恐怖!夏合宿の怪
「いやー今日はスカッとしたなー」
「スカッとするのは良いですが、今日の内容を実戦にどう活かすつもりですか。まさか、試合でもあのようにフェンスオーバーばかり狙うわけではありませんよね。直子」
「な、なんだよーいいじゃんよー。たまのフリー打撃だったんだからさ」
冷静な千春の指摘に、トンボ掛けの手を止め直子は頬を膨らませる。
香椎東高校女子野球部夏合宿二日目。丸一日を打撃練習に費やしたこの日、直子はチーム1の飛ばし屋である清と競り合うように長打を連発していた。金属バットの乾いた高音を、これでもかと景気良くグラウンドに鳴り響かせた。
一方の千春は、大半を右方向への打球が占めた。コース、高低を問わずひたすらに右方向へ運び続けたその姿からは、『逆方向に打つ』ことへの意識がありありと見えた。
そんな練習を経たからこそか、直子に対してまだまだ小言を言い足りないらしい。
「だいたい貴方は一番バッターとしての自覚が足りません。もっと相手ピッチャーに球数を投げさせ、嫌らしく出塁しなければなりません。一発長打ばかり狙ってその辺りが雑になっていては、良い一番とは言えませんよ」
「そうかなあ。ひとり目から長打、ましてやホームランなんて貰ったらピッチャー嫌だと思うけどなあ。斬新なタイプの一番ってことでいいんじゃない?あたしも気持ちいいし」
「勿論、私も長打の効果を否定するつもりはありません。しかし……」
二人の会話は終わらない。小言から議論へと姿を変え、いつまでも続くかのようだった。
他のメンバーもグラウンド整備をしながら、そのやり取りを微笑ましく見ていた。また、一部では新たな論争も始まっている。
そんな練習後の喧騒も上の空で、慧はひたすらファーストベース付近をトンボで均していた。
「ねえ」
不意の声にその動作が止まる。慧がハッと顔を上げると、そこには華凛の姿があった。
一見普段と何も変わらない様子だが、息遣いに注意すると呼吸が多少乱れていることが分かる。その原因に思い当たりのある慧は、思わず華凛から目を背ける。
今日の打撃練習では、ピッチャーはメンバーが持ち回りで務めた。華凛は、慧ともう一人、直子に対して投球した。
本来であれば直子の打撃投手を務めるのは慧の役割だったが、あまりにもストライクが入らないため見かねた華凛がそれを代行した。
嫌な顔ひとつせず自ら引き受けた役割を果たし、なおかつ、自らの打順では一切の妥協が無い力強いスイングで右へ左へ強烈な打球を飛ばした。そんな内容であれば、華凛にとってはこの日が過酷な1日となっていたことは想像に難くない。
しかし、慧に対してはあくまで普段通り。疲れている様子を晒すことなく、あくまで凛とした佇まいであった。
「あ、あの……」
その気丈さにたまらなくなり、慧は懺悔の言葉を口にしようとした。しかし、華凛の想定外の言葉に遮られる。
「何か、楽しそうじゃない」
慧は思わずドキッとした。見抜かれているというのか。
「……う、うん。今日は、なんかよかった……」
返答の仕方を迷った結果、素直にそれを認めることにした。
慧は、今日の練習に確かな手応えを感じていた。最初はボールがただただ怖いばかりだったが、華凛の献身的なサポートにより徐々にそれを克服。結果、見事なバントを決めることが出来た。
今日の慧に課せられた使命。それを無事果たすことが出来た安堵感、そして上手く三塁線に打球が転がった時の快感。打撃練習中ひたすらバントに徹した慧は、この感覚をまた思い出していた。
しかし、それを味わえるのも、今目の前にいる彼女のおかげ。慧の口からは素直に感謝の念が零れた。
「華凛ちゃん……今日は、ありがとう……」
華凛は目を丸くし、微笑んだ。
「でもね慧。試合できっちり決めないと意味ないんだから、もっと練習しなきゃダメよ」
直後に入ったのは鋭い指摘。しかし、それでいて華凛もまたどこか嬉しそうなのは慧にまで伝わって来た。
「さ、早く終わらせましょう」
華凛はテキパキとグラウンドを均していく。慧もその手を早め、やがてグラウンド整備は終了した。
「ねえ、ところで聞いたことある?この学校のウワサ」
唐突な捺の問いに、華凛は思わず箸を止めた。
「私が聞いたのは、合宿中に脱出しようとして……帰らぬ人となった生徒の……霊が出る……という噂程度です」
心なしか、華凛の声のトーンがおどろおどろしいものになっている。それを隣で聞いていた慧は、つい昨日の華凛の話が蘇り、思わず背筋が震えた。
(せっかくおいしいご飯なのに、やめてほしいな、この話……)
食卓のほかほかした美味の面々を前に、慧の気持ちが沈む。
この日もチーム全員で夜の食卓を囲んでいる。千春をはじめ腕自慢の面々が卓に並べた料理はどれも食欲をそそる香りを放ち、口に運ぶとそれは激しい練習によりがら空きになった全員の腹に一気に浸透し、空腹と心を同時に満たした。卓に並んだ全ての料理が片付くまであと半分、といったところで捺が突如華凛へ話題を振ったのだ。華凛の話を聞いた捺は不気味な笑みで答えた。
「ご名答。私が言おうとしたのも、まさに霊の噂よ」
「霊……」
おうむ返しの華凛に対して、捺の不気味な表情は依然残ったままである。
「そう。この学校にはね、華凛が今言った霊以外にも、様々なモノ達がいるのよ」
慧から見た捺の顔は、まるでそれそのものが霊であるかのような不穏さを纏っていた。捺は低い声で語り続ける。
「体育館横にある大きいマンホール。そこを掃除の為に開けていたら誤って転落して、命を落とした少女。以来そこに閉じ込められ続けているその少女の霊」
普段はどちらかと言うと早口気味の捺が、この時ばかりは喋るペースが遅い。慧は、居心地の悪さを感じずにはいられなかった。
「家庭科室で誤って包丁で手首を切ってしまった生徒の霊、校舎の屋上から転落してしまった生徒の霊……」
「なんっすかそれは。気味の悪い」
捺の怪談に割り込んだのは豊だった。両手を後ろについて足をだらしなく伸ばしている。
「やたら生徒が誤って事故るんすね、この学校は」
「本当に起こったことかどうかは分からないわよ、あくまで噂。それにかなり昔の話らしいから、過去の文献でも漁ればそれっぽい話が出てくるかもよ」
「しないっすよ、そんなめんどくさいこと」
そっぽを向いて豊は立ち上がった。
「あら、どうしたの」
「先にあがるっす。もう自分は食べ終わったんで」
「ちょっと、片付け手伝いなさいよ」
「片付けますよ。自分の分はね」
ごちそうさま、と一言残して豊は自らが使用した箸や皿を手に部屋を去った。
「豊ったら。びびったわね、さては」
捺はフフンと鼻を鳴らす。
「あなた達は怖くないわよね?」
捺はまるで不快な絡みをする酔っ払いのように、ターゲットを慧と華凛に移した。
わたしはこのテの話は苦手だ、と慧は告げようとしたが華凛に先を越される。
「私は、どちらかと言うと好きです」
「よし来た!他にもいろいろ話はあるのよ」
「……お聞きしたいですね」
どうやらこの話は続くらしい。慧はこっそり席を立とうとした。
「まあまあ慧、そこに座ってなさいよ」
すぐさま酔っ払い捺に止められる。泣く泣く慧は、びくびくしながら幽霊話に付き合わされることになった。
「悪かったわね、長引かせて」
「華凛ちゃん……ああいう話、好きなんだね……」
「別に、嫌いじゃないって程度よ」
その割には随分イキイキとしてたような、と口に出しかけて慧は止めた。
慧は華凛と共にシャワー室に来ていた。本来であればシャワーくらいひとりで浴びたいものだが、あのような話を聞かせられた以上単独行動はどうにも腰が重い。
「とりあえず、悪かったわ。ひとりでシャワー浴びられない程怖がらせちゃったものね」
「べ、別にこわがってる訳じゃないもんっ……」
精一杯に強がってみたがやはり無理があった。華凛は責め立てることもなくひとつ微笑を浮かべる。
「さ、さっさと済ませて戻りましょ」
華凛はテキパキと脱衣を始める。慧も置いていかれないように焦って用意をするが、眼前の肢体に思わず手を止めて見とれてしまう。
「……何?」
「ご、ごめんっ、なんでもないっ……!」
華凛のジト目に思わず慧は平静を装おうとする。
(やっぱり、脱いでもすごいというか……いいな……)
圧倒的なレベル差を見せつけられたという思いと、良質なものを見ることが出来たという満足感が慧の中に同居した。
「じゃ私はこっち使うから。石鹸先に使って良い?」
「う、うん……わたし多分遅いから……」
華凛はひとつ頷いて向かって左側のシャワー室に入った。
このシャワールームは入り口に脱衣場、その奥にシャワー室、という構成になっており、ひとつのシャワー毎にそれぞれ仕切りが設けられている。それにより個室のような造りとなっていた。しかし石鹸などのいわゆるアメニティグッズは無いため、今回の合宿用に石鹸をひとつ用意していた。
石鹸は豊ちゃんが買ったんだっけ、こういうことならケチらないでもっとたくさん買うようお願いすれば良かった、などと考えながら慧は華凛の右隣のシャワー室へと入る。
裸の付き合い、というのをあまり(というかかなり)好まない慧はこの仕切りに感謝したが、この一時においては、あの最高級品を目にすることが出来ないことが残念でもあった。
(……ちょ、何を考えているんだわたしは……!)
邪念を振り払おうと思いっきり蛇口のハンドルを捻る。次の瞬間冷水が一気に飛び出た。
「ひゃっ……!」
いくら夏本番とは言え、いきなり冷水をかけられては堪らない。急いで程よい湯加減への調節を図る。
しかし、自宅以外のシャワーなど滅多に使わない。悪戦苦闘しながら、ようやく程よい水温へと辿り着いた。
「慧」
ほっとしたのも束の間。仕切りのドアが無造作に開けられる音がして、振り返るとそこには華凛が石鹸を片手に立っていた。
「私はもう終わったから。あとは使って」
あまりにも早すぎないか、そんなにわたしはお湯を出すのに手間取っていただろうか、という疑念を持ちながらも慧はまず感謝の言葉を口にした。
「あ、ありがとう……じゃあお言葉に甘えて、使わせてもらうね……」
慧は視線を華凛の目から右手の石鹸へ移す。
すると必然、その視線の道のりには、悠然と佇む二つの巨大な山が存在した。
あまりもの雄大さ。それは慧が憧れを抱かずにはいられないモノ。
この絶景をもっと堪能したい。慧の理性は吹き飛ばされ、山々をもっと凝視しよう、果ては、もっとワイドに視界を切り替え全体像を把握しなければ。
と、
になった次の瞬間。
「きゃっ……!」
華凛の短い悲鳴が聞こえると同時に、目の前の景色が消えた。
いや、消えたのでは無い。真っ暗になったのだ。
電気が消えた――?頭がそれを理解すると同時に、華凛の何倍も大きな悲鳴を上げている自分にも気付いた。
さんざん聞かされた霊の話が脳裏をよぎる。無意識のうちに目の前の華凛にしがみついていた。
「な……何よあれ……」
その華凛が何かを発見するのにやや遅れて、慧の視界にもそれが飛び込んできた。
真っ暗闇の中でもはっきりと分かる白い物体。モゾモゾと蠢きながらゆっくりと、しかし確実にこちらへ向かってくる。
慧の喉元は絶対的危機を示す悲鳴を再度あげていたが、今度ばかりは華凛も平静では無かった。
むしろ慧以上の悲鳴。華凛の身体にひしっとしがみついていた慧には、その全身の震えがありありと感じ取れた。
白い物体はゆっくりと這いずり、近付いて来る。慧も華凛も身動き取れずにへたり込んでいた。
やがて聞こえてくる、白い悪魔からの呻き声――。
「ドッキリ、せいこう~~~」
聞こえてきたのは人間の声だった。同時に電気が点き、とたんに明るくなったシャワー室で物体の全容が明らかになった。
そこにいたのは真っ白な布。それがモゾモゾと動き、中から姿を現したのは捺だった。
「夏は怪談、と言うことでおふたりにはドッキリの主役になってもらいました~。本当は一年生全員に驚いて欲しかったけど、もう一人には仕掛け人に回って貰っています」
捺の言葉に反応するように脱衣場からトコトコ歩いてくるのは豊。まるで子供のイタズラに呆れた親のような顔をしている。
「言われた通り電気点けて来たっすよ。にしても、前日から用意しただけあって中々の迫力だったみたいっすね」
「どうもありがとう……それにしても」
捺は頬に手を当てて立ち尽くす。
「少しやり過ぎたかしら……」
慧も華凛も腰が抜けて立てずにいた。二人して全裸のまま、互いにしがみつき合うばかり。
捺としては単なるスキンシップ目的、そしてイタズラ好きが高じて実行に至ったこの企画。
しかし、この夜から合宿終了までの間、怒りの二人の機嫌を直す為に捺はそれなりの労力を要したのであった。




