香椎東対天神商業5
天神商業のストロングポイントはその重厚な打線である。
それを確固たるものに押し上げているのは、上位打線はもとより、下位打線の充実にあった。このチームの下位の打者は下位とは名ばかりの、いずれも他チームなら主軸を張れる実力者ばかり。他の強豪校に比べても、下位打線の破壊力は頭ひとつ抜けている。
それ故に相手投手は常に気の抜けない状態が続く。無論、堀川を軸とした上位打線の厚みは圧倒的だが、天神商業がチームとして豪打を誇っている所以は、下位打線の厚みによるところが大きいのだ。
しかし二回の表。五番、六番、七番とまさに中軸から下位に差し掛かる天神商業自慢の打線を、梓、豊の香椎東バッテリーはテンポ良く三者凡退に片づけた。
この結果に、捺は空にも飛びあがるような気分だった。いち早く賞賛の言葉を送ろう――気づけばショートのポジションから一目散に駆け出していた。
「良いじゃない良いじゃない! トントン拍子ね!」
三人目の打者が見逃し三振に倒れた直後、捺が豊の元へ駆け寄り、先程の守備同様、いかにも上機嫌に背中を叩いてきた。
「だから痛いんすよ! 限度ってもんがあるでしょうまったく……」
「ごめんごめん、つい……ね?」
「いや、許さないっすよ」
「そんなあー」
ベンチに座り防具を外すも、まるで猫のようにまとわりつかれる。
「離れてもらっていいっすか。作業の邪魔なんで」
「つれないわねー」
突き放しても捺に大したダメージはない。豊はため息をつきながら防具を外し終えた。
「じゃあ別にいいっすけど……その代わり」
そこで豊は言葉を切る。瞬間の静寂の後、二の句を告げた。
「あのボールの見切り方。どうやってるのか教えてくださいよ」
和やかな空気が一変する。空気を察したのか、捺も表情を真面目モードへ切り替えた。
「ベンチから見てるだけで良く気づいたわね。あのボールのこと」
「さすがに、ただごとじゃないって位は察します」
「そう……」
捺は瞬間視線をマウンドへ移し、そしてまた豊へ戻した。
「それにしても真剣なのね。こちらとしてはありがたい話だけど」
「別に、やるからにはむざむざ負けたくないだけっすよ」
「そう思ってくれるのは嬉しいわ」
――それに、まかり間違えば勝てそうだし。
とまで、豊は口にしたかったがそれは止めておいた。
梓のピッチングの出来は豊の想定を大きく超えていた。
正直なところ、この試合は大量失点を覚悟していた。強打と名高い天神商業が相手である点もさることながら、並の投手が自分のリードについて来れるはずがない、と考えていたからだ。
しかし、梓は現時点でほとんど完璧に豊のリードに応えている。それに留まらず、球の質自体も上等。その驚異ぶりは、まだ二回ながら天神商業をたった一安打に抑えている現状の結果に表れている。
豊はそこに、この試合に勝つための大きな手応えを得ているわけだが、しかしそれだけでは足りない。勝つためには、立ちはだかる壁を崩す必要、つまり悠莉を打ち崩し、場合によっては後続で登場してくるであろう二番手、三番手を打ち崩す必要がある。豊の観察眼が示す限り、攻略の鍵となりそうなのはやはり捺だった。現状唯一、悠莉の特殊球に対抗しうる打者。そんな彼女から何かしら攻略の糸口を得ようとするのは必然。
「でも、見切り方といってもそんな簡単なわけじゃないのよねえ……」
捺は困ったようにうーんと唸る。
「いや、アンタの手法はだいぶ高度なんだろうってのが読めてるんで、マネる気はないっす。でも何かしらのコツはあるんでしょ? それだけ教えてくれれば」
「そう……けっこうしっかり取捨選択するのね、あなた……」
豊の勢いに捺はたじろいでいるようだった。しかし直後、考えが纏まったのか、人差し指をスッと立てて解説者のようなポーズを取った。
「とりあえず。右打者から見たらあのボールは内に切れ込んで来るの。それに対して向かっていったらダメ。大振りしてもダメ。見てて」
捺はそう言って立てた指をバッターボックスに向ける。そこでは五番打者の清が、当たればどこまでも飛んで行きそうな豪快なスイングで空振りを繰り返していた。
「大振りしたら自然とバットは外から出てしまう。そうすると……」
捺が全てを告げる前に、清はどん詰まりのピッチャーゴロで打席を終えた。
「なるほど……」
「そういうことだから、しっかり引きつけてセンターから右……そうね、右におっつけるのがいいかも知れないわ」
そこまで解説したところで、捺の言う悪い例を実践で示した清が帰ってきた。
「ありがとう、清。おかげで杉山さんに良いアドバイスが出来たわ」
「ああ?」
清は怪訝そうな顔を浮かべ、捺と、横にいる豊を見比べる。
「……ったく、意味わかんねーよ」
しかし、捺の言わんとする事は汲み取れなかったらしく、ベンチにどっかと腰を下ろす。
「……さて」
捺は再び豊に向き直った。
「さっき千春には似たようなことを伝えてあるから。この打席が参考になるはずよ」
一言だけ残した捺は直後、横から伸びてくる腕に捕らえられた。
「捺てめえ! また人をダシに使いやがったな!」
「ちょ、そんなつもりないって……たすけてー!」
どうやら先程の言葉の意味を理解したらしい清によって捺がいたぶられようとしているが、豊はそれに全く構うことなく、六番打者として打席に立つ千春に注目した。
初球から投じられたツーシームの底知れぬ威力に気圧されながらも、千春は冷静に球筋を分析していた。
内角を抉るように変化するのは話通りだった。これを初見で対応するのは極めて困難。華凛や清が攻めあぐねたのも無理はなかった。
――しかし私は、捺から情報を貰った上で打席に立っている。この差は大きい。
やがて投じられる二球目もツーシーム。千春はどうにか見送り、それをボールにした。
ツーシームの多投。感情的になっているのか、と千春は読んだ。
「しかしそれは、完全に裏目のようです……よ!」
ワンボールワンストライクからの三球目。またも投じられたツーシームに千春は手を出して行く。バットに当たったものの完全に詰まらされ、打球は右に大きく切れファールとなった。
「このボールに当ててくるなんて……誰かの入れ知恵かしら? なんにせよ褒めてあげるわ。でも……次はないわよっ!」
間髪入れずに投じられるボールは、またもツーシーム。
――今度こそ捉える……ここっ!
内側へ切れ込むそれを千春はギリギリまで引きつけ、詰まらされた直前のスイングよりも更にインサイドアウトの軌道へ修正し、巧みにバットに乗せた。
「なっ……!」
瞬間、悠莉は驚きの表情を見せる。快音を残した打球はセカンドの頭をライナーで越え、ライトへと到達した。香椎東としての初安打は千春のバットから生まれた。
「おおー」
ベンチからじっと観察していた豊は思わず声を上げた。
――なるほどなるほど、確かにアドバイス通りのバッティング……なんか掴めた感ありますね。
豊に攻略のイメージを明確化させる千春のヒット。それに同調するように、チーム全体で一気呵成に攻め立てる気運が高まりつつあった。