろん私が止める気でいるけど、駄目だった場合は華凛、あなたにしか止められない」

「え……」

 華凛は困惑した。なぜそんなことを言うのだろう。いつもの彼女なら、なんともないという風にさらりと打破してくれるのではないのか。現に彼女は前の打席でヒットを打っているのだ。

「……だから、よく見ていなさい」

 それだけ言い残し、直後に放たれた殺気のような緊張感と共に無言で打席に向かう。

「……お願いします」

 すがるように、華凛は告げた。

 確かに危機的状況にあるかも知れない。しかしまだたったの一点差なのだ。点を取ることが出来ない一方で点を与えることも許していない。試合は辛うじて膠着状態を保っている。

 ここで捺が突破口を開けば、まだ試合は分からない。

 お願いしますーー心の中で再度願い、華凛はグラウンドを見詰める。


「……さて、と」

 ホームベースをバットで触る儀式を手際よく終え、捺はマウンド上の鬼と相対した。

「八者連続なんてやってくれるじゃない」

「……」

 声を掛けられても玲央は反応しない。捺はバットを握る手を改めて強く、握り締めた。

「私が止める。そして、逆転する」

「……面白い」

 ここでようやく玲央が口を開いた。マウンド上の空気が揺らぐ。捺が放っている氷の空気を溶かす程の熱をもって、玲央は投球動作に入る。

「やれるものなら、やってみろ」

 刹那に投じられた一球は、捺の想像を遥かに超えていた。

 手が出ない。まるで砲丸が着地したような鈍い音をキャッチャーミットが鳴らす。

 球種はストレート。しかしその質は、これまで捺が体験したものの中でも群を抜いていた。

「……やるじゃない」

 思わずバットの握りを直す。それに構う様子もなく、玲央から二球目が投じられる。

「……シッ!」

 鮮やかで洗練されていて、その実恐ろしく速いスイングスピード。しかし捺のそれをもってしても、なおバットは空を切った。

「あらら……」

 体験したことのない速度、そして威力。無意識に頭を掻こうとするが、ヘルメットを装着していたことを思い出して諦める。

 しかし、そんな中でも捺の感覚は研ぎ澄まされていく。間髪いれずに繰り出される次のボールに対して、それは発揮された。


「ほうーー」

 今度は玲央が眼前の光景に驚いた。勝負の三球目を、捺はカットしてみせた。偶然ではない。そのスイングには確かな技術があった。

 ーー面白い。ならばこれは、どうだ。

 四球目。膝元に制球されたボール。過去三球と変わらぬ威力を持った剛球。しかし捺は見逃し、ボールにした。

 その結果は玲央の予想した通りだった。このバッターは他の者とはレベルが違う。初回の対戦でも訪れた感覚はどうやら本物のようだ。高まる気持ちを抑え、玲央は蘭奈のサインを確認する。

 要求はフォークだった。玲央はゆっくりと拒否し、アイコンタクトを用いてある一つのボールを要求した。マスク越しに蘭奈が驚いているのが解る。

 この状況でフォークを投じれば、まず間違いなく三振する。その確信は玲央にもあった。しかし、それではいけない。この強打者に敬意を払う。そして、小細工無しの力で心を根元から折りにいく。

 何より、試したかった。この者と純粋に力でぶつかってどうなるかを。

 いつも迷惑を掛けてしまっている妹が理解を示してくれたのを確認し、玲央は投球モーションに入った。

 ゆったりとしたフォームから繰り出されたボールはこれまでで最大級の重みと速度を伴い、それを迎え撃たんと走る捺のバットの上を通り、蘭奈のミットを激しく鳴らした。

 その内角高め直球をもって、今、ここに九者連続三振が達成された。一点差という緊迫した状況ながら、これ以上ない差を玲央は香椎東ナインに見せつけた。


 ーービリビリと右肩から全身を駆け巡る痛みと引き換えに。

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