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ハードシップメークス  作者: 小走煌
7 秋の大会
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71/227

香椎東対柳川女子⑫

 無意識のうちにタイムを掛けていた。

 目の中に睫毛でも入ったかのような、妙な違和感。それはいったいいつからあったのだろう。

 その正体には今この瞬間も確証を持てないが、少なくとも今の今まで放置していたのはあまりに愚かと言わざるを得ない。

 なぜならそれは、きっと姉さんのーー


「どうした、蘭奈」

 急にタイムを掛けたのを不審がったのか、姉さんは怪訝そうにこちらの様子を窺っている。

「確かにフォークのサインを拒んだことは済まないと思っているが……無事打ち取ることが出来たんだ。ひとまず良しとしないか」

 最高のボールだったにも関わらず姉さんはあくまで謙虚だった。その様子におかしなところはどこにも無いように見える。

「……そうか、コースが少し甘かったかな。済まない」

 姉さんは続けて頭を下げるが、無論それは姉さんが謙遜しているだけだ。あれ以上のボール、この世の誰にだって投げられるわけがない。

「……いえ、最高のボールでした」

 ボールは最高でした。でも姉さん。

「今のバッターが間違いなくあのチームの核です。これでもう連中は戦意喪失したはずです」

「ああ。しかし油断せず行こう。幸いこちらも調子が良い。まだまだ上げていくから宜しく頼む」

「……はい」

 姉さん。

 わたしに何か、隠していませんか。


「あちゃー。やっちゃった」

「先輩……」

 どこか軽い雰囲気は、いつもの捺のものだった。

 しかし、状況がその軽さとマッチしていない。

 とうとう達成されてしまった九者連続三振。その最後の打者が捺であるということは、香椎東にとって最大級の絶望を意味する。

 華凛はベンチにチラリと目をやる。皆の目から光が消えている。落胆は明らかだった。それは当然だ。捺は香椎東の誰もが認める最高の打者である。華凛は薄々感じていたが、もしかしたらその実力は県代表レベルかも知れない。

 そんな捺ならどうにかしてくれると誰もが思っていた筈だ。逆に言えば、捺でダメなら、もう誰にも打てないーー

「本当は私が何とかしたかったんだけど、ごめんね華凛。あなたに任せるわ」

 こんな状況にあっても捺の口調は乱れない。そこには、その根元に確かに存在する強さを感じずにはいられなかった。が、この状況はそれだけでどうにかなるものではない。

「一つだけ、アドバイスがあるわ」

 突然、捺は空気を一変させる。身構える華凛に対して送られたそれは、随分あっさりしたものだった。

「ボールをよく見なさい。良いわね」

 ただそれだけ言い残し、捺はさっさとベンチへ引っ込んでしまった。

 いったいどういう意味だろう。華凛には言わんとしていることが理解出来なかった。基本に立ち返る、などということを言っているのだろうか。

 ーーでも、信じるしかない。

 この状況で捺がくれるアドバイスである以上、それはきっと意味のあるものだ、と華凛は直感した。愚直に、藁にもすがる気持ちで取り入れるしかない。

 華凛の眼にかすかな火が灯る。わずかな可能性を信じて、打席に立つ。

 眼前には、香椎東ナインの心をへし折った張本人が立っている。十八メートル程の距離があるはずなのに、その存在感からかやけに近くに感じる。

 でも、まだ試合は終わっていない。諦めないでぶつかれば、きっと何かが起きる。最後まで抗うという信念を瞳に宿し、華凛は投球を待った。

 直後、わずかな異変を華凛は感じた。

 玲央が投じた初球はボール。連続三振の継続中、というよりこの試合の殆どはストライクを先行させていたはず。そんなバッテリーが、ボール球から入った。

 この攻め方には、いったいどういう意図がーー

 考えが纏まる前に二球目は投じられた。またもボール。若いカウントからボール球が二つ続くなど、この試合にあったか。

 直後、華凛の中に一つの疑念が湧いた。

 このバッテリーは何かを試しているのではないか。この試合はもう決したと判断し、次戦以降の調整か何かを目的とした配球をしているのではないか。

 自ら立てた仮説をまさかと否定するが、それ以上に湧き上がるのは負の感情。

 舐めてるのか。こっちはこんなに本気なのに、それはフェアじゃないーー


 ーーボールをよく見なさい。


 刹那、捺からのアドバイスが華凛の脳裏をよぎる。あの指摘の直後にこの状況。捺は打席で何かに気付いていたのかも知れない。もしかしたら、アドバイスを通して言いたかったことはこういうことなのかも知れない。

 危うく呑まれそうになった怒りをどうにか封じ込め、主将の言に改めて覚悟を決めた。

 決意の待球。

 次の球はストライク。しかし、構わない。追い込まれるまでは、あくまで待つ。

 変わらぬ剛球が続けられる。ボールを一つ獲得。ストライクを一つ献上。勝負はフルカウントまでもつれ込んだ。ここからはカットも考えなければならない。バットを持つ手が僅かに震える。

 ーー違う。良いんだ、これで。

 カットを試みたところで、当たらなければ意味がない。それならば失投だけを確実に仕留められるように待つ。際どいコースは、捨てる。

 華凛は待った。ここなら打てる可能性があるというコースに目をつけ、それ以外には一切の考慮をしない。読みが外れれば十者連続三振となる、まさに博打そのもの。

 極小の大砲のようなそのボールは、ホームベースの上空から、僅かに逸れた位置を通過した。

 主審が高らかに宣告したのは、ボールという判定。

 九者連続三振を経て、もぎ取った待望の出塁。それは安打ではなく四球という結果でも、香椎東ナインの目に再び光を灯すには充分だった。


 ミットから伝わる感触は、これまでと変わらない。

 だからかも知れない。今まで何も気付かなかったのは。

 でも、その事実はわたしの混乱を加速させた。構えた所にボールが来なかったのはこの試合で初めてだという事実と、変わらない球の威力。

 スタミナの問題ではないはずだ。この程度の試合展開なら、きっと何イニングでも投げられる。なら調整に何か問題があったか。それともーー


 姉さん。

 一体、姉さんの身体に何が起きているんですか。

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