四十 解放者
「人類を苦しみから救えると、本気で考えていたんだ」
遠い目をしながら、サルバドールは語りだす。
「遥か昔、語り合った人がいる。人生は苦しみに満ちていると、彼は嘆いていた。そして、最も辛い苦しみが、生・老・病・死だと言っていた。ならば、僕はそのなかの『老』を取り除いてあげようと考えるようになっていた。なぜなら『老』こそが、他の苦しみの要因だからだよ。そして、僕にはそれが可能だと思われた」
城島もエリカも、サルバドールの言葉に耳を傾けていた。この廃墟に唐突に現れたことだけをとってみても、少年が普通の人間ではないことが分かる。加えて少年からは、不思議な落ち着きが感じられた。何事にも動じない巨木の生気を、少年はまとっている。城島の目には、老齢でも瑞々しさを損なわない樹齢数千年の大木の姿が、少年に重なって見えていた。エリカも似たようなイメージを、サルバドールという少年に描いているだろう。口をはさむことなく、少年の次の言葉を彼女は待っていた。
「ようやく、その準備が完了したんだ。これで、人類は大きな苦しみから解放されるんだと、僕は信じた。古い友に、自慢できると喜んだ。あなたが救えなかった人類だが、僕は救えたよ、と」
サルバドールが語る友は、古代インドの聖人しか城島には連想できない。しかし、まさか、と城島は考える。不老化した社会は、僅か30年程度のものである。聖人は、二千五百年以上も前の世界に生まれたはずだ。
「しかし、僕がやったことは、結局新たな苦しみを生みだす結果にしか至らなかった。苦しみを取り除こうとしたかっただけなのに、それ以上ともいえる苦しみと悲劇を、僕は人類に与えてしまった。エリカさん、あなたもまた、僕の犠牲者の一人だ」
日本人が遥か昔に忘れてしまった角度で、サルバドールは頭を下げた。
「あなたは、何者なの?」
メガラニカの執政官であった威厳は、エリカから失われていた。脅えると同時にすがり付くような震える声で、エリカは問う。
「僕はパラケルススに、技術を、素材を、そして名前を与えた。エリクシルは、僕の血液から造られた秘薬だ。人類は長い間、僕の血を吸いながら、若さを保っていたんだよ。城島さん、あなたは別ですけどね」
著名人ではない城島の名前を、サルバドールが知っていることなどは驚きに値しなかった。少年はなんでも知っていても不思議ではない。『全知』という言葉が、城島の脳裏に浮かぶ。
このとき、エリカが抱く少年のイメージは、巨木からより高みの存在へと昇華していた。少年の言葉が真実ならば、エリクシルという秘薬は、世界から失われたわけではなくなったのだ。世界は再び、不老化することができる。そうなれば、理想の国メガラニカも再興できる。エリカは絶望の淵から救いあげられた気分だった。
「パラケルスス氏に、我らを手伝うように指示したのも、あなたですか?」
「そうだよ。僕が作った世界から生まれた新しい国は、僕にも責任があると感じた」
エリカは感動に身を震わせていた。敬虔な信徒が、信じる神に出会ったようなものだった。
「また、私たちに手を貸していただけるのですね」
「そんなことはしない」
エリカの神は、彼女を救うつもりなどなかった。