7・朗報
週明けの月曜日は、百夏の様子に変化は無かった。
魔法の効果あった? なんて訊くのもバカバカしいし、効果が無くて多少なりともガッカリしている彼女にそんな話題も振りたくない。
火曜日が過ぎて、水曜日。
雨が降っていた。
空は灰色の厚雲で低く覆われて、今日中には止みそうにない雨がひたすら濡れた地面を打つ。
風は生ぬるくて湿り気をおび、朝ドライヤーで丹念にのばした髪が、学校に着く頃には微妙にうねっている。
自転車通学の連中はみな、髪の毛を濡らして教室へ入ってくる。
今日ほど雨が降れば、みんな傘をさして自転車に乗るが、その効果は歩くほどではないのだ。
「もう、超ウザイよこの雨」
何時もサイドを縦撒きにカールしている実穂が不機嫌そうに教室へ入ってくる。
以前はドライヤーやヘアーアイロンを持ち込む生徒もいたのだが、在る日校内のブレーカーが飛んでしまう事件があった。
どのクラスも朝の教室で一斉にコンセントに繋いだドライヤーの電源を入れたものだから、ついに校舎の電気容量を超えてしまったのだ。
陽差のない校舎の中は一瞬でほの暗い闇に包まれ、ここそこで悲鳴とざわめきが起こり軽いパニック状態になった。
教職員は何事かと校内を駆け回り、ただのブレーカー落ちと気付いて電源が快復したのは一時間半後の事だった。
それ以来ドライヤーの校内持ち込みは厳禁になった。
史美菜は蒼いパイル地のタオルで肩に伸びた髪の毛を押さえて付着した湿気を丹念に取り除いていた。
パタパタと足音が近づいて来る。
美加はまだ来ないだろう。雨の日は遅刻ぎりぎりが、下手をするとホームルームのチャイムが鳴ってからひょっこり現れる。
始業の予鈴までは、まだ五分あった。
「おはよう」
明るい声がする。
俯いた顔を上げると、百夏が笑顔で立っていた。
彼女はよく笑う。
家庭の問題をものともせず、他人にはそれを悟られまいとするかのように、普段からよく笑う。
そして、その明るい笑顔は正直可愛らしい。
小さな鉢植えの色鮮やかなマリーゴールドのように、それは可愛らしいのだ。
微かなダーククリーンの虹彩が輝く笑顔に、興南高校の男共が惹かれるのも判る気がする。
その時の彼女の笑顔は何時にも増して輝いていた。
いや、何時もとは違った輝きだ。
何の迷いも無く、何の苦悩も感じられない透き通った輝きがあった。
「叶ったよ」
百夏が言った。
その短い一言で、史美菜は理解した。
叶った……魔法陣での願いが叶ったのだ。
史美菜は半信半疑……いや、ヤッパリ信じられない反面、百夏の家の事情が好転する事を願い、先週の土曜日以来ずっと心の底で気に掛けていた。
「ホント?」
史美菜は無表情に応える。
百夏は小さく頷いた。
「昨日の夜遅くに、夜逃げしてたお父さんの友達が戻って来たの。なんか、金と大豆の先物? で大儲けしたらしくて、現金で三千万返しに来たの」
「ま、マジで?」
確かに今年に入って金と大豆は値上がりが激しいと、ニュースで聞いた覚えがあるけど……
「大マジよ。延滞利息分も置いて行ったよ」
信じられなかった。
信じられなかったけど、正真正銘本心から嬉しかった。
先物取引で元を取り戻すあたりは、その男の資質というか生き様を現していそうだが……
史美菜はそれがあの魔法事典の効力なのか考える事を忘れていた。そんな事はどうでもいいのだ。
モモちゃんの家が立ち直って、不安無く高校生活を一緒に歩んで行ければ、何の効力だろうと関係ない。
それが魔女だって悪魔だって、宇宙人の仕業だって関係ない。
史美菜は勢いよく立ち上がる。
動いた椅子が、後の机にぶつかってガンッと大きな音を立てた。
「よかったね。よかった」
史美菜は百夏の笑顔に負けないくらい、白い歯を見せて笑った。
無意識に二人は手を握り合って、一緒にピョンピョン跳ねる。
湿った髪の毛から穂のかにムースの香りが沸き立って、窓から見える重い灰色の空は霞んでいた。
「もう、こんな大ニュースが在るのに、美加ったらまた遅刻だよ」
ホームルームの予鈴が響き渡っていた。




