2・呪文
ティファレント・ベイバーロン・アイオンロゴス・イォド・ヌイト……
「ち、ちょっとタイム。これ長くない? ていうか覚えらんないよ」
魔法陣を囲むと三人の位置はバラバラに離れるので、全員が魔法事典を見る事はできない。
「もう、そんな事だからフミは暗記物がダメなんだよ」
「っさいわね。とにかく、紙とペン貸して」
史美菜に言われて、美加は渋々本棚の横の戸棚をガラガラと漁る。
何処から引き上げた戸棚なのか、それともここで何かの事務仕事をしていたのか、美加が音を立てる度に、定規や電卓が床に転がり落ちて小さなホコリが舞う。
彼女はメモ用紙とボールペンを見つけてくると、史美菜と百夏に渡した。
史美菜は、渡されたメモ用紙の端に積もったホコリを、フッと息ではらう。
「あ、あたしは覚えたよ」
百夏が言った。
「マジで?」
実は美加も、空でいえるほど暗記してはいない。
史美菜がメモ用紙に呪文を書き終えると、再び儀式の再開だ。
ティファレント・ベイバーロン・アイオンロゴス……
「ねえ、コレってどういう意味なの?」
再び史美菜が中断させる。
「ちょっと、フミ。いい加減にしてよ」
「だって、なんだか妙に言い難いし、何だか笑っちゃうよ。何語なの? てカンジ」
「確かに笑っちゃう……」
百夏がそう言いながら、既に笑っていた。
史美菜もつられて、ついに笑い出す。
「もう、何よ二人共っ。魔法語に決まってるでしょ」
史美菜と百夏の笑い声は、さらに大きくなった。
「魔法語? そんなのアリ?」
「だって、魔法の事典なんだから魔法語でしょ」
美加だけは、自分の願いを叶える為に大真面目だ。
しかし、他の二人の笑は止まらない。
「ちょっと、なんで笑うのよ」
「だって、なによ、アイオンゴロスってさ。意味わかんないし」
そう言われると、何だか美加もおかしくなってしまう。
三人は少しの間、顔を見合わせて笑い合った。
「ていうか、史美菜。あんた鼻の頭に小麦粉着いてんよ」
美加がパチンッと両手を叩いて「ウケル〜」
「えっ、ウソ! もう、早く言ってよ」
再び三人は笑った。
「さ、もういいでしょ。本番行くよ」
美加が場を締めると、笑いに満足した史美菜と百夏も彼女に付き合って真顔に変わった。
ティファレント・ベイバーロン・アイオンロゴス・イォド・ヌイト・ハディート・ティファレント
呪文の後、三人は目を閉じて沈黙した。
……別に何も起こらなかった。
イナズマが落ちて魔法陣が光ったり、輝く魔法陣から竜巻が起きたりなんてしない。
当たり前の事だ。
三人は次々にゆっくりと目を開ける。
ほの暗い平穏な蔵の中は相変わらずホコリっぽい臭いで、天井からぶら下がる裸電球が三人を照らしていた。
「何も起こんないじゃん」
そんな事は百も承知だが、史美菜はとりあえず声に出して言ってみる。
美加は腰に手を当てると、フフッと小さく笑う
「起きてるわ」
自信に満ちた眼光で、二人を交互に見つめた。
「何が起きたの?」
百夏が眼を丸くして、ハトのように美加を見返す。
「ほら、見て」
美加が正面を指差す。
蔵の高い天井に続く壁に作られた小さな天窓は、ロフト? の位置からは正面に位置していた。それが開いている。
積み上がった木箱の隙間から、それは確かに見えた。
「あの窓は、確か閉まってたはずよ」
「そ、そうだった?」
「閉まってたわよ。今の魔法の呪文で開いたのよ」
「何で?」
「そんなのあたしが知るわけないでしょ」
美加は自身に満ちた口調で続ける。
「でもきっと、あの窓から魔法の効力が外へ飛び出したのよ」
「あの窓、閉まってたっけ?」
史美菜は百夏を見る。
「さあ……」百夏は首を傾げるだけだった。
「ていうかさ、その本って、魔法事典なんだよね」
「うん」美加が頷く。非情に素直な頷きだ。
「じゃあ、なんで日本語で書かれてんの?」
「そ、そんなの……誰かが翻訳したんでしょ」
「魔法語を翻訳できる人って? 誰よ」
史美菜はさらに突っ込む。
さすがに美加もおかしな事だと思ったのか、布で出来た事典のカバーを改めて見る。
表紙に書かれている文字は全て、彼女が言う所の魔法語なので、何が書いてあるかはまったく読めない。
したがって、著者も不明だ……
「きっとアレよ、大昔の偉い人が独学で解読したんだよ」
史美菜と百夏は再び顔を見合わせると、一緒に肩をすくめた。
こんな事はよくある事で、美加の突発的な行動の矛盾を追及しても埒が明かない事は、二人共よく知っていた。
明日も深夜更新いたします。




