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4・密かな苦悩

 月曜日、何処となくみんな憂鬱な顔を隠すかのように笑い合ったりする。

 そうやって憂鬱を吹き飛ばさなければ、月曜の朝を乗り切れない事は、自分たちがよく知っている。

 その中でひと際輝く場違いなほどの笑顔で、史美菜に駆け寄る姿があった。

 史美菜の家から学校までは自転車で十五分。

 住宅街を抜けて大通りに出て広い歩道を少し行くと国道にぶつかる。その国道を左からやってくるのが美加で時折通学中に出会うが、遅刻ぎりぎりが多い彼女と会うのはいたって稀な事だ。

 この朝は自転車をこぐスピードが全く違っていた。

 美加は信号待ちをする史美菜に追突する勢いで迫って来たかと思うと、キッとブレーキをかける。

 彼女と史美菜の自転車の前タイヤがコツンとぶつかる。

「危ないなぁ。もう」

 そんな言葉を美加は聞いていないのか

「ねぇねぇ、聞いてよ」

 徐に自分の話しを切り出す。

「何よ」

 史美菜はそう言いながら、青になった横断歩道を渡りだす。

 美加も慌てて走り出して、史美菜の自転車に並ぶ。

「昨日、しちゃったよ」

 彼女は史美菜に顔だけを寄せて、出来るだけ小声で言った。

「したって、何を?」

「したって、言ったらアレじゃん」

 史美菜は一瞬視線を空に向けると、美加を凝視した。

「誰と?」

「そんなの決まってるじゃん。城之内先輩だよ」

「うそ!」

 城之内剛彦じょうのうちたけひこは、隣に在る興南高校のひとつ年上の先輩で、市の外れにある大学へ今年から通っている。

 美加は去年から城之内にアタックしたがっていたが、機会がないまま卒業に至ってしまったのだ。

 城之内剛彦はサッカー部のキャプテンを勤め、すらりとした長身と長髪に甘いマスクで、興南高校では一番人気だった。

 放課後の部活が始まると、必ず数人がフェンスに張り付いていたもので、彼が去った今ではそんな光景はみられない。

 もちろん、南原女子高のテニス部の練習を覗こうとする連中が、向こう側のフェンスに張り付く光景は相変わらずなのだが……

 美加はフフンと鼻を鳴らして笑うと

「だから言ったじゃん。あの魔法陣は効くんだよ。いや、あの魔法事典が効くのかな」

 そう。一週間前の土曜日に行った魔法ごっこ。あの時美加が願ったのは間違いなく城之内と関係を持つ事だった。

 それが一週間で叶えられた。

 8ヶ月かかっても何の進展もなかった事が、魔法の呪文ひとつで一週間。

 そんな事があるだろうか。

 そんなバカな……

 史美菜はそれから学校へ着くまで喋り続ける美加にナマ返事で相槌を打ちながら、ずっとそんな事を考えていた。



 開け放たれた教室の窓から、春の陽差と緩やかで淡い風が注ぐ。

 セックスやりたて……

 史美菜の頭の中には、一日中そんなワードがぐるぐると廻っていた。

 美加は昨日、城之内先輩とセックスした。

 美加のシャープに切れた目尻と長く通った鼻筋。

 眉を潜め、官能にもだえる彼女の表情は、きっと綺麗なのだろう。

 でも……ヤッた翌日に誰かに言うなんてありえない。

 もっと時間が経って、例えば次の生理が来た頃に話すべきだ。そんな勝手な思いが史美菜の頭を駆け巡る事を止めない。

「ねえ、聞いた?」

 昼休み、百夏が史美菜の前に立って、机に手を着いた。

 史美菜は視線だけを上げて、彼女を見上げる。

「聞いた。城之内先輩でしょ?」

「凄くない?」

 もちろん、魔法陣の効果を言っているのだ。

「偶然でしょ。それか、美加自身が暗示にかかって、超積極的になったとか」

 今日はやたらと気温が高い一日だ。

 史美菜は窓から注ぐ風では物足りず、ノートを掴んでパタパタと自分を仰ぐ。

「でもさ、彼の方から電話してきたって」

「うそ」

「だって、美加は先輩の携帯知らなかったって」

 今朝、史美菜も美加の口から聞いたのだが、適当に相づちを打って聞き流していたから、全然それを聞いていなかった。

「そうなんだ……」

「ねえ、今度あたしのをやってくれるって。フミも協力してくれるでしょ?」

「えっ? モモちゃん、誰か好きな人いたの?」

 百夏がブンブンと首を横に振る。髪の毛が頬にくっついた。

「まさか。あたしはお父さんの事」

 百夏の父親は破産寸前だ。

 小さなイヤホンジャックを造る工場を営んでいるのだが、不景気の波をモロにくらって三年前から会社は大きく傾きだした。

 イヤホンジャックといっても、ジャックそのものではなく、一番先についているピンの部分を造っているのだ。

 はっきりって、地味すぎる……

 小学校の頃には二十人の従業員がいたそうだが、今は父母と五つ上の兄の三人だけで賄っている。

 そして二年前、友人が会社を起こす際の借金の保証人に父親がなって、その友人という名の恩知らずは倒産した会社と破産申告だけを残して何処かへ消えたそうだ。

「あたし、年越せるかなぁ……」

 昨年の師走、百夏は冗談交じりでそんな言葉を呟いた。

 顔は笑っていたが、瞳はしっとりと潤んでいた。

 年を越して初詣に一緒に行った時、史美菜は百夏の姿を見てマジで安堵の息を漏らした。

「もしかしたら、ウチ心中するかもしれない……」

 そんな言葉もあったからだ。

 その話しを聞いたのは、去年の十二月の期末試験が終わって三人でカラオケに行った時だった。

 美加はまるっきり冗談だと思い、笑いながらポテトチップをボリボリと食べていたが、彼女より付き合いが長い史美菜はそれなりに百夏の家の実情を知っていた。

 だから、年明けは逢えないかも知れないと言う、彼女の深刻な瞳の陰りが怖かった。

 それでも何とか持ち堪えて、百夏は無事年を越したし高三に進級もした。

 一緒に笑い会う姿なんかを見ていると、つい彼女の苦悩を忘れてしまいがちになるが、やはり現実の厳しさは何も変わってはいないのだ。

 彼女に忍び寄る男の影が耐えないにも関わらず、百夏が誰とも付き合わないのは家庭が危ういからだ。

 彼氏にした誰かにそんな事がバレたらみっともないし恥ずかしい。

 以前、一度だけ彼女が口にした言葉だった。

「でも、あれって恋以外に効果あるの?」

「他にも幾つか呪文が在るって」

「じゃあ、お金持ちになれるじゃん」

 史美菜は百夏に顔を寄せて笑う。

「直接的な俗欲はダメだって」

 だから美加は男に走ったのか。

「性欲はいいの?」

「恋愛の先は自分の力だって、美加は言ってたよ」

「そ、そう……」

 ちょっと曖昧な笑みで、史美菜は頷いた。




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