8・好奇心
あんなに重苦しい灰色の空は、午後になると切れ切れになって薄れていた。
雲の裂け目から薄く蒼い空が覗いて、遠くに光の柱が注がれている。
もしかしたら、あたしがお願いした神様がモモちゃんを助けてくれたのかも。
雲間から注ぐ光の柱を見つめていると、史美菜はそんな事を考えた。
「フミもやりなよ」
放課後、美加が言った。
ホームルームが終わると、掃除当番のない連中はつれないほどにチリジリに教室を出てゆく。
気まぐれに残る者はごく少数で、その中に彼女達はいた。
「これはもう、信じるしかないっしょ。あの魔法事典は、絶対本物だよ」
美加が鼻高々と腕を組む。
「フミは何を叶えてもらう? 成績? 男? 家庭環境は問題ないよね」
百夏が笑う。
「知ってるんだよ、フミ」
腕を組んだ美加が、顎を突き出して嘲笑う。
「な、何をよ」
「あんた、興南の汐泊孝樹が気になってるでしょ」
汐泊孝樹は興南高校普通科の三年生だ。
去年文化祭を覗きにいったら、美術部の会場で出逢った。
美加と百夏と一緒に、ほんの退屈しのぎで行った隣の文化祭。何気なく覗いた写真部の隣にそのまま流れで入っただけだ。
そこが美術部の展示室だった。
本格的な油絵からオタクちっくな萌絵のイラストまで様々で、意外に人が入っていた。
その後何度か体育の時間にグラウンドで見かけた。
文化系の部活に在籍している割には運動も得意なようで、サッカーの授業で何度かゴールしたのも見ている。
二年の頃は教室が二階だったので興南高校のグラウンドが一望できるのだが、三年生は一階に教室があるのでほとんどフェンスの向こうは植木が邪魔して見えない。
文化祭の会場では気さくに話したりもしたけれど、その後会話を交わすほどの機会はなかった。
時折朝の通学時や帰りの時間に彼を見かけるが、やっぱり声は掛けられないし、向こうが自分を覚えているかも判らない。
「そ、そんなの、ずいぶん前の話しじゃん」
「あれれ? 先週彼を見かけたら、ずっと眼で追ってたのは誰だっけ?」
「ぐ、偶然でしょ? 誰だっけな。とか思っただけだよ」
美加は口角を上げて、意地悪っぽく史美菜を見る。
「へぇ、じゃあ新情報いらないんだ」
「な、なによ。新情報って?」
史美菜は思わず身を乗り出す。
「彼には今、彼女がいない」
美加は史美菜に向って人差し指を立てると、それを左右に小さく振って自信に満ちた目をキラキラさせた。
史美菜は唾を飲み込む。
「それって、確か?」
「ほぉら、喰いついて来た」
美加は近くの机に飛び乗るように腰掛けると
「あたしの情報では、汐泊孝樹は去年の十一月から彼女はいません」
「ヤッタじゃん」
百夏が史美菜の肩に手を置いた。
史美菜は眉間にシワを寄せて腕を組むと、教室の天井を見上げた。
汐泊孝樹はそんなに背は高くないが痩躯な身体つきをしていた。
興南高校の制服は黒に近い紺色のブレザーで、インナーに淡い水色のワイシャツを着る。
動くたびに撓むブレザーの背中のシワが、いかにも痩躯なシルエットを連想させるのだ。
ジャージ姿はやっぱりすらりとして、顔が小さいのか近くで見るよりも長身に見えた。
興南高校はあまり校則が厳しくないらしい。かなりの長髪もいれば錆色の髪を風にはためかせる生徒もいる。
そんな中で、黒髪の汐泊は特に目立つ風貌ではないのだが、史美菜の目にはどんなに群集に紛れていてもくっきりと浮き上がるのだ。
それはつまり、彼を意識し、彼を無意識で探しているからなのだろう。
最後に見かけたのは先週の金曜日の放課後だった。
史美菜が自転車で正門を出ると、彼は友達二人と駅へ向って歩いていた。
少し首が長いのか、何となく猫背の彼は、短くも長くも無い髪の毛を風に揺らして友人たちと戯れていた。
だから史美菜は、彼が電車で通っている事だけは知っている。
文化祭の時は何を話しただろう……
孝樹は小学校の時から絵画が好きで、中学の頃はHR・ギーガーが好きで画集も買ったという事。高校に入ってからはラッセンなどのエコロな絵が好きになった事。
ピカソやゴッホなどの芸術画家はよく判らないが、ルノアールの絵は何となく好きだという事……
激しくなく、暗くなく、淡く優しい色彩が好きなのだそうだ。
史美菜が思い出せるのはそんなところで、結局絵画の話しかしなかったのだと今更ながら悔恨の思いでイッパイだ。
「ね、とりあえずやってみようよ」
美加が笑う。
まったく悪意の無い、無邪気な笑顔だった。
だからと言って、友達の事を親身に想っているわけではない。
二年間の付き合いでそのぐらいは解る。どちらかと言うと、自分の思うとおりに人を動かしたい欲求があるのだ。
もっと魔法事典を試してみたいのだ。
美加は、魔術の効果をもっと知りたいのだ。




