人の夢であれば良かったのに
前回までのあらすじ
友人を庇って重体となった三上正成は、目を覚ますと戦国時代、後の石田三成である石田佐吉となっていた!
紆余曲折を得て史実通り秀吉の小姓として仕官した佐吉は、ふとした弾みに過去の記憶に触れることになり――?
「速報です。前線に新たに投入された新型生物兵器が、多大な戦果を挙げ―」
昼下がり。
繰り返しの毎日にうんざりしながら惰性で紙を広げ、冷めたコーヒーを一口飲んだところで、机に取り付けられたラジオが耳障りな音をたてた。
無機質に流れる音が形を得て、言葉として耳に滑り込む。
宙ぶらりんの言葉が繋がり文になって。
覚醒しきっていない頭が、意味を理解するなり、視界が白んだ。
「良かったな、これであの目障りな連中の抵抗がマシになる」
沈黙し、項垂れるように椅子に沈んだまま動けない私の耳が、隣の部屋の興奮を捉える。
何故だ。何故。何故、何故、何故!?
「案外やるじゃないか、あの日本人」
何故、こんな事に。
項垂れ、身動ぎもしない私を見て、何を勘違いしたのか。
カツカツ、と硬質な音を立てて、所長が部屋に入ってくる。
「おめでとう、Mr.三上。我が研究所初の快挙だ!」
私は、ただ。
ただ、人を救いたかっただけなのに。
「ふじの病の研究だなんて聞いたときはとんだ足手まといだと思ったが……よもやこんな結果をもたらしてくれるとはな」
苦しむ人を、一人でも多く救いたいと思っただけなのに。
そうすれば、自分が生きてきた意味を得れると、疾しい思いを抱いて挑んでいたことへの、罰だとでも言うのか。
嗚呼、ああ、ぁぁ!
神よ!
今まで一度たりとも信じたことも祈った事も縋ったことの無い神を、恨んで。
「あちらの言葉で……確かケガのホウボクだったかな?」
功名だわボケナス。
何を放牧するんだアホタワケ。
勝手に恥かいて実家に帰れ天然狙いの失敗パンチパーマ野郎。
続く所長の勘違いに性でツッコミをいれたところで。
耳障りな音を、両の耳が再び拾った。
「軍首脳部は研究所や国家首脳陣とも話し合い――」
まさか。
やめろ。
やめてくれ。
「兵器開発において多大な功績を挙げた日本人研究者、Mr.三上へ勲章を授与する事への――」
そんなもの。
一度だって望んだことはない。
ただ、ただ平坦に続いていく日々が少しでも平穏であれと思っただけなのに。
「っっきち!」
再び耳障りな音が遠ざかる。
かわりに下卑た、人でなし共の会話が耳に滑り込む。
ああ、いっそこの耳を塞ぐ事が出来ればいいのに。
「さきちっっ!」
糸の切れた操り人形にでもなったのかの様に、指一本動かせない。
きっと虚ろな、屍人のような目をしているのだろうに。
きっと私を見たことがないのであろう人でなし共が、薄汚い笑いを浮かべながら肩を叩く。
圧迫感と共に、エグみと酸味を感じさせる息がせり上がる。
「佐吉!!」
こみ上げる不快感に、ようやく眉を顰められたところで。
「起きろ、佐吉っっ!」
バシャン、と明らかに質量を持った冷たさに、目が覚める。
「ぅ……ん?」
冷気と身体に張り付く思い布に、不快感が吸い込まれていく。
二度、三度瞬きをして、自分が置かれている状況を確認する。
見覚えのある、微妙に古い和室の天井。
こちらをじっと見つめる六つの眼。
ああ、そうだ。
私は。
三上正成じゃない、石田
「さきちぃーーー!!」
手にしていた桶を屋外に放って抱きついてくる巨体。
そうだ、市松――福島市松。
この微妙に空気を読めないのか読まないのか分からない暑苦しい巨体は間違いなく市松だ。
そして血相を変えて市松の放り投げた桶がぶつかって相手に謝りに行ったのは、市松の弟分に当たる割に兄貴分に見える加藤虎之助と、二人に頼りにされている大谷紀之介。
間違いない。
ここは近江国長浜城、今は戦国時代。
先ほどのは……夢、いや、私の過去の断片。
今の私は長浜城主羽柴秀吉の小姓、石田佐吉。
良かった良かったと言いながら濡れ鼠になっていることを気にせず抱きついてくる市松に、もう一度意識を持っていかれそうになりながら記憶を整理する。
きっと先日の虎之助のやり取りに触発されて、心の蓋が開いたのだろう。
惑わされるな、取り違えるな。
冷静になれと己を叱咤しながら、そろそろ腕を離すように市松に言う。
「市松。離してくれ、まだ死ぬ気はない」
はっとして慌てて力を緩め、腕を離しながら市松が涙目で訴える。
「良かったよぅ……釣りに誘いに来たら倒れて魘されてたもんだから……」
そんなサスペンスな昼ドラ状態だったのか。
「ああ……そうか。それは心配をかけて済まなかった」
そもそもこの時間であれば私は仕事の途中で、市松も鍛錬やら一応勉強をする時間であるはずだとか、諸々言って、というか聞きたいことはあったのだが、今は何より。
この室内であるはずなのに頭から水をかぶった痕跡が気にかかる。
まぁおおよその見当はついているのだが、確認を兼ねて聞くことにした。
「ところで何故私は水浸しにされているのかな。ナスになった覚えは無いのだけど」
単に言葉に詰まったのか、ナスに引っかかったのか、半開きの口で固まった市松の背後から戻ってきた半笑いの紀之介が口を挟む。
「佐吉、それじゃあ出汁をかけられたことになってしまうよ。
今市松がかけたのは井戸から汲み上げたばかりの冷水だ」
なるほどそうか、井戸水か。
熱湯でなくて良かった。
などと見当違いな思考に奔りかけながら、軽く睨みつける様に市松を見上げる。
紀之介にも、その後ろから同じく戻ってきた虎之助にも何処か白い目を向けられた市松が、しどろもどろになりながらようやく弁解する。
「いや、なんか頭冷やすといいって聞いたからよ……」
誰にだ。
それ以前にここを何処だと思っている。
室内だぞ?
そして頭から被って全身水浸しなわけなのだが。
よしんば合っていたとしてこの状況が正しいように見えるかね。
いやそれよりも。
魘されていようがいまいが、寝ている人間に水をかける行為がいかに危険か。
今後のためにも言っておいてやりたいことは山のようにあったが、悪意があったわけではないだろう。
余りにしょぼくれた市松に言葉を納め、かわりに呆れたように呟いた。
「物理的にってわけじゃァ無いのだよ」
寝ている人間に水をかける行為がいかに危険か、こんこんと数時間にわたり説教して市松が青くなって倒れたのは、また別のお話。




